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夢見る未来に福音を  作者: 相馬
第六章 《諍い果てての三位の契り》
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第十二話 明かす過去


 夕日は沈み、辺りは薄暗い。

 大樹の枝葉から漏れ見える月も今は雲に隠れていた。


 大きな大樹の根により盛り上がった小高い丘。

 整備されているかのように長さの揃った芝の上には、木漏れ日のような穏やかで暖かな光を放つ蛍が飛び交っていた。


 まばらに飛び回る蛍。

 その中に膝を抱えて座り込む少女が一人。


 その少女の後ろに一人の青年が歩き寄り、少し距離を開けて腰を下ろす。


「きれいなところだな」

「……そうね、ここは自然豊かで精霊にあふれている。とてもいいところね」


 周囲に広がる幻想的な光景に、二人はしばらく静かに見つめ続ける。


「ねぇ、初めて会った時、何て言ったか覚えてる?」

「……昨日から何も食べてないの」

「いや、それじゃなくて。確かにあの時はお金がなくて苦しかったけど、違うわよ。魔法の使い方よ」


 ああ、それか、と思いだす。

 ウィルベルがウィリアムと初めて会ったときにいったこと。

 強力な魔法を使うには、責任が伴うと。


 複雑な想いを秘めた声が小さく届く。

 

「あんたが悪い奴じゃないってことはわかってるのよ……。だけど、あたしは信じ切れない。顔も過去も教えてくれない、どうして聖人になったかもわからない。故郷の場所も……世界を渡るなんて、正直信じられないの」

「まあ、そうだろうな」

「軍に入るときはグラノリュースが酷いことをしてるって、マリナを見て思った。だからついていこうと思ったけど、わからなくなっちゃった」


 ウィルベルが指を蛍に向ける。一匹の蛍が指に止まり、愛おしげに見つめる。


「わからないのよ。落ち着いて考えると、やっぱりおかしいわ。記憶を取り戻したのに、どうして聖人であることがわからないのか、どうしてあんた一人なのか。天上人が全員あんたと同じ、他の世界から連れてこられた人なら、どうしてその人たちはグラノリュースのために戦っているのか」

「……彼らには元の世界に居場所がない。彼らは元の世界で一度死んでいるんだ」

「……どういうこと?」


 天上人は皆、この世界に呼ばれる前の記憶を有している。

 その記憶の最後は決まって自分が死んだ記憶。

 やってきた天上人は、死んだ人間があの世界に戻っても居場所はないし、死んだのだからとあきらめがついている。

 むしろ、偶然手に入れた新たな生を懸命に生きようとしている。


 だがウィリアムは違う。


 彼は自分が死んだ理由がわからない。

 彼の中にも最後の記憶はある。唐突に胸に走った激痛を最後にこの世界に来た。だがその激痛の原因がわからない。


「彼らはもともと死んでいて、その後にこの世界に来た。でも俺は違う。この世界に来るから死んだ。グラノリュースに俺は殺されたも同然だ」


 悔しげな力のこもった声に、ウィルベルは眉をひそめる。


「確かにそれは辛いわね、でもそれじゃあ、元の世界に帰っても居場所がないんじゃない?」

「そうかもしれないな。だが確実に死んだ記憶もない。もしかしたら倒れたまま生きているかもしれない」

「そんなことありえるの? 倒れていたら死んじゃうんじゃない?」

「元居た世界は、ここよりもずっと安全なんだ。文明も発達してる。ここよりもずっと死ににくい……。俺はあんな死に方をするはずがなかった。健康だったし、病気もなかった」


 ――なのに、俺は急に倒れた。


「不自然に死んで、気づけば記憶を失ってこの世界にいた。……これは偶然か? そんなはずない。俺はあいつらに殺された。そのうえで俺を利用しようとした。許せるわけがない」


 ギチギチと音がなるほどに、拳をにぎりしめる。


「……じゃあ、あんたはグラノリュースの人に復讐がしたいの?」


 ウィルベルの同情するような声に、ウィリアムは首を横に振る。


「そんなのはどうでもいいんだ。確かに許せない、復讐したいと思う。でもそれ以上に俺は……家族に会いたい、友人たちに会いたい。たとえ死んでいても……俺はあの世界の人たちに謝りたい」


 ――勝手に死んでごめんなさいと、親孝行もできずに死んでごめんなさいというんだ。


 ウィリアムは悲痛な声で、そういった。


「……最初からそう言ってくれればいいのに」

「俺には、過去を言いふらす趣味はないよ。言っても信じてもらえないだろ」


 ウィルベルは苦笑して、指に乗った蛍に軽く息を吹きかけ飛ばす。

 元気に飛んでいった蛍を見つめる彼女は、景色に負けない楚々とした美しさを秘めていた。


「あんたがあたしたちに顔を見せないのは? 後ろめたいことがあるからじゃないのね?」

「……」


 ウィリアムは夜空を見上げる。


「……笑うなよ?」

「笑わないわ」


 ウィリアムが前方に腕を伸ばす。そこに飛んできたのは蛍ではなく、彼と同じく神気を帯びた鷲だった。

 鷲を見つめるその様は、まるで神に許しを請う聖者のよう。

 青年は朴訥に語り出す。


「俺は元の世界じゃ、虫も殺せないような男だったよ。この世界の人からしたら、軟弱者とか臆病者とか言われる人間だった」


 嘲るような、力のない声。

 この世界で、強い彼しか見ていないウィルベルは眉を顰める。


「想像できないわね。今はもうヒュドラも悪魔も殺せる英雄でしょ?」


 その言葉に力無く首を横に振る。


「この世界に来て初めて人を殺した時、俺には記憶がなくて、軍人としての教育を受けていた。敵を殺すことに、大した忌避感は持っていなかった」


 青年は助けを求めるように鷲の顎を優しくなでる。


「記憶を取り戻した今は?」


 鷲は何も言ってくれない。


「……吐きそうだよ。人を殺した時の感触が、今も脳裏にこびりついてる。知らない間に自分が人殺しになっていた。元の世界じゃ大罪だ。最も忌むべき行為だよ。そんな存在に自分がなっていたんだ」

「敵だったんでしょ? 正当防衛だし、大義名分だってあるわ」

「違うんだ。そういう問題じゃないんだ。敵だからいいなんて、俺にはとても思えない。相手は俺と同じ人間だ。俺と同じ、誰かを想って必死に生きた人間だ。そんな人間を躊躇なく殺した。知らない間に自分がそれをやっていたことを考えたことはあるか?」


 ウィルベルは悲痛な声で嘆く青年に対して、何も言えなかった。

 彼女はまだ人を殺したことがない。人殺しなんて普通はしない。この世界で戦うのは魔物や悪魔がほとんどだ。軍人であっても、人と戦うことなんてほとんどない。

 彼女に人を殺すことは理解できなかった。

 ウィルベルは彼から視線を外して遠くを見る。


「俺は、自分を偽らないと生きていけない。顔も名前も変えて、今の自分が別の人間だと思わないと、今すぐにでも足を止めてしまいそうなんだ」

「そんなことができるの? あんたは変わらない、同じ人間よ?」

「匿名と言われれば、嫌いな人になんでも言えるのと同じだよ。本当の自分じゃないんだ。……こんなことも言いたくなかった」

「ずっと、あたしたちに本心は見せなかったってこと? 今までのことは全部嘘だったってこと?」

「どうだろうな、もう自分でもわからないよ。ただ……もうお前たちが死んでもいいなんて言えなくなってしまったよ」


 空を見上げ、諦めたように目を細める。

 沈黙が落ち――


「ベル、頼みがあるんだ」


 真剣な彼の声。


「何よ」

「マリナを連れて、軍を抜けろ」

「っ! どうして――!?」


 ウィルベルは思わず外していた視線を戻してウィリアムを見る。


 ――息を飲んだ。


 そこに、いつもの仮面をしたウィリアムはいなかった。


 そこにいたのは黒髪黒目の青年。


 何の変哲もない、純朴そうで、それでいて泣きそうな。


 それが誰なのか、一瞬理解できなかった。


「ウィル……?」


 信じられなくて、確認するようにその名を呼ぶ。

 青年は泣きそうな笑みを浮かべて――


「もうすぐ、グラノリュースと戦いが起こる。飛行船はもうすぐ完成する……俺の本当の戦いが始まる。そこにお前たちを巻き込みたくない。アイリスたちとは違う、二人は俺についてきただけだ」

「あたしたちだって、自分の意志でここまで来たのよ。みんなが戦っている中で、のんきに暮らせって言うの?」

「そうだよ、二人に人を殺させたくない。二人は俺とは違う……この世界に家族がいるんだ」


 彼は誰よりも優しかった。

 ずっと人を想っていた。

 だから巻き込まないように、仮面をつけて冷たくあしらった。


 ウィルベルは思い知った。


 その声に込められた想いを受けて。

 その顔に浮かぶ苦悩を知って。

 自分がぶつけた言葉がいかに愚かだったか。


 初めて見えた彼の顔。

 優しそうで、それでいて泣きそうで。

 仮面の下にいつもこの顔を浮かべながら戦っていたのだ。


「イヤよ」

「ベル」


 だからこそ、彼の頼みは聞けない。


 ウィリアムはいつものように、ただの反骨心からの否定だと思った。

 考え直せとその名を呼んだ。


 それでも彼女の意思は変わらない。


「絶対に嫌よ。あんたを慕うマリナを連れてったら、あの子の中であたしが悪者じゃない」

「そんな理由かよ。俺からも言っておくからさ。適当に任務をやるよ」

「はぁ、あんたは自分の気持ちはちゃんと理解しているくせに、他人の気持ちは理解しないのね」

「わかるわけないだろ。人の気持ちなんてわかったら苦労しない」


 ウィルベルは立ち上がり、ウィリアムのそばに座り直す。

 顕になった彼の顔を覗き込む。


「あたしもマリナも、あんたには生きて欲しいのよ。あんたがあたしたちに別の世界でも生きて欲しいと思うように。だから一緒に戦うの。……大丈夫、もしあんたがこの世界に残りたいなんて言ったら、ひっぱたいてでも送り出してやるわ」


 優しい声で、されどその眼は力強く、頑固な意思を示していた。

 ウィリアムはウィルベルの視線を受けて、気まずそうに眼をそらす。


「顔も名前も見せない相手を、信用できないんじゃなかったのか?」

「今、見せてくれたじゃない。昔マドリアドで聞いてた通りね」

「? なんていわれてた?」

「男前だって言ってたわ」


 ウィリアムは体を震わせ、腕を抱く。


「冗談よせよ。鳥肌立つだろ」


 ウィリアムが手に持っていた仮面をつけようとすると、ウィルベルはその手を取って顔を隠すことを防ぐ。

 ウィリアムは彼女を見ながら、露骨にいやそうな顔をした。


「手、放せよ」

「もうちょっと見せてよ。ウィルは思った通り、顔に出やすいのね。何思っているか丸わかりよ」

「仮面は本当に便利だよな。どんな顔してもばれない。ベルを馬鹿にして笑っても怒られないからな」

「そんなことしてたの!? ちょっとその仮面寄こしなさい!」

「嫌だよ。これは俺んだ。ほら、もう戻るぞ。飯でも食いに行こう」


 鷲が飛んでいき、空いた手でウィルベルを抑える。もう一方の手で仮面をすると、手遅れだと理解したウィルベルが暴れるのをやめる。


「みんなには顔見せないの?」

「今更見せなくていいだろ。というか恥ずかしい。本当に必要なとき以外は外さない。だから言うなよ?」

「いいじゃない別に。減るもんじゃないんだし、見せといたほうがみんな喜ぶわよ」

「別れることは変わらないんだ。必要以上に仲良くする気はないよ」

「仮面と一緒で頭までお堅いのね」


 いつも通りの軽口をたたきながら、二人は図書館の中、マリナとアイリスのもとに向かう。


 二人の背後には月華が咲き、たくさんの蛍が舞い踊っていた。




次回、「未来を想う」

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