第九話 変わるユベール
最後の首が斬り落とされ、ウィルベルによって傷口を焼かれる。
ヒュドラは炭化し塞がってしまった傷口を振り回すように暴れるが、短くなった首は脅威ではなかった。
残った胴はいまだ泥中だが、ウィルベルとウィリアムの二人による土魔法で地上に引きずり出し、マリナがとどめを刺した。
終わってみれば、あっけないほどの完勝だった。
「これで終わりね。楽勝じゃない」
「辺り一面酷い毒気だがな。何もせずに近寄ったら即死だろ」
「なら最後に浄化して散らせばおしまいだね。精霊よ」
アイリスが最後に周囲の毒気を浄化して、残った毒気を風魔法で散らす。
猛毒の残った泥もマリナが水の精霊に頼んで綺麗な土壌に戻す。
全員が精霊を手に入れたことで、限られているが魔法に似た現象を引き起こせるようになった。ウィリアムは綺麗になった光景を見て、仮面の下の目を細めてうなずいた。
「精霊は便利だな。いろいろできる」
「そうね、でも気を付けないとだめよ。精霊だって生きてるんだから、雑に扱ったら怒ってどっか行っちゃうのよ」
「そうなのか? 気を付けよう」
ウィリアムは今回、自分の精霊を使う機会がなかったが気にした様子はない。
彼の精霊は特殊でまだ使いこなせなかったからだ。
闇の精霊の力とは即ち空間魔法。
ウィリアムが苦手としている魔法だ。
彼はまだウィルベルのように帽子に物を収納したり、自在に飛んだりすることができていない。精霊の力を得たために、より強力かつ簡単に使えるようになるが、まだ苦手意識が残ってしまっていた。
ヒュドラを倒し終えた特務隊は後方に控えていたエルフと合流し、顛末を報告する。
報告を聞いたエルフたちはもう終わったのかと目を丸くした。
「驚きました。たった四人でもう倒されたとは」
「エルフだったらどれくらいかかる?」
「まず毒を散らすのに腕利きの風の精霊使いが五人ほど必要です。首を切り落とすとなると、それこそ大勢のエルフの力が必要です。ヒュドラの首を切り落とせるほどの大剣使いなどいませんし、光の精霊使いは珍しいですから」
「光の精霊なら切れるのか?」
「ええ、斬れます。先ほどの彼女は光の精霊使いではないのですか?」
エルフはマリナを光の精霊使いと考えていた。マリナの刀は錬金術で作られたもので、首を切り落とすとき、刀身が輝き伸びていたからだ。
闇とは反対の光の精霊は物質を司り、同じことができる。
エルフはドワーフと異なり、錬金術を知らない。
そのために錬金術で作られたマリナの剣を精霊によるものだと考えていた。
逆にドワーフはエルフの精霊を知らない。
錬金術と精霊は相容れない。精霊は金気を好まず、ドワーフは森を開いて町をつくる。
そもそも国が大陸の両端だから交わることが少ない。
ウィリアムはドワーフとエルフの違いを改めて実感しながら、適当にエルフに相槌を打つ。ヒュドラ討伐の証として首を一つ丁寧に持ち帰る。
彼ら特務隊は気づいていない。
自分たちがいかに非常識かを。
普通の人間にヒュドラの討伐などまずできない。幼体ですら何十人ものハンターが集まり、ロープで縛って飢え死にさせるといった方法しか取れない。
その成体をたったの四人で完封するなどありえないことであった。
エルフたちは平然を装いながらも、彼ら四人に心の中で畏敬の念を抱きはじめる。この人たちがいれば世界は変わるかもしれないと。
だがそれと同時に危機感も抱く。この力が自分たちに向いたらどうなることかと。彼らは目の前でのんきに帰りに船に乗り込もうとしている特務隊の面々を見て、生唾を飲み込みながら必ず王にこのことを報告しなければと考える。
「このあとはどうするのよ」
「報告した後は約束通り図書館だ。そこでいろいろ調べる。もしかしたら何も欲しい情報はないかもしれないけど、まあせっかく入れるんだ。ゆっくり見ようと思ってるよ」
「ユベールの図書館なんて滅多に入れるものじゃないんだよ? そんな軽い気持ちで入る人は隊長くらいだろうね」
「期待はしてるよ。ただ知りたいことが知れなかったらショックだから、期待しすぎないようにしてるだけさ」
「私は楽しみ……ゆっくり読みたい」
「じゃあゆっくりしていこう」
「あんた、マリナに甘くない?」
ヒュドラという大物を倒したにもかかわらず、四人に特に変化はない。まるでいつも通り何でもない仕事を終えたばかりの農夫のように。
事実、本人たちからすれば、マリナが初の大物狩りということで心配していたが、それさえ除けば負けることはない戦いだった。もしかしたら殺せないかもしれないが、死ぬとは考えていなかった。
精々ウィリアムがマリナが想像以上に戦えるという事実に気が緩んでいる程度、大した戦いだったと認識しなくなっていた。
エルフの操る帆船が島から離れる。
エルフの船は精霊の力によって通常の船より速く進むことができる。また魚の加護を得たものもいるために魔物に襲われる危険性も少ない。
快適な旅、穏やかに揺れる船に身を預けながら特務隊は進む。
エルフの秘蔵する図書館ミネルヴァ。
――そこで彼らは、多くのものを知ることになる。
*
エルフ王城内、王の間にて。
ヒュドラ討伐の報を聞いた王は、その端正に整った眉を歪め、疑問を呈す。
「その報告は誠か? 我らエルフの手を借りず、たったの四人で討伐したと?」
「はい、誠です。最初こそヒュドラ相手に警戒していた様子でしたが、恐れるに足らぬとばかりに、危うげなく討伐しておりました」
皺の寄った眉間を揉みながら報告書に目を通す。
「報告によれば、彼らはたった四人で我が軍の団に匹敵すると?」
「はい。単純な戦闘能力であれば匹敵、あるいは凌駕すると思われます。偵察や継戦能力は除外いたしますが、それ以外は非常に優れております」
「その理由は」
「まず大きく二人。隊長ウィリアム・アーサー准将及びウィルベル・ウルズ・ファグラヴェール大尉。この二名が抜きんでております」
レゴラウス王は顔をゆがめ沈黙する。
この報告書が事実だとするならば、ユベールに対する影響力は計り知れないものになる。
なぜなら彼らが本気になればユベールに甚大な被害をもたらすことができるからだ。
精霊が付いている以上、悪行に手を染めることはできないが、そもそも彼らは精霊がついていなくても十分な力がある。
何よりユベールには彼らに匹敵するほどの武に優れた英雄がいない。
王であるレゴラウスが優れた精霊使いで魔人ではあるが、精霊を介さなければ魔法を使うことができない。卓越した英雄である王が戦えば彼らと渡り合うことはできる。
しかし、彼らと戦うということはアクセルベルクと戦うということだ。そうなれば彼ら以外にも多くの将軍との戦闘を考慮しなければならない。
優れた戦士は多いエルフだが、今は英雄たる戦士がいないのだ。
レゴラウス王は頭を悩ませながら、報告の続きを聞く。
「ウィルベルという少女が抜きんでていることは知っている。精霊と契約もせずに魔法を行使することができる稀有な存在だ。精霊に縛られず、多種多様な力を再現できるなら是が非でも欲しい」
エルフたちは精霊を通して力を行使できる。
悪い言い方をすれば、使う力は精霊によって種類を限定されている。火の精霊の加護を得れば、火の魔法しか使えないのだ。
しかし、ウィルベルはその制限を受けない。それどころか複数の魔法を組み合わせ、新たな魔法を作り出すこともできる。
エルフたちからすれば、喉から手が出るほど欲しい力。
「彼女は精霊の祭壇にて、火と風の精霊、それも王級の精霊から加護を得ました」
「……信じられぬ。そんなことは古の魔法使いのみにしか起こりえないこと」
精霊と一言にしてもその種類も階位も数え切れぬほどにある。
しかしその中であっても王級の精霊は一握りしかいない。その王級が複数体も加護を与えるなど神話に伝わる英雄の所業であった。まさしく精霊の祭壇に祀られている神器、その根源とされるエルフの魔法使いがそうだった。
「やはり、彼女はエルフの血をひくものでは?」
「いや、それだけでは説明がつかぬ。たとえそうであったとしても余より強い血を引くなどありえぬ」
エルフは長寿種族。
人よりも血や知識、伝統を引き継ぎやすい。そして誰よりも古代の英雄の血が濃いのはエルフ王レゴラウスであるのは確実だった。しかし、レゴラウスですら魔法の才には恵まれなかった。
王級の大精霊を始めとした精霊たちと契約しているがそれだけだ。
「しかし、これで彼女の持つ力は飛躍的に高まったというわけか」
「はい。そしてもう一人。隊長ウィリアムについてですが……」
レゴラウスはウィリアムの報告を聞くとまた別の悩みを抱えることになった。
「それだけか? 確かに闇の大精霊と契約したのは驚くべきことだ。我らエルフでは契約できない精霊だ。しかし、その片鱗も見せていないとはどういうことだ」
「ヒュドラ相手にウィリアム准将は基本、支援に徹していました。マリナ大尉が攻撃し、大尉を盾魔法で守っていただけのようです」
「盾魔法とは噂に聞く動く盾か。強力な攻撃を受けてもびくともしないと聞くが、それだけでは脅威たり得まい。ウィルベル、マリナ両少女の方が強いのではないか?」
レゴラウスの質問に報告に来た家臣が少し言い淀む。
「恐らくは、隊長が出るほどのことではないということだと思われます。ヒュドラに対して、過剰戦力と考えていたのかもしれません」
「たった四人で過剰? それはありえぬ。どう対処するというのだ」
いくら英傑であってもヒュドラを討伐するには一人ではまず不可能とされていた。
最低でも五人は必要である。それも全員が卓越した戦士である必要がある。
首を斬る、焼く、毒の対処、壁役、遊撃とそれぞれ必要で、ヒュドラ相手にこれを一人ずつは危険なため、通常は役割ごとにチームを組んで対処する。
それを四人で過剰というのはあり得ないと。
しかし報告のエルフは、予測ですが、と前置きをして告げる。
「十全な状態であれば恐らく、ウィリアム准将とウィルベル大尉二人で事足りたと愚考します」
「その理由は」
「ウィリアム准将は風魔法を使うことができます。それゆえ毒の対処をしながらヒュドラの首を切り落とすことができます。盾の魔法もありますので壁役は不要でしょう」
「それでは一人の負担が大きすぎる。魔法を複数使いながら白兵戦など尋常ではない」
「ですが実際に風と盾の魔法を同時に使っていたとのことです。そして味方に指示を出す余裕もありました」
王は頭を悩ませる。とんでもないものを国にいれてしまったと。
もともとウィリアムを入国させたのは、ウィルベルを自国に引き入れるための許可が欲しかったからだ。
しかしウィルベルは首を縦に振らず、外堀から埋めようとしたがウィリアムも頷かなかった。
ウィルベルはその力を持て余し、自分を活かせない上司に対して不満を持っていると考えていたがそうではなかった。
ヒュドラ討伐の際に共闘することで、自国に引き入れずとも味方に付けようと考えていたが、ふたを開けてみれば、彼の方は此方の協力を必要としていなかった。
図書館利用の約束は既にしてしまっている。これを反故にすることは王自身の誇りが許さないが、このままではエルフの知識と力を彼らが持っていき、アクセルベルクに還元してしまうことになりかねない。
もし、彼らがユベールのことをアクセルベルクの王に報告し、精霊や図書館の有用性に気づけば攻め込まれるかもしれない。
今までであればそんなものは撥ね返すと考えていたが、彼ら特務隊の実力を見てしまってはタカを括ることができなくなってしまっていた。
「彼らを監視せよ。図書館で何を知りたいのか、そしてアクセルベルクでの立場だ。アクセルベルク本国にも人を派遣し、国力を調査せよ」
「はっ」
ユベールは大きく変わろうとしていた。
ウィリアムたち特務隊という存在によって。
彼らがそれを実感するのはまだ先の話。
「さらに手を打つ必要があるな。最後の至宝を差し出す必要があるかもしれん」
次回、「知らねばならない」