第八話 精霊の力
俺達は首都コロンルージュに帰還した後、しばらくは得た精霊の加護について理解することから始めた。
俺とベルは王級の大精霊が付いたために、精霊の加護の全容の把握には時間がかかっている。
マリナが得た精霊も王級とはいかないが中位の精霊だった。ウサギもいたが意思疎通がある程度できるために何ができるかはすぐにわかったらしい。
アイリスは風の精霊だから、ベルと一緒に探ることですぐに把握できたようだった。
唯一うまくいっていないのは俺だった。
「お前はいったい何ができるんだ」
城から少し離れた広場。
俺の両手の間に挟まれているのは、神気を纏った鷲。
「何よ、まだ鷲と喧嘩してるの?」
精霊の力を把握してほくほく顔のベルがやってきた。
「こいつが話してくれないんだよ。飛ぶ、獲物を取るしか言わん」
「鷲なんだからそんなものじゃないの?」
「いやこいつのこの神気は明らかにおかしいだろ。何かあるはずなんだがしゃべらん」
「確かにそうよね。ちょっと貸してみなさいよ」
腕を伸ばしたベルに鷲が乗る。鷲に対して彼女が話しかける。
「ねぇ、あんたは何ができるのよ。……なになに、あたしたちを導く? 何に?」
「どういうことだ?」
「さぁ? でも何か目的があってあたしたちのところに来たみたいね」
何故かベルの方が鷲に懐かれてる気がする。
なんか腹立つな。
まあいいや、何か目的があるってことがわかっただけよしとしよう。
「それで、ウィルは精霊についてわかったの?」
「ああ。ベルみたいに長所を伸ばすようなもんじゃなかったが、とても欲しかった力だよ。ただ使いこなすには時間がかかりそうだけど」
「そ、ならいいわ。じゃあもうすぐヒュドラ討伐に行くのね」
「ああ、エルフたちの準備ができ次第向かおう」
立ち上がり、ベルと一緒に城の中に入っていく。鷲は俺たちが屋内に入ると理解すると、大空に飛び立っていった。
*
エルフ王城、最上階の王との会談に用いた部屋で、俺たち特務隊はエルフたちとヒュドラ討伐のために作戦を練っていた。
今回の作戦だが、実は討伐するだけならエルフたちだけでもできる。
ただ問題なのは場所と情勢だった。
「竜人との境の島?」
「そうだ。ヒュドラのいる島は竜人との境。エルフの軍を大きく動かせば竜人たちを刺激しかねない。ヒュドラとの戦いで消耗したところ竜人に襲われてはただではすまない」
「それなら……ヒュドラは彼らに任せるということは?」
「残念ながら、竜人どもがヒュドラを討伐することは恐らくない」
「どうして?」
王の御前でエルフの将軍とともに作戦を練る。
今回、エルフが大きな動きを見せられないのは竜人たちのせいだ。彼らはユベールを虎視眈々と狙っている。
そんな竜人がヒュドラを討伐しようとしないのはヒュドラの習性によるものが大きい。
ヒュドラは魔物で当然生きている。
だから食事をするがヒュドラにとって最高の食事場はユベールだ。
竜人たちが住む島は活火山が複数存在する灼島と呼ばれる不毛の場所。
地熱のせいで沼地を中心に活動するヒュドラには住みづらい。よって国境にヒュドラが現れた場合、対処するのは被害に遭うエルフだ。
だが先ほどの理由もあって、エルフが大々的に動いて隙を見せるわけにはいかない。だから俺たちが動くというわけだ。
「ヒュドラの大きさは」
「全長は我らの背丈の五倍はある。首の長さは二人分、九つに分かれている」
「でかいな。周囲の状況は?」
「元は豊かな草原だったが、今は瘴気溢れる沼地となっている。無策に突っ込めばヒュドラと出会うことなく全滅であろう」
大きさを除けば幼体と同じだ。だがその大きさが厄介だ。前回は首を切り落として首を焼いたが、これほどの体長じゃ切り落とすのも大変だ。鱗も強靭だし、再生力も高い。
「どうしたもんかな」
「ウィルは前回……どうやって倒したの?」
「首を切って傷口を焼いた。全部の首を切り落としたら胴にとどめを刺すだけだ」
「今回もそれじゃだめなの?」
「幼体と成体じゃレベルが違う。切り落とすのも大変だし、焼くのも大変だ」
「焼くのはいけると思うわよ。あたしなら余裕だかんね!」
確かにベルの火力ならいけるだろう。精霊のおかげで魔法も強力になっているし。
なら問題はどうやって切り落とすかだ。
「どうやって切り落とそうか」
「ウィルは切り落とせないのかい?」
「悪いが今は俺の武器がほとんど全滅状態だ。無事なのは盾だけ。エルフから借りればいいと思ったが、ここの剣は俺には少しもろすぎる」
せめて頑丈な大剣でもあればいいのだが……。
頭を悩ませていると、
「なら……私がやる」
首を切り落とす役目をまさかのマリナが引き受けた。
俺は驚き思わずマリナを見やる。
「本気で言っているのか?」
「うん……私の剣なら切れると思う。ただヒュドラの攻撃をさばきながらは難しい」
「いいんじゃないかしら。マリナが斬ってあたしが焼く。ウィルはマリナを守ってあげればちょうどいいんじゃない?」
「待てよ、マリナが戦いに? 無理だ、危険すぎる」
ベルまで彼女の参戦に賛成していることが信じられない。彼女は実戦をそんなに経験していない。そもそも彼女の実力が足りない。
悪魔と戦ったって言っても、ほとんどがベルが戦ったはずだ。
だがそんな俺の考えをベルが否定した。
「危険なのは誰がやっても一緒よ。マリナが心配なのはわかるけど、少しは信じてあげなさいよ。あんたと別れている間、何もしていなかったわけじゃないんだから」
彼女が努力していることは知っている。
だけど、ヒュドラはただの魔物じゃない。
「……まだ、剣を握ってから日が浅い。いきなりヒュドラは荷が重い」
「あたしだって考えなしで言ってるんじゃないわよ。できると思ってるから言ってるの。悪魔とだって戦えるんだし、駄目だったらそのときはあんたがマリナの剣を借りて斬ればいいんだし、危険だと思うならちゃんとマリナを守ってよね」
「ウィル……お願い、私も戦いたい」
ベルが説得し、マリナが懇願してくる。
……正直、不安で不安で仕方がない。彼女は剣を握り始めてまだ一年だ。
それに彼女の本職は軍医、回復役だ。それが前に出て戦うなんて不合理だ。
……だが攻撃力が足りないのもまた事実。俺がマリナの剣を使えば解決だが俺とて使い慣れていない。
彼女の剣は錬金術で作られていて特殊だ。今の俺では再現できない効果を持つ。
悩んだ末、俺は彼女の意見を受け入れることにした。
「……わかった。その案を取ろう」
「ありがとうっ」
マリナが俺に礼を言うが、複雑な気分だった。
いつか彼女の命を使うときがくる、死なせる命令を出すときがくる。それは覚悟していたことだ。
――だがそれは今じゃない。
……アイリスの父のライノアも、こんな気持ちだったのだろうか。
*
エルフの根の一族の力を借りてヒュドラのいる島へ渡る。
根の一族はエルフの中でも狩猟を得意とする者たちだ。彼らは弓の扱いとナイフの扱いに長け、その多くが動物の加護を得ている。
俺やマリナが鷲とウサギの加護を得たように、彼らのほとんどは動物の加護を得ている。
動物の加護って何ぞやと思っていたが、なんと精霊と同様に彼らの力を身に帯びて行使することができるようになるらしい。
例えば、ベルが火の精霊の加護を得て火の魔法がより強力になったように、動物の加護を得ればその動物の特技が使えるようになるらしい。
偵察に出してリアルタイムで情報を集めることもできるし、動物によっては非常に強力な加護になる。
鷲の能力と言えばなんだろうか。
一番はやはり卓越した狩りの能力だ。精密機械のような正確さと素早さで狩る。あとは驚異の視力だ。暗視も可能、遠視も人間の四倍、紫外線まで見ることができる。
ウサギはどうだろうか。
ウサギは草食動物で警戒心が強い。眠っている時も瞬きしないほどだ。俊敏で五感も鋭い。あとは数が多いから、意思疎通ができれば森の中でたくさんの情報を集めることができる。
早く使いこなせるようになりたいもんだ。動物は肉体を持つ分、精霊よりもはっきりと意志を持つために打ち解けるまで時間がかかる。
まあ、それでも動物たちはその人を気に入って加護を与えてくれるため、簡単な指示ならすぐに聞いてくれる。
偵察に飛ばした俺の鷲が戻ってきた。
「どう? ヒュドラはいる?」
「ヒュドラの姿は確認できないが、巨大な沼地があるな。おそらくそこに潜んでる」
「どうやっておびき出すのよ」
「沼っていうのが微妙だな。湖とかなら簡単なんだが」
振動を伝えやすい水中なら爆発させれば簡単におびき出せる。
だが泥は砂や土が多くてあまり伝わらない。まあでも時間がかかるだけでやればでてくるだろう。
ヒュドラのいる島を四人と数人のエルフで進む。今回エルフたちは控えてもらい、危機になったら援護して撤退の支援をしてもらう手筈だ。
作戦はいたってシンプル。
まずヒュドラをおびき出す。
これはベルの爆発魔法でも俺の雷魔法でも何でもいい。
次にヒュドラの吐く猛毒対策だが、これは風の精霊の力を得たベルとアイリスにやってもらう。俺も風魔法が使えるからこの辺りは大丈夫だろう。念のため全員マスクをしている。
そしてマリナが首を一つずつ切り落とす。当然俺が盾で守りながらだ。
切り落とせれば、ベルが魔法でその都度焼いていく。
城を出る前に何度も練習したから、はまってしまえば勝てる。問題はマリナがどれだけヒュドラと戦えるかだ。
実力は見た。正直とても驚いた。彼女はとても強くなっていた。
課題もあるが自分の武器をひたすら磨いていた。
確かにこれならベルの言う通り、戦えるかもしれない。
「マリナ」
「……なに?」
「前だけ見ろ。後ろは俺が護ってやる」
「わかった」
マリナが真剣な顔で頷く。
そろそろ瘴気が濃くなってきた。マスクをして風魔法で毒気を散らしながら進む。
「そろそろ開けた場所に出るわー! 準備して!」
「わかった!」
瘴気が出てきた時点で空に飛びあがったベルが見えたものを伝えてくる。その言葉を聞いて戦闘態勢を整える。
俺は盾を三つ浮かべる。マリナは剣を、アイリスは盾と剣を構える。
ベルは上空から魔法の準備をして合図が出るのを待っている。
全員の準備ができたことを確認すると合図を出す。
ベルが沼地一帯に魔法を放ち、爆発を起こす。
耳をつんざくような爆音が立て続けに起こり、粘ついた臭気漂う泥が舞う。爆発が起こったところは大きく窪み、汚泥が徐々に、その穴を埋めようとねちねちと音を立てながら動く。
だがその泥の音のほかに何か異質な音がする。
「構えろ」
異質な音が近づく。音と共に俺たちの足場が震え、揺れる。
徐々に、徐々に穴が開いた場所の高さが元に戻っていく。だがそれは泥が戻っていったからではない。穴が浮いている。何かが浮上してきている。
何かはもう、わかり切っている。
「「「ヴォオオオオオッ!!」」」
泥中から這い上がってきたヒュドラの首が巨大な咆哮を上げる。
出てきた首は四本だけ。恐らく他の首は獲物が逃げないように泥中に待機して、俺たちが隙を見せたときに襲い掛かってくるつもりだろう。
人の胴以上の太さに背丈の二倍はある首が鎌首をもたげ、こちらを見下ろす。
爬虫類特有の縦に長い瞳孔が首ごとに俺たちを睨みつけ、鋭い歯をむき出しに毒交じりの唾液を飛ばしてくる。
マリナはすでに水の精霊の力を借りて泥の上でも問題なく歩けるようにしている。彼女は振り返らずにゆっくりヒュドラへ足を踏み出していく。
「行ってくる」
「ああ」
彼女は走り出す。
俺は盾を三つ彼女に並走させるように飛ばす。
ヒュドラが咆哮と共に猛毒を口からばらまく。吐き出された高濃度の猛毒を食らえば、一瞬にしてお陀仏だ。いくら風で散らそうとしても、追いつかないほどの濃度。
だからここは避けるしかない。
マリナが俺の飛ばした盾の一つに飛び乗った。俺はその盾をヒュドラの毒のない上空に移動させる。
ヒュドラの幼体には目がなかったが、このヒュドラの首には目がある。毒を吐いた首以外がのたくるミミズのように、その首をマリナの方へ向けた。
だがマリナは臆することなく、盾から飛び降りた。
蛇がいるるつぼに飛び込むような行為に俺は驚き、急いで盾を向かわせた。
しかし、それは杞憂だった。
「《堰月輪》」
マリナの呟きと同時、抜いた剣が白く輝く。
向かってきた二つの首を、マリナが重心の軸を入れ替えるようにして躱し、首とすれ違いざまに居合切りのように斬り飛ばす。
切り裂く瞬間に刀身が煌めき、さらに大きく伸びる。
空中に真円の月が出来上がる。
通常のサイズではヒュドラの首一つよりも短い刀身が二倍以上にまで延長され、強固なはずのヒュドラの首をまるで紙のごとく切り裂いた。
マリナの剣は錬金術で作った特別製。
その効果は刃の延長と複製。片手剣を一振りするだけで幾刃もの刃が現れ、巨大な敵を切り裂ける。
マリナが地面に着地する。
少し遅れて離れたところに二つの蛇の頭がどちゃりと湿った音を立てて落ちる。
残った首二本がマリナに襲い掛かろうとするが、その瞬間、上空から凄まじい熱気がヒュドラに襲い掛かった。
ベルだ。
「燃えなさい!」
離れている俺の肌まで焼けてしまいそうな強烈な熱気、首どころか巨大なヒュドラ全体を燃やし尽くすほどの魔法が降り注ぐ。
再生し始めていた首の断面が黒く炭化して動きを止めた。辺りには腐った匂いと焦げた匂いが充満する。
近くに居たマリナまで焼くんじゃないかと思ったが、ベルが攻撃するタイミングがわかっていたかのように、マリナは直前で飛び退いて俺のところまで下がってきていた。
……本当に強くなった。信じられないくらいに。
悪魔の大群を倒したのはベルの魔法ありきだと思っていたが、きっと彼女も奮戦したんだろう。
だからベルはマリナを止めなかったんだ。
しばらく見ない間に、聖人により近づいて身体能力があがったようだし、加護の効果も上がったはずだ。
これで本職が軍医だなんて恐れ入る。
ヒュドラは二本の首があっという間にやられたことを察知して、急襲させるつもりだったはずの残った五本の首を地上に覗かせた。
四本だった首が二つ減り、代わりに五本が出てきて残りの首は計七本。
さて、ここからが本番だ。
とはいえマリナが戦える、斬れるとわかったならそう苦戦することはない。
あとはただの作業だ。
次回、「変わるユベール」