第七話 闇の王
「次、私が行く」
マリナがベルからの追求を逃れるように祭壇に向かう。
ベルのせいでハードルが上がってしまったが、本来精霊が来るかどうかわからないものだ。エルフならほぼ来るらしいが人間はわからない。
もしかしたら人間も来るのかもしれないが、さすがにベルほどの大物はそうそう来ない。
マリナが神器に触れ、目を瞑る。エイリスの演奏が始まる。
マリナにも精霊が集まるが、先ほどのベルほど時間はかからなかった。
「あれは水の精霊か?」
「そうみたいね。ウンディーネかしら。マリナにピッタリじゃない?」
横にいるベルが教えてくれる。
精霊が現れたから終わりかと思っていると、精霊とは別にもう一つ、変化があった。
「あれ、ウサギじゃないかな」
アイリスが指を差した方向を見ると、そこにはマリナに向かって一匹のウサギが駆け寄っていた。
「どうしたの? ……一緒に来てくれる?」
演奏が終わり、マリナが駆け寄ってきたウサギの前に膝をついて抱き上げる。
ウサギがかわいいのか、マリナがきれいな顔を綻ばせて戯れだした。
……こうしてみると非常に絵になるな。
動物にも精霊にも愛される少女。それも未完成とはいえ聖人だ。聖女と呼んでもいいくらいだ。
ウサギを抱いたマリナが戻ってくる。その顔はとても嬉しそうだった。
「ウサギがついてきた」
「みたいだな。いいことだがずっとついて来るのか?」
「さぁ……聞いてみる」
聞けるのか。ウサギの加護を受ければ話せるようになるのか。
というかさっきから二種類くらいから加護をもらっているが、これは普通なのか?
「仲間に伝えるって……近くにいる子が来てくれるらしい」
「そうか」
「なら次はボクだね。ウィルは最後」
勝手にそそくさとアイリスが向かう。
最後になって何も出なかったとかは嫌なんですけど。
彼女たちができすぎだ。
アイリスの儀式。
アイリスが祈り始めると、思わず目をそらしてしまうほどの眩い光が放たれた。恐る恐る目を開けて、再びアイリスの方を見ると、そこには白く輝く光の精霊と小さな風の精霊がいた。
どちらもアイリスに合っているように思える。戻ってきたアイリスは少しだけ恥ずかしそうにしていた。
「風と光の精霊だね。ウィルベルと比べると、どうしても見劣りしてしまうよ」
「そう悲観しなくていいのよ。どうせ心の汚れたウィルじゃ、精霊なんて寄ってこないんだし。それに比べれば凄いわよ」
「はは、確かにそうかもしれないね」
「何が確かにだ。馬鹿にすんな」
まあでも確かに俺は他三人に比べれば心が汚れているのは否定できない。
彼女たちとは違って人も殺している。ベルほどの精霊はおろか、一体も精霊が来てくれないかもしれない。
祭壇に登ってエイリスに挨拶をする。
「凄いですね。お連れの皆様、エルフの国の重鎮になれますよ」
「まったくだ。おかげで最後がやりづらくて仕方ない。小さくてもいいから俺にも来てほしいな」
「ご冗談を。ウィリアムさんならウィルベルさんと同じく王級がきっと来ますよ」
ベルの呼び出した精霊は王級というらしい。名前からして凄そうだ。
神器の目の前に来る。近くで見るとその圧倒的な力にただただ驚く。まるで質量を持った風が体を通り抜けていくようだ。
神器に手を触れ、目を瞑る。エイリスの演奏が聞こえる。
まるで深い深い海の中に沈んでいく感覚に陥った。でも不思議と寒くない。むしろどこか暖かい。
不思議な女性の声が直接脳に響いてくる。俺の真意を問いかけてくる。
『なにをのぞむ』
(家族に会いたい)
『そのためになにをなす』
(世界を超える)
『そのためになにがひつよう』
(知識と魔法)
『なにをぎせいにできる』
(俺の全て。たとえ、死んでも)
淡々と、しかしどこかぬくもりを感じる声に、考える間もなく心の声が漏れ出した。
気づけば声は止んでいた。
エイリスの演奏も止んでいる。
ゆっくりと目を開ける。
あれ、目、開けたよな?
一瞬、本当に目を開けたのか自分を疑ってしまった。
なぜか。
周囲が真っ暗だったからだ。
なんの光も見えない、唯一神器から放たれる光だけが俺の目に届き、他の光は一切届かない漆黒の世界。
その中に、見つけた。
真っ暗な夜空よりもなお暗い、その姿すら拝めないほどの漆黒の精霊。
ベルの精霊に引けを取らない大精霊。
『汝、世界を渡りし魂よ』
周囲の光を吸い込むような精霊が厳かに語り掛けてくる。
周囲にこの精霊以外の気配がない。
一体この精霊はなんだ。
『汝、記憶を司りし賢者よ』
俺の何を知っている。
『汝が救われるその日まで、我道行を共に』
それだけ言って精霊は姿を消す。暗かった景色は元の暖かな日差しが差し込む幻想的な景色に戻った。ただどこかに行ったというわけではなく、俺の中に何かが入ってきたことが分かった。きっとこれが加護なのだろう。
「なんの精霊だ? 今のは……ん?」
現れた精霊について考えようとうつむいたときに、俺を見上げるものがいた。
鷲だ。
足元でこちらを見つめながら首をかしげている。
まさか動物まで来てくれるとは思わなかった。何度目になるかわからない驚きだ。
――いや待て、この鷲は見たことがある。
かつて地竜と戦った時にいた、あの神気を纏った大鷲だ。
あの精霊も謎だが、この鷲も謎だ。鷹匠よろしく腕を伸ばすとそこに乗ってきた。
「鷲か、悪くないな」
呟くと鷲が一声鳴いた。言葉が話せるわけではないが、マナを通して言いたいことがなんとなくわかる。マリナはこんな感じでウサギと通じていたのか。
腕が疲れるので肩に移ってくれと念じると鷲は肩に移ってくれる。鷲ならどこに行ってもついてこられるから便利だな。
「さすがウィリアムさん、凄い精霊が現れましたね」
目にこらえきれない興奮の色を宿したエイリスが駆け寄ってきた。
「あの精霊はなんだ?」
「あの精霊は恐らく闇の精霊ですね。闇の性質をもつ精霊は珍しくて、エルフが闇の精霊の加護を得ることはまずありません」
「ならどういう加護があるかわかるか?」
「さぁ、わからないです」
エイリスでもわからないのか、まあいいや。これから少しずつ理解していけばいい。
それにしてもこの鷲はなんなんだ。以前見たときも思ったが、神気を多量にまとっている。聖獣だろうか。
それに神器に触れたときに聞こえた声。
あれは精霊? それとも神器から?
謎が多すぎる。図書館に行けば何かわかるだろうか。
悩みながらも三人のもとに向かうと三者三様の反応をしていた。アイリスは困ったように、マリナは素直に関心したように、ベルはむくれているようだった。
「戻ったぞ」
「隊長、凄いね。何あの精霊」
「わからん」
「ウィル……凄いね、鷲なんてかっこいい」
「ありがとう。マリナのウサギもかわいいぞ」
「んー。何よー、ウィルまで大精霊なんてあたしが目立たなくなるじゃない」
「悪いな。でもベルのようにはっきりした精霊じゃないからどうしたらいいかわからん」
「ならあたしが一番ね! なんてったって二体もいるんだから!」
ベルの様子に苦笑しながら考える。
闇の精霊。
彼が言った言葉。
どうして俺が世界を渡ったことが分かったのだろうか。神器に触れたときの声が理由だろうか。そして俺が救われる日?
ベルも似たようなことを言われていたから、王級の精霊はみんなそんな感じのことを言っているのかもしれない。
「ともかく戻ろう。無事に加護が得られた。これでヒュドラ討伐に行けるな」
「よーし、やってやろうじゃない! ひっさびさに思う存分あばれてやるんだから!」
エイリスに連れられて、来た道を戻る。
この後は花の一族の里に一泊させてもらったあと、城に戻る。ヒュドラ討伐はその後だ。精霊がいて何ができるかわからないから、その確認もしないといけない。
わからないことは多いが、今はやるべきことがたくさんある。さっさと休んで備えるとしよう。
次回、「精霊の力」