第三話 ウィルベルさん、嫁入り?
「ウィル、起きて」
耳にしみいる優しげな声。
頭に感じる暖かな感触を受けて、まどろみから目を覚ます。
目を開けると、そこには俺の顔を覗き込むアイリスの顔があった。どうやら膝を借りていたらしいが、そんなものを借りた覚えがない。
「……何やってんだ」
「部屋を訪ねたら眠っているみたいだったから、邪魔しちゃ悪いと思ってね。それより来たみたいだよ」
アイリスに言われて起き上がり、部屋の外に意識を向けると三人の人の気配がする。ベッドから降りて対応の準備をすると、ノックがされて扉が開く。
「準備ができた。来るといい」
「わかった」
現れたのは先ほどの一番偉そうなエルフだ。変わらずどっかで見たような端正な顔に柔らかな表情を浮かべている。
部屋を出てエルフについていく。
案内されたのは最上階に近い、一際大きな部屋だった。一つの階層を一部屋で占めている。
「ルシウス・セル・コールディン! 客人を連れて参上しました!」
偉いエルフはルシウスというらしい。
彼が扉の前ではっきりと綺麗な声で訪問を知らせると、ゆっくりと扉が開く。
扉が開かれた先、中には立派な装飾の施された長方形の大きなテーブルに幾人ものエルフが座っていた。
どのエルフも豪華な衣装に身を包んでおり、中には頭になんらかの植物で作られた冠をかぶっているものもいる。
王族だろうか。
テーブルに座っている面々を仮面の下、ばれないように見渡す。
その中に。
いた。
とんがり帽子を膝に置き、黒を基調とした怪し気な服に身を包んだ銀髪で瑠璃色の瞳をした少女。
アクセルベルク南部の軍服をきっちりと着こなし、白髪交じりの黒髪に眠たげな瞳をした少女。
ウィルベルとマリナだ。
二人ともこちらを見て、目を丸くし、微笑んだ。どことなく嬉しそうだ。
ただ他の人もいるから声はあげない。
俺たちはルシウスに連れられてテーブルのそばに立つ。与えられた席はあるが、まだ挨拶が終わっていないから、座らない。
俺たちを連れてきてくれたエルフたちも全員が席に着くと、上座に座る冠をかぶったエルフが挨拶をした。
「よくぞ参られた、人間の勇士たちよ。余はこの国の王、レゴラウス・フェル・ユベールである」
「アクセルベルク南部軍所属、特務隊隊長ウィリアム・アーサー准将です。此度はお招きいただき、恐悦至極です」
「うむ、招待に迅速に応えてくれたこと、礼を言おう。座るがよい」
レゴラウス王に言われ、俺とアイリスは席に着く。
席に着くとアクセルベルクの東部でもあった、ちょっとした雑談が続く。
ルチナベルタ家はどうだ、最近の天候はどうだ、アクセルベルクはどうだとか。
単刀直入に話をしないのはそれだけ余裕があると見せたいのだろうか。
軍だと時間の無駄だとばかりにすぐに本題に入るが、やはりここは長寿種族で文化に優れるエルフ、本題に入るまでにもたっぷり時間を使う。
それなりの時間が過ぎた後、家臣の一人が王に近付き、何やら耳打ちをする。王はひとことそうか、と呟くと俺を見て笑顔を浮かべる。
「さて、そろそろ本題に入ろう」
とっとと入ってください。
「そなたはこちらにいるウィルベル卿の上官ということでよいか?」
「そうですね。その認識で間違いありません」
「では、彼女の進退もそなたが握っているということか?」
「完全にではありませんが、その権利の一部を持っているといえます」
ベルの進退?
確かに彼女が軍をやめたいといって俺が了承すれば、退役できるだろう。だが俺が彼女を昇進させろといってもできないかもしれない。功績があれば十分可能だ。逆に俺が彼女の功績を奪うこともできなくはない。もちろんやらないが。
そういう意味では、彼女の進退について、俺が一部権限を持っているといってもいい。
だが、それがなんだろうか。
「ふむ。では彼女の退役を認めてもらいたい」
「! 理由を伺っても?」
「彼女は我が国に欲しい。彼女を次の王妃に迎えることも視野に入れている」
「えっ!?」
「……マジかよ……」
驚きを抑えきれずに小さな声が漏れた。隣にいたアイリスも声をあげて驚いている。
仮面をしていて本当によかった。開いた口がマジで塞がらない。
まさか、レオエイダンと同じことが本当に起きるとは思わなかった。
俺が言うのも何だがベルだぞ?
正気か?
魔法は確かにすごいがそれ以外がなかなか酷い少女だ。
平静を装うために一度咳払いをする。
「それはまた、急ですね。なぜそのようなことに?」
「上官であれば気づいているであろう。彼女の力に」
魔法がばれたのか?
「……ええ、まあ」
「故に、彼女の力、そなたの元で腐らせるには実に惜しい。余の国でこそ、彼女の力は存分に活かすことができる」
ああ、まあ確かに、俺のもとにいても彼女は退屈かもしれない。普段から口を酸っぱくして爆発させるなと言っているから、彼女も窮屈に思っているかもしれない。
金銭的にも王族になれば、彼女の金遣いの荒さも問題にはならないだろう、多分。
ただやはりそれをあったばかりの人に、王とはいえ腐らせるなどと言われれば気分のいいものではない。
それに先ほどからベルの様子を横目で見る限り、あまり彼女は乗り気じゃなさそうだ。さっきから口をへの字にしているし、目線とあごで言ってやって! と言っている気がする。
「彼女にそれだけの価値があるというのは理解できますが、そもそもその話は彼女が了承しているので?」
「彼女は遠縁ではあるがエルフの血を引いている。ならばユベールのために生きるが定め。個人の意思など、国家間の利益との天秤に乗せるまでもあるまい」
「彼女がエルフの遠縁? 国家間の利益? どういうことですか?」
エルフの遠縁だなんて聞いていない。ベルの方を見るが彼女も首を振っている。つまりレゴラウス王の勘違いか?
だがレゴラウス王はやれやれといった感じで説明してくる。
「彼女の力。それはつまり魔法。そしてその魔法は本来、我らエルフのものだ。彼女がその力を使えるということ自体が、彼女がエルフの血を引いているという証明となる」
彼らは魔法がエルフの専売特許だと思っているらしい。確かにこの世界で魔法らしき力と言えば、彼らの精霊術しかないのかもしれない。
もっと探せばいるのかもしれないが、種族単位で使えるというのは、魔人を祖とする彼らだけだろう。
だがエルフであることが魔法を使う絶対条件ではない。
「それは違います。魔法はエルフでなくても使えます」
俺の言葉に、周囲のエルフたちが一瞬ざわついた。中には失笑しているものもいる。王も浮かべていた笑みを消し、腹に響くような低い声で言う。
「何が違うと? エルフ以外に魔法を使う種族などおらん。そなたたち人間はおろか、ドワーフでさえも。忌々しい竜人たちでさえ、我らほど魔法を使えるわけではない」
知らない種族が出てきたな。
竜人か。
確か、ユベールの北方、アクセルベルクの北東に位置する島に住む種族だったな。彼らも魔法に似た何かを使うのか。
そんなことより、この王の勘違いは正さなければならない。
「彼女は正真正銘、人間だ。そして彼女以外にも魔法を使うことのできる人間はいる」
「そんな存在がいるものか。いるならば今すぐ連れてくるがいい」
つい敬語を忘れてしまったが、相手はそこは気にならないらしい。というより話した内容に気を取られすぎているようだ。
それにしてもすぐに連れてこいか。無理だと思って言っているのだろうがご愁傷さまだ。目の前にいる。
「ここに人間の魔法使いがもう一人いればいいんですか?」
「そう言っている。そのものがエルフの血縁ではないと証明できれば、彼女がエルフでないと認めてやろう」
「なら簡単です。ここに俺が居ます。もう一人の魔法使い。正真正銘、エルフじゃない」
「何を言い出すかと思えば! ならば魔法を使って見せるがよい!」
王の周囲にいたエルフたちが騒ぎ始め、俺を非難し始める。
心の底から無理だと思っているのか。
ならばちょっとばかし驚かせてやろう。
俺は仮面の下の口を横に大きく歪めながら、右手のひらを全員に見えるように上に向ける。
「《日雷》」
手のひらに小さな雷を落とす。
バチっと大きな音が鳴り、連続的に青白い紫電が円錐状に広がるように巻き起こる。
突如として鳴った大きな音と雷にエルフたちはびくりとし、それこそ雷に打たれたような驚きを表情に浮かべる。
騒がしかったエルフたちの口は、今やただ小さく空気を震わすだけだ。
横にいるアイリスは堂々としている。ベルとマリナは久しぶりで少し驚いたのか、状態が少し後ろに傾いている。
ちなみに俺は腹の中で爆笑していた。
仮面は本当に便利だ。今の俺が仮面をとれば、そこには王族も激怒するような笑い顔が張り付いていることだろう。気分爽快とはこのことか。
「そなた……今のはなんだ」
「魔法ですよ。見せろというからお見せしました。納得していただけましたか?」
いち早く復帰した王が問うてくる。声だけは冷静に、顔だけはどや顔を浮かべながら淡々と答える。
「確かに魔法かもしれぬ。見たこともない魔法だ。精霊たちも驚いている。だがそなたがエルフの血縁でないという証拠がない」
少しだけ悩む。
これは普通であればかなりの難題だ。無いものの証明なんてできない。
いわゆる悪魔の証明だ。
だが俺はエルフじゃないと断言できる。ただ問題もある。ここにいる人に俺の正体が怪しまれることだ。最悪、余計に信じてもらえないかもしれない。
この世界の人間じゃないなんて、誰が信じるだろうか。
アイリスは信じたが、全員が信じるなんて考えられない。
まあでも、確実に信じさせる方法がないわけじゃない。
「証拠ならあります。ただ一つ、問題もあります」
「問題とは?」
「これを知るのはレゴラウス王だけにしていただきたい。そしてレゴラウス王にはこれから俺が使う魔法を受けていただく」
「なんだと? それはどういうことだ?」
俺が使おうとしているのは記憶魔法だ。
ソフィアからもらった大切な魔法。
この魔法は一度に何人にも使えるものではない。あまりむやみに使うのも危険だ。
だから、王だけに俺の持っている記憶を見せる。あくまで見せるだけだ。ソフィアが俺にしたように記憶を渡すわけではない。
この二つの違いは簡単に言えば、映画を見るか、実際の映画の役になるかの違いだ。
映画を見れば、何が起きたかはわかる。ただそのとき映画の中の人物が何を思い、感じたのかは自分の想像でしかない。
一方で記憶をもらう方は、そのまま登場人物になることだ。だから登場人物が感じたことや思ったことがそのまま理解できる。その人物ができたことが経験として体に身に着く。
だから俺はソフィアから記憶をもらった時に、彼女の経験をもらっているから、まだ魔法を使えない身にもかかわらずこの魔法が使えるようになったのだ。
これだけ聞けば、記憶は渡すほうが圧倒的に便利なんだから渡せばいいじゃないかと思うかもしれないが、そうすると渡した側の記憶は消える。ソフィアはうまく複製できたようだが、俺にはまだできない。そもそも受け取る側の負担が尋常じゃない。
この点を説明すると、意外にも王はこの提案をあっさりと飲んだ。一方で家臣たちは懐疑的だ。
「危険です! 何か企んでいるやも!」
「御身に何かあれば我らの行く末はいかがなさりまするか!」
ほとんどすべてのエルフが忠言する。
しかし、
「これは余が言い出したこと。それに答えようとする者を退け、なおも疑うことなどできはせぬ」
王がぴしゃりと、家臣たちを退ける。
家臣たちはおとなしく引き下がるがその顔は納得していない。中には俺を睨む者もいる。
慕われているな。いい王なのかもしれない。
見たところ決断力はあるし、度胸もある。少し偏見もあるが、長生きしている中でエルフしか魔法を使っていないのだ。そう思い込むのは仕方ないかもしれない。
「ではやらせていただきます」
「やってみよ」
「ただ頭が痛むと思います。お気を付けて」
「余を誰だと思っている。耐えて見せよう」
強気な王様だ。
怒りっぽいレオエイダンの王とは違ってよく喋る。
王のそばに行き、額に触れて記憶を見せる。見せるのはこの世界に来る直前と来た直後の記憶だ。これなら俺がこの世界の人間ではないと理解できる。そうなればエルフの血縁ではないと信じてもらえるだろう。
魔法を使い記憶を見せると、案の定頭が痛むようだ。芸術のような顔にわずかに皺がよる。
渡すではなく見せるだけで、脳に刻むわけではないじゃない。
すぐに立ち直った。
見せ終わり席に戻ると、王は額を抑えながら呟いた。
「これは……どこの国だ? にほん? ちきゅう? エルフでもドワーフでも人間でもない。この文化は……?」
「王よ! いかがなされましたか?」
「お体に異変はございませんか?」
家臣たちが混乱している王に寄り添う。
王は今、一度に送られてきた他人の記憶の整理をしている。自分の記憶と混同しないように別のものとしているはずだ。
それに内容がこの世界のものと違いすぎる。戸惑うのも当然だ。
俺自身、きっと記憶があるままこの世界にきていたら混乱していただろう。もしかしたら、ぶちギレて暴れだしたかもしれない。
記憶がないからこそ、今があったのかもしれないな。
「よい、大丈夫だ。さがれ」
立ち直った王が、俺を再び見つめてくる。
「なるほど、理解した。確かに、これならそなたがエルフの血縁ではないと言い切る理由もわかろうというもの」
「それではウィルベルがエルフの血縁ではないということでよろしいでしょうか」
「ああ。だが別に気になることができた」
早速か。まあ、あんなことをすればこうなるのは目に見えていた。
王が聞きたいのはこういうことだろう。
「「そなた(おまえ)は一体何者だ」」
次回、「大恩ありし」