第一話 珍事
ユベールの港に到着した。
嵐以外は特に問題もなく、予定通りに到着した。
到着して最初にすることは、ベルとマリナに合流することだ。そのためにルチナベルタ家が所有する領事館に赴く必要がある。
領事館は港から歩いて一時間ほどの位置にある。
ユベールは、というよりエルフは閉鎖的だ。もちろん、中にはアイリスの母親のように外に出たいと思うエルフもいる。大多数のエルフは長い一生をユベールで終えることが多い。
種族全体で閉鎖的なためにルチナベルタ家でも国の奥深くまでは滅多に入れない。外交について重要な決めごとをするときだけ招かれるが、普段は入れないらしい。
入れるのは他国の人間用に興された港町だけだ。港町と言ってもかなり広く、そこだけでもユベール特有の大自然がありありと存在するため、ユベールに来た観光客は十分に満足できるようになっている。
まあ、広いとはいっても、あの二人は公人でルチナベルタ家の紹介で来ているのだから、領事館に行けば合流できると考えていた。
しかし――
「いない?」
「はい。二人は現在、この町におりません。少し前にエルフたちに連れていかれました」
早速問題が起きた。
「連れていかれた? どこに?」
「さぁ、そこまでは。私どもも問い合わせたのですが、機密としか。ただ手荒い真似はしていないので、ひどい扱いは受けていないと思われます」
つまりそれなりに丁重に連れていかれたというわけか。
ということはあれか、二人が悪いことをしたというわけではないらしい。いや、予定と違うから問題と言えば問題だが、そもそもあの二人に具体的な指示は出していない。
これは俺のミスともいえるので、二人を攻めるのはお門違いだろう。
まあ、なぜ連れていかれたのかわからないからまだ何とも言えない。
「どうすれば会える?」
「こちらから、エルフたちにお伝えします。なんとお伝えしましょう」
「我が隊の二人と会わせてもらいたい。あとは連れて言った理由もだ。こちらからお会いする準備があるとも」
わかりました、と言って職員は手にしていた紙に話した内容を書き留める。
その後は滞在場所を聞いて何かあれば連絡してもらうことにした。
領事館を出て手配された宿に向かう。
ただ、このまままっすぐ行っても夜まではまだ時間がある。
「どうする? このまま宿で時間を潰す?」
「宿にいてもやることがない。情報を集めよう」
アイリスが頷く。
「そうだね。でもどこで集めるんだい? 当然だけど、ここに軍の基地なんてないよ? 領事館も大したことを知らないみたいだし」
「情報集めと言ったら場所は決まってる」
え? とアイリスが目を丸くしてきょとんとした顔をする。
元の世界にいたときから、情報集めと言えば行くところは一つ。
酒場だ。
実はひそかにこういうことに憧れてたんだ。
そういうと、アイリスは露骨に眉をしかめた。
「なんで酒場なのさ。隊長がお酒好きだなんて知らなかったな。少し意外だな」
「別に酒好きだからじゃない。嫌いでもないけどな」
どこの世界でも酒は多くの人が欲しがる飲み物だ。
そこに職業も種族も関係ない。好みに差はあるだろうが、大きな酒場なら多種多様な人が集まる。それに酒が入れば声がでかくなって口も軽くなる。情報を集めやすい。
俺の説明を聞いたアイリスが頷く。
「なるほど、確かにそうかもしれないね。ボクは普段あまり飲まないけど、お父さんが酔っぱらっていらないことをお母さんに言って、怒られているところは何度か見ているよ」
「何を言ったんだ。というか親が子供の前で喧嘩するなよ」
「普段はとても仲がいいんだけどね。酒が入るとどうにも冗談が下手になるみたいなんだ。本気じゃないんだよ」
そうかもしれないがあまり子供の前で夫婦喧嘩はよくないと思う。まあ、アイリスはもう大人だからということで深く考えていないのかもしれない。
普段はオシドリ夫婦だから、問題はないか。
ともかく情報収集だ。何か知っている人がいれば十中八九うまくいくだろう。
「情報収集ってことは会話でしょう? ウィルは経験ある?」
「無いな。でもまあ、何とかなるんじゃないか」
「その心は?」
大きな酒場の扉を開きながら、口説くつもりで笑顔で言った。
「ここに美人がいるからさ。とびっきりのな」
褒められて嬉しいのか、他人任せの俺に思うところがあるのか。
アイリスはとても微妙な顔をした。
*
「どうにも少し前までは悪魔が大量に湧いたらしいぞぉ。エルフ軍が討伐に出たらしいが手に負えなかったそうだぁ」
「そこにある少女が現れてな! なんでも不思議な力を使って悪魔をバッタバッタと薙ぎ払ったらしい!」
「不思議な力?」
「そうだぁ! エルフの精霊の力と似ていたらしいよぉ。ただ悪魔と一緒に自然も壊したから、恐らくエルフじゃないって話だ!」
アイリスが酒場のカウンターで飲んでいた男二人に話しかけると、男二人は上機嫌に話し始める。
「どんな少女だったのかな?」
「いろいろ噂は飛び交っているんだぁ。銀髪青眼の如何にも怪しいといった風貌だって話もあるし」
「控えめだけど情熱的な黒髪の超かわいい女の子って噂もあるぞ!」
「いや! 銀髪の子だ! 自信があるがポンコツなのがいいんじゃないか!」
「なんだとこの野郎!」
「やんのかテメェ!」
「ちょ、ちょっとやめてよ!」
遠くてよく聞こえなかったが最後の方は二人が大声で話したために、はっきりと聞こえた。
どうやらベルとマリナはこの町で随分と有名になったようだ。ベルに関してはポンコツまで伝わっている。
ただ二人が喧嘩を始めてしまったために話を聞けなくなってしまった。アイリスが止めようとしているが、一人で頑張れ。
仮面をつけた俺が行くと、面倒になりそうだ。
「いや待て! そういえば君の名前を聞いていなかった! なんて名前だい?」
「アイリスだよ」
「アイリスちゃんか! とても綺麗だ! 彼氏はいるのかい?」
「いないよ。今はあまり恋愛している余裕がなくてね」
「そうか! なら今度俺と食事に行かないか!? 二人だけで!」
「おい! ずるいぞ! 俺だって行きたいんだ!」
「あはは、ごめんね。これでも仕事があるからね。またいつか誘ってね」
アイリスが潮時だと判断して切り上げ、こちらに戻ってくる。
「お疲れさん。さすがだな」
「話をしただけだよ? ウィルにだってできるさ」
「俺ならああはいかないよ。怪しまれて喋ってくれない。女のアイリスなら男は口が軽くなる」
「仮面を外せばいいのに。なんだか素直に喜べないな。ウィルの口車に乗せられた自分が恥ずかしいよ」
酒場に行くといった時、美人と言ったことを根に持っているようだ。
口車に乗せられたことが嫌だったようだが、男が女性に話しかけられて嬉しいのはもはや常識だろうに。
「ボクはウィルの常識は常識じゃないと思うんだ」
「なんでだよ」
「常識人は仮面を四六時中つけないよ。百歩譲ったとしてもウィルはボクと話してもあまり嬉しそうじゃないじゃないか」
「嬉しいぞ。仮面がなければ醜態をさらしているところだ」
「見てみたいな。外してよ」
「美人に醜態は晒せないな」
冗談はさておき、アイリスが聞いた話をまとめる。俺が周りの会話を聞いて得た情報も合わせると大体の事情が分かった。
「つまり、あの二人は悪魔退治に参加したんだね」
「そうみたいだな。そこでよほど活躍したのか、それとも問題を起こしたのかはわからないがエルフの目に留まったと」
「それで連れていかれたのかな。でも話を聞く限りは物騒な感じではなかったらしいね」
「ならいい意味で目に留まったのか? 少し信じられないな」
「自分の隊員でしょ? 信じてあげなきゃダメだよ」
アイリスのいうことももっともだ。もう少し信じてやった方がいいかもしれない。本当に活躍してエルフたちの信頼を得ていたら凄いことだ。
普段の態度は見るに堪えないが、能力だけなら大したものなのだ。マリナもいるから確かに可能性はある。
「それで、どうする? もう少し情報を集める?」
「いや、もう十分だ。これだけ聞いて同じなら事実だろう。あとは領事館からの連絡待ちだ」
「そうだね。ほとんどボクが聞いて回っただけな気がするけど」
「ここの金は持ってやるからそれで勘弁してくれ」
「やったね。じゃあ高いものたくさん頼んでしまおう」
アイリスが店員を呼んで食事と酒を注文する。
ここの酒場で働いている人はエルフがほとんどだ。全員若く見えて見た目がいい。そのせいかはわからないが、随分と酒場は繁盛しているようだ。
注文を受け、しばらく待った後に頼んだ料理と酒が次々と運ばれてきた。
メインは色鮮やかな自然の色が煮詰まった鍋だ。
料理から立ち上がる湯気と共に、野菜の仄かな香りが鼻をすっと通る。
「とても美味しそうだね。身体にも良さそうだ」
「ごった煮か。エルフらしく野菜が多いな」
「野菜は嫌いかい? 好き嫌いはよくないよ」
嫌いなわけじゃない、ただ思ったことを言っただけだ。
いただきますを言って、二人でよそって食べる。
香ばしい香りと香辛料がわずかに効いた刺激のあるうまみが、何もなかった口の中いっぱいに広がる。中には魚も入っていて、魚の実が噛む前にほろほろと崩れ、野菜の旨味も沁みていて深い味わいを感じられる。
好みで出汁やたれを加えることでアクセントを加えることもできる。やってみると、醤油に似た風味だった。案外酒と合いそうだ。
米がないのが実に惜しい。
「美味しいね」
「そうだな。上品で優しい味だ。薄味なのが実にいい」
この世界の料理だが、全体的に味付けが濃い。
料理の姿が隠れて、え、これ何料理? と聞きたくなるほどに調味料が多くかかっており、食材の味がわからないだろといいたくなるような料理がたくさんある。
逆に言えば、調味料が十分にあるために食べられないようなものも食べられるようになる。
この辺りはもしかしたら、戦いが多く食料の確保が大変な世界だからこその変化なのかもしれない。
「自然が多くて食材が豊富なユベールだからこそだね。軍が交易したくなる理由もわかるよ」
確かに旨い料理や食材がある。
娯楽の少ないこの世界で食事は万人共通の楽しみだ。それを発展させられれば、大きな利益だ。
だからといって、コードフリードのやり方は容認できるものではない。
腹も十分に満たされたので、久しぶりに酒を腹にいれることにした。
空きっ腹に酒はあまり良くない。
「ウィルはお酒あまり飲まないよね。強くないのかい?」
「弱くはないと思うんだけどな。最近はあまり人と飲まないから、どれくらい強いかわからないんだ。当然だけどマリナやベルと飲むわけにはいかないからな」
「じゃあ、飲み比べだ。これでもボクは自信あるんだ」
アイリスが勝負しようというので、久しぶりに飲み比べをやってみることにした。
ただこの世界の酒は前の世界のものよりも度数が高い。この世界基準で言うと弱い方かもしれない。
まあ、明日は特にやることもない。連絡待ちだから多少飲みすぎても平気か。
「よーし、勝負だ!」
「お手柔らかにな」
*
それから数時間後。
「うぅ……」
「ウィル、大丈夫? そんな無理して飲まなくてもよかったのに」
「うるせぇぇ、たまにはいいだろうがぁ」
ウィリアムは見事に潰れ、机に突っ伏していた。
アイリスはそんな彼の肩を揺さぶる。彼女はほのかに顔が赤くなっている程度で済んでいた。
二人とも飲んだ量は同じくらいだが、元の世界で強いお酒を飲んでこなかったウィリアムにこの世界の酒は強かった。
ただ、自我を失うほどではなく、約束通り自身の財布からお代を出そうとしている。とはいえそこまでで、いくら出せばいいのかよくわかっていなかった。
「あれが金貨二十、これが大判金貨十……」
「そんなに高くないから。金貨三枚で十分足りるよ」
エルフの国はアクセルベルクよりもずっと物価が安い。エルフたちは基本、硬貨を使わないし、ほとんどの食材は自然から豊富にとれたものを使っているからだ。数が少ないものや高級なものは、あまり観光街には運ばれてこない。
「くそ、負けたぁ」
「酔ったウィルはまだ少年って感じだね。ちょっとかわいいね」
「うるせぇ、かわいいとか言うな。鏡見て言え」
「それはボクがかわいいって言ってくれているのかな?」
アイリスは普段とは違うウィリアムを見て、しばらく様子を見ることにした。
介抱するでもなく、席に座ったままウィリアムの相手する。
彼は酔っても大声を出すでも、問題を起こすわけでもないため大丈夫だと判断したからだ。
「エルフはみんな見た目がいいのかぁ?」
「一般的には眉目秀麗な人が多いって言われているね」
「そりゃいい種族だな」
「でもその分狙われたりするからね。今のエルフが閉鎖的な理由の一つだ」
「一つ? 他にもあんのか?」
「もともとそういう種族なんだ。誇り高くて自分たちで完結している。力を貸すことはあっても借りることはないってことさ」
エルフは誇り高い種族。自分のためではなく、弱きもののために戦う。
こよなく自然を愛する種族であるために、開発を進めるドワーフや人間とは反りが合わない。
エルフもまったく開発をしないわけではないが、それも自然のバランスを保つためという側面が大きい。
住居は木の上だったり、岩山をくりぬいたものだったりで、伐採をほとんどしない。間伐をした際の木材を使っている。ユベールの国土は広大でほとんどが森で覆われているため、間伐だけでも十分な量の木材を確保できるからという理由もある。
「寿命が長ければ、閉鎖的にもなるか」
「ん? どういうことだい?」
「……アイリスは、ハーフエルフなんだよな」
「そうだよ、耳は長くないけどね。普通の人間よりは長生きだと思うよ」
「俺は……どうなるんだろうな」
「ウィル?」
ウィリアムは机の上にある酒の入ったグラスを一気に飲み干した。
その様子を見てアイリスが止めようかと悩むが、ウィリアムは構わず続ける。
「聖人は、長寿になるんだよな?」
「そういわれているね。エルフやドワーフに並ぶほどにね」
「俺は……長生きなんてしたくない」
「? ……どうして?」
ウィリアムは空になったグラスを見下ろしながら、嘆くようにつぶやいた。
「人はいつか必ず死ぬ、別れが来る。……俺には、耐えられない。家族が死んでいくのを、見たくない」
「……その家族は、故郷の家族のこと? 帰りたい理由って言っていた?」
「……父さんと約束したんだ。もうすぐ帰るって……家族が久しぶりに集まるからって」
「……」
ウィリアムの悲しむような声色に、アイリスは何も言い返せなかった。
彼女は彼に帰ってほしくなかった。
特務隊に入って、ウィリアムに受けた恩を返していない。目的にひた走る彼を支えたかった。
だがアイリスが彼に帰ってほしくないと思う以上に、ウィリアムは家族に会いたいと感じているのだと、このとき、わかってしまった。
彼女自身、悪魔に襲われ、コードフリードに殺されそうになったとき。
再会した家族の顔が忘れられなかった。
両親とも、心から心配し、無事に帰ったことを喜んでくれた。
再び両親に会えることが心から嬉しかった
ウィリアムにはそれがない。
奪われてしまったのだ、あの国に。
「向こうがどうなっているのか、不安で仕方ない。俺は向こうで死んでいるのだろうか……父さんは悲しんでいるかな」
「ウィル……」
「俺は、この世界で長生きなんてしたくない。心配してくれる家族に会わす顔がない」
家族が心配し、泣いているかもしれないのに、自分は楽しくこの世界でのうのうと長生きなんてできない。
ウィリアムのその言葉に、アイリスは酒の酔いも覚め、俯く。
酔っていなければ、ウィリアムもこんな話はしなかっただろう。
この後に続く話は彼にとっても、言語化するべきではないと、普段なら理解していたからだ。
「何より……俺はお前たちが死ぬところを、見たくない」
「……ウィル?」
「付いて来るな……死ぬのは俺一人で十分だ……」
その言葉を最後に、ウィリアムは机に突っ伏して、寝息を立て始める。
アイリスは眠ってしまったウィリアムを見て、安堵の息を吐く。いつもと様子が違いすぎて心配になってしまったから。
「まったくもう……みんな、最後まで一緒にいるよ。一人になんて、させないよ」
アイリスは酔いつぶれてしまったウィリアムに肩を貸しながら、宿まで帰ることにした。
家族のことも、部下のことも想いすぎる彼の力になろうと、再度心に誓いながら。
次回、「招待」