第二十一話 親愛の証
「はいそこ!そこでステップ!そしてターン!」
舞踏会前日。
アイリスとダンスの練習をしている。ここ最近ずっとこの踊りをしている。
アイリスは相当気合が入っているようで、指導はかなり厳しめだ。
こういう舞踏会のダンスは似たような動作が多くて、頭がおかしくなりそうだ。
「はい!そこまで!」
「ふぅ、やっとか」
アイリスが手を叩いて終了の合図を出した。
俺の動きを見て満足そうに笑顔を浮かべながら頷く。
「うんうん、これなら文句なしだね。隊長はセンスがあるね。どこかで習ったのかな?」
「遥か昔にフォークダンスをほんの少しやっただけだ」
「遥か昔?隊長っていくつ?」
「大げさに言っているだけだから本気にしないでくれ。それにしても随分と気合が入ってるな。こんなに舞踏会はレベルが高いのか?」
「ううん、全然。老若男女が参加するから、あまり上手じゃなくても大丈夫さ」
「じゃあなんでこんなにハードにしたんだ。頭がおかしくなりそうだ」
「それはもちろん、注目されているんだから下手なダンスなんて見せられないよ。それにボクの隊長だよ?よく見せたいじゃないか」
当然といった顔でアイリスが言った。
要するに見栄を張りたいんだな。まあ、この二週間の練習は思った以上にハードだった。鍛錬とは異なるがこれはこれでいい運動になった。じっとヴァイオリンを弾くよりは健康的だと思う。
いよいよ明日、本番だ。さらに次の日にはこの東部からユベールに出発する。その準備もしなければならない。
「明後日の準備もある。このくらいにしよう」
「そうだね。でもちゃんと空いた時間で練習するんだよ?人間すぐに忘れるんだからね」
「わかってるよ」
ルチナベルタ家はこのパーティの主催だ。明日の準備もあるため、昼前だったがこの日の練習は終わった。
*
仮面舞踏会当日。
パーティの主催はルチナベルタ家である。
会場はウィリアムが世話になっている本邸。
普段は使わない大広間を開放して、大勢の招待客をもてなすことになる。
ルチナベルタ夫妻は主催者であるため、一番早く会場入りしていた。一方でウィリアムは招待客扱いであるために、少し時間を空けて会場に入る。アイリスは両親と一緒に入っている。
パーティの開始時間は夕方から。
軍服とは違う装飾の施された礼装に身を包んだウィリアムは懐中時計を見て、時間になったことを確認すると部屋から出て会場に向かう。
中に入るとそこには数多くの料理とお酒が部屋の両端に並んでいた。舞踏会で踊りがあるために会場の中心部分はわかりやすく豪華な絨毯が敷かれており、スペースが設けられている。
ウィリアムはルチナベルタ家の面々を、顔を動かさないで探す。あまりキョロキョロするのは挙動不審に見えるために良くないと聞いたためである。
仮面舞踏会はこの世界でもそれなりに流行している。
しかし、顔を見せずに話せることから犯罪の温床ともなりえるために、仮面舞踏会を主催する際は国にしっかりと連絡しなければならない。
そうなると社会的地位のある名家でしか許可が出ない。そのためあまり犯罪の温床となることは少なくなり、また珍しさから参加したいと思う人は大勢いた。
沢山の招待客の中からウィリアムはアイリスの姿を見つけるが、既に彼女の周りには幾人もの男性が集まっていた。
邪魔をするのも悪いと隅で大人しくしていようと考えていたウィリアム、しかし横から声をかけられる。
「あ、あの、初めまして。アイリ―と申します。し、失礼ですがお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
声をかけたのはアイリ―と名乗る、竜をかわいらしく描き、口元が空いた仮面をつけたまだ十代前半の少女。
(仮面かぶんのに名乗んの?)
ウィリアムは疑問を抱いた。
実際には仮面舞踏会は名乗らなくてもよいとされている。もちろん名乗ってもよいのだが、返礼の際に名乗る必要はない。
ウィリアムはパーティの趣旨的に名乗ってもよいものかと少し逡巡するが、礼儀の方が大事だと考えて名乗ることにした。
「初めまして、アイリー嬢。俺はアーサーです」
「アーサー様ですね。あ、あの私こういった場は初めてなのですが、アーサー様はご経験があるのでしょうか」
普段のウィリアムを知っているものが聞けば、目を剥くような口調で、ウィリアムは穏やかな声でアイリーと話を弾ませる。
「恥ずかしい話、俺もないんです。ご期待に沿えず申し訳ない」
「い、いえ!とんでもございません。こちらこそ失礼しました。あ、あのお一人ですか?両親と一緒に来たのですが、挨拶に向かわれたので一人になってしまったのです」
「そうですか、奇遇です。俺も知り合いがいるのですが、忙しそうで。こうして隅っこでのんびりしているところです。よければ一緒にどうですか?」
「!ぜひ、お願いします!よかったです。実は心細かったのです」
ウィリアムは内心で、俺もだよと呟く。
彼が口調も含め、こんなにも慣れないことをしているのはアイリスから必ず淑女を立てろだの、紳士になれと口うるさく言われたからである。
何よりもウィリアム自身がこの場に慣れていなかった。同じ境遇の少女と一緒にいれば、少なくとも浮くことはないと考えたからだ。
さすがにウィリアムも幼気な少女にぶっきらぼうに言い放つほど、大人げなくはなかった。
会場の隅で壁にもたれながら、ウィリアムとアイリーが話をする。
「アーサー様は普段はどのようなことをされているのですか?」
「普段ですか。そうですね。アクセルベルク各地を回ってます。時には他の国に出向いたりもしますね」
「凄いですね。私はこの町から出たことがないので羨ましいです。他の国とはどこですか?ユベールでしょうか」
「ユベールには明日向かう予定です。かつて行ったことがあるのはレオエイダンですね。錬金術が栄えるドワーフの国です」
「ドワーフですか!私、ドワーフは見たことないのです。レオエイダンで何をしたのか、教えていただけませんか?」
「ええ、存分に語りましょう」
ウィリアムはアイリーにレオエイダンで起きたことを脚色したり、話し方を工夫したりして盛り上げて少女に語った。
少女は目を輝かせながら、ウィリアムの話を夢中で聞く。
ウィリアムは普段であればこのようなことをしないが、全員が仮面をつけているということで油断していた。どうせ誰かもわからないし、多少仲良くなったところで二度と会うことはないだろうからと。
なにより東部には既に吟遊詩人がレオエイダンでの一件を大いに広めている。
少女に話していることは半分ほどはすでに知れ渡っていることだった。
残り半分はウィリアム自身が体験した、大変だったことを大げさに話した。
「凄いですね!まるで詩人も歌うかの英雄様のようです!」
「さすがにかの英雄様のように勇猛果敢には行きませんでしたよ。たくさんの人の助けがあったからこそです」
アイリーが面白いほど素直に反応するために、ウィリアムも饒舌になる。
話が一通り終わったところで、会場が暗くなる。
会場前方、少し高くなった舞台に袖から仮面をかぶったルチナベルタ夫妻が現れた。両方とも竜を模したハーフマスクを着けている。
「皆様、お集まりいただき、誠にありがとうございます。たくさんの方々のおかげでこうしてこの会を開催することができました。重ねて御礼申し上げます」
「それではこれより、仮面舞踏会を開催いたします!どうぞ、ごゆるりとご堪能くださいませ!」
ライノアとイリアスが舞台上で開会宣言をする。
宣言に続いてこの会のプログラムの説明がされる。
食事は各自で好きにとっていいことになっており、舞踏会の他にも仮面で顔を隠した相手がだれか当てるといった催しも行われる。
どれも参加必須というわけではない。自由に参加してもいいし、しなくてもいい。踊る相手は異性でなくてもいい。とても自由なパーティであった。
そして最初は舞踏会の名にふさわしく、ダンスから始まる。
相手選びをする時間として、短い曲が流れだす。
ウィリアムはアイリスを探したが、相変わらず多くの男性から誘いを受けていたために断念する。
それならば最初は踊らずに雰囲気を掴もうと考えたが、隣に立つアイリ―がこちらを見上げていることに気づいた。
その視線に気づき、ウィリアムは背の低いアイリーに合わせて膝をつき、手の平をアイリーに向けて誘いの言葉を口にする。
「アイリ―嬢。俺と踊りたいですか?」
「はい!ぜひ!」
断ってくれよ、と内心思いながらウィリアムは渋々小さな少女の手を取る。
誘ったのはさすがに幼い少女が縋るような目で見てくるから、仕方なくである。ぶっきらぼうな言い方をしたのは、誘うのはいいけど断ってほしいという矛盾した気持ちから起きていた。
そんな淡い願望が儚く散っていったウィリアムは立ち上がり、少女の手を引いて会場中央の踊り場へ出る。
踊り場には既に何組ものペアが集まり、ステップを踏んでいる。
相手選びの時間を知らせる音楽が終わり、本番の曲が始まる。
「お手柔らかにお願いします!」
「ええ、こちらこそ」
アイリーの挨拶にウィリアムが答える。ウィリアムもさして余裕があるわけではなかったが、目の前でとても緊張している少女を見ると自然と落ち着いた。
曲が始まりステップを踏む。ウィリアムはアイリーの歩幅に合わせて動く。
ウィリアムはアイリスに相手に合わせた動きを徹底的に仕込まれた。ウィリアムはダンスの動き自体はすぐに覚えることができた。元の世界のダンサーよりも激しく震えるような動きではなく、緩やかな動きが多かったからである。
ただ難しかったのは相手に合わせた動きをすること。
アイリスが下手な相手やうますぎる相手、自分勝手に踊る相手を演じて、それらすべてに対応させられていた。ウィリアムはここまでする必要があるのかと感じていたが、こうして始まるとそれがとても助かっていた。
「アーサー様っ、お上手ですねっ」
「アイリー嬢こそ、お上手で」
踊っているため、アイリーは息が上がっている。だが仮面に隠されていても、彼女の顔には満面の笑みが浮かんでいることがわかった。
ターンをしたり、彼女を抱き上げたり、踊りの中に相手を楽しませるための工夫も混ぜながら踊り続ける。
そして曲も終盤に差し掛かる。疲れ始めた彼女をいたわるようにゆっくりと踊る。
曲の最後、手を上げながら後ろに倒れるような態勢を取る少女の背中に手を回し、支える。
その姿勢を取ったと同時に曲が終わり、周囲から拍手が沸き起こる。
アイリーが姿勢を正し、ドレスの裾をつまんで礼をする。ウィリアムも返礼をする。
一通り、ダンス終わりの礼を終えるとアイリーが息を上げながら、ウィリアムに駆け寄った。
「アーサー様!ありがとうございました!」
「こちらこそありがとうございました。アイリー嬢のおかげで俺も楽しめましたよ」
アイリーが興奮した様子で話しかける。ウィリアムは中央の踊り場から離れながら相手をする。
かたや憧れから、かたや会場に紛れるためだったが、それでも、こうして二人は親交を深めていった。
*
「あぁ、疲れた~……」
テラスに出て外の風にあたる。
本当に疲れた。体力的にではなく精神的にだ。
自分の口からお嬢様とか、あんな気持ち悪い言葉が紡がれるのがホントに嫌だ。
仮面舞踏会も終盤に近付いている。残りは最後のダンスだけだ。ただもうすでに何度も踊っているから、最後くらいは休ませてもらおう。
最初のダンスはアイリーという背の低い少女とだったから、合わせるのが少し大変だった。とはいっても動き自体は少なくて済むので、体力的には楽なほうだった。
彼女にはダンスが終わった後も付きまとわれたが、アイリスも変わらず付きまとわれていたからいいかと思い、ずっと相手をしていた。
ただ二度目以降のダンスはさすがに別の人と組むことになったために彼女とは別れた。
これ幸いとばかりにダンスから逃げようと思ったが、何度も見知らぬ女性から誘われたり、一度だけ男からも誘われたりした。
面倒だと思ったが、断っても別の人から次々と誘われるので観念して最初に誘った人と踊ることにしたのだ。
いやもうほんとにめんどくさい。今日一日だけで禿げそうだ。
「外の風は涼しくていいな。もうすぐ秋か」
ダンスをしたり、大勢の人が集まったりしているために室内は暑い。テラスの手すりにもたれながら、会場にあった飲み物をちびちびと口にする。
このまま終わりまで時間を潰すか、そう考えたとき、
「こんなところにいたのかい。ずるいよ、一人だけ逃げるなんて」
後ろから声が聞こえた。
振り返るとそこにはドレスを着て仮面をつけたアイリスがいた。
「いいだろ、もう今日は十分踊ったよ。最後くらい休ませてくれ」
「ダメだよ。まだボクと踊ってないじゃないか。だから最後はボクと踊ってもらうよ」
「散々練習で踊っただろう。もう勘弁してくれ」
「練習の集大成を見せてよ。隊長の体力なら余裕でしょ」
ああ言えばこう言うアイリスには口では勝てないと察して諦めることにした。
テラスから会場内に入るとき、アイリスを誘おうと思ったのか、幾人かの男性が待っていたが俺の姿を見ると大人しく引き下がった。
部屋の中央の踊り場に向かうとみんなが避けるようにスペースを開けていく。
「なんか目立ってないか?」
「それはみんな隊長の正体を知っているからね」
「おい、なんでだよ。俺は明かしてないぞ」
「ほら、仮面をかぶっている相手の正体を当てる催しがあったからね。そこで隊長の正体を聞いてきたお嬢さんがいたから答えてあげたんだよ」
「誰だ?」
「アイリーっていう音楽の名家のお嬢様。最初に踊った隊長のことがとても気になるんだってさ。正体を聞いたら大喜びでご両親含めて触れ回っていたよ」
「……優しくするんじゃなかったな」
最初だからもっと大人しくしておけばよかったと軽く後悔するがこうなっては仕方ない。さすがに大勢の前で恥をかきたいと思うほどこの仮面は厚くない。アイリスのいう通りになるのは癪だが、練習の集大成を見せてやろう。
最初と同様に礼をして、手を取る。
アイリスとは練習で何度も踊っているために、慣れたもので淡々と踊る。時折、アドリブで動きを変えてくるがちゃんと対応する。
もっと意地悪な動きをしてくるかと思ったが、シンプルで踊りやすかった。
中盤に差し掛かったところでアイリスが言う。
「隊長、聞いてもいいかな?」
「なんだ?改まって」
「隊長のこと、名前で呼んでもいい?」
「今更なんだよ。好きにすればいい」
「ふふ、じゃあウィルって呼ぶね!」
呼び方ひとつで随分と楽しそうに笑うもんだ。
その後も問題なく踊りが終わり、お互いに一礼すると周囲から拍手が起こる。
これで終わりと思って、ほっと息を吐く。
踊り場から離れようとした、そのときに。
――ウィル、と呼ばれた気がした。
振り返る。
感じたのは鼻腔をくすぐる花の匂い。
そして全身を軽い衝撃が包みこみ――
素顔を晒したアイリスが勢いよく抱き着いてきた。
「おいっ!」
「ふふっ」
アイリスはすぐに離れると、いたずらが成功したように微笑む。
「付き合ってくれたお礼だよ。もちろん、親愛の抱擁だよ」
彼女は小さな声で言った。
周りは囃し立てていたが、俺には彼女の声がはっきりと聞こえた。
彼女はそそくさと仮面を被りなおし両親の元へ向かった。
俺は会場の中心で取り残される。
「……たく、アグニといいアイリスといい」
もうすぐ閉会が宣言される。その後は客たちが順番に帰っていくはずだ。
俺はルチナベルタ家に滞在しているため、最後になる。ここは居心地が悪いから早く帰りたい。
さっきから俺を見て騒ぐ連中がたくさんいるからだ。
何度目かの溜息を吐きながらテラスに出る。
秋の風が花のにおいを運んでくる。代わりに俺の熱をここではないどこかへもっていく。
会場から出るときまで、テラスで一人、空に輝く月を見ていた。
次回、「エピローグ~光あれ~」