第十九話 陰謀の裏
それから二週間は療養に専念した。
その間もアイリスがやたら世話をしたがってきたり、父親のライノアが礼をしつこく言ってきたりと騒がしかった。
その点、母のイリアスは特に何をするでもなく、ただ静かに話をするだけだったので気が楽だった。
彼女はエルフで見た目も若くきれいだったので目の保養にもなったし、何よりエルフの国ユベールの内情について聞けたことが大きかった。
ユベールは大きく4つのエルフの部族から成り立っているらしい。
それぞれが農業と国家の運営、芸術、狩猟、そして知識を一手に引き受けている。
この4つの部族をまとめてユベール王国だ。
王は太古の昔の英雄の子孫らしい。なんでも精霊に高い親和性を持ち、不思議な力を使うとのこと。
これが俺やベルが魔法をごまかすために方便として使っている精霊術だ。
王族に限らず、エルフという種族の特徴として精霊術が使える。
エルフは直接マナを使って魔法を使うことは人やドワーフと同じでできないが、精霊と意志を交わすことで魔法を使うことができるらしい。
ベルも見たことはないらしく、聞いた話では特殊で魔法の亜種といったほうがいいそうだ。
道具で魔法を再現する錬金術とは対を成すと言ってもいい。
あとイリアスのほかにも珍しい人物が訪れてくれた。
「重症だと聞いていたが、思った以上に元気そうだな!」
日焼けした肌に短く切りそろえられた黒い髪。
ディアーク・レン・アインハード中将、南部を取り仕切る指揮官で領主だ。
俺の直属の上司にあたる。
会うのは随分と久しぶりだった。
「これはこれはアインハード中将閣下。ご機嫌麗しゅう」
「よせ、貴殿と俺の仲ではないか!久しぶりだな、ウィリアム殿」
「ああ、久しぶりだ。そういえば最後に会ったのは一年近く前だったか」
相変わらず豪快だ。声もデカい。
でもコードフリードとは違って、この人は表情がころころ変わるから、不思議となんだか落ち着いた。
「それにしても暴れまわっているようだな!東西に渡って悪魔退治とはな!」
「どっちも戦う気はなかったんだけどな。特に今回は」
レオエイダンでもここでも、俺は進んで悪魔退治などする気はなかった。
レオエイダンはまだ軍務だったが、今回は全く違う。騙され利用された側だ。
「今回の件、クローヴィスが迷惑をかけたな。あいつは俺の同期だったんだがな。まさかこんなことをするとはな」
「まったくだ。おかげでこのざまだ。手当をもらわないとやってられない」
今回のコードフリードの一件について、事態解明に動いてくれたのはディアークだった。
ルチナベルタ家も動いたが、軍事に関することを名家とはいえ、一般人に任せるわけにはいかない。ルチナベルタ家は国に事の顛末を報告し、国から調査が入るまで、領主の役目を代行することになった。
国から調査官や監察官が来て、俺を含めたルチナベルタ家に事情聴取と海域の調査も行われた。
東部軍が事態を隠蔽しようとしたり、俺の無責任な行動によるものとして責任を押し付けようとしたりしたが、ディアークが俺の行動を保証してくれたために、国は俺たちの証言を事実として認めてくれた。
驚いたのが、ディアークだけでなく西部の領主であるエデルベアグ・グス・ハードヴィー大将まで俺たちを擁護してくれたことだ。ハードヴィー大将に会うことはできなかったが、今度手紙を書いて、会った時には礼をしよう。
そんなわけで大将と中将2人のおかげで俺たちの主張は無事に認められた。
調査を進める中で、軍が俺たちに渡した航路図や調査結果、国には悪魔のことを報告していなかったことが明らかになり、最終的には東部軍が全面的に責任を負うということで落ち着いた。
「それで、東部はこれからどうなんだ?代わりの将軍が付くのか?」
「東部はこれからしばらくは国が派遣する代官が運営する。クローヴィスに加担した軍人と文官どもは裁判にかけられることになる。しばらくはごたつくだろうが、邪魔をするものはいなくなるだろう」
「それはよかった。まさか国内に敵がいるとは思わなかったよ」
「……改めて謝罪をしよう。あいつの企みを防げず、危険にさらしたのだ。この国に多大な貢献をしている貴殿に申し開きもできん」
ディアークが慇懃に頭を下げる。
どこかそれが気まずくて、気にしていないと話を進める。
「なら、コードフリードがこんなことに及んだ理由を改めて教えてもらいたいな」
「よかろう、全貌が明らかになったし、貴殿は被害者だからな。問題はあるまい」
そう言って、ディアークは今回の事件の一連の流れを説明してくれた。
――事の発端はクローヴィス・デア・コードフリードの野心から始まった。
彼は名を上げることに心血を注ぐ野心家だった。将軍になり、東部を治める大将になったときは大喜びしていたらしい。
しかし、実際に東部に着任してからは想像とは異なっていた。
北や西といった他の領では、軍が最も力を持ち、順調に統治している。
しかし、東部では商家の力が最も強い。コードフリードは商家に阻まれて思うように統治できないことに不満を覚えていた。
ユベールとの交易はルチナベルタ家が一手に引き受けている。言い方を変えれば一家で交易を行っているから、物流は西部に比べれば少ない。
コードフリードは交易により、東部を発展させようとしたが、ルチナベルタ家という存在に阻まれてうまくいかない。発想を変えて、わずかに入ってくるユベールの工芸品や芸術、文化に付加価値をつけて市場に出回らせることで、より発展させることにした。
実際にその目論見は功を成し、東部は文化に優れた豊かな領になった。この点を考えれば、コードフリードは優秀な統治者だった。
だがそれでは彼は満足できなかった。
文化を発展させても潤うのはそれらを扱う商家だ。発展したために税収は増えたが、依然として軍と商家の関係は変わらなかったからだ。
さらに追い打ちをかけるように現れたのが俺という存在だった。コードフリードは突如現れた不気味な聖人を目障りに思った。
なぜ目障りに思ったのか。本人がいないために真相は闇の中だ。
「恐らく奴は自分の立場が脅かされることに我慢ならなかったのだろうな。自らの手で優れた技術を開発し、執行院にて教鞭を取るといった偉業や名誉を手にする貴殿を疎ましく思ったのだろう」
同期であったディアークはそう語る。本人はいないために確認はできなかった。
ともかく俺を嫌うコードフリードに、ある転機が訪れた。
それは高位の悪魔が各地に現れたことだ。時期的にはかなり前だ。俺が執行院で教えていた時期に悪魔が現れていた。
コードフリードは高位の悪魔についてすぐに調査した。討伐することができれば大手柄だ。しかし調査の結果、海上ではあの悪魔に勝つことはできないと判断した。
しかし都合のいいことにあの悪魔はユベールを攻めることに集中しており、東部領には目もくれない。
そこで思いついたのがルチナベルタ家への渡航制限だ。これによりルチナベルタ家を支える交易を崩し、それにより各商家を徐々に弱らせようと考えた。
それと同時に俺たち特務隊を招待し、ユベールの巨大図書館を囮に渡航させるとだまして悪魔とぶつける算段だった。
アイリスを特務隊に転属させたのは、ルチナベルタ家の娘が悪魔に殺され、悪魔を憎むルチナベルタ家に協力してコードフリード自身が悪魔を討つためだ。それによりコードフリードはルチナベルタ家と親密になることができる。
誤算だったのは東部より先に俺がレオエイダンに向かったこと。
何よりそこで高位の悪魔を俺が倒してしまったことだ。
コードフリードは悩んだ。
このままでは俺に悪魔を倒されて手柄を取られる、だが自分では倒せない。
そこで実力が未知数の特務隊と俺を分断することにした。
ベルとマリナが先にユベールに渡っているのはこれが理由らしい。アイリスを残したのは実力をすでに把握しており、彼女の死を利用するためだった。
一見して無害そうなベルやマリナを遠ざけるとは、かなり疑い深い。
いや、もし二人がいたらもっと簡単に事は収まっていたから、どこか直感していたのかもしれない。
「つくづく下種な男だな。能力はあるだけに手に負えない」
「昔は頼りになるいい男だったんだがな。何があいつを変えてしまったのだろうか」
まあ才能のある人間ほど野心を抱きやすいものだ。最年少で聖人に達したのはたしかに凄いとは思う。
だが昔はともかく、今は俺たちの命を奪い利用しようとしたのだから、酌量の余地はない。
ともかく、コードフリードはこうして特務隊を分断して、悪魔との不意遭遇戦を利用することで俺を亡き者にしようとした。
俺は曲がりなりにも高位の悪魔の単独討伐者。
悪魔に手傷を負わせることはできる、もしくは勝つかもしれない、しかし勝ったとしても無傷ではいられない、コードフリードはそう予想した。
その予測は的中し、俺は悪魔に勝ったが、爆発を受けて負傷した。船だってボロボロだった。
そして俺か、もしくは悪魔か。生き残ったほうをコードフリードが始末すれば、あとはコードフリードの報告次第だ。
筋書では悪魔と遭遇した俺たちは力及ばず死亡、駆け付けた軍が悪魔を討伐するというものだ。その旨の報告書の下書きも確認された。
「こうしてクローヴィスは貴殿達を嵌めて、自らの手柄を立てようと画策したわけだ。結局は貴殿の力を見誤り敗北したわけだ」
「策士策に溺れるってのは面白いな。終わった後は大笑いだ」
「確かに、素直に貴殿に協力を申し込んでいれば、今頃誰も失うことなく悪魔を倒し、クローヴィスも名を挙げられただろうな」
「強欲は身を亡ぼす。いい見本になったな」
結局、クローヴィスは欲張りすぎたんだ。一度にあれもこれもなんてやっていたから足元を掬われる。
「ユベールとの交易も再開される。心配なくいつでも行けるようになるから、貴殿はしばらくゆっくり休むといい」
「そうするよ。どのみちまだ動けない。予想よりだいぶ早く動けるようになりそうだけどな」
「医者が驚いていたぞ。全身の筋肉が断裂しておいて、もうほぼつながりかけているなんてな。本当に人間か?」
「前にも誰かに言われたな、人間だよ。最近自分でも怪しいと思ってきたけどな」
「治ったら酒でも飲もう。俺のおごりだ。ではな」
ディアークが部屋から出ていく。
もう少し話していたかったが、彼も忙しい。あまりゆっくりできないみたいだ。
俺もベッドに体を預け、一息つく。
あの一件から、二週間ほどおとなしくしているが暇だ。最近は痛みもだいぶ引いて、夜中に寝返りで起きることもなくなった。もう一週間すれば歩けるようになるだろう。予想よりもだいぶ早い。
聖人に回復が早いなんてないし、なぜだろうか。
「隊長?起きてる?」
ディアークが去ってからしばらくすると、アイリスが入ってきた。彼女は結構な頻度でやってくる。特に来客がいないときはほぼ彼女がいる。
「また来たのかよ」
「隊長暇でしょ?ボクだって暇だし、いいじゃないか」
今は療養中でできることがないので二人とも暇だ。
だが休みだというのに一人の時間がほとんどないのはいかがなものか。
「体の具合はどう?」
「何度も聞かれたな。まあ、だいぶ良くなってきてるよ。痛みもだいぶ引いたしな」
「じゃあ、もう少しで歩けるようになるのかな?」
「一週間もすれば歩けそうだな。その後はリハビリだけどな」
「これだけ回復が早ければ、リハビリもそう時間がかからないんじゃないかな」
何をするにしても暇だな。やることがない。
魔法の修練にしても盾も剣もここにはない。アイリスに没収された。
放っておくと俺が魔法の練習をするからだそう。
もしかして彼女が頻繁に俺のところに来るのは監視が目的か?
「早く歩けるようになってほしいな。そうすればまた買い物に行けるからさ」
「ああ、そういえば荷物は全部無くなったからな。はぁ、大事なものがたくさんあったのにな」
「隊長やたらと大荷物だったからね。装備はわかるけど、他には何を持って行ったのさ」
「着替えとかな。あとはベルとマリナへのお土産の海竜の肉に、東部で買った楽器」
「海竜の肉?ああ、あのとても大きい塊って肉だったんだね。それにしても海竜を食べるつもりだったのかい?」
「ああ、うまいぞ、海竜の肉。竜がつく魔物は例外なくうまいな。二人に食わせてやりたかったな」
東部に苦労して持ってきた大荷物の大部分は海竜の肉だ。
レオエイダンで討ち取った海竜の遺体は、報酬として大部分を俺が貰った。鱗とかはヴェルナーたちに研究材料として預けたが、肉に関してはベルとマリナと食べたかった。
飛竜と地竜を一緒に食った仲だから、あの美味しさを分け合いたかったのに。
そう思っていると、アイリスが頬を膨らました。
「ボクには食べさせてくれないの?」
「嫌がるかと思ったんだよ。ベルとマリナはしょっちゅう食ってるからな。マリナは魔物肉に忌避感なんてなくて、なんでも食べるから喜ぶ。ベルは嫌がるのが面白いぞ。なんだかんだ食うしな」
「前から思っていたけど、隊長って意地が悪いよ」
「人にうまいものを食わそうとする俺のどこが意地悪だ。お前はこの間優しいって言ったろうが」
「前言撤回するね。隊長はやっぱり酷い男だよ」
アイリスが酷いことをいう。
海竜の肉は本当に旨かった。大型の生き物は美味しくないという先入観があったが見事に覆った。
悪魔との戦いで船ごと吹き飛ばしたのは本当にもったいないことをした。
今頃何の苦労もしてない海の下の魚たちがおいしい思いをしてると思うと腹が立つ。食ってやろうか。
他にも東部で買った楽器もいい値段したのに無くしてしまった。
「そういえば楽器って?一緒に買い物したときに買ったんだよね。何を買ったんだい?」
「ヴァイオリン」
「ヴぁいおりん?ああ、あれか。弾けるのかい?」
「いや、全然。これから始めようと思ってな」
東部の音楽で、目を引いたのはヴァイオリンだった。正確には元の世界のものとは違うが、音を出す理屈は同じものだった。名前もヴァイオリンではないが、この楽器を見たときに俺がヴァイオリンヴァイオリン言っていたので伝わった。
他の楽器はこの世界独自のものだったが、これは良く似ていたので弾いてみたいと思ったのだ。
「そうか。じゃあ、ちょっと待っていてね」
「?」
アイリスが部屋を出ていった。しばらく待つと帰ってきたがその手にはヴァイオリンが握られていた。
「はい、これ。貸してあげるよ」
「なんだよ」
「これを使って練習するといいよ。ボクのお古だけど初心者にはちょうどいいと思うよ」
「どうも」
アイリスから受け取ったヴァイオリンは思いのほか軽い。
ヴァイオリンを持つくらいなら、少々の痛みがある程度でちゃんと持てる。
見よう見まねで弦に弓を当てて弾く。
耳を塞ぎたくなる酷い雑音がなった。
「難しいな」
「初めてならそんなものだよ。貸してごらん」
アイリスが俺から受け取った楽器を肩に乗せて弾く。
綺麗な音が響き、短いメロディーを奏でた。
弾き終わったアイリスから楽器を受け取る。
「さすが、うまいな」
「本職にはさすがに及ばないけどね。どう?わかった?」
「いや、何も。持ち方と当て方ぐらいか」
「それだけわかれば最初は十分だよ」
アイリスを見て形を真似する。弓の持ち方も肩への乗せ方も真似してみたが、うまく音が鳴らない。
「弦に当てるときの力が強いかな。もっと軽く、力を抜いて」
力を抜いて、弦を軽くなでるように引くと先ほどよりも聞ける音が響いた。
「その調子。初めてにしてはうまいんじゃないかな」
「どこがだ。まともに音も出ないぞ」
「初めてで音が出るほうがすごいよ。ボクが教えてあげるから、さぁ、やってみよう」
この日から、リハビリを兼ねたアイリスとの音楽レッスンが始まった。
次回、「後の祭り」