第十八話 優しい人
「まさか、こんな情けない姿でとんぼ返りすることになるなんてな……」
「仕方ないじゃないか。あのままユベールに向かっても何もできないままだったよ」
俺の呟きにすぐそばにいたアイリスが答えた。
俺は今、東部の港町エアファルトのルチナベルタ家にあるベッドの上で寝たきりになっている。
理由はもちろん、全身の筋肉が断裂しているからだ。通常であれば全治に数か月程かかる。
他にも骨折や裂傷、熱傷、打撲、etc。どれも酷い怪我だ。
まあ、手術をしなければならないほどではなくて本当に良かった。
そんなことになれば、戦えない体になってしまうところだ。
この世界には当然、大掛かりな手術なんてものはできない。戦争が多い世界だから、それなりの手術はできるかもしれないが、成功率も行える手術のレベルも元の世界とは比較にならない。
一歩間違えれば四肢を切断しなければならないなんてことはザラだ。
ただし、加護による治療があるから、絶対に治らないということもない。
時に加護は理屈を超える。不治の病や致命傷に至る怪我が加護により治るといった事例もあるらしい。
わかりやすいのがマリナだ。彼女の加護は本当にすごくて、骨折なんて重症もすぐに治してしまう。
もしこの場にマリナがいれば、俺のケガもすぐに治ったかもしれない。まあいないものは仕方ない。今から呼ぼうにも一か月近くかかってしまう。
それにマリナはいないけど、東部には教会がある。
教会には治癒系の加護をもつ神官がいて、重症を負った者に時折加護を使って治療をしてくれるらしい。
ただ加護なんて意識的に使えるものではない。神官たちは治療ができる加護を持つが不特定多数の人に使えるという緩い条件の加護だ。たいした効果はないらしい。
それでも普通の治療よりずっと効果がある。聞いた話では完治までだいぶ短縮できるらしい。
ま、どうせ後始末もしなきゃならない。焦る必要はないか。
「はい、隊長。果実を剥いたよ。口を開けて」
ベッドで横たわっている俺の横に座ったアイリスが、切り分けた果物を口元に持ってくる。
「いいよ、自分で食う」
「何を言っているんだよ。そんな腕じゃこぼしてしまうよ。ほら、仮面の口を開けて」
「魔法使えば大丈夫だよ」
「それこそ何を言っているんだよ。魔法を使ってボロボロになったんでしょう?使っちゃだめだよ」
「違う魔法だから大丈夫だよ。修練にもなる」
「だーめ。魔法はしばらく禁止。絶対安静だって、医者も言っていたからね」
俺の容体を気にしてくれるのはわかるが、正直、有難迷惑だ。
だけど断れば面倒なことになるために大人しく口を開けて食べる。
「どう?おいしい?」
「まあまあ」
「それはよかった。これはパムの実っていって、怪我の回復に効果があるんだってさ。ユベールの特産らしいよ」
「それはまた高いんじゃないのか」
「お父さんはいいって言っているし、気にしなくていいよ」
「あの親父さんが随分と心配してくれるもんだ。出発する前と態度が違いすぎて怖かったよ」
「それだけ心配してくれたんだよ。まあ、確かにあんなに取り乱すとは思ってもみなかったけど」
思い出すのはエアファルトに無事に帰還したときのこと。
どうやら東部の大将であるコードフリードは出港する際に、悪魔を討伐すると触れ回っていたようだ。
危険な魔物程度にしか思っていなかったライノアは、高位の悪魔だったと聞いて大層気に病んだそうだ。
するとその翌日に、帰ってくるはずのない自分たちの護衛艦が一隻だけ帰ってきた。
なにかあったのかと、娘は無事かと文字通り死ぬほど心配したらしい。
アイリスと俺は軍人ということで一番最後に降りたのだが、それもまたライノアの心配を大きくさせた。多くの乗組員は降りてくるのに自分の娘は降りてこないから、それはもう気が気じゃなかったんだろう。
「アイリス!!無事か!?」
「よかった!本当に良かった!!」
アイリスの肩を借りて船から降りたときは、母親であるイリアスともどもアイリスに駆け寄り抱き着いた。
その勢いが強くて、思わずアイリスが俺を抱える手を放した。
「あぎゃあ!」
「あ、ちょっ!お父さん、お母さん!」
俺は地面に倒れて全身を襲う痛みにもがき苦しんだ。
が、2人はそんなことはお構いなしだった。
両親はそのまましばらく抱きしめたままだったが、アイリスがなんとか二人を落ち着かせて、事情を説明した。
すべての説明を聞いた後、ライノアはアイリスを再度抱きしめたと思ったら、今度は俺に抱き着いてきた。
「ありがとう、ありがとう!君は、私たちの恩人だ!娘を護ってくれて本当にありがとう!」
「決してこのご恩はわすれません!ありがとう!」
「うがががががっ」
2人が倒れている俺に容赦なく抱き起して礼を言う。
だが残念ながら俺にはその礼を受け止める余裕がなかった。
全身を襲う痛みにそれどころではなかったから。まじ意識が飛びそうだった。
アイリスが引きはがして再び運ぶが、その間もずっとライノアは俺の手を握って感謝の言葉を吐き出し続けた。
本当に出発する前と違いすぎて、不気味に思ったほどだ。
今、アイリスから食わせてもらうことを拒否しないのもそれが理由だ。俺が食わないと、ライノアが心配して大勢の医者を呼ぶ。
アイリスですら、過剰なほどに俺にかまい心配する父親に若干引いたようだった。
いや、お前は自分の父親だろう。
まあでも、自分の娘が無事に帰ってきたんだ。過剰かもしれないが当然か。いや、大勢の医者を呼ぶのはおかしいか。
ライノアを始めとしたルチナベルタ家一同は、今回の事件を起こした東部軍を徹底的に糾弾するとのことで、今はとても忙しくしている。
全ての事情を聴いた後に、彼らは顔を真っ赤にしてとても口にはできないような、文化的な東部民とは思えないほどの呪詛を吐き出しながら家を飛び出していった。
というわけで、今のところ俺の面倒はアイリスが見ることになったそうだ。彼女も怪我をしたが、左肩だけだし、幸いにも大きい筋肉だったから、加護を使った治療を受けてすぐに治ったそうだ。
つまり寝たきりなのは俺だけ。
クソが、誰か一人でもいいからケガしろや。
ため息を吐く。
「ああ、しばらくはこの生活か。勘弁してほしいな」
「仕方ないじゃないか。隊長がこんなに無茶するからだよ」
「しなきゃ生き残れなかったよ。まあ、新しい魔法の試験にもなった。悪いことだけじゃないさ」
「というか、いったいどんな魔法なんだよ。全身の筋肉を痛めつける魔法なんて、いったいどこで使うんだよ」
身体がこんな状態になったのは、身体強化の魔法《伏雷》のせいだ。
その正体は電気を利用した魔法だ。
人間の身体には電気が流れている。脳にも流れているし、全身の筋肉にも流れている。筋肉を動かしているのは電気だ。死んだカエルの足に電極を差すとピクピク震えるというあれだ。
この生体電気だが、当然流れる量は決まっている。筋肉が破損しないように脳が制御しているからだ。
そして俺が使った魔法はこの制御を外すこと。外側から自分の身体に電気を流して筋肉を動かすことで、通常では得られないような力を発揮することができる。
もちろんその反動で筋肉は傷つき、こうしてベッドで寝たきりになっている。
代償は大きかったが、その分今回の戦いで得たものも大きかった。この魔法がどれほど強力か理解できた。
少なくとも同程度の実力を持っていたトーマンを圧倒できるほどには。
「なるほど、身体強化か。それがあればボクでもコードフリード大将と戦えたかな?」
「さあな。ただ体を強くするだけじゃ勝てないと思うぞ。俺でも勝ちきれなかった」
「そっかー、やっぱり近道なんてないんだね」
アイリスは今回の一件でより強くなりたいと願うようになったみたいだ。すでに一般的な兵士よりはかなり強いと思うが、世界は広いと知ったらしい。
「隊長、身体が治ったらまた鍛錬に付き合ってくれる?」
「治ったらな。時間があればいくらでも付き合ってやるよ。コードフリードを倒したほどだから、もう教えることは無いと思うがな」
「あれはたまたまだから!ボクもまさか、できるとは思っていなかったよ」
「ははっ……ッテテ」
笑うとまた痛みが走る。痛みが走るとアイリスが腰を浮かして心配しだしたので、大丈夫と伝える。
しかし、コードフリードの一撃を防いだアイリスの技は本当に見事なものだった。彼女なら俺以上に強くなるかもしれない。
魔法も試せて、アイリスももっと強くなれることが分かった。何より生き残れたんだ。十分だろう。
「ねぇ、隊長」
「ん?」
「どうして仮面外さないの?傷があるとかじゃないんでしょう?」
アイリスが俺の仮面について聞いてくる。
今は二人だけだ。
この際だし、聞きたいことを全部聞く気なんだろう。彼女には世界を渡るという目的を知られた。気になるのだろうし、俺も彼女に口止めをしなければならない。
「顔は見せない。この世界の人間と、俺は必要以上に関わらない。顔も名前も明かさない」
「え、名前?もしかして名前も違うの?」
「ああ、これは誰にも言ってない。お前にだけだ。だから絶対に喋るなよ」
「わかったよ。じゃあ、本名を教えてくれる?」
「嫌だよ。顔と同じで明かさない」
「ケチ、誰にも喋らないよ」
「仲良くしないと言っただろ。いずれ、この世界とは別れるんだ。俺を覚える必要はない。必要以上に忠義を尽くす必要もない。嫌なら他の部隊にでもいくんだな」
俺はこの世界が嫌いだ、この世界の人間が嫌いだ。
危険な悪魔は蔓延り、命を狙われるのは日常茶飯事で、味方を守らなければいけないなんて重圧もある。
信頼のあるはずだった将軍が人を暗殺しようとしたり、国家単位で異世界から人を拉致誘拐したりするようなことがある世界だ。
こんな世界に俺はいたくない。
いずれいなくなるなら、俺のことなどみんな知るべきじゃない。実際には無理だから、極力必要以上に関わらない、心も開かない。
そういうとアイリスがうつむいて小声で、
「……そんな寂しいこと言わないでよ」
「アイリス?」
何かをつぶやいた。
顔を上げ、そして――
「寂しいことを言わないでよ!私たちはみんな隊長に命を預けるつもりで戦っているんだよ!?それなのに隊長は私たちのことを信じてくれないの!?」
唐突に出された大声。
アイリスが叫ぶように放った言葉に、なぜか俺は脳天をぶたれたかのような錯覚に陥った。
全員が俺に命を預けるつもりだなんて考えていなかった。
単純に部下だから、守らなければと考えていた。
彼らが俺にどんな気持ちでついてきているのか、考えたことがなかった。
いや、考えていたが彼らにとってはただの仕事、軍人の務め程度だと。
そしてそれは間違っていないはずだ。
「俺は俺の目的のために軍に入った。お前たちだってそうだろ。軍の隊長と隊員なんてただの上司と部下だ。必要以上に仲良くする必要なんてない。ただそれぞれの仕事をすればいい」
「そんなわけないじゃないか。軍人は命を懸ける仕事だよ。だからこそ、お互いに心から信頼し合わないと、お互いのために戦えない。いざというときに戦えないんだよ」
アイリスの言葉はご立派だ。
たしかにそうかもしれない。でも俺には関係ない。
心の底から信頼?そんなことは土台無理な話だ。
俺は東部軍を信頼とは言わずとも信用したつもりだった。でも裏切られた。
この世界に来て、まともに人を信じられたことなんてない。
「俺は俺の目的のために戦う。お前たちにそれを強要するつもりはない。グラノリュースに侵攻するときもお前たちが戦わなくたって構わない」
「一人で戦うってことかい?そんなことできるわけないじゃないか。一国を相手に個人が戦いを挑むなんて」
「元の世界に帰るにはそうするしかない。できるできないじゃない、やるんだよ。覚悟はある、俺は戦う。もとより俺が始めた戦いだ」
「……そんなことをしても死ぬだけじゃないか。隊長の目的を果たすためにも、みんなの力が必要だよ」
「みんなの力、それを得るために裏切られる危険を抱えたくない。俺はお前らを信頼なんてしない。お前らも俺を信頼する必要はない。協力してくれるなら歓迎だが、必要以上に踏み込むな」
紛れもなく本心だ。俺は誰かについてきてほしいなんて思わない。
信頼してほしいともしたいとも思わない。
アイリスを横目でちらりと見る。
きっと怒っているだろう。もしかしたら、部隊を抜けようとするかもしれないな。
それでいい。
そう思った。
――だがアイリスの顔はとても穏やかなものだった。
一瞬あきれられたのか、それとも見限ったのかと思った。
でも違った。
「隊長は、優しいね。何よりも隊員のことを想っているんだね」
耳を疑った。
「何を言ってんだよ。嫌いだから仲良くしないって言ってるんだ」
「でもそれはボクたちを巻き込まないためでしょう?ボクたちと仲良くなって、元の世界に帰るときに辛くないようにしたいんでしょう」
「……!」
その言葉に、まるで心臓を鷲掴みにされたかのように背筋が凍る。
なぜかはわからない。
「隊長は誰よりも優しい人。誰よりも仲間思いの人」
だけど、アイリスの放つ言葉の一つ一つが、
「だから失うのが怖いんでしょう?仲間と別れるのがつらいんでしょう?」
俺の脳を、
「だから、一人で戦おうとするんでしょう?」
直接揺らす。
なんでこんなに心にくる?
図星だから?
そんなわけない。
アイリスの言葉は絶対に違う。
「優しい?仲間思い?そんなわけない。俺はこの世界が嫌いだ、この世界の人間が嫌いだ。理由がなければ守ろうとなんてしない」
「説得力がないよ。昨日はずっとみんなを守ろうとした。結果、こうしてベッドの上で悶えている。そんな人が優しくないわけがない。グラノリュースに行く時、一人でも戦うといったのは、仲間を自分のために失いたくないから」
ぎりりと歯を食いしばる。痛みも忘れて拳を握る。
「随分とわかったような口を利くな。お前に何がわかる。この世界の人間を信頼できないだけだ」
「わかることはたくさんある。本当にこの世界の人間が嫌いなら、どうしてお父さんとの約束を守ったの?ボクたちの被害を無視すれば、隊長なら一人で悪魔から逃げることも倒すこともできたはずだ。もっと安全に東部軍を殲滅することだってできたはずだ。でも隊長はそうしなかった。ボクを最後まで守ってくれた」
「……」
言葉に詰まる。
まるで口の中に苦いものを放り込まれたような気分だった。
アイリスの言葉を、
「隊長、矛盾を抱えるのは人として当然だ。だけど、それを否定しないで欲しい。あなたは優しい人、どんなに自分に嘘をついても、心までは――」
「うるさい!!」
ぶっちぎる。
自分でもおどろくほどの声量だった。だけどこれ以上は本当に聞きたくない。
俺はこの世界が嫌いだ、この世界の人間が嫌いだ。
これは絶対に曲げないし、曲げる気もない。変わることなんてありえない。
「お前が俺をどう思おうが好きにすればいい。だけど俺は俺だ。お前の勝手な妄想を俺に押し付けるな」
「隊長……」
「俺はお前が嫌いだ。助けたのはただの義理だ」
突き放すように言葉を紡ぐ。
これだけ言えば、アイリスも必要以上に仲良くしようなんて思わないだろう。今回の件で彼女とも、そしてその家族とも随分と親密になってしまった。
もっと距離を置きたい。
だけど、
「ならボクは隊長の信頼を得られるようにこれから頑張るよ」
ダメだった。
これだけ言っても、アイリスは未だに穏やかな表情で馬鹿みたいなことを言うだけだった。
……なんだか、俺も馬鹿らしくなってしまった。
この頑固者のお嬢様は、何を言っても変わる気はないらしい。
ため息を吐く。
「変わり者だな。この話を聞いてよくもそんなことが思えるもんだ」
「だって隊長はわかりやすいよ。今だってずっと誤魔化しているし、仮面をして正解かもね。きっと面白い顔をしているよ」
「ならなおさら外せないな。絶対に顔は見せない」
「おっと、失言だったな。鉄仮面みたいな表情をしているよ」
「鉄仮面をしているからな」
苦笑する。
そういえば、船の上、コードフリードが言っていたな。
アイリスの中身がむかついて仕方ないと、この世界の辛さを何も知らないくせに頑張ろうというタイプだって。
少しだけわかる気がする。
俺の感じた痛みを知らないくせに、俺のことを知ったように口を利くのは癪に障る。
……でも、これだけ俺に厳しいことを言われても変わらないのは、彼女が強いからだろう。
それを否定することはできなかった。
皮肉だな。
あのときコードフリードに言った言葉が、生き残った俺に返ってくるなんて。
とにかく、この話は終わりだ。
憂鬱になるような今後のことを考えたい。
だがアイリスはまだ少し続けるようだ。
「隊長、ボクはちゃんとついていくよ。最後まで一緒に行くよ。お父さんも言っていたけど、隊長は命の恩人だ。この命、隊長のために使うよ」
「プロポーズかよ。また物騒な告白があったもんだ」
「ふふっ、そうかもしれないね。どう?ボクのプロポーズは受けてくれるかな?」
この世界の人間は、どうしてこうも死にたくなるような恥ずかしいセリフを臆面もなく言えるのだろうか。
聞いているこっちが恥ずかしくなって仕方ない。
アイリスに背中を向けるように寝返りを打つ。
「悪いがお断りだ。今回の件だって元を正せば、俺がユベールに向かうといったことが発端だ。お前たちを危険にさらしたのは俺なんだから、恩に感じる必要はない。そんなマッチポンプを誇る気はないね」
「ほら、優しいじゃないか。恩を感じさせないためとは言っても限度があるよ」
「事実だろうが。もういい、寝る。とっとと出てけ」
「わかったよ、もう。何かあったらコールを鳴らしてね」
アイリスが出ていったのを確認してから、目を閉じる。
ただ体中が痛くて、寝着くことができなかった。
……胸のあたりが一番痛いのは、きっと気のせいだ。
次回、「陰謀の裏」