第十六話 希望の花が咲くときに
身体強化魔法《伏雷》。
通常よりはるかに優れた身体能力を発揮させるこの魔法によって、トーマンは圧倒できた。
奴を追って隣の護衛艦に飛び移る。
全身の筋肉が悲鳴を上げる。筋繊維が切れていく感覚がある。
だがそんなことは気にならなかった。
それほどまでに、今目に映る光景に胸が焼けそうなほどに、怒りがこみあげてきた。
「殺してやるぞ、クソ野郎」
視界全部が真っ赤に染まりそうなほどに、煮えたぎる熱が体を動かす。
俺が隣の護衛艦から吹っ飛ばしたトーマンは、意識を失って甲板の端に倒れていた。
蹴った際の感触から鎧はへこみ、骨と内臓が傷ついたはずだ。しばらくは起き上がれない。
しかし、それはアイリスも同様だ。彼女は今、コードフリードに顔を踏まれて、腕からは大量の血が流れている。
今まさに剣を首に振り下ろそうとしたところだったが、トーマンが吹っ飛んできたために思わず止めたようだ。
「東部の大将。ようやく会えたな」
無理やり笑みを浮かべると、コードフリードも変わらず不細工な笑顔をその整った顔に張り付ける。
「口の利き方も知らない小僧が、僕に会いたいなんておこがましいよ」
「身の程をわきまえない小物に払う敬意はない。俺とやり合おうなんておこがましいぞ」
俺が一歩踏み出すと、コードフリードは足元のアイリスの首を掴みあげ、盾にするように持つ。
「動くなよ。この女が死ぬぞ」
「うぐっ」
彼女の首に剣を当て、脅迫をする。
アイリスが苦痛にうめく。
「人質がいないと戦えないのか、小物も極まったな」
「なんとでもいうがいいさ。勝つのは僕だ。聖人にもなり切れていない若輩者がこの僕とまともに戦えるなんて思っているのか?」
「あいにくと俺に人質なんて意味がない」
「そうか。無駄ならさっさとこの女を殺そう」
コードフリードが剣をアイリスに突き刺そうとした瞬間に、俺は奴の剣に磁力を発生させて、動きを阻害する。
「何!?」
コードフリードの剣がアイリスから離れた瞬間に、一気に距離を詰めて奴の顔面に拳を叩き込む。
コードフリードが後方に吹き飛び、奴の手から逃れたアイリスが崩れ落ちる。
倒れるアイリスの身体を支え、容体を確認する。
「無事か?」
「げほっ!ごほっ!……なんとかね。ごめんなさい。隊長」
「大丈夫、よく持ちこたえたな。あとは俺に任せろ」
アイリスは何とか立てるようだ。脳震盪を起こしているようでかなりフラフラしているが、命に別状はなさそうだ。
ただ腕からの出血がひどい。この状態では戦いにはもう参加できそうにない。まあそれはいい。
どのみちあいつの相手は俺しかできない。
だがそれでもやはり状況は良くない。彼女にもまだ頼みたいことがある。
「アイリス、船から俺の武器を持ってこい。船長に聞けばわかるはずだ」
「わかったよ。取ってくるね」
「無理するな。できないならそれでもいい」
アイリスがよろよろと歩き去っていくのを見送ったところで、コードフリードが悠然と姿を現した。
「見せつけてくれるじゃないか。そんなにあの女が大事かい?」
「女だから守るんじゃない。部下だから守るんだ」
先ほど思いっきり殴りつけたが、さほどダメージはなさそうだ。殴られた瞬間に自分で後ろに跳んでいた。あまり手ごたえもなかった。
小物ではあるが実力は本物か。腐っても四方の一つを統べる大将というわけだ。
コードフリードは去っていくアイリスを追おうともせず、黙って見送った。その顔には変わらず気色の悪い笑顔を浮かべたまま。
「部下だから?理解できないね。あの女は見た目はともかく、中身がむかついて仕方がないよ。この世界のつらさを何も知らないくせに頑張ろうとか言うタイプだよ」
「だからなんだ。そんなもんは上の奴らが教えてやればいい。教えてなお変わらないなら、それはあいつが強いからだ」
「まさか、箱入りで甘やかされた人間がそんな強いわけがない。軍人になりたいなんて聞いたときは笑ってしまったよ。まあ、おかげでこんな機会を得られた。感謝しないといけないね」
「こんな機会だと?彼女を利用したのか」
「はは!でないとわざわざ君の部隊への転属を許可するわけないだろう!ましてや招待状なんて!」
随分と手の込んだことをする。そんなことするくらいなら正攻法で東部を治めたほうがいいだろうに。つくづく小物だな。
「まあいい、お前ごと、その企み全て壊してやろう」
「できるものならやってみなよ。本物の聖人とはなにか、教えてあげるよ」
*
ウィリアムとクローヴィス・ディア・コードフリードの戦いは激しさを増していた。
戦いは当初は互角の様相を呈していたが、徐々に形勢が傾く。
優位に立ったのはコードフリードだった。
「どうした!威勢がいいのは最初だけか!?」
「ほざけ、クソ野郎!」
聖人として完成していないウィリアムと完成しているコードフリードでは膂力に差があった。
ウィリアムは魔法を使おうにも、今使っている身体強化の魔法は完成していない。一歩間違えば非常に危険なために他の魔法を使うことはできない。
さらに言えばトーマンと同様にコードフリードも電撃魔法の対策をしている。爆発も聖人が相手ではよほど強力にしなければ決定打にはならない。
聖人との差を魔法で補っているがそれも限界が近づいていた。
体中の筋繊維が切れ、動きが徐々に悪くなる。
なにより、勝負を決めきれないのはウィリアム自身がこの状態をうまく活かすことができないでいたからである。
身体を強化し、速くなった戦闘に慣れていないのだ。無駄な動きが多く、攻め切れない。
そしてついに限界を迎えた。
「うぐ!」
コードフリードとは少し離れた位置で、ウィリアムは声をあげ、膝をつく。
すでに体の内部はボロボロで立つこともできないほどだった。魔法で無理やり動かしていたが、それすらもできない。
その様子をみたコードフリードは指をさし、声を上げて嗤う。
「ははは!僕は何もしていないよ!たいしたものだと思っていたけど、なんだ。自爆するようなものだったんだね!これはお笑いだ!」
高笑いするコードフリードに対して、ウィリアムは何も言い返せなかった。身体が思うように動かず、全身に走る痛みにそんな余裕がなかった。
それでも意地を張って、全身から流れる汗をそのままにウィリアムは言った。
「つくづく狭量な奴だ。必死に戦う人を笑うなんてな」
「それは笑うさ。滑稽極まりないからね。あれだけ大口をたたいておきながら、見せてきたのは自爆するだけの一発芸さ。とんだ道化だよ」
コードフリードは歩いてウィリアムのもとに近付いていく。
ウィリアムは立ち上がる。
しかしその膝は笑い、剣を持つ手は震えていた。
コードフリードは嘲笑を浮かべながら、震えるウィリアムの剣をあっさりと弾き、ウィリアムの腹を蹴とばした。
「――ハ、ァッ!?」
防ぐこともできず、蹴られたウィリアムはうめき声をあげながら数メートル転がる。今の蹴りだけでも彼の身体の残った筋肉が切れていく。
もはや満足に立つこともできなくなったウィリアムのもとに、ゆっくりと剣を振り回しながらコードフリードが迫る。
そのときに、
「隊長!」
アイリスが数人の船員を連れて戻ってきた。
「がはっ、来るな!」
「でも隊長!このままじゃ!」
ウィリアムとコードフリードの間にアイリスが立ちふさがる。
彼女の左腕の傷は手当てがしてあり、血は止まっていた。
彼女と共に来た船員たちはそれぞれが武器を持っていた。
「旦那!持ってきた!大丈夫かよ!」
そしてやってきた船員の一人、ウィリアムが乗っていた護衛艦の船長の手には、ウィリアムの武器が一式揃っていた。
「大丈夫じゃねぇよ。これは置いてお前らは退避しろ」
「俺たちも戦うぞ!これでも護衛艦の船長だ!戦わせてばかりでいられるか!帰ったら御当主に怒られる!」
「馬鹿め」
船長を始めとした数人の船員がウィリアムを守るように囲み立つ。その先頭でアイリスが剣をコードフリードに向けていた。
コードフリードはその様子を笑ってみているだけだった。
この場にいる全員を相手にしても勝てると、確信しているようだった。
ウィリアムはコードフリードが余裕ぶっている間に、船員たちが持ってきた装備を手に取る。身体は動かないが魔法ならまだ使えると。
直接的な攻撃魔法は船員たちもいる上に、魔法対策をしているコードフリード相手には使えない。
だが盾を浮かすくらいならまだできる。
準備をしている間にコードフリードはアイリスたちに一歩ずつ歩み寄る。
「弱兵がいくら集まっても無駄さ。僕には勝てないよ」
「ボクたちは勝つために戦っているんじゃない。生きるために戦っているんだ!最後まで、諦めない!」
言葉と共にアイリスが右手に持った剣で斬りかかり、彼女に合わせて船員たちも一斉に斬りかかる。
しかし、コードフリードの前では鎧袖一触も同然だった。
船員たちのつたない剣技とは真逆、目にも止まらないほどの幾筋もの剣閃が次々と船員たちの体を通っていく。
それだけで、次々と船員たちが倒れていく。
幸いにも、ウィリアムが盾を飛ばしてコードフリードから彼らを守ったことで、絶命には至っていなかった。
しかして致命傷を防ぐことで精いっぱいで、完璧に守ることは到底できない。
血しぶきが舞い、骨が砕ける音が鳴る。
大の大人が喚く声がしばらくなり続ける。
そして、ついにやってきた船員すべてが地に伏した。
大勢が倒れる中、1人悠然と血が垂れる剣を持ってたたずむのは、変わらぬ笑顔を張り付けたコードフリードだ。
「邪魔な盾だね、まあ関係ないな。さて残るは君一人だ。いい加減この後処理も終わりにしたいな」
最後に残ったのはアイリスだった。
しかし彼女も傷つき膝をつく。
実力差は圧倒的だった。
類まれな剣の腕を持ち、聖人として長年鍛えた優れた膂力を持つコードフリードに対して、ただの人であるアイリスでは勝ち目はない。
それでもなお、懸命に立ち上がろうとしていた。
どんなに傷ついても、決して折れることなく、目の前の敵を睨みつける。
「まだ負けてない!」
「いや、終わりだよ。じゃあね、麗しいお嬢様」
膝をついているアイリス目掛けて、コードフリードは剣を大上段から振り下ろす。
ウィリアムも盾を動かして守ろうとするが、コードフリードの剣は盾も追いつけないほどの速さ。
ウィリアムは最悪の事態を防ごうと、体を動かそうと必死にもがく。
《伏雷》を使って強引に体を動かす。
だが、それでも体はいうことをきいてくれなかった。
アイリスが死ぬ光景を想像したウィリアム。
剣が振り下ろされる、その瞬間に――
彼は絶技を見た。
大上段から振り下ろされたコードフリードの剣に、アイリスの剣は斜めにぶつかり、相手の剣が振り下ろされるのに合わせ、角度を変え、位置を変え、迫りくる剣をほんのわずか、彼女の体の表面すれすれに逸らした。
それは悪魔と戦う前に、ウィリアムが彼女に教えた技。
強い力を持つ相手と戦うための、ウィリアムの技。
最小限の動きと力でコードフリードの剣を防いだアイリスは即座に立ち上がり、剣をコードフリードに突き刺した。
「ズェアアアア!」
「だッ、なに!!?」
土壇場で変わった予想外のアイリスの剣に対応できず、彼女の剣がコードフリードの腹部に深々と突き刺さる。
だが相手は聖人であり、頑強さは常人離れしているために、ただ腹を刺された程度では死なないし、倒せない。
腹に突き刺さった剣を握るアイリスの腕をコードフリードは握りしめ、
「とったァ!!!」
アイリスに対して再度剣を振り下ろす。
自らの腹から吹き出した血によって、赤く染まったアイリスの首に刃が落ちる。
とった。
コードフリードは確信した。振り下ろしたその剣筋に――
ウィリアムの盾が間に合った。
アイリスとコードフリードのわずかな間に猛烈な勢いで迫ってきた盾が割り込み、剣と盾が激しくぶつかる。
甲高い耳障りな音が鳴り響き、火花が散る。
2人の顔を明るく照らす。
それでもコードフリードは歴戦の勇士、すぐに斬り返し、盾の合間をぬって剣をアイリスに振り下ろそうとしたその時に、
「この――がぁ!?」
もう一つの盾がコードフリードの顔面に突っ込んだ。
コードフリードの顔から鮮血が舞い、思わずアイリスの腕から手を離す。
しかしそれでもまだコードフリードは倒れない。
アイリスを射殺さんばかりに睨みつけ、剣を振るう。
アイリスは腹部に突き刺した剣を抜き、右手一本で再び斬りかかる。
「負けるかぁぁぁぁ!」
「この三下がァァァア!」
互いの血を撒き散らしながら、金属がぶつかり合い、火花が散る。
この機を逃すとチャンスはもうないと、防御はかなぐり捨て必死に攻める。
いや、防御は完全にウィリアムに任せていた。
アイリスは怪我をして動かないはずの左腕も使い、コードフリードに渾身の突きを放ち――
「これでぇぇぇ!!!」
ついに、アイリスがコードフリードの心臓に剣を突き立てる。
コードフリードは口から血の泡を吹きながらも、必死にアイリスに手を伸ばす。
「ご、ごのぼ、くが」
「負けない!帰りを待つ人のために!ボクたちは負けられないんだ!」
最後にコードフリードが、血を吐き出しながらも耳をつんざくほどの大声で、
「!う、うてぇぇぇ!この船を沈めろぉ!」
叫ぶ。
その言葉を最後にアイリスに伸ばした手がだらりと落ちる。
コードフリードは事切れた。
次回、「星が落ち、陽が昇る」