第十三話 東に落ちる闇
悪魔との戦いが終わったのは、夕日が沈みきった時である。
わずかに太陽の光が顔を出し、赤い光が水平線に沿って鈍く輝いていた。しかし、水平線よりほんの少し高い空と低い海はすでに暗く、夜の世界になっていた。
そして護衛艦に乗り込んで、一休みすると完全に夜になっていた。
あたりには月明りの他、キラキラと輝く星々が世界を照らす。
星の光は海に反射して煌めき、まるで船が宙に浮いているかのような幻想的な景色。
日が長い夏、真っ暗になってから時間が経った今はもう遅い時間である。
至って穏やかな時間。誰もがこのまま何事もなく東部に付けるだろうと思っていた、その時だった。
事態がさらに大きく、加速していったのは。
船員の一人が、ウィリアムが休んでいる部屋にやってきて、報告をする。
「ウィリアムさん。軍艦です。5隻ほどがこちらに向かってきています」
ウィリアムは傷む体に鞭打って、横になっていた体を起こした。
「どの部隊かわかるか?」
「東部の紋章があるので、味方だとは思います。ただこの暗さでは、どの部隊か判別はできかねます」
「そうか、なら警戒しろ。戦えないものは安全な場所に避難させろ」
「どうしてです?軍は敵ではないでしょう?」
ウィリアムは軍服に着替え、部屋を出ながら、船員に説明をする。
「軍は怪しい。俺たちを騙して、悪魔のいる海域に連れ出した。戦っている最中も遠巻きに見ていたにもかかわらず、何もしてこない」
「まさか、軍が私たちを始末しようとしていると?」
「そうかもしれないな。理由はわからないから確証はない」
確証はないがウィリアムには確信はあった。軍は何かやろうとしている。そしてそれは自分たちにとって決して良くないことだと理解していた。
実際にウィリアムたちと悪魔の戦いが始まったとき、遠目に軍の船が近辺に存在した。
それに悪魔のいる海域に着く前、何度もすれ違っていた。あそこに悪魔がいるとわかっていたなら、止めるか、勧告ぐらいはするはずであると。
だが何もしなかった。
それどころか今になってこの海域から逃げるようだった軍艦が、目の前に雁首揃えていることは異常である。
「もしかすれば、奴らはもともと俺たちを嵌めるつもりだった。悪魔に俺をぶつけて東部軍に何の被害もなく戦果をあげたかったのかもな」
「そんな、一歩間違えば私たちは……」
「間違いなく死んでいただろうな。どうしてこんなことをしたのか理由はわからない。被害なく悪魔の討伐をする方法なんてほかにいくらでもある。なのになんの相談もなく、だまして俺をこの海域に向かわせた。そこにまともな理由なんかない」
船員を引き連れ、急いで船のブリッジに向かう。
護衛艦の船長は、悪魔を倒した立役者で軍人として訓練を受けているウィリアムがブリッジ内に入ることを許していた。入ってきたウィリアムに船長が状況を説明する。
「旦那、軍の動きが変だ。俺たち二隻を囲むように、側面を向けてきやがる」
「一つ大きな船があるな。あれは?」
軍艦五隻が護衛艦二隻の進行方向を塞ぐように、半円に配置されていた。しかも大砲が存在する船の側面をウィリアムたちに向けている。ただ一つだけ、五隻の中心、正面に位置している一際立派な船だけは、ウィリアムたちに船首を向けている。
「あれは……フォルテストラ!?東部軍大将、コードフリードの乗る旗艦ですよ!」
望遠鏡を覗き込んでいた船員の1人が驚きの声を上げる。
「大将のお出ましか。手間が省けて助かるな」
大将が出てきたなら話は早いと、ウィリアムは直接、問いただすために船長に相手と連絡を取るように伝えた。
――その時、大きな爆発音とともに船のすぐ近くから、いくつもの水柱が立ち上がった。
同時に船が大きく揺れる。
船内の人間が全員、近くのものに捕まり、何とか倒れるのをこらえる。
船長がすぐに態勢を立て直して周囲を確認すると、目を見開き、信じられないとばかりに大声で叫んだ。
「旦那!あいつら、打って来やがった!」
断続的に大砲の音が鳴り、水柱が立ち上がり、船が揺れる。
ウィリアムは怒りを隠そうともせず、怒鳴る。
「ふざけてんのか!話もせずに沈める気か!」
ここにきてウィリアムは自分の考えが甘かったことに気づく。
そもそも東部の大将が自分を本気で殺しに来ているのだと、ようやく理解した。
だがウィリアムにはその理由がわからなかった。今回、悪魔のいる海域に向かわせたのは悪魔を自分に押し付けるためだと考えていたからだ。
コードフリードは正面から頼み込んでも断られると考えたから、だまし討ちのようなことをしたと考えていたが違った。
彼は最初から、悪魔を使ってウィリアムを殺そうとしたのだ。
「旦那!このままじゃ沈んじまう!」
「船一隻なら砲弾は防げる!乗組員をどちらかに避難させろ!」
ウィリアムの魔法があれば、船一隻を砲弾から守ることは可能だった。ただ二隻となると難しい。
どちらかに乗組員を集中させれば、被害を減らせる。
混乱はしやすくなるかもしれないが、このままではどちらかの船が沈む。
船長がアイリスの乗る船に汽笛と光源で指示を伝達する。
すると徐々に二隻が近づき、間に橋がかけられる。
ウィリアムはその間、ブリッジから出て砲弾から船を守っていた。二つの船をつなぐ橋には急いで人が渡っているため、重点的に守りを固める。
「クソ、魔力が心許ない。なんとかしないと持たないぞ」
ウィリアムは必死に魔法で大砲の球を船から逸らす。この世界の大砲は金属でできている。丈夫な鉄でできているため、ウィリアムは磁力を発生させたり、爆発や風、水を使って逸らしていた。
完全に勢いを殺すことはできず、ギリギリ逸らす程度しかできない。
それもまだ二隻とも人がいるために、非常に高範囲を一人で守っている。
彼の体中を嫌な汗が伝う。
「隊長!」
「アイリス!移動はまだか!?」
「もう少し!もう数分だけ!」
もう一つの船にはまだアイリスを含め何人かがいた。ウィリアムはそれを確認して、視線を周囲の船に向ける。
しかし、攻撃が始まったときから、敵の陣形が変化していた。
「旗艦はどこだ?」
もうすでに日は沈んだために暗くて、とても船が見えづらい。
大砲が火を噴く明りだけが海を照らしていた。
そのためにウィリアムは気づかなかった。
旗艦フォルテストラがすぐそこに迫っていることを――
「近い!?」
ウィリアムが旗艦に気づいたときには、フォルテストラは、ちょうど彼の乗る護衛艦と挟むような形で、アイリスの船に横ばいについていた。
フォルテストラは非常に巨大である。
護衛艦が魚だとすれば、フォルテストラはまるでクジラ。
超至近距離で大砲を撃つつもりかと、ウィリアムは考えた。
しかし、旗艦が近づいた段階で他の船から鳴る大砲の音が止んでいる。
「何が狙いだ?」
誰に向けたものでもなくつぶやいた言葉。しかしその言葉に――
「あなたが狙いだ」
思わぬ返答があった。
声のしたほうを急いで振り向くと同時に、腰に下げていた剣を抜き、振り向きざまに切り払う。
するとウィリアムの後ろにいた男が振るった剣とぶつかり、火花が散る。
暗い夜の中、2人の周囲が一瞬照らされた。
一瞬だけ映った男の顔は――
「――っ!テメェは!」
「また会ったな。ウィリアム・アーサー准将」
褐色肌に金髪の大男。
「トーマン・オーディエル!」
領主館で一度だけであった、半聖人の東部軍少将。
クローヴィス・デア・コードフリードの腹心だった。
いきなりの大物の登場に、ウィリアムは怒りと剣をトーマンにぶつける。
再び火花が散り、2人の顔が接近する。
「これは一体何の真似だ!」
「気にする必要はない。今日お前たちがしたこと、そして今私たちがしていることは間違いなく東部のためになっている」
「そんなことを聞いてるんじゃねぇ!」
剣を力任せに振ってトーマンと距離を取る。
トーマンはかなりの大男でウィリアムより身長が頭一つ分ほどでかい。かなり鍛えられていて、力はウィリアムと大して変わらない。
周囲の船が砲撃を中止したのは、トーマンが乗り込んできたからだった。
その事実を察したウィリアムは、仮面の下で小さく息を吐く。
彼にとっては砲撃を防ぐよりも、トーマン一人を相手にする方が楽だからだ。
だが気になることもある。
ここに副官が来ているということはもう一つの船にも誰か向かっているはずだと。
ちらちらともう一つの護衛艦に視線をやるウィリアムを見て、トーマンは口の片端を上げる。
「向こうが気になるか?心配するな。向こうには我らが大将が向かわれた。何も心配することはない」
その言葉にウィリアムの目が歪む。
「テメェらの心配と俺の心配を一緒にするな。だまし討ちするような連中のことを信じられるものか」
「見解の相違だな。我々はただリスクのない選択をしたに過ぎない。今はその事後処理をしているだけだ」
「ハッ!事後処理だ?都合の悪いことを隠したいだけだろ!」
「同じこと」
ウィリアムはすぐさまトーマンに斬りかかる。
即座に倒してアイリスの元へ向かおうとするが、トーマンも半聖人。すぐに倒せるはずもない。
(アイリス、なんとか持ちこたえろ。死ぬんじゃないぞ)
ウィリアムの背中には、じんわりと汗がにじんでいた。
次回、「クローヴィス・デア・コードフリード」