第十話 隠し事
甲板を転がり血を吐いた。
錬金術で作った頑丈なはずの鎧が、ボロボロに砕けていく。
俺の頭上で悪魔が拍手喝采、歓喜の声を上げる。
「いいですね、いいですね!やはりこの方法なら簡単に森を燃やすことができます!ありがとうございます!あなたたちのおかげで私は作戦を遂行できます!」
今のはなんだ?
ガンガン痛む頭を押さえながら、立ち上がって近くにあったために爆発を防ぐことができた水球を見る。
中には金属球が入っており、その周りに大量の気泡が付いていた。
理解した。
「この金属のせいか!」
「おお!よくぞ気づいてくれました!いやぁ、あなたと話すのは実に楽しい!これの役割をわかってくれるとは!」
起こったのは水蒸気爆発だ。
ただ水を熱するだけでは、爆発なんて起きないから油断した。
「この金属は魔法で作ったのか?そんなこともできるのか」
「ええ、魔法とは実に便利なものです。ちなみに金属を使えばこんなこともできますよ」
そういうと悪魔は今度、金属質な球体をそのまま浮かべた。また船の周りで爆発させようとするので、危険な位置にある物のみに絞ってマナの動きを抑える。
そして抑えていない球体が次々に爆発した。
その爆発は先ほどとは違い、様々な単一の色が付いた爆発だった。
「これは、花火?」
「おや、これを知っているのですか?金属を燃やすと色が付くんですよ。爆発させると綺麗ですよね」
「そうだな、こんな近くじゃなくてもっと遠いところで見たかったよ」
「そうですか?きれいなものは近くで見たいでしょう?」
くそが、日本が誇る粋なものをこんなことに使いやがって。
しかし、どう戦えばいい?どうすればいい?
こいつの魔力が強すぎて、ろくに魔法を抑えられない。
俺の周辺だけで手いっぱいだ。
しかも先ほどの爆発のせいで船が徐々に傾いてきている。早急に決着をつけなければ、全員が危険だ。
他の人間を守るにはこの悪魔をここから引き離すしかない。だがこの悪魔は身一つで宙に浮いている。物に乗らずに身一つで飛ぶなんて相当な熟達者だ。
空中戦は盾なしでは飛べない俺では分が悪い。結局魔法戦はまずい。
しかし、だからといって白兵戦に持ち込むのは難しい。
必死に頭をぶん回す。
そのとき、
「隊長!無事!?」
アイリスが俺の下へ戻ってきた。
「アイリス!来るな!」
「おやおや、先ほどのお嬢さんではないですか!さきほどの爆発に見とれて戻ってきたんですね!見る目のある方ばかりで私は嬉しい!」
アイリスは悪魔を見て、その整った顔を歪ませる。
「さっきも思ったけど、変な悪魔だね。高位の悪魔ってこんな感じなの?」
「さあな、こいつが変わり者なんだろ。前に会った高位の悪魔はもう少しまともに見えたがな。とにかくここから離れろ」
「いやだよ。隊長が戦っているのに逃げられるものか」
アイリスは頑として逃げてくれない。
とはいえ、確かにどこにいても危険だ。
船から降りられない上に、船自体も危険な状態だ。
なら元凶を断つという判断は当然だが、彼女には荷が重い。
「おや、私の同僚にすでにあったことがあるので?おかしいですね。まともに対峙して人間たちが生きて帰れるとは思えませんが」
俺達の会話を聞いた悪魔が顎に手を当て、首を傾げた。
この悪魔はバラキエルが倒されたことを知らないのか?
悪魔は異界の写し身で、この世界に来ているのは分身に過ぎない。それならバラキエル本体が悪魔たちに情報を渡していても不思議ではないのに、こいつはそれを知らないらしい。
悪魔は軍を編成していると思ったが、もしかしたらこいつは違うのかもしれない。思えば、こいつの部下と思われる中位以下の悪魔も見当たらない。
俺が目の前の悪魔について考えていると、
「うーん、私の同僚に人間を生かすようなもの好きが私以外にいるでしょうか……ああ!そうか!わかりました、ひらめきましたよ!」
悪魔が何か閃き、手を叩く。
「何がわかったってんだ」
「いやはや、なぜ気づかなかったんでしょうか!あなた、バラキエルを倒した仮面の男ですね!人間に興味のない私でも興味を持ちました!人間の分際で!どうやって悪魔を倒したのでしょう!やはり魔法ですか?見せてもらいたいですね!」
興奮した悪魔が捲し立ててくる。
どうやら魔法が使えることはばれたようだ。
先ほどから魔法の発動を邪魔していたが、それ自体は俺の仕業だとは思わなかったようだ。
とことん人に興味のない奴だ。そして見下している。
「しかし、不思議な存在ですねあなたは!初めて人間に興味を持ちました!精霊魔法を使うエルフくらいしかこの世界に面白いものはないと思っていましたが、いやはや、たまにはいいものですね!」
この悪魔はとことん魔法にしか興味がないらしい。
……それならバラキエルとは違い、もしかしたら世界を渡る方法を知っているかもしれない。
「この世界、ね。お前たちはいったいどこから来ている。どうやってこの世界に来た」
「はっはっは!バラキエルが教えてくれた通りですね!世界を渡る方法に興味があるんですね!それなら私の魔法を理解するのも納得です!しかし、なぜでしょう?どうして世界を渡る方法を知りたいのですか?」
「先に聞いたのはこちらだ。先に答えろ」
「それもそうですね!失礼しました。実は私もどうやってこの世界に来ているのかわからないのです!神が作りし門を通っているだけですから!直に王がやってきます!彼なら知っているかもしれませんね!」
仮面の奥で舌打ちをする。
どうやら高位の悪魔は世界を渡る方法を知らないらしい。
魔法に精通しているこの悪魔でも知らないのなら、あとは王位の悪魔に聞くしかなくなる。
だが高位の悪魔でも手一杯なのに、王位の悪魔の相手なんて現実的じゃない。
実質、悪魔から世界を渡る方法を知る術はなくなってしまった。
そして俺の質問に答えた悪魔は今度は自分の番とばかりに、質問の言葉を朗々と紡ぎ、
「さて、次はあなたの番ですよ!なぜ人の身でありながら分不相応に世界を渡る方法を知りたがるのか!世界を渡るなんて悪魔以外にこの世界には……この世界には?」
しかし最後に言葉を止めた。
顎に手を当て思考の海に沈みこむ。
幾ばくかの時が流れ。
そして唐突に、顔を上げた。
気色の悪い満面の笑み。
大きな両手をこちらに向け、大声で――
「ああ!!わかりました!わかりましたよ!あなたはグラノリュース!グラノリュースの天上人ですね!だから魔法が使える!だから世界を渡るなんて考える!いやはや冴えていますね私!さしずめ世界を渡る方法を知りたいのは、元の世界に帰るためでしょうか!」
――叫んだ内容は、俺にとって看過できない内容だった。
「……」
「隊長……」
ペラペラとよく喋る悪魔だ。今すぐにその口、引き裂いてやりたい。
俺がグラノリュースの人間ということは一部の者しか知らない。横にいるアイリスも知らない話だ。
ヒルダの一件があってからは天上人ということは極力隠している。恨む人間がいるからだ。
現にアイリスは俺の顔を見て何とも言えない顔をしている。
だが天上人であること以上に、俺が世界を渡ろうとしていることを、この世界の人間に知られたくなかった。
俺とは正反対に謎が解けたと上機嫌になっていく悪魔を睨みつける。
「ふふふ!しかし、天上人ならば納得です!あの国には私たち悪魔も手を焼いていました!しかし、ここに天上人の脱走兵がいるとは!バラキエルが勝てないのも納得です!これはいい手土産ができました!天上人を倒せば、いい報告ができます!」
「フン、もう勝った気でいるのかよ」
「ええ!勝ちますとも!魔人にも至っていないあなたには私に魔法で勝つことはできません!科学にも精通していないこの世界の人間では、私に勝つことは不可能でしょう!」
確かにここまでの魔法の腕をもつ悪魔に対して、いかに錬金術で優れたものを作ろうと無意味だろう。まず当たらないからだ。
どうしたものかと考えていると、アイリスが一歩前に出る。
「それはどうかな!ボクたちには加護がある!そう簡単に負けるものか!」
「加護!それは確かに厄介ですね!ですが見たところいまだに誰も発現していない。これではこの状況に応じた加護を持つものはいないと思ってもいいでしょう!」
辺りを見回しても、船員たちを含め、誰も加護を発現していない。
これだけ追い込まれても発動しないなら、きっと戦闘に役立つ加護を持つ者はここにはいない。
しかし、悪魔は加護にすら興味があるようだった。
「とはいえ、加護を見てみたいのも事実です。私たち悪魔にはない力ですから!そうですね、ではこうしましょう!今から一人ずつ殺していきます!それなら誰かしら加護を発現するものがいるかもしれません!」
「そんな!」
「下種が」
俺は船員たちを護るために回していた盾をすべて戻す。模擬戦で使わないからと隅に置いていた実戦用の槍もだ。磁気を使って手元に戻すと悪魔はこれすらも興味の対象のようだった。
「ほう!今のはなんですか?単純な念力魔法とは違いますね!いったいどんな力を使っているのでしょう!」
「うるさい、いい加減に黙れ」
盾を使って悪魔のいる宙に駆け上がる。しかし悪魔はさらに上空に登って、追いつかれる前にあっさりと退避する。
俺も追うがあまり高度が高くなると未熟な俺では浮き上がっていられない。
限界ギリギリまで上がっても捕らえられず、短剣を投げつけるがあっさりと防がれる。
舌打ちをしながら、落ちるように船の上に戻る。
「高すぎる、攻撃が届かないな」
「隊長でもダメか。どうしよう」
船に着地すると悪魔も徐々にまた元の高さに降りてくる。
「もう空中散歩はおしまいですか?どうやら知識はあっても魔法の修練が足りないようです。実にもったいない!どうでしょうか、あなた、元の世界に帰りたいのでしょう?私たちと来ませんか?そうすれば元の世界に帰る方法がわかるかもしれませんよ。まあその代わりわたしの実験の手伝いをしてもらいますが!」
「……確証がないな。そんな条件でお前たちといくものか」
「確かに確証はありません。ですが事実私たちはこうしてこの世界に来ていますから、信憑性は高いですよ?やみくもに探すよりよほど効率的と思いませんか?」
悪魔が取引を持ち掛けてくる。
元の世界に帰る手掛かりをやるから自分たちに協力しろと、そういうことか。
もし、これが悪魔相手でなければ、うなずいていたかもしれないな。
「俺はお前たちと手を組む気はない。お前たちは信用に値しない」
「……残念です。ようやく私の研究を理解してくれる人が現れたと思ったのに。しかし!あきらめません!ここにいる人を目の前で殺していけば観念してくれるかもしれません!」
悪魔は叫び、周囲にまた水球をいくつも発生させる。俺も妨害するが、マナとの距離はあいつの方が近い。すべては妨害しきれない。
いくつもの水球が、怯える船員をいたぶるように船の周囲に近づいて爆発した。
船が壊れ、沈んでいく。
多くの人の悲鳴が聞こえる。
たくさんの人が海に落ちて泣いている。
「あ、あぁ……」
隣にいるアイリスが声にならない息を吐く。その目は見開き、絶望に満ちていた。
「どうです?これでもまだ私と来る気はありませんか?今ならまだ生きている彼らは見逃してあげますよ?」
「……っ!」
この世界の人間のことなんてどうでもいい。彼らがいくら死のうが関係ない。
俺の目的を果たせるのなら。
――だがこいつと組むことは絶対にない。
こいつと組めば多くの人間を殺すことになる。他の奴らのせいで人が死ぬのは構わない。俺には関係ないからだ。
だが俺が殺すのは絶対にない。俺が殺すのは俺の邪魔をする奴だけだ。
こいつのように。
だが、このままでは誰も救われないままみんな死ぬ。俺ですら。
どうする?どうすればいい?
しかし、ここで隣のアイリスに異変が起きた。
「みんなが……ルチナベルタのみんなが……」
逃げ惑う人々を見て、心に傷を負っていく。
この傾いた船上で、多くの人が泣き叫び、逃げ惑っている。
人々を護るため軍人となった彼女は、ルチナベルタのために働いてくれている彼らをみる彼女は、泣いていた。
それを見て俺は場違いにも、彼女の父ライノアの言葉を思い出した。
『……軍人とは過酷だ。たくさんの人間の死を目の当たりにすることになる。どんなに研鑽を積んでも救えぬ命がある。なによりアイリス自身の命も……心優しい彼女にそれを目の当たりにするのはさぞ辛かろう。たとえ命が助かっても、失われる命を目にしてアイリスの心が死ぬ。そんなことに私は耐えられない』
『ウィリアム殿……どうか、娘を頼む。あの子は人々を護ろうとするだろう。きっと危険なことに首を突っ込むかもしれない。その時はどうか、君が娘を護ってほしい』
ライノアの言葉の意味が、俺の心に今頃になって深く刺さっている。
彼女の心が壊れてしまうんじゃないだろうかと。
――それは絶対にダメだ。俺は彼女の父と約束した。
彼女の身も心も守ると。
俺は家族を想う人を裏切ることは絶対にしたくない。
俺は――
「アイリス!」
声を張り上げ、彼女の名を呼ぶ。
「っ!隊長?」
戸惑うアイリスの胸倉を掴む。
「お前のするべきことはなんだ」
「ボクのするべきこと?……みんなを護ること」
「そうだ。それを忘れるな。お前は俺が護ってやるから、お前は自分のなすべきことをしろ」
「……わかった」
たったそれだけの言葉。
でもそれだけで、彼女の顔が変わった。
涙をぬぐい、顔を上げる。
――彼女の身体から、淡い光が現れる。緑色の優しい色だった。
次回、「種子と開華」