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夢見る未来に福音を  作者: 相馬
第五章 《東の大地に光がさして》
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第九話 氷と熱


 季節は夏だ。

 日も長く、気温も高い。海の上でも長い時間身体を動かせば、大量に汗をかく。

 少し鍛錬に夢中になりすぎたようだ。


 仮面の下にも汗をかきすぎて、ずれてしまいそうになる。


 アイリスも額に玉のような汗が浮かべて、前髪を顔に張り付けている。

 鍛えているし、激しく動いたのは最初だけだからそこまで疲れてはいないようだが、長時間、外に出たままだ。


 陽が傾きかけているし、今日はこの辺りで終わりにしよう。


「今日はここまでにしよう」

「はぁ、ふぅ、そうだね。ご教授ありがとうございました」

「どういたしまして」


 律儀に礼を言ってくるアイリスに軽くうなずく。


 そのときだった。


「さて、軽く体を拭いて……」

「どうしたの、隊長」


 ふと、マナがおかしな動きをした気がした。


 最近になって、以前よりもマナを強く感じるようになった。魔法の威力も精度も上がっているからそれはいい。


 問題は、今なぜマナがおかしな動きをしたのか。

 マナに異変なんて滅多なことでは起こらない。


 すぐに警戒し、辺りを見回す。

 すると妙なものが海に流れているのを見つけた。


「アイリス、この辺りは流氷が流れてくるのか?」

「流氷?まさか、北に進んでいるとはいえ、ここには冬でも流氷はないよ。それに今は夏だ」

「なら、あれはなんだ」


 アイリスが、俺が指さしたほうを見る。するとアイリスも違和感に気づき、端正な顔をしかめた。


 そこにはかなり分厚い氷がいくつも流れてきていた。


「確かに、氷だね。でもおかしいな。こんなことはありえない」

「先ほどから船の揺れも強くなっている気がするが」

「時折、強い波が来るね。でも風も吹いているからおかしくないと思うけど」


 そばにいた船員に確認をする。

 聞くと、長年この海に出ている船員でも流氷が流れていることは見たことがないとのこと。


 しかもこの風はなんだかおかしいという。


「この風は単発的でなんだか暖かいんですよ」

「夏だからじゃないのか」

「それにしてもですよ。お二人は動いていたからわからないかもしれないですが、僕たちからすれば普段よりも暖かいんですよ。それに風と波が来るタイミングもおかしいです」

「……つまり何が起きているんだ?」

「わかりません。こんなことはいままでにはありませんでした」


 船員ですら何が起きているのかわからない状況。


 ……嫌な予感がする。


 事前に聞いていた悪魔のせいかもしれない。だがこんな流氷なんて聞いていない。一体何が起きているのか。


「とにかく船を止めろ。何か危険な魔物が近くにいるのかもしれない!」

「せ、船長に伝えてきます!」


 船員が走ってブリッジに向かっていく。それを見送りながら周囲を見渡す。

 アイリスも不安になってきたのか、模擬戦用の武器ではなく、いつもの自分の武器を手に取っている。


「隊長、もしかして……」

「ああ、悪魔がいるかもしれない。急いで他の航路に――」


 急いで退避しようと、指示を出そうとした直前に――


「そんな釣れないことを言わないでください。久しぶりに来てくれたんですから歓迎しますよ?」


 上空から声がした。

 急いで振り返る。


 すると、船首から少し浮いた場所、そこに紳士ぶった服装に身を包んだ、異形の悪魔がいた。


 俺とアイリスは警戒し、一歩後ずさる。


「アイリス、すぐに船員全員を避難させろ。他の護衛艦に離れるように指示を出せ。軍に救難を知らせろ」

「隊長は?」

「早く行け」


 アイリスは一瞬だけ迷うもすぐに下がって船の中に入る。

 即時の対応は彼女に任せればいい。


 その間、俺はこの悪魔の相手をしなければならない。

 だが――


「クソ、最悪だ。よりにもよって魔法特化か?」


 冷や汗が首を伝う。


 目の前の悪魔は異常だ。

 感じられる魔力が尋常じゃない。


 バラキエルが言っていた通り、高位の悪魔はそれぞれ特有の力を持つのなら、この悪魔は恐らく魔法特化の悪魔だ。


 そんな悪魔を相手に3隻もの船を護りながら戦うのは絶望的だ。


 一刻も早く、船員達には避難してもらわなければならない。

 幸い、軍の船も近くにいるはず。ここまで来る途中に何度もすれ違っている。


 軍ならばこの船よりも安全だ。とにかく今はそのための時間稼ぎだ。


「高位の悪魔か?もっと南にいるんじゃなかったのか?」

「んん?なんのことでしょう?私はずっとこの辺りにいましたよ?時折軍艦と思しき船が遠目で周りをうろちょろしていますが、特に何もしてこないので退屈していたんですよ」


 悪魔の言葉に俺は頭を捻る。

 どういうことだ?この悪魔はずっとここにいた?何のために?

 気になるが、何もしなければ見逃してくれる可能性がある。


「俺たちも何もしてないぞ。する気もない」

「まあまあそう言わずに。それにあなた達は私の実験場に入ってきたんですから。何もしていないなんて通じませんからね!」


 実験場?

 周囲を見渡すが時折氷が流れてくるくらいで、特におかしなものはない。


 何にしろ、悪魔のテリトリーに入ってしまったなら、素直に脱出するしかない。


「それは失礼したな。こちらに危害を加える気はないから許してもらえないかな」

「うーんどうしましょうか、私としては許してもいいですよ。作戦外の行動なのであなたたちを沈める義務はありませんし」


 悪魔が醜悪な顔に似合わず顎に手を当て、楽し気な笑みを浮かべる。


 この悪魔は俺たちの船を襲うことを作戦外の行動といっていた、つまり人間の船を積極的に襲う気はないということか。

 これまで軍が本格的に動かなかったのはこれが理由か。


 好戦的でないならと、内心ほっとする。


「なら大人しく下がるとするよ」


 しかし俺の言葉に、


「おっと、もしかして帰るつもりですか?それはいけません。許しはしますが、人の敷地に入り込んできて挨拶だけで帰ろうとするなんて、それは許せません!」


 悪魔は途端に手の平を返す。

 笑いながら、しかしてその声のトーンを一段上げて悪魔が吠える。


 情緒のおかしいこの悪魔、一体何を考えている。


「許せないといわれてもな。挨拶以外ならなんだ、食事でもするのか」

「それも魅力的ですが、私たち悪魔と人間では味覚が違いますからねぇ。私の食事があなたたちの口に合うとは思えません」

「ではどうしろと?」


 警戒しつつ俺が問う。


 悪魔は心底愉快そうに手を叩き、


「こうしましょう!あなたたちには私がここで実験して分かったことをご覧にいれます!これなら歓迎会にふさわしいでしょう!」


 名案だといわんばかりにそういった。


 その途端に周囲のマナが急激に慌ただしく動き出す。


 ――これは悪魔が魔法を使おうとしている前兆だ。


「実験とはなんだ。作戦とは何を考えている」

「ふっふっふ。実は私、エルフの国を滅ぼせという命令を受けたんですよ!閉鎖的で技術的には遅れているエルフといえど、森の中で戦うのは大変です。ではどうしようかと考えたところ名案が浮かんだんです!」

「ほう、それは興味があるな」

「そうでしょう、そうでしょう!聞きたいですか?聞きたいですよね!教えて差し上げましょう!」


 いいたくてたまらないとばかりに悪魔は自分の身体を抱きしめる。そしてゆっくりともったいぶるように手を大きく広げ、大声で言い放った。


「森の中で戦うのが大変なら、森を無くせばいい!それにはどうしたらいいか、全部燃やして更地にしてしまえばいいんですよ!どうです?名案でしょう!」


 どこまでも広がる大海原に興奮した悪魔の声が響き渡る。


「なんともまあ、大胆なこって。毒を流すとかは考えなかったのか?」

「それも考えましたとも!ですが、森の中、全部に充満するのは時間がかかりますし、中には毒に強い動物や薬になる植物もいます。その点、燃やすなら手間もかかりませんし、毒のように撒き続ける必要もなし!着火さえしてしまえばあとは勝手に強く、燃え広がってくれます!」


 この悪魔は自然あふれるユベールすべてを焼き払うつもりか。

 確かに森ならば一度、燃えてしまえば消火するのは大変だ。この世界にはヘリなんてないし、水を撒くのも人力だ。

 収まるのを待つしかないが、この悪魔が起こす火事は収まらない。ユベールを滅ぼすまで焼き続けるだろう。


 だが今は夏だ。あまり火は広がりにくい。

 つまり――


「そのための実験か、より効率よく燃やすための」

「その通りです!いやはや察しが良くて助かります!火をつけるにはどうしたらいいかな、やっぱり派手なのがいいな、と考えてここ最近はひたすら実験を繰り返しておりました!いやぁ、私はこの手の実験が大好きでして!すっかり没頭してしまいました!」

「それでいい方法は見つかったのか?」

「ええ。ええ!見つかりましたとも!激しく火を燃やすには何が必要か、私、必死に考えました!なんだと思いますか?」


 悪魔の問いに投げやりに答える。


「風か?」


 答えると、悪魔は拍手をしながら講釈を垂れる。


「ええ!そうです!風があれば火はより強くなります!ですがそれだけでは足りません。生きた木は実は燃えにくいのです。水分を多く含んでいますからね。ましてや今は夏、憎たらしいことに木々が生い茂っております」


 この悪魔は随分とお喋りだ。

 おかげで欲しい情報が次々と入る。時間稼ぎもできた。


 先ほどから汽笛や信号が船から発されている。船員たちの姿も見えないから、船の中に避難しているか、後尾で脱出の準備をしているはずだ。護衛艦はまだ状況を理解したばかりで目立った様子はない。


 ならもう少し稼がなければいけない。


「つまり風以外に見つけたと。難しいな。もしかして氷が関係あるのか?」

「ほお!鋭いですね!あなた、素晴らしい見識の持ち主だ。もしや研究者か何かで?」


 悪魔の問いに思わず笑ってしまった。

 確かに元の世界じゃ学生の身ではあったが、俺は研究者だった。物理学者ではないが、似たようなことをやっていたからだ。


 ただ、今氷だとわかったのは何も科学知識からじゃない。先ほどから流れてくる流氷が目に入ってくるからだ。


「さっきから流れてくるからな。夏なのにいったい何事かと思ったよ」

「なるほどなるほど。でも少し惜しいですね!氷ではなく水です!これにちょっと工夫をするだけで面白いことが起きるのです!」

「水だと?一体何をする気だ?」

「それはぜひともここでお見せして差し上げます!おや、おかえりになろうとしている方がいらっしゃいますね。駄目ですよ、ちゃんと見てくれないと!」


 悪魔が腕を上げると周囲のマナが一斉に震える。


 急激な変化に、まるで背中に冷や水を浴びせられたかのように全身が総毛立つ。


 まずい!こいつの魔力は桁外れだ。超高範囲、なおかつ発動までが非常に早い!

 俺でも全部を防ぐのは無理だ!


 必死に俺の近くにあるマナに干渉して魔法の発動を防ごうと足掻く。

 

 悪魔がパチンと手を叩く。


 ――その瞬間、辺り一面の海が凍り付いた。


「な、なんだ……これは……」


 力のない声が自分の口から洩れていく。その息は白かった。

 信じられない、こんなに広範囲の海を凍らせるなんて、どんな魔力だ。


 唇が急速に乾いていく、夏とは思えない刺すような冷気が肌を撫でていく。


「たった今から、ここは私の実験場です。存分にご堪能ください!」


 圧倒的な魔力を纏う悪魔が醜悪な笑みを浮かべ、顔に深い皺を刻んだ。

 その気配に気圧されて、思わず唾をのむ。


 そして海に異変が起きたことで、船の後尾から上ずった声がする。


「な、なんだこれは!」

「船長!海が!海が凍ってます!」

「脱出艇が使えません!護衛艦も身動きが取れません!」


 避難しようとしていた船員たちが下りようとしていたら海が凍り付いたのだ。これでは海から逃げられない。

 流れてくる流氷の厚さから予測するに、この氷はかなり分厚い。溶けるには相当な時間がかかる。


 しかし、だからと言って氷の上を歩いてはいけない。


「仕方ない!氷の上を歩け!急ぎこの海域から脱出するんだ!」

「!おい、待て!やめろ!」


 船員たちが脱出艇を大勢で持って、氷の上におり立つ。だがそれはやってはいけないことだ。大声で止めようとするが一足遅かった。


「そんなに帰りたいのですか?残念です。ぜひとも見ていただきたかったのに。仕方ありません」


 そういって悪魔はまた手を叩く。


 凍り付いた海、船員たちがいる位置の氷がぱっくりと割れた。

 凍った海に降りた者たちが裂け目に落ちる。


「急に氷が!?」

「あ、あぶっ!?た、助けて!」

「ダメだ!周囲の氷が邪魔をして進めない!?」


 慌て、助けを求める彼らの声が聞こえてきた。

 だが割れた氷の上を歩いた彼らはすでに船から離れてしまっている。

 船に残っているものも、海に落ちれば、氷が邪魔で進めない。助けに行きたくても向かえない。


 このままでは彼らは溺れる。

 だが助けに行こうにも俺の目の前には悪魔がいる。


「凄い魔法だな。ぜひとも教えていただきたいものだ」

「そうでしょうとも!私は戦いはからっきしなのですが魔法だけは自信がありまして!おかげさまで今のような地位に付けたのです。王には感謝しなくては!」


 この悪魔の戦闘における魔法の腕はバラキエルよりはるかに上だ。魔力が桁外れに強い。俺も魔法の腕が上がったし、魔法戦の戦い方を見直したが、こいつ相手では分が悪い。


 この船の極近傍だけで精いっぱいだ。


 冷や汗を垂れ流す俺とは正反対に、悪魔は余裕綽々でまたしても魔法を発動させる。


「さて、それでは先ほど言った効率的な燃やし方をお見せしましょう。いい方法とはこれです!」


 悪魔が俺と船を囲うように周囲に無数の水球を浮かべた。


「なんだこれは?」


 一見して何の変哲もない水球。

 だが何かある。危険だと思い、マナに干渉して魔法を阻害する。


 すると悪魔は首をかしげながら、つぶやいた。


「おや、マナの動きが悪いですね。何かしていますか?」


 クソ、全力で阻害しても少し動きが悪い程度かッ。

 警戒されないようにシラを切る。


「さぁ?どうかしたのか」

「ふむ、こんなことは今までなかったのですが、まあいいでしょう。ならこちらです」

 

 悪魔が今度は両手を上に伸ばす。

 釣られるように俺も両手の先、上空を見上げる。

 

 目を見開き、息を飲んだ。


 そこには数え切れないほどの無数の赤熱した金属球があった。逆光でよく見えないが、あまりの高温に金属球の周囲の空気が揺らいでいる。


 まずい――!


 近くに置いてあった俺の盾三つを即座に浮かし、船員たちの近くに持っていく。


 だけどそこまでだった。


「さぁ!歓迎のあいさつです!心行くまでご堪能ください!」


 金属球が船に向かって降り注ぐ。


 否、水球に飛び込んだ。


 金属が飛び込んだ水球は瞬く間にブクブクと泡立ち、膨れ上がり――

 そして次の瞬間、船全体を大爆発が包みこんだ。


「ぐわぁぁ!」

「船が!船がぁ!」

「船長!せんちょぉおおお!」


 辺り一面から悲鳴が上がる。


 船は傾き、崩れていく。

 氷は割れ、船員たちが落ちていく。

 船の帆は燃え、倒れていく。



 そして俺も、爆発の直撃を受けて、甲板を転がった。




次回、「隠し事」

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