第八話 受け流し
大陸本島とその東に存在するユベールの間の海の上。
ウィリアムたちが乗るルチナベルタ家の家紋が掲げられた大型の帆船が北に回り込むようにして、ユベールに向かっていた。
アイリスの父、ライノアがかなりの大盤振る舞いをしたことで、一目で豪華だとわかる立派な船とその横に護衛艦を二隻随伴させている。
護衛艦と行っても軍艦ではないために戦闘力は軍艦ほど高くはないが、航行速度は高く、商船としては十分な火力と頑丈性を有していた。
ウィリアムたちが乗る帆船は大きく、外装は金属で覆われている。しかし、内部は木製で商用ということもあり、デザイン重視ではあった。それでも商船としては非常に頑丈な造りをしている。
夕方に港から出発し、現在は翌日の昼時。
船内の立派な食堂でウィリアムとアイリスは昼食をとっていた。
「ご両親は奮発したな。こんなに立派な船を使わせてくれるなんてな。払った金額じゃ足りないんじゃないか?」
「心配しているんだろうね。避けていくとは言っても、危険な悪魔が出る海域だからね。それにユベールに行く船の数は減っているから、向かうなら多くのものを載せたいんだよ。だからお金のことは気にしなくていいと思うよ」
「まあ、護衛だと思えばいいのか。悪魔とかち合えばひとたまりもないけどな」
もし悪魔と交戦すれば、いかにウィリアムが戦っても船を助けることはできない。
外装は金属でも内部は木製でもろすぎるからである。
ドワーフたちの錬金術でもって建造した戦艦でも海竜相手にはあっけなく沈み、旗艦であってもヴァルグリオの加護がなければ沈んでいた。
バラキエルや海竜と同格の高位の悪魔と戦うには、今いる船はあまりに脆すぎるとウィリアムは考えていた。
ウィリアムの言葉にアイリスは肩をすくめて笑う。
「そこはコードフリード大将を信じるしかない。悪魔がいるところを正確に教えてくれたことに感謝しなきゃね」
「とはいえ、悪魔が常に一か所に留まっているのもおかしな話だ。何をしようとしているんだろうな」
「ボクたちが考えても仕方ないよ。軍を信じて、ボクたちのやるべきことをやろうよ」
アイリスの言葉にウィリアムは頷くも、すぐに小さな息を吐く。
「そうだな。とはいえ船上じゃやることがない。考えるしかやることがないぞ」
その言葉に、アイリスは名案が浮かんだとばかりに手を合わせ、机に上体を乗り出して微笑んだ。
「それなら、この後、鍛錬に付き合ってくれないかな?ボク隊長の実力を知りたいし」
「どこでやるんだよ」
「甲板を借りよう。この船なら大きいから十分だよ」
2人は食休みを挟んだ後に甲板に出て、鍛錬の準備をする。
身体をほぐし、素振りや動きの確認をする。準備運動が終わると実践を想定して防具を着込み、模擬戦用の武器を手に取る。
アイリスが真新しくなったウィリアムの武器一式と、特務隊の紋章が刻まれたクロスをまじまじとのぞき込む。
「隊長は装備を新しくしたんだね。似合っているよ」
「そりゃどうも。しかしアイリスが芸術に長けているなら紋章も考えてもらえばよかったな」
「そんなことないよ。なかなか特務隊らしくてかっこいいデザインじゃないか。それにこういうのは隊長が考えるからいいんだよ」
「何を書くかとどう描くかは別だろ。後でよろしくな」
「しょうがないなぁ、もう」
しょうがないといいつつ、アイリスの顔はどことなく綻んでいた。
ウィリアムとしても自分にはセンスがないと思っているため、アイリスに頼めることはありがたく思っていた。
2人はある程度、距離を取って礼をして、武器を構える。ウィリアムは槍を、アイリスは剣と盾を構える。
「さぁ、いつでも来い」
「胸を借りるよ!」
掛け声とともに、アイリスが一気に距離を詰めて、突きを放つ。
ウィリアムは体に届く前に、槍の穂先で剣の軌道をわずかに変えて剣を避ける。最小限の動きで受け流し、反撃で槍で突き返す。
アイリスは剣を素早く引き戻しながら、盾で槍を強く弾き、弾いた方向とは逆方向に回り込むようにして再び攻撃を仕掛けてくる。
ウィリアムも間合いを詰められないように、槍を素早く引き戻し、足を動かして相手を近づけないように立ち回る。
ウィリアムはほぼ聖人であり、それによる強すぎる力を常人レベルまで手加減して戦っていた。この手合わせの目的は技術を磨くことであり、力任せに戦っても得られるものは少ないと。
最近は彼も魔法を使うことが多く、あまり白兵能力を披露することは少ない。だがもともとウィリアムの得意とする戦い方は槍を使った戦い、それも防御を主体とし、反撃で仕留めるものだ。
かつてグラノリュースでひたすらぶたれる辛い鍛錬に毎日耐えて、自分のものにしたために、もはや意識する必要もないほどに体に染みついていた。
一方で、アイリスは盾と剣を使った攻防一体の基本に忠実な戦い方だった。しかし、彼女は自分なりに改良を加え、盾を使って相手の動きを阻害したり、自分の攻撃を隠したりと巧みに盾を活用していた。
何より、ウィリアムはアイリスの敏捷さに舌を巻いた。剣筋が非常に鋭く、身のこなしも軽やかで素早い。力も決して弱くなく、手ごわい相手。
「速いなッ!」
「これでもエルフの血を引くからね!」
攻防の中の短いやり取り。
しかし、軍配はウィリアムに上がった。アイリスの攻撃を防ぎ続け、わずかな隙を見逃さなかった。槍の穂先が彼女の首筋に突き付けられる。
「参りました……隊長、本当に強いんだね」
「疑ってたのか?まあ、アイリスも大したもんだ。リーチの差があるのに苦労した」
「そう?余裕そうに防いでいたのによく言うね」
「実はギリギリだったさ。槍じゃなければ負けていたかもな」
「じゃあ、次は剣を使ってよ。というか隊長、手を抜いたでしょ?」
ウィリアムは眉根を寄せる。
彼としては結構本気で戦っていた。
しかし、アイリスはそうは思わなかったのか、疑問の声をあげた。
「何のことだ?」
「だって隊長、怪力でしょ?それがあれば簡単に勝てたはずだよ」
納得がいき、ああ、と呟き肩をすくめる。
「この手合わせは技比べだろ。力でごり押ししても得られるものがない」
「そっか、確かにそうかもね。ボクとしては力で勝る相手にどうやって立ち向かうか知りたいところだったんだけどね」
「それなら次の剣を使うときは力任せに戦ってやろう」
「お願いします。それにしても隊長は槍も剣も盾も使えるんだね。短剣もだっけ。凄いね」
「俺の戦い方はどうしたってわずかな隙を狙うしかないからな。そうなるといくつもの武器を使えるようにしておかないと勝ちきれん」
ターン制に置き換えれば、相手が攻撃している時、自分は防御を選択している。剣で攻撃されている時に無視して攻撃できないのと同じで、防御してから攻撃することは相手も対応できてしまう。
ならどうするか。
一つの武具で防いで、もう一つの武具でほぼ同時に攻撃するしかない。だが常に二つの武器を持っていても相手は対応してくるうえ、力強さに欠けてしまう。結局二つの武器で防ぐという本末転倒になってしまう。
そのために、一つの武器で防いだ後に、すぐさま空いた手で他の武器に持ち替えて攻撃する。そうすれば防いだ武器を引き戻すことをせずに、素早く攻撃できる。
そのため、それぞれの武器はどちらの手でもすべてすぐに抜けるように、訓練と工夫をウィリアムはしている。
剣や盾ならば、あまり持ち替えることはしないが、取り回しに難がある槍を扱う以上、短剣を扱えるようにするのは必須だった。
「隊長、亀みたいに硬いよ。時々ぬるっと流されるし、全然踏み込めないよ。どうやってそんな槍術を覚えたのさ」
「ひたすら打たれて覚えたよ。青あざだらけさ。おかげで痛みになれて恐怖心は克服できたからいいことの方が多いが、もう二度とやりたくない」
「凄い訓練をしているんだね。でもそれくらいしないと強くなれないんだね」
「十分強いさ。剣で技比べをすればどうなるかわからん」
「じゃあ、さっさと次やろうよ。今度は手加減なしね!」
そうして再び二人は打ち合う。
剣に持ち替えたとはいえ、怪力を使うとなれば、一度打ち合っただけで、アイリスは押されてしまい、あっけなく尻もちをつく。
これでもウィリアムはまだ手加減をしていた。借りている模擬戦用の木刀を壊すのは悪いと思い、壊れない程度に抑えたのだ。
以前、マドリアドのハンターギルドで力加減がわからずに、木刀を壊しながら相手を吹っ飛ばしたことを、記憶を取り戻した今でも気にしてしまっていた。
今はあの時よりも鍛錬を重ね、筋力も増している。ましてや相手は自分の部下ということで、手加減をしていた。
アイリスは尻もちをつきながら、少し離れたウィリアムを見上げながら言った。
「力強すぎでしょ……一体何をしたらそんな力が付くんだい?」
「さぁな。気が付いたらこんなになっていたよ。確かに効率のいいトレーニングをしたが、ここまでなるとは思わなかったよ」
「ちょっと教えてほしいな。どんな鍛錬をしたの?」
ウィリアムのいう効率のいいトレーニングは、前の世界の陸上部として学んだ筋力トレーニングの方法と考え方だ。この世界では、根性論みたいな鍛え方をすることは少なくない。むしろ大多数がひたすら過酷なトレーニングをしている。
それに比べれば、発展し人体への理解も進んだ前の世界で、しっかりと肉体について学んだウィリアムのトレーニング方法は革新的だった。
だがもちろんそれだけでここまでの膂力を持つことはあり得ないことは本人も理解していた。
ウィリアムの話をアイリスは座ったままメモを取りながら聞く。
「なるほど。じゃあこれを意識しながらやればいいんだね。それにしても隊長はこんなことまで知っているんだね。筋肉がどうできて、どう動いているかなんて誰も知らないと思っていたよ」
「まあ、そうだろうな。人体の理解なんて大まかにしか把握してないみたいだしな」
「いったいどこで知ったんだい?」
「さあ」
ウィリアムは自分ことを答える気がない。アイリスの質問をはぐらかした。
彼女もそんな彼の雰囲気で察し、話題を変える。
「鍛錬はおいおいやるとして、どうやったら力で勝る相手に勝つことができるかな?」
「簡単だ。相手の土俵に上がらないことだ。力自慢に力で勝つ必要はない」
「具体的には?」
「立て」
ウィリアムは座り込んだままのアイリスを立たせて、打ち込んで来いと誘う。
意図を理解したアイリスが全力で剣を大上段から振り下ろす。それに対しウィリアムは指三本だけで剣を握りながらも、アイリスの剣を横に受け流す。
思いっきり振り下ろしたにもかかわらず、軽く受け流されたことにアイリスは目を見開き、勢いそのままにつんのめる。
「こんな感じだ。わかったか」
ウィリアムの問いにアイリスは首を振る。
「えっと、わかりません」
「要は当たらなければいいんだ。剣を馬鹿正直に止める必要はない。剣の横に力を加えて逸らせばいいんだ」
「それはわかるけど、今の隊長のは横に当てられたって感じじゃなかったよ」
ウィリアムは剣をしまい、攻めと受けを再現するために短剣を二本取り出して両手で持つ。
ゆっくりと左手の短剣を右手の短剣に向けて振り下ろす。そして右手の短剣で受け流しの動作をゆっくり再現しながら説明する。
「力が作用する方向を考えろ。真横からやればかなり強く弾かないと逸らせないから防御にも力がいる。かといって正面から受け止めれば、相手の力をもろに受ける。ならどうするか。斜めに受ける。とはいえ、ただ斜めにすればいいわけでもない」
「横からだと相手の剣速を落とせないからね。早く動かすには力を入れないといけないというのはわかるけど、斜め?それだと押し負けちゃうでしょ?」
「押し勝とうとするのが間違いだ。相手が振りたいなら振らせてやればいい。ただ自分には当てないようにな。斜めに当てれば、さほど力を入れなくても相手と剣を合わせられる。合わせている間に剣を傾けながら攻撃が当たらないように横に押せばいい」
「自分が何を言っているかわかっている?かなり難しいことを言っているよ」
「力が強い相手に勝つのはそれほど大変なんだ。たいして差がないなら技術で補えるが、大差があるならまず無理だ。単純な力は一番大事なんだよ」
アイリスはなんども深く頷き、短剣で再現した動きを自分の剣で再現し始める。
熱心に練習するアイリスを、ウィリアムは自分の部下だからと、丁寧かつ詳しく教えだす。
地球で部活の後輩の面倒をよく見ていたように、彼の面倒見の良さは世界を渡っても、世界を憎んでも変わらなかった。ウィリアム自身はそのことに気づいていない。
「まずは基本の上段からの受け流しだ。ゆっくり打ち込んでやるからやってみろ」
「お手柔らかにお願いします」
「徐々に強くしてやるから、ぶたれたくなきゃさっさと覚えろ」
「ひどい!部下をいじめるなんて!」
「部下を強くするのが隊長の務めだ。ほら!」
ウィリアムは興が乗ったのか、その後はアイリスの鍛錬に声色高くして取り組みだした。
彼は結局、この世界の人間と必要以上に仲良くしないということを全く実行できていなかった。本人には自覚がない。
仮面だけは意地でも外さない彼は、徐々にその歪さが露呈していることに気づいていなかった。
次回、「氷と熱」