交錯する厄介事 3
朱音たちが帝国へ向かって数日。龍太たちが学園に来てからは、早くも一ヶ月が経とうとしていた。
より正確に言えば、明日はついに学園祭当日である。
「今日まで見事になにもなかったな」
「まあまあ、平和なのはいいことじゃないですか」
どこか拍子抜けしたように言う龍太。返す言葉はルビーのものだ。
今は朱音の残してくれた結界がある仮住まい中のペンションで、龍太とハクア、ルビーとジョシュアの四人が集まっている。
「けれど、なにも仕掛けてこなかったということは、それだけ念入りに準備していると言うことだわ」
「白龍様のおっしゃる通りです。仕掛けてくるなら明日以降、学園祭当日となるでしょう」
ルビーの分のおかわりの紅茶を淹れながら、ジョシュアが神妙な顔つきで言う。彼は今日までずっと、学園の中では演技を続けてくれているから、その落差に全く慣れず目眩がしてしまいそうだ。
しかし彼は相当に優秀で、多く離れた帝国の革命軍と連絡してくれているのもジョシュアらしい。
「ジョシュア、革命軍の状況を二人にも教えてあげて」
「はい。キリュウアカネ、ヤマトタケル、聖獣アーサー様が参戦してくださったおかげで、各地の戦況は革命軍優位に進んでいるようです」
「えっ、各地って言っても朱音さんたちは三人だろ? そんなすぐにどうにかなるもんなのか?」
革命軍が窮地に立たされていた理由は、兵数の圧倒的な差だ。それを踏まえた上で、戦場が帝国各地に分散してしまっていた。制圧まで秒読みとまで思われていたが、まさかそれが、二人と一匹だけでひっくり返せるものなのだろうか。
「まず初日に、中央大陸との交易などに使われていた多くの港が解放されました。中には軍港として利用されていた箇所もあり、帝国の海上戦力は七割減、実質壊滅ですね」
「初日だけで……?」
「なんでも、全ての港に同時に炎の巨人の腕が落とされたとか」
ああ、それは間違いなく朱音の仕業だ。彼女はたしか、炎の巨人を召喚する魔術を持っていたはず。ドラグニアの古代遺跡で一度だけ見たことがある。
「その後、当然港外にいる帝国軍が各地へ押し寄せたようなのですが、その全てが五分以内に壊滅しています。銀色の炎を見たかと思ったら、全てが終わっていたと、革命軍の兵士から聞きました」
「相変わらずめちゃくちゃね」
これにはハクアも苦笑い。恐らくだが、移動も戦闘も全て時界制御の銀炎を用いていたのだろう。あれを使えば、龍太たちの一秒が朱音にとっては一時間以上になる。
「二日目以降はしばらく兵員輸送の護衛についてくれていたようです。革命軍本部は元々帝国西部、中央大陸寄りだったのですが、解放されたハイネスト王国に移しました」
「その国ってたしか、イグナシオたちの……」
「その通りです。彼らには龍の巫女経由で、話が通ってると思われます」
ホッとしてティーカップを口に運ぶ。
これでいつか、イグナシオとソフィアも故郷に帰れるかもしれない。彼らも安堵したことだろう。
友人たちの喜ぶ様子を想像しながら、続くジョシュアの話に耳を傾ける。
「元々の本部はそのまま最前線への補給路として残しています。と言っても、前線への距離はそこまであるわけでもないのですが」
「本部が最前線って、本当にギリギリだったのね。それでよく兵員輸送なんてできたものだわ」
「雷が落ちたと思ったら、前線の帝国軍が全員黒焦げになっていた、らしいです……」
「そ、そう……」
やっぱり朱音の仕業だった。ジョシュアもハクアも最早若干引いている。
「そんなことがありましたから、帝国軍の士気もかなり下がっています。先ほど申し上げた通り、キリュウ様には各地を転戦してもらっているところです。隕石が落ちて来たとか、天から光が降り注いだとか、炎の巨人が現れたとか、敵兵が何故かしわくちゃの老人になっていたとか。どうにも、彼女は戦争のやり方をよく知っているみたいですね」
報告を受ける側としては堪ったものじゃないのだろう。ジョシュアの声にはほんの少し疲れが滲んでいる。
しかし、戦争のやり方ときたか。
朱音から聞いた話では、旧世界とやらの時に戦争にまでは発展していなかったはずだ。
あくまでも、吸血鬼を始めとした魔物と、人間の魔術師の戦い。朱音が生まれ育った未来も含めて、人と人との戦争なんてものは経験していないはずだが。
「恐らくだけれど。アカネは戦争のやり方を知っているんじゃないわ。効率的な殺し方を知っているだけなのよ」
「効率的な、殺し方……」
つい反芻してしまったそれは、普段龍太たちと接している彼女からは、全く想像できないものだから。
しかし敵と相対した時の、敵として出会った時の彼女を思えば。なぜか、この上なくしっくり来てしまう。
龍太たちは知らぬことだが、これも彼女が持つ力、キリの『拒絶』による殺人欲求が為すものだ。理論立てたものではなくて、殆ど本能の部分で、彼女は効率的に殺人方法を心得ている。相手の数に合わせた殺し方を。
「敵もこちらと同じ人間よ、感情のない魔物や機械を相手にしているわけではない。出来る限り恐怖を与えるようにすれば、どうなると思う?」
「どうなるって……あぁ、恐怖が伝染するのか」
軍は集団だ。そして人間という生き物は優秀なことに、他人の感情をある程度察し、また共感してしまう。それはどのような感情でも変わらず同じで、中でも恐怖というのは他人に伝わりやすい。
それも、前線で戦っている兵士だけが全てではないのだ。拠点に詰めている者もいれば、帝国の本拠にいるお偉方だっている。
前線では恐怖が伝播し一瞬で戦意喪失。
後方にいる部隊にもそれが伝われば士気は落ちるし、参謀なんかも作戦を立てにくくなる。
取り分け戦場にいる兵士たちは、ただでさえ死が間近にあるのだから。
錯乱して突っ込んでくるだけなら容易く殺されて、尻込みしてしまえばその隙を突かれる。例え数で負けていても、その差をひっくり返せるようになる。
「この世界の戦争は、個人の戦力でひっくり返るかもしれない。その最大の理由を、アカネは理解しているのだわ」
「兵器よりも、それを扱う個人の戦力差が大きいから、か……」
例えば、龍太の元いた世界だと。
銃さえあれば、誰でも人を殺せてしまう。相手が何者であっても関わらず。
しかしこの世界では、その限りじゃない。撃たれた側の相手に、銃弾が全く効かないなんてこともある。そういう常識外の存在が、この世界には複数名存在している。
人間そのもののスペックが違いすぎて、武器のスペック自体は関係ない。介在する余地すらない。
あるいは、その魔導師や魔術師自身が兵器に相当する。それも、龍太たちの世界で言う核兵器並みの。
ただ、どれだけ強力な魔導師でも、人間である以上は限界がある。食事や睡眠は必須だし、魔力も無限ではない。朱音の場合、銀炎を始めとした多くの異能を使うにしても、それなりの消耗はあるだろう。
例え核兵器並みの戦力を個人で有していても、戦況をひっくり返せるのだとしても。たった一人で戦争に勝てるわけじゃない。だからこそ、個人の戦力が重要視されるこの世界でも、軍というものは一定以上の価値を持っている。
「キリュウ様が離脱した戦場は、多くが戦線を押し上げています。帝国軍が完全に撤退した場所もあり、そう言ったところは無理に追撃せず、兵を休ませているところです」
「丈瑠さんとアーサーは?」
「彼らには本陣の守りをお願いしています。キリュウ様が転戦していることは敵にも知られていますから、その隙をついて何度か隠密に長けた魔導師が襲って来ていまして。その上ヤマト様には各地に戦力を送っていただきましたから。式神、というのでしたか」
丈瑠は陰陽術を使う。これはこの世界に存在しない魔術で、龍太のいた世界、日本特有の術だ。
聞いた話によると、陰陽術はこの世界の魔術のように魔力によって術式を描くこともなく、ヒトガタと呼ばれるあの紙が術式や魔法陣の代わりになっているらしい。だがその代わり、発動条件はシビアなものが多かったりする。方角、星の位置、地脈の流れなど。魔術師自身よりも、世界の側に求められる条件が多いのだ。
そんな陰陽術は、異世界においてどれだけの効力を発揮するのか。言わずもがな、この世界には元の世界と同じ星は存在しないし、地球とは違う惑星なのだから地脈の流れも異なる。
しかしそこは、意外と調整次第でなんとかなるらしい。
先日この学園諸島に赤き龍の端末が現れた時も、彼は式神である九尾の狐を使役していたし、旅の道中でも普通に使っていた。
「まあ要するに、向こうは心配するだけ無駄ってことですね」
最後にルビーが適当な口調でそう締めるが、分かっていても心配なものは心配なのだ。
なにせ朱音たちが向かった先は戦争。龍太のような子供にとって、それはある種恐怖の象徴でもある。
第二次世界大戦、その後に続いた冷戦や、核爆弾などの兵器の恐ろしさ。
それらを上の世代から嫌というほど伝えられているし、戦争から八十年近く経った今でも、その爪痕が完全になくなったわけじゃなかったから。
「向こうの戦況を報告させたのはついでみたいなものです。本題は明日以降のことですよ、せんぱい」
ドリアナ学園の学園祭は、三日間をかけて盛大に行われる。
大国各地からも王族や貴族などを招き、当然生徒の家族だって。この閉鎖的な学園諸島が外の者たちを招き入れる、数少ない機会だ。
それはつまり、同時に、よからぬ輩が入り込む絶好の機会にもなってしまう。
「毎年誰かしら犯罪者が紛れ込むみたいなんですよねー」
「えぇ……いいのかよそれ……」
「敢えて、じゃないかしら? 学園祭を餌に凶悪な犯罪者を誘き寄せて、捕まえる。ここに来るということは、それなりに腕に覚えのある魔導師ばかりでしょうし」
仮に国際指名手配されているような、凶悪犯であっても。ここ、ドリアナ学園諸島に誘き寄せてしまえば関係ない。
ここは龍の巫女が治める島だ。島そのものと接続できるエリナがいれば、悪人の動きは筒抜け。実働部隊には精鋭の教師たちや上級生、おまけに異世界の魔術師である学園長もいる。
この島に入ってしまった時点で、犯罪者たちは詰んでいる。
だがそれも、普段ならの話。今回の敵は一味違う。
最初の襲撃の時にしても、やつらの存在を事前に察知することはできなかった。もちろん自ら誘き寄せたわけではないのだから、条件も違ってはいるけれど。それでも、ここが龍の巫女のお膝元であることに変わりはない。だというのにやつらは、スペリオルは、エリナにも朱音にも勘付かれず、この島に侵入した。
「そういえばルビー、あなた以前、予言がどうこう言っていたわね。その力で明日以降のことは分からないのかしら?」
そういえば前に射撃訓練場で会った時、この後輩はそんな言葉を口にしていたか。それからも色々あったからすっかり忘れていたけど、もしもその予言とやらが丈瑠の持っている未来視のようなものなら、かなり役立つはずだ。
しかし、ルビーの表情は優れないもので。
「あー、それですか。正確にはあたしが持ってるわけじゃないですし、表向き予言ってことにしてるだけで、ちょっと違うんですよねー」
「そうなのか? てっきり、ルビーもそういう特別な力を持ってるもんだと思ってたけど」
「特別といえば特別ですよ、お嬢様は。なにせこのお歳で、革命軍の参謀を任せられているのですから」
まあ、それもそうか。龍太より歳下、二年生ということはまだ十四歳だ。元の世界でいえば、中学二年生。全然子供である。
それでも革命軍の参謀というポストを任されているのには、相応の力がなければおかしい。いや、公爵家の娘なのだから、お飾りという線もなくはないが。
「別に特別でもなんでもないですよ。ちょっとお勉強ができる程度です」
言葉通り特に自慢げに話すでもなく、むしろどこかつまらなさそうに、ルビーは小さな口を尖らせている。
その真意が気にならないと言えば嘘になるけど、これ以上話を逸らすわけにもいかない。
「それで、結局予言っていうのはなんなんだ?」
「あたしの母、公爵家当主エメラルダ・ローゼンハイツが持っている、せんぱいの世界で言うところの異能ってやつです。あたしたち帝国が信仰している神がなにか、せんぱいは知ってますか?」
「えっ……なんだっけ……?」
不意に尋ねられ、小声で隣のハクアに聞く。これはさすがにここの授業でも教わっていないので、知らなくて当然と思われたのか。龍太の代わりにハクアがルビーへ答えた。
「戦神ドグマね。五千年前、当時東の大陸を支配していた魔物たちの王を、たった一人で倒した英雄よ」
「龍神以外にも神様っていたのか」
「ええ。といってもその殆どが、大昔の英雄を祀りあげているだけなのだけれど」
殆ど、ということは。少ないながらも、正真正銘の神様がいるにはいるのだろう。
ただ今のこの世界では、ほとんどの国が龍神を始めとした一部の伝説的なドラゴンを、神として崇めている。時代の流れというやつか、本来信仰されていた神たちは忘れ去られてしまったのだろう。
「五千年前ってことは、もしかしてハクアは会ったことあるとか?」
「いえ、さっきも言った通り当時の東の大陸は、およそ八割近くが魔物に支配されていたのよ。さすがのわたしも近づかなかったから、かの戦神と会ったことはないわ。けれど、噂話程度なら聞いたこともあったわね」
「どんな?」
「曰く、彼が戦場へ向かって負けることは、一度もなかった。敵の動きも味方の動きも、全てが彼に操られているようだった、と」
無敗の戦神。なるほど、神として祀りあげられるのも頷ける。
例えば、龍太の世界でいうところの主神オーディンなんかは、その槍を戦場に向けただけで勝ちを確定させるなどといった、馬鹿げた逸話まであるのだ。それと似たようなものだろう。真実はどうあれ、現代に伝承としてそう残っている。
「察するに、その戦神とあなたたちの言う予言は、かなり深い関係にあるのではないかしら?」
「ええ、まあ。というか、それそのものと言っても過言じゃありませんよ。あたしたちローゼンハイツには、戦神ドグマの血が流れていますから」
予想通りだったのか、ハクアはあまり驚いていない。龍太も話の流れ的に察してはいたが、しかし驚愕が表情に出てしまっていたのか。ルビーは笑みを一つ落として、勘違いしないでくださいと言った。
「さっき言われたように、今でこそ戦神って呼ばれてますけど、元は普通の人間です。だからあたしたちローゼンハイツ家も、ちょっと特別な力を受け継いでいるだけの、ただの人間ですよ。神様なんかじゃありません」
「その特別な力っていうのが、予言ってことか? ならもしかして……」
「はい。ローゼンハイツの当主は、戦神ドグマの持っていた力を受け継ぎます。今はあたしの母が。母が当主を退けば、今度はあたしが」
そうやって、五千年前からずっと。戦神の力を受け継ぎ続けてきた。
ルビーの次は、恐らく彼女の子供が、孫が、その先の未来もずっと。
「……話が逸れましたね」
どこか寂しげな笑みを浮かべたルビーが、そう言って話を戻す。果たしてその笑顔は、彼女の仮面の一つなのかどうか。
「あたしたちのいう予言とは、正確に言えば予言なんかよりももっと強力で、使い勝手の悪いものなんです」
「まあ、強い力ほど使い勝手が悪いもんだしな」
「せんぱいにも分かりやすく言えば、ヤマトタケルの未来視。あれに近いものですね」
丈瑠が持っている未来視には、二つの機能がある。
ひとつは至ってスタンダードな、未来を予測する力だ。無限に広がる可能性の中から、最も高いものをその目に映す。これは丈瑠本人の行動次第で変えることができる。
そしてもうひとつは、望む未来を引き寄せる力。それがどれだけ不可能に近い、可能性の低い未来でも。ほんの少しでもその可能性が存在するのであれば、無理矢理に引き寄せて実現する力。
このどちらも、任意のタイミングで発動できるのだから、強力でありながら使い勝手のいい異能だ。それは丈瑠自身が、朱音から貸し出されているだけにも関わらず自在に扱っていることこそ、証明になる。
それで結局、ローゼンハイツの予言がどういったものなのかというと。
「あたしたちの予言は、眠っている時に夢で見ることになります。予知夢ってやつですね。ただし、一度見てしまったその未来は、強制的に決定されてしまう。望む望まないに関わらず」
低い声音のルビー。だが、それにはハクアがすぐに疑問を呈する。
「そんなことがあり得るのかしら? 未来というのは基本的に不確定なものよ。タケルの未来視だって、そう言った部分を敢えて利用して、望む未来を引き寄せている。強制的に決定させるなんて、個人の持つ力で世界全体の因果を歪めているようなものだわ」
例えば、未来視を持つ人間が未来を覗き見る、というその行為ですら、未来を変える一つの要因になってしまう。
明日の朝食はなにを食べているのか、という未来を覗き見ることで、本来ならパンを食べていた未来が白米を食べている未来に変わってしまう。その可能性が、また新たに生まれる。
ハクアが言った通り、基本的には常に不確定なものが未来というものだ。可能性は無限に近い数広がっていて、丈瑠の未来視はそう言ったところをあえて利用し、あくまでも主観に基づく未来のみを引き寄せる。だからこそ成り立つ力なわけだが、ローゼンハイツの予知夢はまた違う、主観ではなく世界全体に働きかける、本来なら有り得ざる力。
「これはあたしの推測なんですけど、戦神本人もここまでの力を持ってたわけじゃないと思うんですよね。後世に残された伝説に尾鰭がついて、結果的に人知れず受け継がれていった力も変化していったと思います」
ローゼンハイツ家当主個人の力ではない。戦神を崇める帝国国民全体の、こうであって欲しいという願いが形作った、歪な力となってしまった。
「大衆の願いを受けた力であるなら、たしかに一応は理屈も通るけれど……」
「問題は、ルビーたちがどんな予知夢を知らされてるのかだよな?」
正直、細かいことは龍太にはさっぱりだが、ローゼンハイツの予知夢がそういうものであるというなら、果たしてどのような未来を見て、そう決定されてしまったのか。重要なのはそこだ。
恐らくだが、ルビーたちがこの学園諸島に来た理由も、龍太たちに接触してきた理由も、そこにある。
「まずいまから四年前、入学するよりも前にあたしたちが母から知らされた予知夢は、帝国が滅びるというものでした。ただ、その滅びがどういった形になるのかは分からない。革命軍が戦いに勝つのか、あるいは先日のローグのようなことになるのか」
「その過程は分からない、ということかしら?」
「というより、過程は問わないんですよ。どのような道を辿っても、終着点は必ずそこに行き着くんです」
未来は変えられない。変えられるのは、そこへ至る道のりだけ。
答えだけが先に齎されて、その途中式はこちらが埋めろというわけだ。
「予知夢で見てしまった以上、その未来は変えられない。だから、ほんの少しでもマシな結果を掴み取るために、色々やりました。でもその直後に第一皇女殿下が暗殺されちゃいまして」
「私とお嬢様が学園に入学したのは、暗殺者を雇ったであろう政敵から、身を守るためでもあったのです」
ドラゴンとの融和政策に取り組んでいた第一皇女。タカ派からすれば目障り極まりない皇女様と親しかったどころか、同じことをしているルビーは、次の標的にされる。その政策の一環として帝国に来ていたジョシュアも。
恐らく、皇女様暗殺は帝国滅亡の第一歩になったのだろう。四年経った今でも公表はされていないらしいが、高位貴族たちは知っているはず。むしろ、四年も隠し通せるわけがないのだ。察しのいい人間は気づいているだろう。
「この学園諸島だろうと、どこに監視の目があるかは分かりません。学園長と龍の巫女にだけ事情を話して、学園では模範的な帝国国民として振舞っていました。幸いにして、帝国の内情はあまり世間に知られていませんから。お嬢様の振る舞いに違和感を持つ人もいませんでした」
「で、次に予知夢を知らされたのは、せんぱいたちが学園に来る直前。運命の出会いがあるぞって言われました!」
「えぇ……」
キャピッと語尾に星マークでもついてそうなあざとい言い方に、つい引いてしまった。それが不満だったのかルビーはムッと頬を膨らませて、抗議の目を送ってくる。
「そんなに嫌がらなくてもよくないですかー? 実際あたしたちにとっては、運命の出会いって言っても過言じゃないんですよ」
「それはリュータ個人を指した予知夢ではないのでしょう?」
こちらもちょっと不満げなハクア。喧嘩腰にならないでほしいが、嬉しくも感じてしまう。
「まあその通り、つまりは異世界人が学園に来て協力を取り付けられる、って予知夢だったんですけどね」
「ああ、それで予言と違うって言ってたのか?」
「いえ? あれは撒き餌みたいなもんですよ。あたしたちの素性を知って、しかもなにやら予言なんてものを信じて接触してきてる。そうなると、せんぱいたちもあたしのことを考えないわけにはいかないですよね?」
片目を瞑って、ちゃめっ気たっぷりに言ってのけたルビーに、龍太は思わず脱力してしまった。
つまり、なにか。あの場でひと騒動起こしたのは、全部ルビーの計算通りというわけか。しかも見事に手のひらの上。龍太たちはルビーとジョシュア、ひいては帝国のことを気にせざるを得なくなり、結果こうして協力体制を築くことになった。
「今のところ、全部あたしの想定通りに事態は動いてくれてます。キリュウアカネとヤマトタケルが帝国に向かったことも、帝国から刺客が送られてきてることも、そこにせんぱいたちが介入してくれたことも。けれど、明日からどうなるのか。正直、想定通りにいかない可能性の方が高いです」
「それでも聞かせてもらえるかしら。あなたが思い描いてるものを」
こくりと頷いて、ルビーは指を二つ立てる。
「二日目です。スペリオルと帝国の動きがあるとすれば、二日目になります」
「理由は?」
「一日目はまず確実に、物質や人員の追加がメインに行われるはずです。諸島外から父兄やゲストを招き入れるのは、一日目だけですから。その機会を逃すとは思えません」
スペリオルや帝国の刺客たちは、現状この島に囚われてしまっている形になっている。普段であれば出ることも入ることも容易には叶わず、古代遺跡に置かれていた帝国の物質も、少しずつ輸送してきた結果だろう。人を動かすのはそれよりも難しい。
だから一日目は、ことを起こすために必要なものを集める。ようは準備に一日を費やすだろうというわけだ。
「それが分かってるなら、入ってきたところを一網打尽、ってわけにはいかないのか?」
「難しいでしょうね……学園側にもメンツというものがあるもの。各国の王侯貴族なんかがやって来るのだから、あまり表立って大きく動きたくはないはずよ。出迎えの警護なんかで人員は割かれてしまうでしょうし」
「そっか……てかこれさ、栞さんとかジンたちも一緒に話したほうがよくないか?」
学園諸島全体の責任者は栞だし、ジンとクレナも話を共有している仲間だ。龍の巫女であるエリナとローラにも、話は通しておくべきだろう。ここで四人だけで頭を悩ませても仕方ない。明日以降、実際に中心となって指示を出すのは学園側だ。龍太たちはあくまでも生徒でしかなく、むしろ守られる側である。本人たちにその自覚があるかはさておき。
「もちろん、学園長にもすでに話してますよ。明日以降の指示ももらってきてます」
「なんだよ、だったら早く言ってくれよな」
「話を先に進めたのはせんぱいですよー」
むっ、たしかに。勝手に先走ってしまったのはこちらだ。ルビーは悪くない。
「それで、シオリはなんで言っていたのかしら?」
「手出し無用、大人に任せなさい、らしいです」
「はあ⁉︎」
つい大きな声を出してしまった。ルビーはやっぱりとでも言いたげに苦笑い。
「スペリオルの狙いは俺だろ! なのに手出し無用って!」
「どうどう、落ち着いてくださいよせんぱい。もちろんあたしだって、それで納得したわけじゃないですし。せんぱいのこの反応は予測済みでしたから、ちゃんと学園長にもそう伝えたんですけどね」
けれどルビーは、手出し無用だという解答を持ち帰ってきた。つまり本人が納得しているか否かに関わらず、ルビーはそれでいいと判断したのだ。
「正直な話、あたしたちが出る幕はないんですよ。明日から来るお客様の一覧、知ってます? ドラグニアからは宮廷魔導師長に元龍の巫女の王妃様、おまけに水龍の巫女も来るんですよ? つまり、龍の巫女が三人揃うわけです」
「マジで……?」
「マジですよー」
それは、うん、たしかに……龍太の出る幕はなさそうだ。
スペリオルやら帝国やらがどれだけの戦力を有していても、この世界最高の戦力であり、最大の抑止力が三人も出て来るのだ。
おまけに、ここの学園長は人類最強の妹。教師たちもギルド所属の魔導師と遜色ない実力を有しており、スカーデッド一体くらいならそれぞれで迎撃可能ときた。
下手な小国よりも戦力のある学園に、龍の巫女が三人。さらに元龍の巫女らしい王妃様と、ドラグニアの宮廷魔導師長である龍神の娘。
いくら龍太にやる気があっても、これでは却って足を引っ張りかねない。
「各国のお偉方だって、ほとんどが魔導師としても優秀な人ばかりです。学園長の言う通り、大人に任せてもいいと思いますよ」
「でも、もしものことがあるだろ……?」
「はい、もしものことがあります」
食い下がる龍太に、ルビーは意外にも即答で頷いた。まさか肯定されるとは思わず、肩透かしを食らってしまう。
「せんぱいも言ったように、スペリオルはせんぱいを狙ってるらしいですし、帝国はあたしたちの身柄を狙ってます。そうである以上、当のあたしたちが備えないわけにはいきません」
最も警戒すべきは、青龍ヘルヘイム。やつがローグを滅ぼした黄龍ヨミと同じ、五色龍の一角であるなら。龍の巫女以外に止められる人はいなくなる。
幸いにして、今現在はなぜかドラグーンアベンジャーに変身することに拘っているようだが、やつが青龍として牙を剥けば、果たしてどれだけの被害が出ることか。
それに、向こうが数を用意してきたら、隙をついて直接龍太たちの前に現れかねない。
詩音の持つドラゴンの力は、まさに打って付けだ。
「基本は言われた通り、大人の皆様方にお任せしちゃいましょう。もしものことがあるかもしれない。それは頭に入れておくべきですけど、せっかくの学園祭ですよ、せんぱい」
「そうね。リュータ、難しいかもしれないけれど、まずは学園祭を楽しむことを考えましょう。もし戦うことになってしまっても、今のわたしたちなら大丈夫よ」
ハクアから微笑みながら言われてしまえば、龍太もそれ以上は反論できなくなる。
それでもやはり、純粋に楽しむのは難しいかもしれない。敵が来ると分かっていて、他の誰かが戦っていると知っていて、自分はただ守られるだけなんてのは、違う。
正義のヒーローじゃない。
なおも悩む龍太の手に、ハクアの白くひんやりとした体温の低い手が、重ねられる。
「それに、わたしはリュータと一緒に、学園祭を楽しみたいわ。わたしのためだと思って、ね?」
「……その言い方は反則だろ」
龍太だって、出来れば学園祭をめいいっぱい楽しみたいと思っている。クラスのみんなと今日まで頑張って準備をしてきたし、きっと帝国に行った朱音たちだって、それを望んでいるだろう。
なにより、せっかくハクアと一緒に過ごせる学園生活だ。その最初にして最後の大きなイベントが学園祭。
「分かった。俺も、ハクアと一緒に楽しみたいしな」
目を合わせて微笑みあっていると、大きなため息が横から聞こえてきた。
「人前でイチャつかないでくださいよー」
「まさかこの様な光景を拝めるとはッ……! 学園に来てよかった……!」
呆れた様子のルビーと、泣きそうになりながら両手を合わせて天を仰ぐジョシュア。
いや怖いよジョシュア。聖地の人ってみんなこうなの?




