少女の戸惑い 4
朱音と丈瑠がそこに辿り着いた時には既に、全てが終わっていた。
六枚の翼を持つ金色のドラゴンが、赤銅色の鎧を踏みつけ地面に縫い留めている。暴走状態にあるバハムートセイバーは必死に足掻いている様子だが、龍神シャングリラの前脚はびくともしていない。
やがてシャングリラが足をどけると同時に、バハムートセイバーの変身が解ける。
龍太とハクアの二人に分かれて、しかしこれまでと違い、二人とも気絶していなかった。
「弱い」
オーバーロードを解き、人の姿に戻ったエリナが、短く一言。
「弱いって……」
「原因、ハクアは分かってるみたいだけど」
言われて、龍太は顔を横に向ける。
心当たりがあるのか、ハクアの表情は沈んだものだ。
「誓約龍魂は人とドラゴン、両者の心をひとつにしないと真価を発揮できない。それは暴走状態にあるバハムートセイバーも同じ」
変身が解けても気絶しなかったのは、間違いなくシャングリラのカートリッジのおかげだ。しかし、バハムートセイバーの出力自体が落ちてるのは、また違う理由から。
エリナ曰く、その理由が心をひとつにできていないから、と。
「ハクア、なにを悩んでるの?」
「わたしは、別に……」
「否定しても無駄。さっきの体たらくが証拠になる」
淡々と、無感動な言葉がハクアを刺す。
いっそため息のひとつでも吐いてくれればよかったが、エリナは眠たげな無表情のままだ。ハクアも返す言葉を持たず、ただ項垂れるのみ。
「エリナさん、それ以上は二人の問題だと思いますが」
「二人とも、来てたんだ」
「そりゃまあ、バハムートセイバーの暴走はすぐ分かるようにしてますから」
朱音と丈瑠が割って入ると、自分のやることは済んだと言わんばかりに、エリナは立ち去る。どうやら、随分と落胆させてしまったらしい。
「で、なにがあったの? ていうかなにしてるの? 丈瑠さんにまた暴走してるって聞いたから、急いで来たんだけど」
「まあ、色々ありまして……」
ウンディーネ島でスカーデッドが出てからここに連れてこられ、シャングリラのカートリッジの実験をしたはいいが、龍神に変身したエリナに手も足も出ず負けたこと。
全てを説明すれば、朱音はふむ、と顎に手を当てる。
「シャングリラのカートリッジでイクリプスの制御か……」
「見事に失敗しましたけどね。さすがの僕でも、データが少なすぎました。次は上手く調整します」
離れた位置で見ていたイグナシオとソフィアも、こちらに歩み寄ってきた。
今回は失敗前提のようなところはあったが、やはり自他ともに認める天才としては悔しいものがあるらしい。
しかし、それに否やを唱えたのは丈瑠だ。
「いや、シャングリラだけじゃ足りないんじゃないかな」
「というと?」
「ハクア、他の龍神のカートリッジは持ってる?」
「ええ、もちろん持っているけれど」
「大元はシャングリラでいいけど、それひとつじゃ完璧に制御しきれない。だったら、他の龍神の力も使った方がいいよ」
「そない単純にいきますかね?」
「上手くいけばね。魔導具関連の知識は僕もあるから、手伝えることは手伝うよ」
ハクアから三つのカートリッジを受け取り、丈瑠はイグナシオ兄妹と共に工房へ向かった。残されたのは、龍太とハクア、それから朱音の三人。
浮かない顔をしたままのハクアを見て、朱音はため息をひとつ。
「ハクア、ちょっとこっち来て」
「え……アカネ?」
「大丈夫、十メートル以上は離れないし、龍太くんに声は聞こえないようにするから。パートナーに言いにくいなら、とりあえず私に話してみなよ」
手を取られ、二人はそのまま少し離れた位置でなにやら話し出す。
そうして龍太ひたりだけがポツネンと取り残されて、手持ち無沙汰ゆえに思考は無駄に回転してしまう。
恐らく、エリナが言っていたのは龍太がハクアに感じていた違和感と同じだろう。
そしてそれは、ウンディーネ島で言おうとしてくれていたことと同じかもしれない。
先日助けた後輩、ルビーのことを気にしているわけではない、と本人は言っていたけど。あの時の表情を見るに、全く気にしていないというわけでもないのだろう。
ただ、恐らく本質はそこにない。
これまでのハクアと違った、どこかよそよそしくも思える態度には、彼女なりに大きな理由があるのだろう。
けれどやはり、龍太はそこまで推し量ることができない。他人の心情を完全に理解しようなんてのは土台不可能で、傲慢な行いだ。
なにも言わなくても伝わるわけがなく、言葉にしてもその全てが伝わり切るとは限らない。だからこそ、大切な人のことを知りたいと、自分のことを知ってほしいと、焦がれて希う。
そんな感情を抱くのは初めてだから、十六歳の少年は持て余してしまいがちだけど。
きっとハクアだけじゃなくて、龍太もちゃんと全部言うべきなのだ。お互いの思ってることを一度全部曝け出して、この身に余るほど大きな想いを、たとえ伝えきれずともその努力をするべきだ。
こればかりは、バハムートセイバーのことなんて関係なく。ただ、かけがえのない彼女に、自分の気持ちを伝えたいと。龍太自身がそう思ったから。
「お待たせ、龍太くん」
「……」
戻ってきたハクアは、なぜか頬を赤らめていた。こちらをチラと見たかと思えば、すぐに顔ごと逸らしてしまう。
一方の朱音は、妙にほくほくした表情。いいものを聞くことができた、と顔に書いてある。
「じゃ、私はスカーデッドについて調べてくるから、あとは若いお二人で」
「わたしの方が歳上なのだけれど……」
「そういうマジレス今はいいから。ちゃんと二人で話しなよー」
朱音も転移でどこかへ消えてしまい、ついに龍太とハクアの二人だけが残されてしまった。
決心をしたはいいものの、さてどう切り出したものか。ともあれ、いつまでもここに留まるのもあまりよろしくない。
「とりあえず、場所変えようぜ」
「え、ええ。そうね、そうしましょう」
ここはハイネスト兄妹のテリトリーだ。ないとは思いたいが、覗き見や盗み聞きされてる可能性を否定できない。ていうか、絶対にしてると確信を持って言える。
けれど他にいい場所の当てなどなく、二人はシルフ島の自分たちの部屋に戻ることにした。
◆
シルフ島のペンションに帰ってくると、留守番を任せていたアーサーとエルが出迎えてくれた。
『おかえり、二人とも。今日は早かったな』
「きゅー!」
エルがハクアに突撃して、その胸に抱かれる。ちょっと羨ましいと思っちゃうのはご愛嬌。
小さな黒龍は母親代わりの少女の異変に気づいたのか、つぶらな瞳で見上げて、首を傾げていた。
『今日の夕飯はどうする?』
「悪いアーサー、今日は任せるよ。ちょっと部屋でハクアと話してくる」
ドリアナ学園諸島に来てから、ご飯はなんとアーサーが作っている。簡単な魔術で調理器具を浮かせて自在に動かし、白狼の料理はとても美味なものだ。
二人の様子になにか感じ取ったのか、アーサーはこくりと頷いた。
『了解した。エル、こっちに来なさい。夕飯を作るから手伝ってくれ』
「きゅー」
白狼と黒龍、種族は違えどどこか兄弟のような二匹を微笑ましく思いながら、龍太とハクアは自分たちの部屋に上がる。
当然のように二人一部屋を割り当てられていて、ここを拠点としてからの数日、一緒に眠っているダブルベッドに腰掛ける。
天使が降りたような沈黙は、ある意味当然だったのかもしれない。
変に時間を置いてしまったからか、ただでさえどう切り出したものかと悩んでいたのに、今度は遅れて羞恥心がやってきた。
自分の想いを全て口に出してしまおうと思っても、言葉は形を持ってはくれない。心臓がバクバクと大きな音を立てて、声より先に口から出てきてしまいそうだ。
「わたしは……」
やがて沈黙に耐えきれなくなったのか、あるいは決心がついたのか、ハクアが口を開いた。ただしその第一声は、龍太も予期せぬもので。
「わたしは、リュータのことが、好き」
「へっ?」
声が裏返った。幻聴かとも思ったが違う。いや、ハクアの言葉はとても喜ぶべきものなのだろうけど、あまりにも心の準備が出来ていなさすぎた。
なにか返事をするべきなのかと頭の中だけで大騒ぎだが、続く言葉はまたしても予想と違って。
「エルのことも、アカネやタケル、ジンにクレナ、アーサーにローラだって。みんなのことが好きよ」
「ああ、そういう……」
よかった、一人で舞い上がって勘違いせずに済んだ。いや、よかったのか?
少しがっかりしつつも、俯いたままのハクアに先を促す。
「わたしと一緒に旅をしてくれるみんなが好きで、大切な仲間だと思ってるわ。けれどあなたのことを想う時だけ、なにか違うの」
「違うって?」
「みんなとの思い出を振り返ると、胸の奥がとてもあたたかくなる。これまでの旅を思い返すだけで、わたしはみんなのことが好きなんだって実感できる。けれど、リュータとの思い出を振り返ると、たまに苦しくなることがあるの」
それは、どういう意味なのだろう。
勘違いしてしまっても、いいのだろうか。
「リュータのことを想うと、胸の奥があたたかくて、でもたまに苦しくて……あのルビーっていう子が来た時だって、あの子にリュータが取られるかもしれないって、不安になったりもした……」
「取られるなんて、そんなことないぞ?」
「分かってる。事実リュータはあの時、あの子を拒絶してくれた。でも、分からないの。わたしのこの感情が、一体何なのか。リュータのことは好きだけれど、どうしてこんなに苦しくて、不安で、怖くて焦って恥ずかしくて、悩んでしまうのか。こんなこと、何万年も生きてきて初めてだから」
彼女の不安は、その表情からもありありと伝わってくる。不安というより、戸惑っていると言った方が正しいのだろうか。
初めて抱く感情に、ハクアの心がついていっていない。迷子のように肩を抱いて、その感情に恐れ震えている。
だから龍太は、迷いなく行動に移せた。
震える肩をソッと抱いて、柔らかく抱擁する。衝動に身を任せたと言われれば否定できない。でもこうするべきだと思った。
ハクアへの愛おしさが込み上げてきて、抱きしめたいと、そう思った。
「俺も、ハクアのことが好きだ」
言葉は、自分で思っていたよりもするりと口から流れる。直前まであった羞恥心はどこかへ消えて、どう切り出すべきか悩んでいたのが嘘のように。
言うべき言葉、言いたい言葉が考えずとも出てくる。
「他のみんなのことももちろん好きだけど、でも、それはハクアに対するものと全然違う……同じだよ、ハクアと」
「同じ……?」
「うん、同じ。ハクアのことを想うと胸の奥があたたかくなって、でも苦しい時や意味もわからず不安になる時だってある。それがどうしてか、分かるか?」
抱擁を解き、華奢な肩を優しく掴んで、ジッと目を合わせる。
綺麗な真紅の瞳は、不安に揺れているようで。けれどなにかを期待しているようでもあって。
「俺にとってハクアは、誰よりも大切で、特別な女の子だから」
同じ言葉を、何度か告げたことがある。その度にハクアは微笑んで受け止めてくれたけど。きっと、その言葉の奥にある本当の意味や気持ちには、気づいてくれていなかった。
でも今は違う。全部伝える。伝わっていると信じてる。
「ずっと、一生隣にいて欲しい。他の誰にも渡したくない。ハクアの笑顔も、怒った顔や泣き顔も、全部独り占めしたい。気持ち悪いって思われるかもしれないけどさ」
「そんなっ……気持ち悪いだなんて、思うわけないわっ」
「そっか、ありがと」
くしゃっと表情を綻ばせると、ハクアは白い頬を真っ赤に染めて目を泳がせる。
拒絶されなかったことに一安心して、龍太は言葉を続けた。
「俺がハクアに対して抱いてる好きは、そういう感情なんだ。ハクアは、どうだ?」
「わたしは……でも、わたしはっ……!」
口を開いても、音が形を持たない。喉の奥に詰まって、それ以上を言えない。
きっとバハムートセイバーの権限レベルの影響だろう。なにかを打ち明けようとしてくれても、今のハクアはそれを許されない。
そんな自分に落胆して、シュンと俯いてしまう。そうして絞り出される声は、とても弱々しかった。
「わたしはいつか……リュータから離れていってしまうかもしれないわ……」
「それは、ハクア自身が俺から離れたくなるから?」
首は横に振られる。
言おうとしても言えなかったことと、なにか関係があるのだろう。白き龍ユートピアとハクアの関係性は、未だに分からないことが多い。でもきっと、ハクアがそう言ってしまうことに関係があるはず。
でも、それだけならなんの問題もない。
「大丈夫。俺が絶対、そんなことにはさせない。だって俺は、正義のヒーローになるんだ。好きな女の子を一人も守れないで、ヒーローは名乗れないよ」
「リュータ……」
「だからさ、ハクアがどうしたいのか、どう思ってるのか、教えてくれよ。俺は、今よりもっと、ハクアのことが知りたいんだ」
外的要因でそうなってしまうかもしれない、というもしもの話は、この場において重要じゃない。
大切なのは、龍太が、ハクアが、どう思い、どうしたいのか。
「わたしも……リュータとずっと一緒にいたい……!」
濡れた真紅の瞳に、雫が溜まる。
初めて抱いた感情を制御できず、ただ思うがままの言葉が溢れる。
「他の誰にも渡したくない。だって、リュータはわたしのヒーローだから。あなたのことを独り占めしたい。ずっと隣で笑っていて欲しい」
「じゃあ、俺と一緒だな」
指と指を絡ませあう。艶やかで柔らかい五指からは、常人よりもほんのりと冷たい体温が伝わってきて。ハクアはたしかにここにいるのだと、実感できる。
龍太は微笑んで、ハクアは恥ずかしそうに頬を染めて見つめ合う。まるでいつもと逆だなとどこかおかしく思っていると。
二人の手首にあった腕輪が、突然輝き出した。
一人でに手首から外れて宙に浮き、二つの光が一つになる。
やがて光が収まると、赤と白の腕輪はそれぞれ指輪に変化していた。
「これは……龍具が変化した……?」
「なんかよく分かんねえけど、丁度いいタイミングだな」
赤い指輪を自分の左手薬指に嵌めてから、ハクアの左手を取る。自分と同じ場所に白い指輪を嵌めると、さすがに少し照れ臭くなった。
「大切な人には指輪を贈って、左手の薬指に嵌めてもらう。たとえば夫婦とか、恋人とか。こっちの世界にも、そういう文化とか風習ないか?」
「ないわね……そう、アリスがいつも、薬指に指輪をしているとは思っていたけれど……」
それは間違いなく、蒼との結婚指輪だろう。
つまり、龍太が今、ハクアの薬指に指輪を嵌めたのも、そういう意味だ。
「この指輪に、誓いを込める。俺はずっと、ハクアの隣にいる。病める時も健やかな時も、って」
「だったら、わたしも」
龍太の左手を取ったハクアは、徐に自分の口へ近づける。
一体なにをするつもりなのかと思えば、指輪を嵌めた薬指に、小さく口付けた。
こればかりは完全に不意打ちで、なんの心構えも出来ていなくて、顔中が一気に熱を持ち始める。
「この指輪に誓うわ。あなたの隣で、あなたを支え続けるって」
まるで悪戯が成功した子供のような笑み。可愛らしい表情に龍太は一撃でノックアウトされてしまい、今度はこっちが羞恥心から目を逸らしてしまった。
いつの間にやらいつも通り、ハクアに主導権を奪われた。でも、この方が自分たちらしくていいのかもしれない、とも思う。
なんとも言えない甘い雰囲気が室内に漂う。ここまで互いに色々と吐き出して、このあとはさてどうしたらいいのだろう。残念ながら残念なことに、女性経験に乏しい龍太はなにも分からない。分からないが、思春期男子の悲しい性が、色々と妄想を掻き立ててしまう。
だがそれを現実にするわけにもいかず、一人悶々と悩む龍太に、天からの助けが来た。
コンコン、と。部屋の扉がノックされたのだ。
『龍太、ハクア、すまない。緊急事態だ』
自分で扉を開いて入ってきたアーサーは、ベッドに腰掛け手を繋いだままの二人を見て、なにかを察したようだった。
『……お取り込み中のようだな。出直した方がいいか?』
「いやいやいや大丈夫! 大丈夫だから!」
「そ、そうね。なにも問題はないわ。緊急事態なんでしょう? なにかあったのかしら」
慌てて手を離し取り繕うが、白狼はどことなく微笑ましそうな顔をしている。
が、すぐに表情を引き締めて、緊急事態とやらの報告をした。
『四つの島にそれぞれ、スペリオルが現れた』
「マジかよ……昼間にも現れたばっかだぞ⁉︎」
『どこから現れたのか、いつ島に潜り込んだのかはまだ判明していない。だがノームにはローラと丈瑠が、ウンディーネには朱音が、サラマンダーにはジンとクレナがいる』
「ここは、シルフ島のやつは誰が相手をしてるのかしら?」
『栞が相手をしているだろうが……』
その先を言い淀むアーサー。学園長の小鳥遊栞が向かっているなら、なにも不安に思うことはないはずだ。龍の巫女、エリナ・シャングリラのパートナーであり、強力な異能も持つらしい、龍太と同じ世界出身の魔術師。
しかしアーサーの懸念は、栞の実力を心配してのものではなく。
『シルフ島に現れたのは、ドラグーンアベンジャー、東雲詩音とヘルヘイムだと報告を受けている』
「詩音が、この島に……?」
ドクン、と。心臓がざわついた。
ローグでのことは嫌でも思い返される。なにせ一歩間違えれば、大事な幼馴染を殺してしまうところだったのだ。
でも、それでも。
この島に詩音がいるというなら、行かなければならない。
『朱音からは、あなたたち二人の状態を見て行かせるかどうか判断してくれと言われていたが。どうやら、心配はいらなかったようだな』
「ありがとうアーサー。わたしたちのこと、気にかけてくれて」
「俺たちはもう大丈夫だ。行こうハクア、正義のヒーローとして、この島のみんなを守るために」
「ええ!」
そして、今日にでも幼馴染と決着をつけるために。
今の自分たちなら、負ける気がしない。




