精霊の加護 2
クリムゾンオーガの特徴は、当然頭に入っている。
まずは見た目そのままの巨躯。体重を乗せた棍棒の一撃は非常に重く強烈で、強化がなければ人間など簡単に潰せてしまう。
次にスピード。鈍重な見た目をしているくせに、意外なほど俊敏に動くやつだ。
そのどちらも、オーガという魔物が共通して持つ圧倒的な膂力にものを言わせている。
そして最大の特徴が、炎の魔術を扱うことにある。しかも相当練度の高い魔術で、距離を取れば高音の火球が飛んでくるだろう。
かと言って迂闊に近づけば、速度×重さの圧倒的威力を出す棍棒に粉砕される。
隙のない相手だ。以前は朱音が軽く倒していたが、かなり強力な部類に入る魔物。
前回のことも踏まえた上で、攻略法に頭を悩ませる必要なんてない。とにかく攻撃あるのみ、やつに反撃の機会を与えないように。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
剣に魔力を込め、一息に肉薄したのち跳躍。クリムゾンオーガの木の幹に縛り上げられた右腕を、肩口から斬り落とした。
吹き出す血と響き渡る絶叫。攻撃の手を緩めることなく、龍太は術式を構築する。
「剣戟弾闘!」
剣の形を持った魔力が三本、ゼロ距離で放たれクリムゾンオーガの腹に突き刺さった。龍太が距離を取るのと同時、背後から機械音声が聞こえてくる。
『Reload Explosion』
ハクアの放った銃弾が頭に命中、爆発を引き起こす。よろめく赤鬼は破れかぶれに魔力を解放し、ハクアへ向けて巨大な火球を撃ち出した。
「ハクア!」
「大丈夫!」
『Reload Niraikanai』
ボルトを操作してカートリッジの魔力を装填。銃口の先に展開された魔法陣から六つの氷の結晶が現れ、引き金を引くと火球と激突、容易く凍らせてしまった。
ライフルを背中に担いだハクアは、ナイフを手に駆ける。なんの強化も必要とせず、風のように走るのは彼女が持つドラゴンとしての身体能力ゆえだ。
あっという間に懐まで潜り込んで、そこにクリムゾンオーガの拳が振り下ろされた。
しかし、ひらりと制服を靡かせて宙を舞い、バク宙で華麗に躱して見せる。同時に投擲されたナイフが首に突き刺さり、クリムゾンオーガは全身を痙攣させて動きを止めた。ナイフの麻痺毒だ。
一連の攻防の間に、龍太も敵へ再接近している。刀身に魔法陣が広がって、淡く輝く。
跳躍して空中でハクアと手を取り、純白の少女が敵へ目掛けて龍太の体を思いっきり投げた。
「トドメだ! 剣戟舞闘!」
斬れ味と破壊力を増した剣と、ハクアの手による更なる加速。
すれ違い様に一閃。巨大な赤鬼は胴体から真っ二つになり、崩れ落ちる。
粒子となって消えていく魔物を見て、龍太はたしかな実感を得ていた。
強くなってる。以前は勝てなかった魔物を相手にして、殆ど一方的な戦いを繰り広げられるほどに。
「いいコンビネーションだったな、二人とも」
「初めて会った時から随分見違えたじゃない」
声をかけてきたのは、いつの間にやら近くに来ていたジンとクレナだ。魔導師としても、パートナーを持つものとしても先輩の二人にそう言われると、照れ臭くもあるがそれ以上に嬉しさが込み上げてくる。
「サンキュー、二人とも」
「ふふっ、当然だわ。わたしとリュータのコンビネーションは誰にも負けないもの」
珍しくハクアが自慢げだ。ちょっと胸を張ってるあたり可愛らしい。
ただ、その発言に反応してしまったやつが、一人。
「おっ、だったら次は俺たちと戦うか! パートナーとの連携なら俺とキャメロットも負けねえぞ!」
「ダメですよぉクロくん。今はそんな場合じゃないでしょぉ」
めっ、と咎めるキャメロット。ほわほわした喋り方のせいで、全然怒ってる感じがしない。けれど彼女の言う通り、まずは状況の再確認が必要だ。
ここは下級生の演習場で、出現する魔物も相応に弱いやつらのはず。実際、最初に戦っていたロックパイソンという牛のような魔物は、下級生たちにとって丁度いい相手だったはずだ。
それがなぜか、クリムゾンオーガなんていう強力な魔物まで現れた。
「クロ、もしかしてだけどさ。クリムゾンオーガって、この島に生息してなかったりするか?」
「いいや、そんなことはないぜ。ただ、本来ならもっと島の奥地、その山を挟んでもっと向こうにいるはずだ。基本的に縄張りから出ないやつらだから、ここに来たこと自体は異常だけどな」
「こういうことは以前からあったのかしら?」
「あったらもっと問題になってるし、すでに解決されてるだろ。なにせうちには、天才様がいらっしゃる」
ハイネスト兄妹のことを言っているのだろう。たしかにあの二人の頭脳があれば、すぐになにかしらの対策を打ってくれるはず。それがないということは、今回が初の事例。
そして、ここに龍太とハクアが、赤き龍と白き龍の関係者が揃っていることを考えると、答えは自ずと見えてくる。
「俺のせい、ってことか……」
「リュウタの? そりゃまたなんでそうなるんだよ」
「それは……」
「まあ待て二人とも、まずは下級生たちのことだ」
「怪我人は少ないけど、いきなりあんなやつと遭遇したから精神面が不安だわ。キャメロット、あんたたちも手伝って」
「もちろんですよぉ、クレナちゃん」
クロはまだなにか聞きたそうにしていたが、ジンに急かされ、離れた位置に集まっている下級生たちのもとへ向かった。
龍太たちもとりあえずその後ろに続く。ジンが代表して今日の演習の中断を言い渡し、クレナとキャメロットが怪我人の治療をしている。
そんな中から一人、亜麻色の髪をふたつに結った小柄な女生徒が抜け出して、こちらへ駆け寄ってきた。
先程、龍太がクリムゾンオーガから守った少女だ。
「あ、あの、さっきは本当にありがとうございました!」
「どういたしまして。でも、当然のことをしただけだから、そんな何回もお礼はいいよ」
一年か二年かということは、龍太よりも結構年下、13歳くらいだろうか。ペコペコと何度も頭を下げる少女に、龍太は苦笑しながら顔を上げるよう言う。
「あたし、二年生のルビーって言います! このお礼は、今度必ずしますっ……!」
「そっか、まあ、そこまで言うなら楽しみにしてる」
パートナーらしき少年のもとへ戻るルビーを笑顔で見送り、ふと、隣からの視線に気がついた。
「……ハクア?」
「なに?」
「いや、どうかしたか?」
ジーッとこちらを見つめるハクアの紅い瞳は、なぜかやけに温度が低かった。
「別に、なんでもないわよ? それよりさっきのルビーって子、可愛らしかったわね」
「お、おう……」
これはもしや、嫉妬してらっしゃる?
なんだか最近、ハクアの新しい表情をよく見る気がして、対応に困る龍太だった。
◆
「なるほど、下級生の演習場にクリムゾンオーガか……それは大変だったね。ああ、こちらでも対策を練っておくよ。生徒たちにはきちんと知らせるように。隠していてもいいことはない。今回はたまたま上級生もいたからなんとかなったけど、次の保証はできないからね」
通信を切った学園長の小鳥遊栞は、座り心地の良い高級な椅子に深く腰掛け、背もたれに体重をかけてため息を吐く。
ついに、この学園諸島にも赤き龍の影響が出始めたか。
魔物の生息地の変化。
各国からの報告は聞いていたし、ここらの近海でもすでに同じことは起きていた。つい昨日、バハムートセイバーが馬鹿な天才二人のせいで暴走した時も、本来ならこの辺りに出現しないはずのヒュドラシャークが出現していた。
少しずつ影響が広がっているとは思っていたが、ついに島にまで及ぶとは。
こればかりは手の打ちようがない。なにせ赤き龍、枠外の存在の力のせいだ。兄と同じ存在であるやつの体質、『変革』への対応など、ただの魔術師でしかない栞には不可能だ。
しかしそれでも、生徒を守るために出来る限りのことをしなければ。
「学園長っていうのも大変ですね。よくそんなに涼しい顔をしてられますが」
「トップが不安そうな顔をしていたら、下の子達にもその不安が伝播してしまうからね。それでも、我が妹ながらよくやっているよ」
学園長室に招いている二人から、労いの言葉がかけられる。
一人はソファに座っている桐生朱音。現在ここで臨時的に教鞭を取ってもらっている昔の知り合い。もう一人は、栞の愛すべき兄。ドラグニアにいるはずの人類最強、小鳥遊蒼だ。
「僕も旧世界で魔術学院のトップにさせられた時は、そりゃもう大変だったもんだよ。上からは変なプレッシャーかけられるし、下からは期待されるし」
「その上の人たちを皆殺しにした人がよく言いますが……」
十年前、旧世界でのことを思い出してか、朱音がため息を吐く。
奇しくも以前の兄と同じ立場になった栞は、ソファの縁に座る兄へ本題を切り出した。
「やはり、精霊の加護が機能していない、ということでいいのかな?」
「だろうね。さしもの古代文明の置き土産でも、王様には頭が上がらないらしい」
「そういえば、この世界の精霊ってどういう存在なんですか?」
朱音の純粋な疑問。知らないのも無理はないか、なにせこの世界の精霊というのは、少々特殊な存在だ。
「蒼さんの口振りから察するに、古代文明と関係がありそうですが。でもハクアからはななも説明を受けてませんので」
「この世界の精霊というのは、はるか古代に隆盛を誇った人類の幽霊、みたいなものだよ」
「幽霊?」
こてんと首を傾げる朱音。歳を取ってもそんな仕草はやはり可愛い。
精霊が幽霊、というのは言い得て妙だが、なにも本当に幽霊というわけではない。
未だ謎の多い古代文明。分かっていることといえば、現代のこの世界や三人が生まれ育った異世界よりも、遥かに高度な科学技術を持っていた、ということだ。
SF映画といえば分かりやすいか。例えば、朱音たちがドラグニアで発見した古代遺跡。あの場はなにかの研究所と思しき施設で、そこに残っていた機器の数々は、やはり元の世界で映画や漫画などでしか見ることのなかったものだ。
現代の魔導科学は、それらを魔の力で再現しようとした結果の産物。しかし、どうしても完全な再現は不可能であり、劣化コピーとも呼べるもの。
「精霊というのはね、古代の人類の残留思念が、データとして抽出されたものなんだ」
「シルフ、サラマンダー、ノーム、ウンディーネ。現代では四大精霊なんて呼ばれているけど、実際は意思もなければ会話もできない、概念にも似た曖昧な存在さ」
兄妹の説明に、朱音はなるほどと頷く。さすがはあの二人の娘、理解が早くて助かる。
つまるところ精霊とは、人間やドラゴン、あるいは魔物とも違う。そもそも、生物ですらない。
データの集合体であり、この島を生かしている機能の一つでしかない。
「ま、分かっているのはそれくらいで、なぜそんなものが存在しているのか、どうして起動したのかも分かっていない。学園長として一度徹底的に調べたけれど、なにもわからずじまいさ」
島にはそれぞれ一つずつ、公表していない古代遺跡がある。その最深部に便宜上は精霊が眠ると言っている、実のところデータの大元があるコンピューターやサーバーなどが置いてある。
栞はこの十年間、何度もそこへ訪れているし、パートナーである龍の巫女、すぐそこのソファで今もすやすやと寝息を立てているエリナとも協力して調べたが、結局なにも分からずじまいだった。
「ともあれ、精霊の加護は古代の遺物だ。赤き龍や白き龍と同じ時代のもの。だから赤き龍の影響も弾くと思っていたのだが、蓋を開けてみれば全くそんなことはなかったというわけさ」
「相手は枠外の存在ですので。それも仕方ないと思いますが」
そう、起きてしまったことは仕方ない。けれど仕方ないで終わらせるわけにもいかない。早急に変化してしまった魔物の生息地と、演習場の再編成が必要だ。
「ただ、タイミングがよくないです」
「そうだね。あるいは、ある程度狙ってやってる可能性もあるけど」
朱音の言うタイミングとは、龍太のことを言っている。
実際、龍太が懸念するような魔王の心臓の影響はないと考えられる。なにせこの現象自体は、龍太がこちらの世界に来る前から起きていたことだ。人間のドラゴン化は彼がこちらの世界に来てから起こったことだが、それとはまた訳が違う。
そして蒼の言うように、赤き龍がこのタイミングを狙って意図的に起こしたものなら。
それはそれで、いくつかの問題が発生する。
まずは龍太とハクアのこと。あの二人の精神面を揺さぶられるのは、現状あまりよろしくない。
バハムートセイバーは二人の感情などを元に力を増減させる。ただでさえ暴走状態にあるのだ。これ以上は二人の身体も心も持たない。
そして次に、そもそも狙って起こせると言うこと自体が問題だ。
「極端な話、都市の中心部に生息地を指定できる可能性があるわけだ。ドラグニアやノウム連邦くらいの大国なら対処できるけど、小国となるとそうもいかないしね。それに、ローグが滅んでまだ日が浅い。どの国も緊張状態が続いてる上、東の大陸の動きも気になる。この辺りを利用されると危険だ」
「桃さんたちから情報はないんですか?」
「今はあまり大きく動けない、とだけ聞いてる。つまり、東の方もそれだけのことが起きてるってことさ」
桃と緋桜は、ギルドの存在しない東の大陸、ネーベル帝国に公になっていない裏ギルドを作っている。その目的は、帝国の監視。
本人たちはわりと自由気ままに旅をしているが、そのほかのギルドメンバーはちゃんと仕事をしているのだ。
そして現在のような状況ならば、あの二人もギルドに帰還している。
だが、桃たちが迂闊に動けないというのは、向こうもローグの滅亡を受けてなにかしらの問題が起きているということだろう。
「まあ、うちに関しては私が対策を練るからいいとして。兄さんの方は、どうしてここに?」
話を変える。
蒼がここにいるのは、彼の方から直接会って話がしたいと打診があったから。朱音も同席してくれと要求があり、ここに三人が揃っている。
「私に聞かせたいということは、もしかして……」
「そう、そのもしかして。僕たちの生まれ故郷についてだ」
生まれ故郷。今は赤き龍の仕業で滅亡寸前に追いやられている、栞や朱音の世界。
あちらの世界は現在、アリスと桃の尽力により世界そのものの時間を凍結させることで、滅亡を逃れている。それ以前は朱音の銀炎で。
そうしなければならない、それ以外に対処法がなかった。それ程までに追い込まれている。だから朱音はこちらの世界に渡ってきたし、魔王の心臓を宿す龍太を殺して赤き龍の力を削ぎ、世界を滅亡から救おうとしていた。
「結論から言うと、あちらの世界をどうにかできる方法が見つかった」
「本当ですかっ⁉︎」
身を乗り出す朱音の目には、希望の光が灯っていた。
なによりも大切な家族が、今もまだあそこに囚われたままなのだ。栞にとっても大事な友人であり、蒼にとっては転生者の後悔を晴らしてくれた教え子たちが。
赤き龍を倒すしかないと思っていたが、その必要がないに越したことはない。むしろ、彼ら彼女らの力を借りれる。
栞も胸の内が期待に満たされるが、しかし蒼は慎重に言葉を選ぶ。
「まあ待ってくれ。方法が見つかったというだけで、すぐ実行に移せるわけじゃない。準備が必要だし、これには僕にアリス、アダムとイブの力もいる。この四人が一時的とはいえ、一斉にこの世界を離れるとなると、やつらに隙を見せることになる」
「それは、そうですが……」
「赤き龍の端末だけならまだ良かったんだけどね。ヨミやヘルヘイムは無視できない。そのどちらか片方でも倒してくれれば、少しは余裕も出来て僕たちも安心してここを離れられるんだけどね」
実行に移すには、五色龍のどちらかを倒す必要がある。準備とやらもどれだけ時間がかかるかは分からない。
けれど蒼は、朱音にこの報告をせずにはいられなかったのだろう。
十年前からの長い付き合いで、彼女の家族に対する想いをよく知っているから。
「正直、ヨミは私よりも強いです。ヘルヘイムは龍太くんの幼馴染と誓約龍魂していて、こちらはまた別の意味で倒すのが難しいですが……」
「でも、やれるだろう?」
たしかな信頼の言葉に、朱音は強く頷きを返す。
「当然ですが。私は、そのためにこの世界へきましたので」
決意と怒り、憎悪のこもった声。
栞はその背中に、彼女の母親を幻視する。けれど、よく似ているようで少し違う。
いつも己の正しさと優しさが行動理念であった桐原愛美という少女に対して、その娘の朱音は、やはり復讐のために戦っているのだ。
「やつらが誰の前で、誰に手を出したのか。思い知らせてやります」
十年前はそれで最後まで戦えたけど。
果たして今回の戦いは、それだけで大丈夫なのだろうかと。栞は一抹の不安を覚えた。




