問題児たち 1
ドリアナ学園諸島周辺海域は、風龍の巫女が張った結界によって風や潮の流れが特殊なものになっている。不定期に完全ランダムな流れに変わり、普通の船だと辿り着くのは困難だ。流れの向きだけでなく、その強さすら変わってしまうのだから。とてつもなく流れの強い時もあれば、完全に凪いでいる時も。あるいは、渦潮が発生していたりしたっておかしくはない。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「「あはははははははははは!!!」」
そんな海の中を、爆速で突き進む一隻の高速艇。果たして、30ノット以上のスピードは出ているだろうか。
聞こえてくる悲鳴と笑い声は随分と楽しそうだが、載っている本人たちはその限りじゃないだろう。
スピードが速すぎて悲鳴を上げてるわけじゃない。船の周りに結界が張られているから、風圧やらなにやらの対策はバッチリだ。
ではなぜか。答えは、高速艇の後ろをしっかりついてきて追い回す、巨大な魔物にあった。
サメだ。
しかも、頭が九つある。
体長およそ二十メートルは下らない、超巨大な多頭のサメ。
こういうの映画で見たことある、と。悲鳴を上げながらも龍太はぼんやり考える。
「ドリアナ学園諸島の周りにあんな魔物いなかったわよ⁉︎ 頭九個もいらないでしょ! 絶対捕食する時喧嘩する!」
涙目で叫ぶのはクレナだ。さっき悲鳴を上げてたもう一人も彼女である。近くの柵に捕まってペタンと腰を抜かし、背後から迫るサメを忌々しげに睨んでいた。
「ヒュドラシャーク、本当なら東の帝国領の海にいるはずよ!」
「これも赤き龍の影響ってわけだ、ねッ!」
言いながら、九つのうち三つの頭が吐いた水のレーザーを、魔力砲撃で相殺させる丈瑠。その隣ではハクアがライフルの引き金を引くが、放たれた魔力弾を気にも留めず。アーサーも雷撃を放っているが、やはり効いてる様子もなく、サメは真っ直ぐ突き進んでくる。
一方で、楽しそうに大きな声で笑っていた朱音とローラはというと、二人して操舵室内で船のスピードに酔っていた。背後からの追跡者も、二人のテンションがおかしくなってる一因かもしれないが。
「お姉ちゃん、もっとスピード出そう!」
「オッケーしっかり捕まってなよ!」
「待て待て二人ともこれ以上は──」
龍太が静止の声を上げるも、一足遅かった。スピードメーターの針が振り切れ、ギュンッ! と加速する。操舵室からはまた笑い声が聞こえて来るけど、このスピードはマズい。なにがマズいって、だって絶賛船酔い中のやつが一人いるのだから。
「うっぷ……」
「ちょっ、ジン! 吐くなよ! 絶対吐くなよ⁉︎」
ご覧の通り、我らが盾役のジンは全く使い物にならない。なんならあのサメが出る前からすでにダメっぽかった。
だから丈瑠がジンの代わりになんとか攻撃を防ぎ、ハクアが反撃してくれているのだが。やはりあの巨体だ。魔力を持たず、魔導具に頼るしかないハクアでは追い返せないし、アーサーの雷撃も表皮を僅かに焦がすだけ。
かと言って、龍太は遠距離の攻撃手段に乏しいし、クレナはサメにビビって腰を抜かしている。
「ローラ! なんとか出来ないか⁉︎ ほら、ドラゴンに変身するとか!」
「エリュシオンは飛べないから、船が潰れちゃうんだよ!」
「ドラゴンなのに飛べねえのかよ!」
てっきり龍ってやつは大体翼を持っていて、持っていなくても空を飛べるやつらだと思っていたのだけど。どうやらその限りでもないらしい。
バハムートセイバーに変身するわけにはいかないし、朱音は運転に手が離せない。その次に火力が高いクレナはあのザマで、丈瑠も反撃に意識を割く余裕はないだろう。
「どうするんすか朱音さん! このままこいつを学園諸島に連れて行くわけにもいかないでしょ!」
「大丈夫大丈夫! みんなはそのまま、どうにか耐え凌いでて!」
針路変わらず、真っ直ぐに進む高速艇。やがて大きな島が海の向こうに見えて来て、サメの攻撃も苛烈さを増すばかりだ。
「てか、なんでクレナはサメにそんなビビってんだ⁉︎」
「だってサメよ⁉︎」
理由になってない……。
たしかに龍太もサメは怖い。魔物なんかよりもよほど龍太の世界に近しい存在だから、よりリアルな恐怖がある。
しかし、クローディア率いる紅蓮の戦斧に所属するドラゴンであり、百年戦争を生き残った火砕龍フォールンともあろう者が。
サメなんかよりもヤバい相手とは、いくらでも戦ったことがありそうなのに。
せめてクレナがこんなザマではなければ、ヒュドラシャークも難なく撃退できたはずなのに。
いや、そんなことを考えている暇があれば、龍太もできることを探すべきだ。とにかく丈瑠とハクアを手伝うために後部デッキへ向かおうとした、その時だった。
高速艇の頭上を、一条の光が駆ける。
学園諸島側から放たれた魔力砲撃らしき光は、ヒュドラシャークの頭一つを飲み込み、爆発。
続いて、海上に大きな声が響いた。
『そこの船! 無事だな! 無事だったら急いでここを離脱しろ!』
『あのサメの相手はうちらに任せとき!』
現れたのは、見覚えのある鋼鉄の巨人。そして聞き覚えのある声は、つい先日知り合い戦った相手。
人型魔導兵器ファフニール。
機体名、シルフィードMarkIIを駆る、イグナシオ・ヴァン・ハイネストとソフィア・ヴァン・ハイネストだ。
「ハイネスト兄妹!」
『その声、リュウタか?』
『おお、魔闘大会ぶりやなぁ! 早速うちらの工房見に来てくれたんか!』
「なんでもいいからそのサメ任せたぞ⁉︎ こっちはもう色々と限界なんだよ!」
再開を喜ぶ暇はない。頭を一つ潰されたヒュドラシャークは、怒りの雄叫びを上げている。サメのくせに鳴くのかと突っ込みたくなるが、頭が九つもある時点でもはやなんでもありだ。
なんならサメだし、ここからなにが起きても不思議じゃないまである。サメだし。
『よし、行くぞ妹よ!』
『三枚おろしにしたるわ!』
腰にマウントされた二本の柄を手に取り、光の刃が伸びる。龍太が戦った時は一本しか持っていなかったはずだが、この短期間で増設させたらしい。
よく見ると、あの時とはところどころ武装が変わっていた。両肩のガトリングは取り外され、代わりに右肩だけに長い砲身を装備。バックパックは同じだが、スラスターの数が増えている。
「朱音さん、今のうちに!」
「え、このまま学園諸島に向かっちゃうの?」
操舵室に向かって叫べば、返ってきたのは意外そうな声。
まさかそこを聞かれるとは思わず、龍太の頭にも疑問符が踊る。だって、折角ハイネスト兄妹が来てくれたのだから、この隙に離脱するべきだろう。ここは彼らに華を持たせてやろうそうしよう。
けれどやっぱり、朱音にはご理解頂けないようで。
「あの、朱音さん……? なんか、船止まってません?」
「もう学園諸島の領海だからね。厄介なところは抜けたし、あのスピード出す意味もないよ」
言いつつ、朱音とローラが操舵室から出てくる。二人はそのまま後部デッキへ向かい、シルフィードMarkIIと戦うヒュドラシャークの巨体を見上げた。
「いやあデカいねー。てか頭九個って、B級映画みたいでウケる」
「ウケる⁉︎」
「大丈夫なんだよお兄ちゃん。お姉ちゃんにかかればヒュドラシャークごとき、ちょちょいのちょいなんだよ!」
「ごときって言ったか⁉︎ あれを⁉︎」
ふわりと飛び上がった朱音が、まるで流星のようにヒュドラシャークへと突っ込んだ。
横から突然頭の一つに蹴りが突き刺さり、巨大なサメが海の上を吹っ飛んでいく。
『え、なになに、なんだ今の!』
『うちらの見せ場ちゃうんこれ!』
相手をしていたハイネスト兄妹からも困惑の声が。
シルフィードMarkIIには一瞥もくれず、刀を抜いた朱音は、静かに一言。
「雷纒」
稲妻が、迸る。海上から天へ向けて雷が落ちる。天地をひっくり返したような現象に、シルフィードMarkIIは静かに距離を取った。
「厄介な海域さえ抜ければ、たかだかサメごとき、いつでも始末出来るんだよ」
えっへんと何故かローラが自慢げに言った時には、既にサメは朱音の稲妻によって丸焦げにされていた。
◆
ハイネスト兄妹の先導で船を港に止めて、一行はようやく、ドリアナ学園諸島に足を踏み入れた。
最後まで朱音に文句を言っていたイグナシオとソフィアの二人は、シルフィードMarkIIを格納庫に戻すため既に別れている。
「よ、ようやく着いたな……うっ……」
「大丈夫かージン」
「あんた本当に船の上だと役立たずよね」
「今回はクレナも似たようなものだったと思うのだけれど……」
未だに死にかけのジンにクレナが苦言を呈するが、苦笑気味のハクアの言う通り、今回ばかりはクレナもパートナーを責められない。なにせサメにビビりっぱなしで、ずっと腰を抜かしていたのだから。
「ほら四人とも、さっさとエリナさんのとこ行くよ」
朱音に急かされ、港を歩く。
一行が船を止めたここは、ドリアナ学園諸島の本島。学園の校舎が様々な学科に分かれて多く建てられており、中でも一際大きく目立つ本校舎は、港からでも見えている。
本島はシルフ島と呼ばれ、校舎の他にも学生寮が。他には訓練施設の集められたサラマンダー島、世界で一二を争う研究施設が整ったノーム島、古今東西あらゆる娯楽施設が用意されているウンディーネ島の四つの島からなるのが、このドリアナ学園諸島だ。
それぞれかなりの面積を誇っており、日本で言うとサラマンダーとノームが淡路島程度、ウンディーネは四国くらい、シルフ島は北海道ほどにまでデカいらしい。
そんなに広大な面積であれば、移動だけでも一苦労に思われるかもしれないが、ここは異世界。現代日本よりも優れた移動手段はいくらでもある。
パートナーのドラゴンに乗せて貰えば、飛行機よりも早く飛ぶことができるし、各島の主要施設同士は転移魔法陣で繋がっている。
そうでなくとも、ここは世界各地からエリートが集められた学園諸島だ。移動手段くらいは自分でどうにかできないと、ここでやっていく資格はない。
なんて説明をハクアやジン、クレナにローラから受けつつ、本校舎の前までたどり着く。改めて目の前まで来ると、かなり大きな建物だ。地上三階建てではあるが、面積がとにかく広大。そんなに広くてなにに使うんだと言いたくなるけど、まあなにかしらの使い道があるのだろう。
正面玄関から中に入る。ロビーは三階まで吹き抜けになっていて、余所者の龍太たちを興味深げに、あるいは不審そうに見つめる生徒たち。
「なんか、あんまり歓迎されてない感じか……?」
「元々閉鎖された空間だもの。余所者が来たら警戒するのは当然だわ」
元とはいえ、同じ学生として理解できる話だ。例えば、自分の学年のエリアに先輩が来たりしたら、やはりなにがあったのかと視線を向けてしまう。知っている相手だったりしたら、多少警戒もしてしまうかもしれない。
知恵と理性を獲得した人間であっても、縄張り意識というものは消えないらしい。
朱音の先導で校舎内を歩き、迷いのない足取りの彼女にふと尋ねてみた。
「そういや、朱音さんはここに来たことあるんすか?」
「いや、私は来たことないかな。父さんと母さんが何回か来たことあるって言ってたから、ちょっと話は聞いてるくらい。ああ、丈瑠さんも来たことあるんですっけ?」
「うん、織さん、朱音のお父さんに連れられてね。まだ高校の頃だったけど、夏休み全部使ってここで修行三昧だったよ」
当時のことを思い出したのか、丈瑠は苦虫を噛み潰したような表情をしている。彼にしては珍しい。よほど辛かったということか。
足を止めたのは、学園長室と書かれた扉の前だ。恐らくはこの先で、エリナが待っているのだろう。
コンコンコン、と朱音が三度ノック。どうぞ、と中から聞こえてきた声は、予想に反してエリナのものではない。彼女とは一度しか会ったことのない龍太ではあるが、あの常に眠たげだったエリナから、こんなにハキハキとした声が出るとは思えない。
実際他のメンバーも、首を傾げている。
扉を開いた先。部屋の奥で座っていたのは、やはりエリナではなかった。それどころか、セミロングの黒い髪とその顔立ちは、どこからどう見ても日本人のもの。一房だけ跳ねたアホ毛がチャーミングだ。
そこに座っているとばかり思っていたエリナは、四人は座れそうなソファで横になり、静かに寝息を立てている。
どういうことだと朱音の顔を盗み見てみると、こういう時頼りになるお姉さんは口をあんぐりと開けていて。
「これはこれは勢揃いで。初めましての人もいれば、久しぶりの人もいるね。私はここ、ドリアナ学園の学園長を務めている、小鳥遊栞だ。お察しの通り異世界人であり、人類最強こと小鳥遊蒼と、世界最強ことアリス・ニライカナイ、二人の自慢の妹さ。お見知り置きを」
いや、誰?
この場の誰もがそんな疑問を抱いただろうが、ただ一人、朱音だけが驚愕の声を上げた。
「し、栞さんっ!! 今までどこでなにをしてたんですか! この十年どこを探しても見つからなくて、みんな心配していたのですが!」
「おや、それは嬉しいねえ。もしかして桐原さんや黒霧さんも心配してくれていたのかな?」
「母さんはもう桐生ですし、葵さんも糸井性になってますので!」
「めでたいことじゃないか! いや、私的には少し残念だけれども。ついぞあの二人の心を掴むことはできなかったということなのだし」
「あなたという人は相変わらずっ……!」
憤慨する朱音はこれ以上言っても無意味だと思ったのか、ため息と一緒に全身の力も抜けていく。
「ねえアカネ、結局その人は何者なわけ?」
「ああ、うん……説明しないとね……」
クレナに説明を求められるが、朱音はどうやら今の一瞬でドッと疲れたらしい。その朱音に代わり、アーサーが説明してくれる。
『彼女は小鳥遊栞。我々の世界がまだ旧世界と呼ばれるころ、共に戦った仲間だ。魔術学園という組織で生徒会長として君臨し、魔天龍と呼ばれる特殊な異能を操る。本人も言ったように、小鳥遊蒼の妹だ。アリス・ニライカナイにとっては義妹にあたる。ローラ、君は知っていたんじゃないのか?』
「知ってたけど、逆にお姉ちゃんたちも知ってるものだと思ってたんだよ」
見事に認識のすれ違いが起きていたというわけだ。そこを事前に確認していれば、朱音も無駄に疲れるようなことはなかっただろうに。
「それで……どうして栞さんはここにいるんですか? ていうか、いつからこっちの世界に?」
「そちらの世界が再構築されたその時からだよ。ほら、あの時私はロンドンで戦っていただろう? その時に少し、コードを使いすぎてね。魂が混じったんだ。だから私には、世界再構築の恩恵にあずかれる権利がなかった。結果的にこっちの世界に弾かれて、紆余曲折あってエリナのパートナーとして、この学園を支配……もとい、治めることになったのさ」
おい、今支配って言ったぞ。大丈夫なのかこの学園長。
「さて、私についてはこの辺りでいいだろう。それより、君たちの今後について話した方がよほど有意義だ」
「エリナ様はまだ寝ておられるが……」
「エリナお姉ちゃんは一度寝たらなかなか起きないんだよ」
「ローラの言う通り。そして、学園については全て私に一任されている。エリナが寝ていても問題はないさ。というわけで早速だが、君たちそれぞれのこの学園での過ごし方を、こちらの一存で決めさせてもらった」
栞の机の上から、龍太たちの人数分の紙が一人でに動き、ひらりとそれぞれの手に収まる。
龍太が受け取ったそれは、編入に関するあれやこれやと書かれた書類だ。見れば、ハクアとローラも同じ紙を受け取っている。
「俺とハクアとローラが生徒?」
「で、私と丈瑠さん、ジンとクレナが臨時教師?」
『私にはなにもないのか』
「きゅー」
ちょっと不満げなアーサーとエル。まあ仕方ない。魔物のアーサーと人間態になれないエルでは、学園でやることも特にないだろうし。
「朱音さんと大和くんには、主に座学を見てもらいたい。ジンくんとクレナさんは実戦訓練の方だね。ギルドの魔導師から直接指導される機会は、生徒たちにとって貴重だ」
「はいはい! ローラも生徒でいいの? 教師役も一応できるんだよ!」
「生徒でいいんだよ、ローラさんは。それとも、教師の方が良かったかな?」
「お兄ちゃんと一緒なら生徒の方がいいんだよ!」
ローラはまだ十四歳。普通なら学校に通っている歳だ。栞はきっと、その辺を気遣ってくれたのだろう。
それに、名目上は龍太とハクアの監視目的で龍の巫女が同行しているのだ。ここで別行動してしまえば、監視の意味がなくなる。
それにしても、やけにローラに懐かれたなぁと、ニコニコ笑顔でこちらを見上げてくるアイドルを見て思う。
せめて入ったクラスに、ローラのファンがいないことを願おう。
「本格的に学園で過ごしてもらうのは明日からの予定だ。君たちのために広めの家を用意したから、今日はそこで休むといい」
一通り説明を受けてから、学園長室を出た。案内役の教師らしい男性の先導で歩く中、隣のハクアが耳に顔を寄せ、こそりと耳打ちしてくる。
「明日から楽しみね、リュータ」
「だな」
たしかに楽しみだけど。なんでそんな内緒話みたいに言うかな。ちょっと照れちゃうでしょうが。




