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誓約龍魂バハムートセイバー  作者: 宮下龍美
第三章 英雄と偶像
72/117

蝕 2

 大国ローグが簡単に滅んでしまってから、三日後。

 残された人々を嘲笑うかのような晴天に包まれる中、赤城龍太は目を覚ました。


「これ、は……」


 真っ先に視界へ飛び込むのは、天幕に吊るされた小さい電球。テントの中でベッドに寝かされていた。隣を見やれば、すぐそこでハクアも穏やかに寝息を立てている。

 次いで、両手を縛る銀の炎を纏った手錠に気がつき、曖昧な記憶を辿った。


「そうか、俺は……制御できなかったんだな……」


 全て、覚えている。

 ドラグーンアベンジャーを圧倒したことも、仲間に剣を向けたことも、スタジアムを瓦礫の山へ変えたことも。その全てを。


 なんの躊躇いもなく、ローラに剣を振り下ろしたことまで。


「くそッ……! なにが正義のヒーローだよ……」


 ベッドの上を強く叩くと、ジャラリと手錠の鎖が揺れた。

 傲慢にも、今の自分ならと思っていた。赤き龍の心臓。朱音たちの言う魔王の心臓(ラビリンス)を、今の龍太とハクアなら、制御できると。

 その結果がこれだ。制御はおろか、力に振り回されて暴走し、挙句仲間に攻撃して。かろうじて残っていたスタジアムも壊してしまう。


 全て、龍太の慢心が招いた結果。詩音とヘルヘイムにも逃げられて、失ったものはあまりに多すぎる。


「龍太くん、起きたんだね」

「朱音さん……」


 テントの中に入ってきたのは、随分と疲れた顔をしている朱音。まだ寝ているハクアを一瞥して、ため息を一つ。やっぱりか、と呟く。


「とりあえず確認。あの時のこと、覚えてるかな?」

「……全部、覚えてます」

「なら話は早いね。ひとまずは状況の確認から行こうか」


 あの日から三日が経った。

 龍太とハクアが寝かされていたこのテントは、ローグ跡地に急拵えで立てた拠点の一部らしい。あんなことがあった後だ。念には念をと言うことで、テント自体に銀炎の時界制御を施し、更に同じく銀炎を使った手錠で縛ることで、龍太たちは半ば拘束される形となった。


 不幸中の幸いというべきか、ヨミのあの黒い球体は港にまで及ばず、港湾施設の機能は生きていたらしい。

 しかしそれ以外、ローグの王都自体は跡形もなく消え去った。例えば朱音の銀炎のように、どこかの時間軸に飛ばしたとか。そういう可能性も検討して考えてはみたようだけど。どこをどう考慮しても、ローグという国が滅んだことに変わりはないらしい。


「で、多分龍太くんが一番気にしてることだけどね。スタジアムが崩れた時の死者はゼロ。桃さんがギリギリで全員避難させてくれたみたい。多少怪我人はいるけど、重傷者はいないし。スタジアムに来てるだけあってそれなりの魔導師もいたから、みんな今も力を貸してくれてるよ」

「そうっすか……」

「まずは生き残った人たちがこれからどうするのかと、この土地をどうするのか。この二つを昨日一昨日で決めたんだ」

「生き残った人たちはまだしも、この土地はどうしようもないんじゃ? 王都は全部なくなっちまったわけだし……」

「うん、その通り。どうしようもないの。ただそれも、結構めんどくさい理由でね」

「めんどくさい理由?」

「地上にあった街だけじゃない。地脈までなくなってる」


 深刻そうに言う朱音だが、それは、具体的にどうまずいのだろう? いや、なにかヤバいということは分かるのだ。地脈についてはハクアにも教えてもらったし、その重要性もある程度は理解している。

 けれど、具体的な話になるとサッパリ分からない。なにせ龍太はなんだかんだと未だに魔術初心者だから。


「これが元の世界、私たちの世界だったら、大事ではあるけど放置して問題なかったんだけどね。でもこの世界は、私たちの世界よりも魔の存在が強く根差してる」

「つ、つまり……?」

「このローグの王都だった土地だけ、世界から隔絶された空間になってるってこと」


 この世界にとっての地脈とは、なくてはならない存在だ。世界の根底に魔力の存在があり、魔力がこの世界を形作るひとつの要素となっている以上、星に魔力を巡らせる地脈は換えの効かないものになる。

 それが消えたということは、この土地だけが世界と切り離されたのと同義。


 悔しそうに表情を歪ませる朱音は、吐き捨てるように言う。


「ヨミのあれは、私たちの世界を覆ったものと同じだった……だからきっと、これは世界の変革へ向けた最初の一手。この世界、この星の全てをローグと同じように更地にして、新しい世界を作り直そうとしてる」

「なんのためにそんなことを……この世界の人もドラゴンも、みんな平和に暮らしてるじゃないっすか! そんなことする意味はないのに!」

「そう、意味はないんだよ、龍太くん」

「は?」


 フェニックスやレヴィアタンたちスカーデッドは、それが正義だと言っていた。

 ヨミやヘルヘイムは、王の意思だと。

 しかし、当の赤き龍本人は、何を目的として世界の変革などという目標を掲げているのか。その動機が見えてこなかったけど。


 それも当然だ。最初からないものは、どうやったところで見えるはずもない。


「理由も動機も目的も、なにもない。赤き龍を始めとした『枠外の存在』ってやつらは、そういうものなんだ」


 ただそこにいるだけで、世界そのものに影響を与えてしまう体質を持つ。

 本人の意思を全て無視して。


「でも、ヨミのあれは明らかに、故意的なものだっただろッ……そこにたくさんの人たちがいるって分かった上でやってたぞ!」

「そうだろうね。赤き龍の手足である青龍と黄龍は、ただ主人に言われるがまま動いてるに過ぎない。スカーデッドたちはどうか知らないけど、赤き龍にも五色龍にも、大義や正義なんてものはないし、そこに悪意すら介在する余地がない。そうすることが当然だと思ってるし、そうなって当たり前だと感じているから」

「なんだよそれ……」


 ドッと全身の力が抜ける。

 あるいは、やつらに明確な悪意や、やつらなりの正義がそこにあった方が、楽だったのかもしれない。


 けれどそんなものは一つもなくて。ただ、そうするのが当然だから。そうなるのが当たり前だから、人間が食事を行うような感覚で世界を蹂躙する。


「……話を続けるね。実は面倒なこと、というかよく分からないことがもう一つあってさ。地脈は消えたのに、龍脈は残ったままなんだ」

「龍脈……ドラゴンにとっての地脈、でしたっけ」

「うん。地脈が消えても世界全体に影響がないのは、残った龍脈が関係してるかもしれない。でも、なぜ龍脈だけが残っているのかは分からない。これから調査を始めるらしいけど、あんまり期待できないかもね」


 そもそも、龍脈については分からないことも多い。今回の件で謎が解けるというより、逆に謎が深まってしまうばかりだろう。


 そのあたり、ハクアの意見も聞けたらよかったのだが。彼女は未だ、すぐ隣のベッドで寝息を立てている。


「次に、生き残った人たちについて。こっちは割と簡単に話が決まってね。そう数もいないから、ドラグニアで受け入れてもらうことになった。港湾施設は殆ど無傷だったから、引き続きそこで働く人以外になるけど」

「具体的に、どれくらいの数が生き残ったんすか?」

「王都の人口約五百万人のうち、二百人ってところかな」


 数字として聞くと、改めてとんでもない被害だ。しかし、実際に消えてしまった人たちは、ただの数字じゃない。一人一人が日々を生き、平穏な暮らしを謳歌して、そして理不尽に命を奪われた人たち。

 龍太が守れなかった人たちだ。


「ギルドの魔導師にも少なくない被害が出ててね。大樹の歌姫(ガーディアンドール)は半壊、とてもじゃないけど、ギルドとしてはまともに機能してない。ローラとアレスが頑張ってくれてるけど、中々厳しいのが現状かな」


 ローラの名前を聞いて、龍太の表情に暗い影が差す。

 思い起こされるのは、彼女に剣を向けたあの瞬間。意識がなかったとはいえ、記憶は残ってる。ローラを斬ろうとした事実は変わらない。

 そして、彼女が必死に呼びかけてくれたことも、覚えている。


 そんな表情を見て察するものがあったのか、朱音は柔らかな声で言葉をかける。


「ローラの言葉、覚えてる?」

「……はい」

「龍太くんは悪くない、とは言えないけどさ。あの時私と君の間に割って入ったのは、ローラの矜持や誇りに則ったものだった。だからあの言葉を、忘れないでほしいな」


 あの時あの瞬間、ローラ・エリュシオンは龍の巫女としてではなく、アイドルとして立っていた。

 英雄(ヒーロー)の笑顔を取り戻す偶像(アイドル)として。


『お兄ちゃんは正義のヒーローなんだよ! みんなを守るために戦うんでしょ⁉︎ だったら、こんなことしてる場合じゃないんだよ! これは、お兄ちゃんが望んだ戦いじゃない! こんな戦い方じゃ、誰も守れないし救えないんだよ!』


 一言一句、違うことなく思い返せる。

 彼女の言葉を、込められた想いを。


 意識がないと分かっていても、それでもローラは呼びかけてくれた。決定的な間違いを犯さなかったのは、きっと彼女のおかげだ。


「後でお礼言っときなよ」

「はい……っていや、外出ていいんすか?」


 手錠と鎖で縛られてる上に銀炎まで使っての完全隔離。というかこんなの、殆ど檻に入れられているようなものだ。それなのにそんな簡単に外に出ていいのだろうか。

 聞いた限りローラは忙しそうだから、向こうから来ることはないだろうし。


 問われた朱音はキョトンと小首を傾げる。美人なくせに可愛い仕草が似合うとか無敵だな。


「ああ、それね。目が覚めるまで念のためってだけだから。ほら、起きた時にまだ暴走してました、とかだったらまずいでしょ?」

「そりゃそうっすけど……まさかそれだけ……?」

「私だってよく知らないやつが相手だったら、もっと徹底的に隔離してるよ。日頃の信頼の証だと思いなさい」


 くしゃくしゃと頭を撫でられ、それじゃあと朱音は外に出る。

 信頼の証。そう言われて悪い気はしないけど、どこか照れ臭くむず痒くなる。朱音がいつもより年上のお姉さんっぽく振る舞ったからだろうか。


 気づけば手錠も外れていて、銀炎も消えていた。去り際にさらっと外してくれていたらしい。心の中で礼を言いつつ、隣のベッドを見やると。


「んぅ……あ、れ……? ここは……」

「おはよう、ハクア」


 目を覚ましたハクア。キョロキョロとテント内を見回して、最後に龍太と目が合う。

 途端、猛烈な違和感に襲われる。目の前にいる純白の少女が、大切なパートナーが、まるで見知らぬ誰かに変わってしまったような。


 にこりと、大輪の花みたいな笑顔を見せられて、違和感は確信に変わった。


「誰だ、お前……」

「あら酷い、君がこの世界に来た時以来だっていうのに。随分なご挨拶じゃない」


 違う、ハクアじゃない。

 でも知っている。龍太は目の前にいる誰かと、会ったことがある。


「初めまして、あるいは久しぶり? わたしの名前はユートピア。現代では白き龍と呼ばれる、古代を生きたドラゴンよ。改めてよろしくね、アカギリュウタ」



 ◆



「これはまた、随分と派手にやったものね。さすがはヨミって言いたいところだけれど、不謹慎かしら?」


 ローグの王都があった更地を見渡して、白き龍と名乗った少女が呟く。

 そんな彼女を遠巻きに見つめる仲間たちは、皆一様に訝しげな目をしていた。


 ここまで一緒に旅をしてきたから、彼女がハクアではない誰かということはみんな一目でわかった。

 では誰なのか、という問いに対する答えは、今のところ彼女自身の言葉を信じるほかない。


「白き龍……この世界を創ったとされるドラゴンの片割れか……俄かに信じがたい話ではあるが……」

「これまでのことを思うと、信憑性はあるものねぇ」


 腕を組んで唸るジンは頷いて、クレナの言葉に同意を示す。

 赤き龍とは無関係というわけじゃない、とハクア本人の口からも聞いているし、その上で彼女は、自分は白き龍ではないとも言っていた。


 恐らく、その答えが今の状況。

 ハクアがいつか、自分の口から告げようとしていた真実。


 こちらに振り返って、満面の笑みを浮かべる少女。ひとりひとりをゆっくりと眺めてから、口を開いた。


「君たちが聞きたいことは、大体察しがつくわ。わたしが白き龍であるなら、ではハクアとは一体何者なのか。わたしたちは赤き龍の仲間なのか、あるいは君たちの仲間なのか」

「だったらさっさと教えてほしいところだけどね。私たちには、時間がない。次いつスペリオルが同じことをするかも分からないんだし」

「そう焦らないで、アカネ。結論を急ぎすぎるのは君の悪い癖ね」


 一方で警戒心剥き出しの朱音は、相手に嗜められてちょっとイラッとしているっぽい。相手の姿がハクアと全く同じなので、あまり強く言い返せないようだけど。


「結論から言うと、わたしの口から全てを話すことはできないわ」

「話したくない、ってことかな」

「違うわタケル。今のわたしに、そこまでの権限は与えられていないのよ」


 話したくても話せない、ということか。

 権限とやらがどう言う意味なのかは分からないが、とにかく彼女には全てを説明する気がないらしい。


 しかし逆に言えば、一部だとしても教えてくれる情報はある、ということで。


「わたしから君たちに授けられる情報は、二つ。まずひとつは、白き龍ユートピア、つまりはわたし自身の本体について」

「ハクアが本体じゃないのか?」

「たしかにハクアは、自分は白き龍ではないと再三に否定していたが」


 なんらかの事情で力を失ったドラゴン。白龍のハクア。

 時に白き龍と呼ばれることが多々ありつつも、彼女自身は毎回否定していた。いつも勘違いされるということは、それだけの理由がある。ないとおかしい。


 実際にその理由らしきやつは、今目の前にいるのだけど。


 白き龍はこちらの質問に答えることはせず、自分の話を進める。


「わたしの本体は、未だ眠っている状態にある。こうしてハクアを介して意識のみを表に出すことは出来るのだけれど、もう何万年も目が覚めないまま」

「それって、創世伝説の頃からってことかしら?」

「うん、そうね。クレナの言う通り、今じゃ伝説として語り継がれている時代からずっと、わたしの本体は眠っている」


 どこで、と聞いても、答えてくれないのだろう。ハクアを介してというのも気になるところだが、こちらも同じく。

 そう思わせるだけの力が、彼女の言葉には込められている。


「そしてもうひとつは、わたしが今、君たちの前に現れた理由について。これについては簡単かな。ヨミが地脈を消したせいで、龍脈にも影響が出たから」

「龍脈に影響出たから……? それが理由で出てきたとなると……」


 ぶつぶつと考え込む朱音が、そう間を置かずにまさか、と顔を上げる。見たこともないくらいの驚愕をその端正な顔に貼り付け、わなわなと震えていた。


「そうか……世界創生に、地脈と龍脈の歴史……ドラゴンの存在……全部、辻褄が合う、合ってしまう……!」

「おっと、そこから先はあまり口にしないで欲しいのだけれど、お願いできる?」

「……キリの人間としては、同情できるし。おいそれと教えたりはしないよ。こういうのは、本人の口から伝えるべきものだと思うから」

「ありがとう、アカネ。君が利口で助かるわ」


 他のメンバーには全く理解できない会話。しかし朱音は、今の短いやり取りのどこで、なにに気がついたのだろう。

 たしかに、龍脈に影響が出たことと白き龍の意識が表出したことは、一見なんの脈絡もない。本人がそう言っているのだから、そこにはなにかしらの因果関係が存在するのだろうが、龍太たちにはサッパリだ。


「詳しいことはいずれ、ハクアが説明してくれると思うわ。君たちは随分、あの子に信頼されているようだし」


 その微笑みが、龍太の瞳とぶつかる。

 ハクアと同じ、けれど違う笑顔は、どうにも違和感まみれで。つい視線を逸らしてしまった。


 なんというか、二つの情報を提供してくれたという割に、得るものが少なかったように思える。肝心なところは全てはぐらかされたし、どうやら完全に理解したっぽい朱音も、この様子だと龍太たちには教えてくれないだろう。


 結局これまでのように、ハクアが教えてくれるまで待つしかない。


「それじゃあそろそろお暇しようかしら。ハクアが煩いし、あまり長く出ていては悪い影響があるかもしれないし」

「……待ってくれ」


 逸らした視線を、再びぶつける。

 たしかに違和感まみれだけど。これだけは聞いておかなければ、言っておかなければならない。


「俺がこの世界に来た時は、ハクアじゃなくてお前だったのか?」

「ええ、そうね。逆に今まで、どうして気づかなかったのかしら? わたしとあの子じゃ喋り方も違うでしょうに」


 それは本当に、全くもってその通りなのだけど。ハクアは龍太のことを名前で呼ぶし、纏う雰囲気だって全然違う。ユートピアが太陽であるなら、ハクアは月。

 溌剌とした元気に溢れているユートピアと、淑やかに佇むハクア。

 まるで正反対の二人が、同じ身体を共有している。


「君がそんなだから、ハクアも苦労してるのでしょうね」

「苦労ってどういう……いやそうじゃなくて!」

「そうじゃないならなに? あの時わたしが表に出ていた理由?」

「わざわざ説明しないってことは、今と同じ理由なんだろ? 俺が言いたいのは、あの時のお礼だよ」


 さしもの白き龍でも予想外だったのか、面食らった顔をしている。

 だが龍太としては、なにもおかしなことを言ったつもりはない。


「驚いたな……まさかお礼を言われるだなんて。とは言っても、誓約龍魂(エンゲージ)の判断自体はハクアのものよ。だからあなたが命を繋いだのは、わたしではなくハクアのおかげ」

「だとしてもだよ。最初に俺を見つけて、飛び出してきて、あのドラゴンから……玲二から助けてくれたのはお前なんだろ?」

「まあ、それはそうだけれど」

「だったら、お前にも礼を言わないとおかしい。俺はお前のおかげで、今こうして生きてる。だから、ありがとう」


 混じり気のない感謝の言葉を真正面から浴びて、白い頬が少しずつ赤みを帯びていく。


「べ、別に、君がここまで生き抜いたのは、君自身の力によるものでしょ。わたしはそのほんの手助けをしただけよ、感謝されるようなことじゃないわ」

「それでも、俺が礼を言いたいんだよ。だから、受け取ってくれないか?」

「まあ……そこまで言うなら仕方ないわね……でもリュウタ、お礼を言いたいなら、わたしのことも名前で呼んでくれないかしら? ハクアのことは名前で呼ぶくせに」

「ああ、悪い悪い。ありがとな、ユートピア」

「うん、よろしい。どういたしまして、リュウタ」


 互いに微笑み合っていると、赤き龍と同等の存在とは思えなくなる。

 怪物じみたやつとは違って、人間やドラゴンたちと同じ温かみのある、ハクアと同じ普通の少女だ。


「最後におまけで、もうひとつ教えてあげる。ハクアが君たちの味方である限り、わたしも君たちの味方よ。力になれるわけではないけれど、君たちの旅路が良きものになるよう、この世界の果てで祈っているわ」


 ─それじゃあ、またいつか会いましょう。


 最後まで太陽のような笑顔を見せて、白き龍ユートピアの意識が消失した。

 一度目を閉じた純白の少女は、再び瞼を開いた時には元の人格を取り戻している。


「……ごめんなさい、リュータ。それにみんなも」


 開口一番出てきたのは、謝罪の言葉。シュンと俯き肩を落ち込ませるハクアは、白き龍のことについて何も言えなかったことについて、そして未だ何も言えないことについて、申し訳なく思っているのだろう。


 だけどそれは、彼女が感じる必要のないものだ。


「謝らなくていいよ、ハクア」

「そうそう。言えないことくらい誰にでもあるしさ」

「そうだな。俺など兄上に対して軽く百は隠し事をしているぞ!」

「あんたは多すぎよ筋肉バカ。まあ私だって、レッドに隠し事くらいあるけど」


 銘々に励ます仲間たちに、ハクアも顔を上げる。そしてジンの冗談で少しでも和んだのか、くすりと表情を綻ばせた。


「たしかに色々と気になることはあるけどさ。でも、ハクアは俺たちの仲間だ。俺にとって、大切な女の子なんだ。なにがあっても、ハクアを嫌うことはないって、前にも言っただろ?」


 以前、ノウム連邦の温泉に二人で入った時の思い出。

 あの時にも龍太は、ハクアに同じことを言った。絶対に、なにがあっても、この純白の少女が大切な存在なのだと。


「ええ……ありがとう、リュータ」


 その時から気持ちは変わらない。

 むしろ、強くなっている。

 白き龍ユートピアが現れても関係なく、ハクアという一人の女の子に対する気持ちが。



 ◆



 どうやらハクアとユートピアの意識が入れ替わったのは、バハムートセイバーの暴走も原因の一つらしい。


「リュータは意識を失っていたみたいだけれど、わたしは残っていたのよ。だから必死に止めようとしていたのだけれど……」

「結局止まらず、ハクアはその分消耗して、ユートピアと入れ替わった、ってことだね」

「ごめんなさい……」


 と、またしてもシュンとしたハクアとジト目の朱音に挟まれて、結局龍太も謝る羽目になってしまった。

 まあ、今から向かう先でも謝り倒さなければならないのだし、一つ増えたくらい誤差の範囲内だ。


 というわけで一同がやってきたのは、生き残った大樹の歌姫(ガーディアンドール)のメンバーが集まっているテント。

 ぞろぞろと中に入ると、十数人の魔導士が集まっていた。その中心で魔導士たちに指示を飛ばすのは、小さな少年少女。

 木龍の巫女ローラ・エリュシオンと、そのパートナーとしてギルドマスターを務めるアレス・ローレライ。


 テント内の端で暫くその様子を眺めていると、指示を出し終えたのか魔導士たちはそれぞれの仕事へ向かう。

 ふう、と一息ついたローラと目が合って、彼女の表情が華やいだ。


「リュウタお兄ちゃん、ハクアお姉ちゃん! よかった、目が覚めたんだね!」


 とてとてと無邪気に駆け寄ってくるローラと、その後ろから敵意剥き出しでついてくるアレス。


「あ、ああ。ごめんな、ローラ。その、怖い思いさせちまって」

「怖くなんてなかったんだよ。あれは、ローラがやらなくちゃいけなかったから」


 朱音を庇うという意味なら、きっと他のメンバーの方が良かったはずだ。あの時はクローディアもいたし、桃や緋桜だっていた。ジンの防御力なら防げていただろうし、必ずしもローラであった必要はない。


 けれど、ヒーローを止めるためというなら。似たものを背負ったアイドルの声は、きっと届くと信じて。


 いやまあ、結果的に龍太は止まらなかったのだけど。そこはマジで全面的に龍太が悪いのでなにも言えない。


「というわけで、これからはローラもお兄ちゃんたちについて行くんだよ!」

「はい?」


 一体なにが、というわけで、なのかは分からないが、元気に敬礼してみせるアイドルスマイルのローラには、冗談を言っている様子がない。なんなら反論も許さないという謎の圧も感じる。


 思わず振り返って朱音たちの顔を見てみると、姉貴分からはため息が。呆れたような、あるいは諦めたような色が含まれている。


「バハムートセイバーの暴走は、一応それなりに危険視されてるの。巫女が全員集まって対処法を検討するくらいにはね」

「マジか……」

「マジマジ、大マジだよ。で、その結果、巫女の誰か一人が旅に同行して監視する、ってことで落ち着いたんだけど……」

「ローラ以外に立候補がいなかったんだよ! 酷いよね、リュウタお兄ちゃんが大変なのに!」


 シンプルに自分たちの仕事が忙しいからである。

 アリスは引き続きドラゴン化の研究、クローディアはスペリオルの討伐、エリナは学園諸島の運営もある。それぞれやることが多くて、先日の魔闘大会で解説に来てくれていたのは、みんな息抜きのつもりだった。

 息抜きの暇すら与えられないアリスは、そもそも解説に来ない予定だったし。


 龍の巫女全員に各国の代表、それから朱音に蒼、桃と緋桜を交えての会議で、バハムートセイバーの処遇は決められた。

 そこで立候補したのがローラなのだが、むしろローラ以外に手が空いていない状況だ。

 ローグは滅んでしまい、ギルドは半壊、まともに機能せず、担当していた主な仕事はアイドルとして各地の慰問。とは名ばかりで、スペリオル討伐の遊撃隊みたいな扱いだったらしい。


 ついでに、桃と緋桜は会議が終わればそのまままたどこかへ去っていったらしい。

 別れの挨拶くらいさせてくれてもいいのに。


「言っておくけど、私はまだ反対だからね、ローラ」

「俺も反対だからな! なんだって、わざわざ殺されかけたやつについて行くんだよ!」


 鋭い視線でローラを見つめる朱音と、敵意と怒りの込めた瞳で龍太を睨むアレス。

 アレスからそのように見られてしまうのは仕方ない。彼は、ローラのことをとても大切に思っているから。


 けれど、朱音が反対する理由はいまいち分からない。ローラは龍の巫女、実力としては十分だろうし、木龍の力はきっと一行の助けになってくれる。


 だが、朱音から言わせるとローラもまだまだのようで。


「ローラはアイドルなんでしょ? たくさんの人を笑顔にするのが役目。その笑顔も、ローラも、全部守るために戦うのは、私たちの役目」

「分かってるんだよ、お姉ちゃん。でも、だったら……ローラたちを守ってくれるお姉ちゃんたちのことは、誰が守るの?」


 まさか妹分から言い返されると思っていなかったのか、朱音は言葉に詰まる。

 反論できない朱音に対して、ローラは純粋な疑問をさらに重ねた。


「ローラがみんなを笑顔にする裏で、お姉ちゃんたちは笑えてるの?」

「私は、別に……」

「それ、お姉ちゃんのダメなところなんだよ。色々焦りすぎて、急ぎすぎて、目の前のこと以外見えてない。だから自分を蔑ろにして、自分で自分を追い込んじゃう。お姉ちゃんのお父さんとお母さんにも、同じこと言われたよね? その結果が、この前みたいなサーニャおばちゃんの口調を真似て仮面も外さなかったお姉ちゃんでしょ?」

「……」


 一日に二回も同じことを指摘された上、痛いところばかりを突かれた桐生朱音、見事に沈黙。姉の威厳など遥か彼方に消え去り、いつも頼りになる背中は心なしか小さくなっている。


「ローラは、ローラの大好きな人たちがみんな笑顔でいてほしい。お姉ちゃんなら、ううん、お姉ちゃんが一番、分かってくれるはずだよね?」


 ローラがジッと朱音の顔を見つめる中、ぷはっ、と誰かの口から空気が漏れた。その発生源、丈瑠がみんなの注目を集めて、なんとか笑みを噛み殺しながらも朱音に言う。


「く、ふふっ……朱音、君の負けだよ。ローラにその言葉を使われたら、断るわけにはいかないよね?」

「丈瑠さん……笑い、堪えられてませんが」

「ごめんごめん。ふふっ」


 謝りながらも、丈瑠の口の端からはまだ笑みが漏れている。

 一頻り笑った後、どうする? と優しい視線で恋人へ問いかけた。


「…………………………分かった」


 長い沈黙の末、朱音はついに首を縦に振った。やったー! と飛び跳ねて喜ぶローラ。しかし朱音はというと、許可はしたが納得はしていないと言った様子で、恨みがましそうに丈瑠を睨んでいる。


『あとが怖いな、丈瑠』

「まあ、いつものことだよ、アーサー。こういう時のために僕がいるんだからさ」

「そもそもアカネ、私たちの代表みたいな感じで勝手に言わないでよ。私はローラ様が同行することに賛成なんだから」

「うぐっ……」

「だな。ローラ様がいれば、なにかと心強い。素性不明の異世界人よりかはな」

「うぐぐ……」


 クレナとジンにまでちょっと責められて、ぐうの音しか出ない朱音。なんなら二人とも正論で殴っているので、朱音は余計に何も言えない。

 いやまあ、朱音はあくまでも個人的な意見を言っていただけだし、そこまでみんなして責めるのもどうなのだろう。


 思いつつも、なんのかんのとみんな仲良くひと段落しているので別にいいか。


「アレスも、それでいいよね?」

「今更俺がダメって言ったところで、どうせ無駄なんだろ」


 どこか拗ねたような投げやりな言葉には、やはりローラに対する思いやりが篭っている。

 はたと思い出すのは、アレスと初めて会った時のことだ。あの時の彼はローラに気のある素振りを見せていたし、暫くの間ローラと会えなくなるのは少し可哀想かもしれない。

 もしも龍太がハクアとそんなことになったら、三日は寝込む自信がある。


 なんて考えていると、アレスが龍太の目の前まで歩み寄ってきた。

 その目には未だ敵意が消えていない。


「リュウタ、妹のこと、頼んだぞ。次に剣を向けたら、絶対に許さないからな」

「おう……おう?」


 なんか、予想外の言葉が聞こえた気がする。そのせいでオットセイみたいな返しになってしまった。

 妹って、誰が、誰の?


「いや、悪い……確認だけどさ……ローラとアレスって、もしかして兄妹?」

「は? 今更なに聞いてんだよ」

「リュウタお兄ちゃんには言ってなかったっけ。アレスは双子のお兄ちゃんなんだよ」

「マジで⁉︎」


 マジで⁉︎

 てことは、初めて会った時にあんな反応してたのは、思春期にもなって妹離れ出来てない兄みたいで他人から指摘されるのは恥ずかしかったから、ってこと……⁉︎


「二卵性だからあんまり似てないんだよ。だからお兄ちゃんみたいに、アレスと兄妹って言われるまで気づかない人結構いるから、気にしなくてもいいんだよ!」

「逆になんだと思ってたんだよ、リュウタ」

「いや、まあ……」


 幼馴染とかそんなんだと思ってました。とは、なぜか口に出せなかった。

 隣でクスクスと微笑むハクアの声がむず痒くて、龍太はつい明後日の方を向いてしまった。


 第三章 完

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