蝕 1
更地になっていた。
スタジアムの半ばまで飲み込んだ黒い球体が消えたそこには、なにも残っていなかった。
城も、街も、王様も魔導師も、そこに住んでいた市井の人々も。
王都の全てが、一瞬のうちに消えた。
ドラグニアに次ぐほどの国力を持った大国ローグは、今この瞬間、滅亡した。
「やっぱり、最初からこうした方が早かったね、鳥さん」
「しかし、黄龍様のお力はおいそれと使えるものでもありません。恐れながら、今後は自重いただきたく」
たった今国ひとつを消し去ったとは思えぬほど、ヨミの表情はサラリとしたものだ。跪き苦言を呈するフェニックスにも、ほんの少し不満げに唇を尖らせているだけ。
「ローグが……ローラたちの国が……」
「馬鹿げてやがる……!」
全身の力が抜けて、ぺたんとその場にへたり込んでしまうローラ。さすがのクローディアも予想外すぎるのか、未だに目の前の光景が信じられないといった様子だ。
スタジアムの観客席は阿鼻叫喚。半分ほど巻き添えを食らったために、観客たちも少なくない被害が出ている。恐らくはスタジアムのスタッフや、ギルドの魔導師たちにも。
残された誰もが混乱に陥る中で。純白の鎧に身を包んだヒーローは、ただただ怒りの炎を燃やしていた。
「黄龍様っ!」
『どけ、ヨミ!』
一片の迷いなくヨミの懐まで潜り込んでいたバハムートセイバーが、剣を振り下ろす。フェニックスとドラグーンアベンジャーが間に割って入り、二人がかりで防がれた。
だがそれでいて、防いだ側の二人は余裕がなさそうだ。
「邪魔だ!」
剣を振り抜いてドラグーンアベンジャーの鎧を袈裟に斬り、蹴り飛ばす。フェニックスにはゼロ距離でガントレットから魔力弾を放ち、よろめいたところを殴り飛ばした。
「なんでだよ……この国には何の罪もない人が、大勢暮らしてたんだぞ! なんでそんな簡単に消しちまえるんだよ!!」
「理由が必要?」
小首を傾げ、心底から疑問に思うようなヨミの表情に、絶句した。
思考回路が違いすぎる。こいつは本当に、国一つ分の人たちを殺したことに対して、何とも思っていない。
「テメェ……!」
『どうして、そんな風に……!』
龍太とハクア。二人の怒りが共鳴し、呼応するように鎧の魔力が増幅していく。カートリッジを使っていないにも関わらず、全身に赤いオーラがみなぎっていた。
「面倒だな。わたしはバハムートセイバーに手を出すなって王様から言われてるし、おじいちゃん、後は頼んだね。鳥さん、帰ろっか」
「逃すか!」
背を向けるヨミへ駆ける寸前、漆黒の鎧が立ち塞がる。ドラグーンアベンジャーは斬られたダメージも無視して、ただ感情のままに動く。
「無視、しないでよ……りゅうくんの相手は、私なんだよ……!」
「どけよ詩音! お前、あんなやつの仲間でいいのか⁉︎」
言い争いながらも何度も斬り結び、そうしているうちにヨミの姿は消えていた。
逃した。悔しさに仮面の奥で歯軋りして、一度灯った怒りの炎は消える気配がない。
「あいつらは、この国の人たちを消したんだ、殺したんだぞ! 国ごと! なんの罪もない、ただ平和に暮らしてただけの人たちを!」
「ヨミちゃんの正体なんて、関係ない……この世界がどうなろうと、知ったことじゃない! 私は、りゅうくんを殺せれば、それで!!」
「この分からずやがッ!」
激しく鳴り響く剣戟の音。何度もぶつかり合う剣と刀。しかしやはり、ドラグーンアベンジャーが少しずつ押されている。今のバハムートセイバーは、龍太の怒りによって普段の何倍も力が増しているのだ。
だが、それにも限界はある。
漆黒の鎧を弾き飛ばすと、全身にとんでもない倦怠感がのしかかった。気を抜くと指先すらも動かなくなりそうで、動きを止めてしまう。
『どうやら、そろそろ時間切れのようですね、バハムートセイバー。あなたはよく戦いましたよ』
「くそッ、こんな所で終わってたまるか!」
『ええ、そうよ。わたしたちはまだ戦える! ヘルヘイム、ここであなたを逃すわけにはいかないのよ!』
二人の気迫に、詩音が僅かに戸惑い身を震わせる。
きっと、彼女には理解できないのだろう。同じ異世界出身の龍太が、どうしてこの世界のために戦えるのか。
どうして、守るべき人たちを消されてもなお立ち向かうのか。
「なんで……どうして、りゅうくんは……そんなに真っ直ぐいられるの……! 私には分からない……!」
「んなもん決まってんだろ。いや、お前ならよく知ってるだろうが、詩音!」
『わたしたちはバハムートセイバー! 二人で一人の、正義のヒーローだから!』
「ここが異世界だろうが関係ない! 守れなかった人たちがいたのかもしれない! それでも俺は、俺たちは!」
『救いを求める人がいる限り、戦うことをやめるわけにはいかないの!』
倦怠感も、疲労も、全て消える。
全身を包む赤いオーラが輝きを増して、純白を彩る。
ローグが滅んでみんなを守れなかった? 制限時間が近い? ああそうだその通りだ。 でもそれらは、ヒーローが戦いをやめる理由にならない。守るべき人たちを守れなかったからこそ。限界が近いと知っているからこそ。龍太の身体は、より一層の力が漲る。
『どれだけ強がろうと無駄ですよ、お二方。これ以上は結果の見えた戦いにしかなりません。それとももしや、まだ隠し球があるとでも?』
『そのもしやよ、ヘルヘイム!』
「見せてやるよ、俺たちの、ヒーローの底力を!」
漲る力を全て解放する。
あまりの魔力に風が吹き荒れ、背後で控えてくれている仲間たちは顔を覆っていた。力の渦は際限なく勢いを増し、赤と純白の輝きがそこ只中にある。
これは、以前からハクアと話し合っていた最終手段だ。実践したことは一度もなく、だから何が起きるのか、どうなるのかも分からない。
それでも今、二人には必要な奥の手。
今まで見せたことのない力を放出する二人で一人のヒーローが、その激情のままに叫びを上げた。
「『ドラゴニック・オーバーロード!!』」
◆
桐生朱音が意識を取り戻したのは、瞼の裏で赤い輝きが強く瞬いたからだ。
痛みに眉を顰めながら起き上がると同時に、全身に鳥肌が立った。すぐそこ、赤い輝きの中心から発せられる魔力。
見紛うわけがない。片時も忘れたことがなかった。
あれは、朱音が倒すべき敵の。赤き龍と全く同じ魔力だ。
そして輝きが晴れたそこに立っているのは、赤銅色の凶悪な鎧を纏った戦士。仮面の瞳は銀色の光を帯び、その瞳から涙が流れるように、同じ色のラインが走っている。
「一体、なにが……」
「朱音! よかった、気が付いたんだね!」
「丈瑠さん、あれは……?」
「……バハムートセイバーだよ」
丈瑠も、目の前から感じられる魔力の異常性に気が付いているのだろう。認めたくない事実を認めるように、苦い顔で言う。
あれが、バハムートセイバー? つまり、龍太とハクアだというのか?
戸惑う朱音を置き去りにするように、バハムートセイバーが動く。
視認できないほどのスピードで敵の背後に周り、漆黒の鎧を蹴り飛ばした。吹き飛んでいくドラグーンアベンジャーに容易く追いついて、さらに拳を叩き込む。
何度も地面を跳ねて、フィールドの壁にぶつかりようやく止まる。だが、まだ終わらない。壁にめり込んだドラグーンアベンジャーに、情け容赦なく左の拳が襲いかかる。咄嗟に躱されるが、拳が当たったフィールドの壁は粉々に砕け散った。上の観客席にいた一般人たちが下まで落ちてきそうになるが、龍太はそちらを一顧だにせず敵を追う。
おかしい。いつものバハムートセイバーの戦い方じゃない。あんな、関係のない人たちを巻き込むような戦い方は、あまりにもらしくない。
「まさか、意識がないのか⁉︎」
「そのまさかだろうね。ジン、もしもの時は止められるように準備しといて」
様子のおかしい龍太に、ジンが驚愕の声を上げる。だが朱音としては、ある程度予想できていた。
さらに言うと、最も恐れていた事態が起きているかもしれない。
魔王の心臓の覚醒。
赤き龍の心臓であり、その力の大部分を担うそれは、普段から龍太に力を与えていた。無限にも等しい魔力供給という形で。
だが今は、バハムートセイバーの鎧と共鳴し、普段以上の凶悪さを見せている。龍太とハクアはコントロールしきれず、完全に暴走していると言っていいだろう。
「くっ……どうして……いきなりこんな……!」
『ドラゴニック・オーバーロード……アカギリュウタめ、我が王の心臓を利用したか……! ウタネ様、ここは一度退きましょう!』
「嫌だ! もう、りゅうくんからは逃げたくないっ……!」
カートリッジを取り出したドラグーンアベンジャーの手を、バハムートセイバーの剣が斬りあげる。カートリッジを取りこぼして蹴り飛ばされ、落ちた弾丸はバハムートセイバーの手に収まった。
『Reload Doppel』
赤銅色の鎧が、五人に増えた。
敵のカートリッジを使えることに驚くのは朱音たちだけじゃない。ヘルヘイムすら驚愕の声を上げている。
『そのカートリッジはウタネ様用に調整済みのはず……いや、エルドラドの『適応』か!』
「返せ……! それは、私の力だ!」
『いけませんウタネ様!』
がむしゃらに吶喊する詩音だが、そこから先はまるで大人が赤子をあやすようだった。
ドラグーンアベンジャーの攻撃は一とつたりとも通用せず、数の暴力に任せて淡々と返り討ちにする。
そんなバハムートセイバーからは、人間味が全く感じられない。相手をただ倒すだけの機械になってしまったかのような、無機質で無感情な戦い方。
あまりにも圧倒的で、こんなもの、龍太が望んだ戦いじゃないのに。
膝をつくドラグーンアベンジャーを、無機質な銀の瞳が見下ろす。悔しさか、怒りか、仮面の奥で強く歯軋りする詩音は、憎悪に染まった声を漏らした。
「そうやって…….いつもいつも……! 私を見下してっ……!」
『Reload Execution』
『Dragonic Overload』
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
漆黒の全身に青いオーラが漲り、右腕のガントレットへ収束する。ドラグーンアベンジャー必殺の拳が、分身を消したバハムートセイバーの仮面を捉えた。
「なん、で……」
しかし、詩音の口から溢れるのは驚愕の、いや、いっそ絶望の声音。
真正面からドラグーンアベンジャーの一撃を受けても、バハムートセイバーはピクリとも動かない。無機質な銀の瞳は目の前の敵をジッと見つめていて、気圧された詩音がよろよろと後退りする。
その様を嘲るでも、蔑むでもなく。ただ敵を倒すためだけに、淡々と。カートリッジが装填された。
『Reload Execution』
『Eclipse Overload』
ガントレットが分離、右脚に装着され、全身を赤いオーラが包む。
右脚にオーラが収束して、ドラグーンアベンジャーの胸に蹴りが炸裂。勢いよく吹き飛ぶ漆黒の鎧は、スタジアムの壁も突き破り、更地となってしまった外まで出る。
ゆっくりと、そちらへ足を進めるバハムートセイバー。
さすがにまずい、トドメを刺すつもりだ。
「ジン!」
「分かっている!」
「桃さんと緋桜さんも手伝ってください!」
『Reload Explosion』
行方を阻むように立ち塞がるジンに、バハムートセイバーは見境なく攻撃してきた。杭が露出したガントレットで盾を思い切り殴り、パイルバンカーの要領で爆発と同時に杭が作動する。
それを防ぎ切るジンはさすがの防御力だ。一瞬足を止めたその隙に、緋色の花びらが殺到した。バハムートセイバーの全身を絡めとり、動きを封じる。
「ドラゴニック・オーバーロード! ちょっと荒療治になるけど、恨まないでよ二人とも!」
「おい朱音! あんまり持たないぞ!」
「分かってますが!」
七つのパーツに分離した龍具シュトゥルムが、朱音の右腕を覆う鎧と片翼になる。躊躇っている暇はない。今のバハムートセイバーを止めるためには、朱音も全力を出さなければ。
魔力を解放し魔法陣を展開しようとして、そこに止めるべき相手がいないと気づく。
まさか、と思った次の瞬間には、頭部に衝撃がやって来て朱音はもう蹴り飛ばされた後だった。仮面の一部が割れて、奥に隠されていた右目だけが露になる。
全く動きが見えなかった。さっきはギリギリ目で追えていたのに。
『Reload Execution』
『Eclipse Overload』
剣にカートリッジを装填しながら、赤銅色の鎧が歩み寄ってくる。赤いオーラが刀身を包み、そこに宿る力はあまりにも膨大だ。
ヨミにやられたダメージも残っている朱音は、今の一撃で早くも満身創痍。情けない、仲間内で一番強い自覚はあったのに、その自分がこんなザマか。
内心で自嘲しながらも、諦めない。刀を杖代わりにして立ち上がり、迫る死神を強く睨む。
けれど意思とは裏腹に、全身に力が入らなくて。ついに目の前で立ち止まり、剣を振り上げるバハムートセイバー。
思わず目を瞑ってしまう、その直前。
クローディアの、焦る声が聞こえた。
「よせローラ! 行くな!」
えっ、と目を開いた時には、両手を広げたローラが割って入って来ていて。
「目を覚まして、お兄ちゃん!」
ピタリ。ローラの頭を叩き斬る寸前で、剣が止まる。カタカタと腕が震え、まるで抗うように。
「お兄ちゃんは正義のヒーローなんだよ! みんなを守るために戦うんでしょ⁉︎ だったら、こんなことしてる場合じゃないんだよ! これは、お兄ちゃんが望んだ戦いじゃない! こんな戦い方じゃ、誰も守れないし救えないんだよ!」
偶像として民衆の前に立つ少女が、英雄足らんとする少年へ叫ぶ。
生まれ育った国が滅んだ直後だというのに。そんなこと関係ないと言わんばかりに、ローラ・エリュシオンはアイドルとして、ヒーローの笑顔を取り戻すために。
けれど叫びは届かない。
腕の震えを止めたバハムートセイバーは、再び剣を振り上げる。
妹分に庇われた朱音は、最後の力を振り絞る。全身から銀の炎が噴出して、ローラの腕を掴んで引いた。
振り下ろされた剣は空振り、地面にぶつかると同時にスタジアム全体を巻き込むほどの大爆発を起こす。
ギリギリでローラと共に離脱した朱音は、銀炎も一瞬しか保てず背中を爆発に焼かれ、とてつもない衝撃に身を晒して吹き飛ばされた。
「お姉ちゃん!」
しかし、なんとかローラは守れた。他のみんなもなんとか離脱できているみたいだ。
遠くなりそうな意識を必死に保ちながら、バハムートセイバーを見やると、赤銅色の鎧が元の純白を取り戻していた。
膝から崩れ落ちて倒れ伏し、変身が解除される。
残されたのは、更地にされて滅んだ、ローグという国があった土地と。地形を変え瓦礫の山となったスタジアム。その中心で、手を繋いだまま倒れる龍太とハクアの二人。
あまりにも悲惨な結末を迎え、魔闘大会は終わることとなった。