忍び寄る影法師 3
せっかくのデートも中止になってしまい、謎の偽者を倒した龍太たちは、王都に戻り仲間たちと合流した。
ホテルの龍太とハクアの部屋に集まって、それぞれの身に起きたことを報告し合う。
『まず最初に、私がダストに襲われた。ここから南東に広がる森の中だ。その後ジンとクレナの偽者が現れ、遅れてローラの偽者まで現れた』
「そこに俺たちが駆けつけた、というわけだな」
「偽者の強さ自体は大したことなかったわ。私たちの偽者も、ローラ様の偽者もね。厄介だったのは、対象の能力をほぼ完全にコピーできてる点かしら」
「こっちも似たような感じだよ」
アーサーとジン、クレナが遭遇した偽者も、やはり龍太たちと同じ類のもののようだ。
強さ自体はそこまで大したことはないけど、魔術は同じものを使うし、異能もコピーされている。朱音の持つ異世界の特殊な力は例外だったようだが、しかし巫女の力はコピーされていた。
「龍の巫女の偽者ってのが厄介だね。その力もそうだけど、龍神の魂を持つ巫女には、クレナたちドラゴンが戦えなくなる」
「戦えなくなるって、どういうことっすか? ハクアはなんともなかったみたいですけど」
「この世界の全てのドラゴンには、龍神に対する恐怖が遺伝子レベルで刻まれてる。普段はなんともないけど、一度敵意を向けられたら一歩も動けなくなるんだ。ハクアはバハムートセイバーに変身してたから、その影響じゃないかな」
「実際私も、ローラ様の偽者相手には全く役に立たなかったわよ」
つまり、龍の巫女か龍神を相手にすれば、どう足掻こうと通常のドラゴンには勝ち目がない。味方なら頼もしいことこの上ないのだが、敵として立ちはだかればとても厄介な能力だ。
バハムートセイバーに変身中のハクアが影響を受けないのは、幸いだったと言わざるを得ない。
「で、その偽者の正体だけど」
「カートリッジシステム、だな」
朱音の言葉に龍太が答える。顎に手を当てて考えを巡らせる彼は、戦闘中に感じた既視感について話した。
「偽者が消える時の、あのドロって溶ける感じ。なんか見たことあると思ってたんだけど、スカーデッドがカートリッジを使った時と同じなんだよ」
言いながら、記憶を反芻する。
フェニックスを始めとしたこれまで戦ってきたスカーデッドは、カートリッジを使って変身する際、赤い球体に包まれた後、それがドロドロと溶けて変身を完了させる。
その時の光景と、なぜか重なって見えたのだ。実際は逆と言えるのに。
スカーデッドたちは、カートリッジを発動させた時に対して、あの影は倒され消える時。状況はまるで逆だ。
「ドッペルってのもちょっと気になる。今までスカーデッドが使ってたカートリッジと、明らかに違う感じがするんだ」
「たしかにそうだね。スカーデッドが使うのは動物か、僕らの世界の伝承を元にしたものか。どちらにせよ、生物をモチーフにしたカートリッジだったはず。ドッペルっていうのは、どちらかというとハクアが使っているカートリッジに寄ってるよね」
ドッペルとは、恐らくその名の通りドッペルゲンガーから来ているのだろうが、それは生物ではなく現象だ。丈瑠の言う通り、ハクアの使うカートリッジに近い。
別にスカーデッドのカートリッジが生物モチーフでなければならない、なんてルールはないと思うが、これまでの法則性からの逸脱は違和感を覚えるのに十分だ。
「ドッペルのスカーデッド、ってわけじゃなさそうだけど。だったら普通にカートリッジを使ってるだけってことかしら」
「そもそもスカーデッドは、人間の死体を再利用した機械生命体だしね」
「なあ、今更で悪いんだけどさ。カートリッジシステムって、具体的にどんな魔導具なんだ?」
本当に今更すぎる質問に、全員が龍太へ視線を向けた。こいつマジか、みたいな目が突き刺さる。
「リュウタ、知らないで使ってたのか?」
「いや、ある程度どんな感じの魔導具なのかは分かってるけどさ。でも、詳しいことは知らねえなって思って」
呆れたようなジンの言葉に、慌てて言い繕う龍太。
なにも理解しないで使っていたわけじゃない。といっても、殆ど感覚でしか分かっていないのだけど。
なんかあれだろ、リロードしてカートリッジの中の力を解放する的な感じの魔導具だろ。
と、龍太の理解度はこの程度。だいぶ浅い。
他にも、癖が強いからあまり使っている魔導師はいないとか、魔導収束の機能があるから、自動的に大気中の魔力を吸収しているとか、そういうのは知ってる。
「説明していなかったわたしも悪いわね。丁度いいから、カートリッジシステムについて少し話しましょうか」
苦笑しながらフォローしてくれるハクア。どうやら久しぶりに、ハクア先生の授業を聞けるようだ。
「まず始めに、これは知っていてもらいたいのだけれど。カートリッジシステムは対応した魔導具や龍具に装填し、力を引き出す魔導具、ではないわ」
「え、違うのか?」
龍太の認識は完全に間違っていたことになる。いやしかし、龍太自身バハムートセイバーに変身中は、そのような使い方をしていたし、ハクアも龍具のライフルで同じ使い方をしている。
「本来の設計思想の話になるのだけれど、カートリッジは溜め込んだ魔力で一時的に使用者の魔力をブーストさせて、瞬間的な爆発力を増すための魔導具だったの。わたしのような、魔力を持たない存在が使うための魔導具ではないのよ」
「魔導具による、一時的かつ瞬間的なオーバーロードの再現、だね。当然使う側にもそれなりの技量が求められる。癖が強いっていうのはそういうことだよ」
異世界人のくせに、相変わらずこの世界について詳しい朱音が補足してくれる。
オーバーロードとは、魂に魔力を逆流させることで発動する、この世界の魔導師の奥の手のようなものだ。そうすることで魔力や身体能力などなど、術者の力は限界以上に引き上げられる。
それを、魔導具で一時的かつ瞬間的に再現しようとしたのが、カートリッジシステム。
「でも、ハクアの使ってるカートリッジは違うよな?」
「本質的なところでは同じよ。カートリッジを装填することで、龍具に魔力を逆流している。そうしてカートリッジに込められた力を撃ち出しているの。もちろん、魔力のないわたしでも使えるように、改良しているのだけれど」
「ならさ、他のやつが使う一般的なカートリッジにも、エクスプロージョンとかヴォルテックスみたいな固有の力が入ってるのか?」
「ええ、そうなるわね。ただ、わたしの……わたしたちの使うカートリッジが他と決定的に違う点がなにか、リュータは分かる?」
「バハムートセイバーか……」
考えずとも答えは出た。ハクアも頷き、机の上に二つのカートリッジを並べる。
赤と青、それぞれ異なる色で異なる紋様が刻まれた、白いカートリッジ。龍の巫女から託されたそれには、龍神の力が込められている。
その二つに遅れて並べられたのは、赤いカートリッジ。エクスキューションのカートリッジだ。
「まずはこれ、エクスキューションのカートリッジ。これはオーバーロードの再現などではないって、ここまで聞けばなんとなく分かるわよね?」
「まあ、そうだな」
「このカートリッジは、龍の巫女や龍神と同じだけの力が込められているわ」
オーバーロードとは、龍の巫女と龍神の使う技、ドラゴニック・オーバーロードをその他の人間やドラゴンでも使えるよう、スケールダウンさせた技術だ。
カートリッジシステムはそのオーバーロードを再現するものだが、あの赤いカートリッジに限っては違う。
オーバーロードのオリジナル、より強力な技であり、龍の巫女や龍神と全く同じ、ドラゴニック・オーバーロードを再現する。
「もちろん、それも一時的かつ瞬間的なものよ。魔力もドラゴンの姿も失ったわたしには使えないのだけれど、バハムートセイバーに変身している時なら使える」
「リュウタと一体化しているおかげ、というわけか。やはり、巫女と全く同じ芸当をやってのけているんだな」
「なにせ伝説の白龍様だものねぇ」
「その呼ばれ方はあまり好きではないのだけれど……」
忘れがちだが、ハクアはただ長生きなだけのドラゴンじゃない。本人は否定しがちではあるけど、始まりの村では神と崇められていたほどのドラゴンだ。おまけに白龍様と呼び慕うドラゴンもいるし、持っている力も『変革』という特異で強力なもの。
龍の巫女や龍神と同じ芸当ができても、なんらおかしなことではないだろう。
「次にこっち、アリスとクローディアから貰ったカートリッジなのだけれど、こっちはより特殊なカートリッジよ」
「龍神の力が込められてるもんね、世界に二つとないお宝だよ。怪盗がそれの存在を知ったら大変だ」
朱音の言う怪盗云々はよく分からないが、たしかに世界に唯一のお宝であるのは間違いない。このカートリッジの存在が公になれば、力を欲した悪い奴らがこぞって狙ってくるかもしれない。
強力で特殊なカートリッジかもしれないが、それだけの危険を孕んだものでもある。
「バハムートセイバーのオルタナティブ。わたしの持つ『変革』の力が作用して、鎧に龍神の力を宿すカートリッジ。恐らくなのだけれど、スカーデッドの使うカートリッジもこれと似たようなもののはずよ」
「赤き龍の持つ『変革』の力が、ということだな。それにしては、随分と趣が違う」
ジンが言いたいのは、カートリッジを使って変身した際の姿のことだろう。
バハムートセイバーは鎧だ。そして、その鎧が変化する。だがスカーデッドは、あまりにも生物に寄った姿だ。一様に赤い体色をしてはいるが、現実に、あるいは伝承にある通りの姿を取る。
さて、ここで話を戻してみよう。
ドッペルのカートリッジ。
以上の話を踏まえた上で、やはり龍太とハクアの使うカートリッジに似ている。たしかにスカーデッドのものと同様、生物の姿を取るものの、あくまでも偽物を生み出す能力だ。使用者自体が姿を変えるわけではない。
「やっぱり、スカーデッド以外のやつが犯人ってことかしら? スペリオルだって、なにもスカーデッドだけで構成されてるわけじゃないでしょうし」
「ヒスイ……」
そうなると思い浮かぶのは、龍太たちを裏切ったかつての仲間の顔。キャスケット帽子を被ったドラゴンの少女。
セゼルで別れてそれきりだが、今はどこでなにをしているのだろう。
「正直、ヒスイが関係してる可能性はそれなりにあると思うよ。あれだけ使える駒を遊ばせておく理由もない。私が敵なら、遠慮なく使うね」
「アカネ、言い方が少し……」
「いや、いいんだハクア。朱音さんの言う通りだしさ」
朱音の遠慮ない物言いと意見が、今は逆にありがたい。変に気を遣われるよりもマシだし、彼女の言葉は正論だ。
龍太を追い詰めたいなら、ヒスイの存在は有効的に働く。スペリオルのやつらが利用しないわけがない。
「それに、ヒスイだけじゃない。詩音のことだって、あいつらは利用してくるはずだ。そうなった時の覚悟は、一応できてるつもりだからさ」
「リュータ……」
もう、くよくよするのはやめたんだ。詩音とは戦わなければならないだろうし、裏切ったヒスイとは言わずもがな。
それが嫌だと子供みたいな我儘は言ってられないから。
龍太の決意を見て取った朱音は、微笑みながら頷きを一つ。
「それは重畳。なら早速動こうか。私と丈瑠さんは、アーサーと一緒にダストが出たって言う森に行ってくる。ジンとクレナは、引き続き王都の調査をお願い」
「スペリオルの連中が潜んでいるかもしれないからな」
「任せときなさい」
「俺たちは?」
「龍太くんとハクアは、ギルドの方に報告をお願い。バハムートセイバーも使っちゃったし、明日もあるし、これ以上は無理できないからね」
たしかに、今日の疲労を引きずって明日の魔闘大会に負けてしまえば、本末転倒もいいところだ。まだ二回戦、さらにその先まで勝ち進まないとダメなのだから。
それを言うと明日もあるのは朱音と丈瑠も同じなのだけど、この二人に限ってその心配は無用か。
◆
ホテルから徒歩でギルドまでやって来た龍太とハクア、エルの二人と一匹は、顔見知りのギルド員と軽く挨拶を交わしながらローラを探す。
この国に来てからギルドには何度もお邪魔しているけど、彼女は決まってロビーの一番奥、受付のところに座り、笑顔で室内を見守っていた。
しかし今日はそこに姿が見えず、受付の女性職員にローラの居所を尋ねる。
「ローラはいないんすか?」
「ローラ様なら二階におられますよ。エリナ様がいらしてますから、その対応中です。もう暫くお待ちいただければ、降りてこられると思います」
エリナというのはたしか、風龍の巫女、エリナ・シャングリラのことか。昨日の試合で解説を担当していたのはもちろん覚えているが、まだローグに留まっていたとは。
「どうするハクア、ここで待つか?」
「出来れば急ぎで報告したいわね。エリナもいるならちょうどいいし……ねえ、二人に取り次いで貰えるかしら? スペリオルの件と言えば伝わるはずよ」
「かしこまりました、少々お待ちください」
さすがにギルドの職員ならスペリオルのことは知っているのか、受付の女性は表情を真剣なものに変える。踵を返して二階に上がろうとした彼女。しかしその背中に声がかかって、足を止めた。
「わざわざ聞きに行かなくていいぞ、俺が案内するから」
丁度二階から降りてきたのは、ローラのパートナーであり十四歳にしてこのギルドのギルドマスターを務めている、アレス・ローレライだ。
「ローラたちも、スペリオルについて話してたんだ。新しい情報なら大歓迎、そうじゃなくても、リュウタたちは聞いてた方がいいかも知れないしな」
「サンキューアレス」
彼の案内でギルド二階に上がり、突き当たりの部屋に入る。中にはその部屋の主のローラともう一人、ローラと変わらぬ小柄な少女がいた。照明を反射して煌めく金髪。神が手ずから作ったような美貌は、眠たげな表情をしていても曇らない。
受付のお姉さんから事前に聞いていても、彼女が誰なのか一瞬判断できなかった。
エリナ・シャングリラ。
風龍の巫女であり、同じ巫女であるアリス・ニライカナイの妹。ドラグニア神聖王国のれっきとした王族でもある。
「あ、リュウタお兄ちゃん、ハクアお姉ちゃん。こんにちはなんだよ!」
「おう、こんにちは」
「こんにちは、ローラ。それにエリナも、久しぶりね」
「ん、久しぶり」
短く簡素な受け答え。ほんの少しこちらを一瞥すると、すぐに大きく欠伸をした。眠たげというか、本当に眠たいらしい。
「ローラ、この二人、スペリオルについて話があるらしいぞ」
「そうなんだ、それは丁度よかったんだよ! ローラも今は、エリナお姉ちゃんとスペリオルについて話してたから」
ソファを勧められて腰を下ろす。エルもハクアの膝の上で翼を休めた。アレスがお茶を淹れてくれたので一口頂くと、意外にも美味しい。
「それで、二人はどんな話をしていたの?」
「ローラたちは魔闘大会中の対処について話してたんだよ。もし開催中にスペリオルがこの王都に現れたらどうしようか、って」
「多分、参加者は戦おうとする。それは無理矢理にでも辞めさせて、ギルドの魔導師で対処。これが基本」
抑揚のない、無感情な声色で、エリナが淡々と説明する。
まるでアリスの妹とは思えないが、それでも顔の造形だけはよく似ているのだ。
少しジロジロと見過ぎたか、エリナがこちらを向いて不意に視線が合ってしまう。
「なに?」
「あー、いや、アリスさんとよく似てるなぁと思って」
「ありがと」
短く言って、ピースサイン。無表情だからすごいシュールだ。
「エリナはこう見えて、アリスのことが大好きなのよ」
「エリナお姉ちゃんもアリスお姉ちゃんも、すっごく美人だもんね! それに若々しい!」
「年齢の話はダメ」
口の前に指でバツを作るエリナ。一体何歳なのか気になるところだが、女性に年齢を聞くのはマナー違反だ。
紳士であり続けたい龍太は話を逸らし、もとい戻して、ひとつ質問してみた。
「ところで、なんで大会参加者に協力させないんだ? こんな大会に出るような奴らだし、みんな腕に覚えがあるってことだろ。戦力は多いに越したことはないと思うけど」
「それで大会継続が困難になったら本末転倒なんだよ、お兄ちゃん。スペリオルの目的がなんであれ、今この王都に集まってる人たちは、魔闘大会を楽しみにしてる。なのにその大会自体がなくなっちゃったら、意味がないんだよ」
「アカネにタケル、モモにヒザクラはともかく、他の人たちはいらない。こっちの連携を邪魔されても困る」
あけすけで辛辣なエリナの言葉に、龍太もハクアも思わず苦笑い。その四人は長い付き合いがある上に、大会参加者の中でも突出した実力の持ち主だ。彼ら彼女らに限って言えば、スペリオルの対処に割り当てないということは考えられない。
というか、そもそも。ここには龍の巫女が二人いて、さらに異世界の魔術師も、魔女もいる。現在のローグは恐らく、世界で一番戦力の揃っている国と言えるだろう。
「改めて考えると、本当にこんなところにあいつらが攻めてくるのか分からなくなってきたな……」
「巫女は一人で一国を相手にできるというし、アカネたちも同じかそれ以上の実力を持っているのだから、そう思うのも当然ね」
朱音の実力は特に身近で実感できるから分かるが、彼女ならたしかに、たった一人で国を相手にできてしまうだろう。
色々と反則すぎるんだ、あの人は。
「それで、お兄ちゃんたちの方は? そっちでもなにかあったんだよね?」
「ああ、そうなんだよ」
二人に海水浴場で起きた出来事と、アーサーたちから聞いた話も合わせて伝える。
ドッペルのカートリッジについては、朱音たちと散々議論したけど。同様に、スペリオルの兵隊であるダストが出現したことも、かなり重要だ。
あの兵隊がいるということは、近くにスペリオルが潜んでいるということなのだから。
「やっぱり、スペリオルが隠れてたんだね」
「今は朱音さんたちが、その森を調べに行ってる。案外サクッと片付けてきたりしてな」
「アカネお姉ちゃんならあり得ちゃうかも」
まあ、そう簡単に解決したりはしないだろう。スペリオルやつらだって馬鹿じゃあない。一度こちらに仕掛け、失敗した以上、上手く身を隠そうとするはずだ。
「大会の解説に、まだ何人か王都に来る予定なんだよ。その人たちにも、ローラから話しておくね」
「解説にって言うと、まさかアリスさんとか?」
「お姉様は忙しい、大会には来ない」
「あら、てっきり巫女が勢揃いかと思ったのだけれど」
「アリスお姉ちゃんはドラグニアで、人間のドラゴン化を調べてくれてるんだよ」
そういえばそれもあったか。
これまで龍太たちが遭遇したのは、ノウム連邦、ドラグニア王都、セゼルと三回。いや、玲二の件も合わせれば四回か。
未だそれ以外に報告もなく、この国でも人間のドラゴン化は起きていないらしい。だからと言って、これから起こらない保証はどこにもない。
そして、ドラゴン化してなお暴走していない人物が、一人いる。龍太は決して無視できない彼女が。
「なあ、ローラは詩音がドラゴンだってこと、知ってたのか?」
「……ごめんなさい、お兄ちゃん。ローラは知ってたんだよ。知ってて、でもウタネが公にすることを拒んだから、ローラは誰にも言わなかったの」
「いや、謝る必要はないよ。ローラは悪くないんだからさ」
もしもローラがもっと早く、詩音と会ったその時にドラグニアへ一報入れていたなら。もしかしたら、状況は変わっていたかもしれないけど。
所詮はもしもの話。現実は違う。なにより、大切な幼馴染が人間ではなくなったと言う事実は、もう変わりようがない。
「ひとつ、気になることがある」
人差し指をピンと立てたエリナ。眠たげで無感動な瞳はジッと龍太を見つめている。
変に緊張してしまうのは、美人に見つめられているからか。あるいは、寝ぼけ眼のその奥に、剣呑な色が見えたからか。
「人間のドラゴン化は、こちらでも確認されてない。アカギリュウタ、あなたの前でだけ起こる。それはどうして?」
「それ、は……」
今まで、気にも留めていなかった。というよりも、ある種当然のことだと思っていた。
スペリオルはいつも龍太の周りに現れるから、やつらの仕業であるドラゴン化の症状が龍太の周りでだけ起こっても、それが当然なのだと。無意識のうちにでも、そう思ってしまっていた。
しかし、改めて言われるとおかしな話だ。
ドラゴン化の症状は、一定期間魔力を使用していない人間が発症する、ウイルスが原因の症状。
そのウイルス自体に感染してしまっていても、普段魔力を使うなら全く問題ない。体内を循環する魔力がウイルスを殺すから。
元の世界でもそうだったが、感染症の拡大スピードや範囲は恐るべきものだ。すでにこの世界全土に広がっていてもおかしくないし、そうなると龍太の知らないところでも発症している人がいるはず。
だが現実に、症例はたったの五件。そのうちの三つが龍太の目の前で発症し、残りの二つは龍太の幼馴染が発症している。
「まさかエリナ、リュータを疑っているのかしら?」
僅かに敵意を滲ませたハクアの言葉で、場に緊張が走る。強く睨まれたエリナは、しかし表情も声色も変えずに続けた。
「違う。お姉様から、あなたたちのことは聞いてる。昨日アカネと会った時にも聞いた。だから疑っているわけじゃない。でも」
「俺自身が無自覚に、なにかを起こしてるかもしれない、ってことか……」
残念なことに、心当たりがあった。
魔王の心臓。敵の親玉である赤き龍の心臓を、龍太は持っている。それがなにかしらの影響を与えているのだと言われてしまえば、龍太は反論の言葉を持っていない。
この心臓が生み出す強い魔力は、龍太に戦う力をくれるけど。こう言う時に厄介だ。そもそも朱音と敵対してしまったのだって、こいつのせいなのだし。
「スペリオルが魔王の心臓をうまく利用している、というのは、十分に考えられる」
「けれどそんなの、リュータ自身ではどうしようもないことだわ」
「分かってる。だからリュウタをどうこうしよう、というわけじゃない。ただ、気をつけて欲しい」
例えば、魔力をうまく動かせない幼い子供や老人が多くいる場所には近づかないとか、気をつけると言ってもその程度しかできない。なにせ龍太自身になんの自覚もなく、スペリオルのやつらがこの心臓を勝手に利用しているだけなのだから。
でも、そうだとしても、ドラゴン化の症状が龍太のせいだと言うなら。
それは、結構堪えるな……。
口の中だけで呟いて、つい力のない笑みが漏れてしまう。ハクアの心配そうな表情にかぶりを振るけど、でも。
もし魔王の心臓のせいなんだったら、あれもこれも、全部龍太の責任だ。
「魔王の心臓については分かっていないことも多いのよ。安易にリュータのせいだと決めつけるのは、あまりに早計だと思うわ」
「その可能性がある、というだけ」
「それに、気をつけろだなんて言っても、なにをどう気をつければいいのよ。わたしたちはまだこれからも、旅を続けなければならないのよ?」
「自覚しているのとしていないのとでは大きく違う。ハクア、らしくない。どうして取り乱すの?」
エリナの正論に対して、ハクアは感情に任せて言い返すのみ。たしかにらしくない。
龍太にはその理由が分かるから、ほんの少し心のつっかえが取れる。
「ハクア、もういいよ。言い合ったって仕方ないしさ」
「そ、そうだよ二人とも! 喧嘩は良くないんだよ!」
ローラと二人で仲裁に入れば、ハクアも渋々と引き下がってくれる。
膝の上のエルがきゅー、と心配そうに鳴いて、ハクアはその頭を撫でていた。
なんとなく気まずい沈黙が降りて、それを破ったのは部屋の隅で待機していたアレスだった。
「ローラ、あれ、渡すんじゃなかったのか」
「あ、そうなんだよ! リュウタお兄ちゃん、はいこれ!」
手渡されたのは、緑色で大樹の紋様が描かれたカートリッジだ。
この国に来てすぐの頃、ローラに預けていたカートリッジ。それに木龍の力を宿してくれた。
「本当は大会に間に合わせるつもりだったけど、遅くなっちゃってごめんなさい」
「いや、ありがとうローラ」
「ええ、あなたとエリュシオンの力、存分に使わせてもらうわね」
これで、バハムートセイバーの使える龍神の力は、三つになった。非常に大きな戦力だ。だからこそ、使い方を間違えるわけにはいかない。
これらの力は、誰かを助けるためのもの。守るためのものだ。
ただ、三つも揃うとやっぱり、残りの龍神たちの力も気になるわけで。
決してねだっているわけではないのだけど、自然とエリナの方に目が向いてしまう。
「風龍の力は、直接戦闘に向いてない。それでもいいなら」
「直接戦闘に向いてないって……でも、龍神の力には変わりないんだよな?」
五体の龍神はそれぞれ、特別な力を有している。
水龍ニライカナイはあらゆる流れを操り、炎龍ホウライは己の熱を力に変える。
そして木龍エリュシオンは、植物を自在に操れる。この世に存在している、あるいは存在していない全く新しい、全ての植物を作り出すことも可能だ。故に木龍の巫女は代々、その力で様々な薬草を生み出し、新たな薬を作ってきた。
さてでは、風龍の持つ力とはなんなのか。
「風龍シャングリラは、伝える力を持つ。風に乗せてどこまでも。声を、想いを、力を」
他の三体に比べると、たしかに戦闘向けの力ではないのかもしれない。けれど龍太は、その力が素晴らしいものに思える。
誰かになにかを伝えたくて、それが叶わないなんてのはよくある話。
お互いの想いが伝えられず伝わりきらず、すれ違いと勘違いを繰り返す間違いだらけ。
今の龍太も、詩音とそんな状態だから。
羨ましい、とすら思ってしまうほどに。
「他人の支援なら得意。でも、自分で戦うには向かない。それでもいい?」
「ああ、それでもいい」
改めて尋ねられると、即答を返してしまう。
戦いというのは、手段の一つにすぎない。戦うだけが全てじゃないし、そうならないに越したことはない。
言葉で、あるいは力で。自分の気持ちをしっかりと伝える。
詩音と和解するためには、きっと風龍の力が必要だ。
「ん、わかった。でも、すぐには無理。私も忙しいから、魔闘大会中は難しい」
「それでも構わないわ」
ハクアが腰のポーチから、鈍い鉄色のカートリッジを差し出す。こくりと頷いて受け取ったエリナは、カートリッジを懐にしまい立ち上がった。
「そろそろ帰る。ローラ、なにかあったらまた教えて」
「うん! ばいばい、エリナお姉ちゃん!」
手を振るローラに、眠たげな顔を僅か綻ばせ、エリナは転移でどこかに消えた。
エリナ・シャングリラ。姉とは全く似ていない、不思議な雰囲気の女性だった。厳しい言葉もオブラートに包むことなく言われたけど、龍太たちの力にはなってくれる。こちらを心配、というか気遣うような素振りもあった。
クローディアもそうだったが、龍の巫女はやはり、基本的にみんないい人たちだ。
「ちなみにお兄ちゃん、エリナお姉ちゃんはお兄ちゃんよりも十歳以上年上なんだよ」
「マジで⁉︎」
全くそんな風に見えなかったのに⁉︎
てっきり同い年くらいだと思っていた龍太は、次に会ったらちゃんと謝ろうと心に決めた。
ていうか、つまりエリナの姉のアリスは、一体何歳になるんだ……?