忍び寄る影法師 2
海で遊んでいた龍太とハクア、エルの二人と一匹は、全身を軽く濡らして砂浜に戻ってきた。
やっぱり水着は必要だったかも、と海水を吸って重くなった服を見ながら思う。不幸中の幸いなのは、ハクアのドレスが海水程度で透けてしまうようなものじゃなかったことか。
「きゅー! きゅー!」
「エルは元気だなぁ」
「ふふっ、楽しかったもの。まだまだ遊び足りないのよね」
「きゅー!」
元気に鳴き声を上げるエルを、二人とも微笑ましげに見つめる。遊んでやりたいのは山々だが、これ以上服のままで海水を浴びたくないし、若干疲れた。
一旦休憩のために荷物を置いてるシートの方まで戻って、念のため持ってきていたタオルで軽く体を拭く。マジでタオル持ってきてて良かった。
「そろそろお昼時かしら」
「だな。海の家でなんか食い物買うか」
渡したタオルで体を拭くハクア。なんだか見てはいけないものを見ている気分になって、龍太は咄嗟に目を逸らす。全くそんなことないはずなのに。
だが悲しいかな、思春期の男の子はどうしても気になってしまい、ちらちらと目だけがハクアの方に向いてしまう。
太陽に反射して煌めく、白い髪を滴る水が眩しい。シートの上に腰を下ろして足を伸ばし、靴下を吐く姿はなぜか艶かしく見えてしまう。普段同じ部屋に寝泊まりしてるから、毎日のように見ている光景なのに。しっとりと濡れただけで、非日常感を覚える。
視線に気づいているのか、ハクアは可愛らしく小首を傾げるだけだ。龍太の心情に気づいた様子もない。
「さ、行きましょうか」
「ん、おう」
立ち上がったハクアの肩にエルが乗って、何を言うでもなく手を繋がれた。互い違いに絡まる指と指。ほんの少し低い体温は、海で遊んだせいか常よりもさらに冷たく感じる。
二人で砂浜をゆっくり歩き、海の家を目指すと、なにやら人集りができていることに気づいた。
顔を見合わせて首を傾げる。なにか催しでもあるのかと思ったが、シートを借りに行った時は特にそのような話も聞かなかったし、張り紙とかも見ていない。
海の家の目の前まで来ると、集まってる人たちはなにやら歓声を上げているようだった。
「いい食いっぷりだぞ姉ちゃん!」
「まだまだ食えるんじゃねえか!」
「あと一皿で三十人前突破だ! 頑張れ!」
ブーメランパンツを履いた筋骨隆々の三人組が、特に大きな声を上げている。その三人のあまりのインパクトに足を止めかけるが、龍太も腹が減ってるのだ。
人混みを掻き分けてなんとか最前列まで出ると、目の前の机には見知った顔が。
「朱音さん?」
「これは……すこいわね……」
テーブルの上に大量の皿を積み上げている光景は、まるで漫画のよう。その全てを胃袋に収めた脅威の女性、桐生朱音は、箸で焼きそばを啜ると顔を上げた。
「あ、見つかっちゃった」
「なにやってんすかあんた」
「いやぁ、ははっ……」
「アーサーに羽を伸ばせって言われたから、僕らも遊びに来てたんだよ」
朱音の隣に座って、フードファイトを見守っていた丈瑠が付け足した。
どうにもそれだけじゃない気もするが、嘘をついてるようにも見えないし。なにより朱音は、つい今しがたまで食事に夢中だったし。この二人も龍太たち同様、息抜きに海へ来たのだろう。
それにしたって、海に来てやることが焼きそばの大食いチャレンジというのは、さすがにどうかと思うけど。
「それよりアカネ、あなたまたこんなに食べて。クレナに怒られるわよ?」
「だ、大丈夫だって! ちゃんと渡されたお小遣いでやりくりできるから!」
朱音はとにかく大食いだ。そして飯を食うには金がいる。ローグに着いてから暫く、食が最高の娯楽である朱音は暇な時に色んなところで食べ歩きしていた。
当然お金も使うし、そうなると一行のお財布を管理しているクレナとハクアからは、いつもお小言を頂戴してしまう。
「だったらいいのだけれど……リュータ、わたしたちもなにか頼みましょう」
「朱音さんのやつ一皿貰えばいいんじゃね?」
「は? あげるわけないじゃん」
「うっす……すんません……」
めっちゃドスのきいた低い声だった。怖すぎる。まだ敵対してた頃よりも怖い。
「なんだなんだ、もう終いか姉ちゃん!」
「いい食べっぷりだったぜ!」
「新人アイドルの大食い! こりゃ人気爆発間違いなしだな! ガハハ!」
ブーメランパンツの筋肉三人組は、気持ちのいい豪快な笑いを残して去っていった。つられて他の人たちも解散し、幾分か静かになる。なんだったんだ、あの三人組。
「そうだ龍太くん。ここのメニュー、お米があるよ」
「え、マジっすか!」
思わず大きな声を出してしまった。
素早くメニュー表を手に取り確認する。様々な料理の写真が写されているそこに、ひとつ。たしかにあった。
皿に盛り付けられているのは、炒めたパラパラのお米。エビや貝などの魚介類にキノコや玉ねぎなどの野菜が、食べやすいサイズに切られている。
それすなわち、ピラフ。
元の世界でもあった料理ではあるが、まさかこんなところでお目にかかれるとは。
迷いなくそれを注文して、五分ほどすると出てきた。
バターの香りが空腹を刺激する。彩り豊かな具材は綺麗に盛り付けられて、米に粘り気は全くない。
「お、おぉ……お米だ……久しぶりに見た……」
「そ、そんなに嬉しいの?」
「当然!」
若干困惑気味のハクアには分からないだろう。日本人として生まれたからには、お米は生涯の友と言っても過言ではない。
朝、味噌汁や焼き魚をオカズに食し、昼は母が握ってくれたおにぎりを頬張り、夜はちょっと趣向を凝らして、カレーやチャーハンにしてみたり。
白米ではないのが少し残念ではあるが、ピラフだって立派な米料理だ。
「僕たちの住んでた国では、白米が主食だったんだよ。だからまあ、龍太くんの気持ちは分からないではないかな」
「こっちの世界だと、東の大陸にあるネーベル帝国がお米をよく食べているわね。あそこも白米が主食だったのではないかしら」
「あの帝国かぁ……」
朱音の苦み走った表情に、ハクアも苦笑を返す。そのネーベル帝国とやらになにかあるのだろうか。
ピラフを食べながら問うと、久しぶりにハクア先生の授業が始まった。
「東の大陸は、今も戦争状態が続いているのよ。殆ど内紛のようなものなのだけれど、それ故に龍の巫女も介入できないの」
龍の巫女が介入するのは、世界の危機に類する敵が現れた時だけだ。一国の内紛程度に介入していれば、正直キリがない。
ただ、どうやらそう簡単な話でもないらしく。ハクアはため息を我慢することもなく、こう続けた。
「リュータ、巫女がそれぞれどの国に滞在しているのかは覚えている?」
「えーっと、ドラグニアとローグ、ノウム連邦と、西の諸島郡に天空都市だっけ?」
「そう。昨日大会の解説に来ていたアリスの妹、風龍の巫女のエリナ・シャングリラが、西のドリアナ学園諸島群に滞在しているわ。天空都市ケルディムには、天龍の巫女がいるのだけれど……」
「音沙汰なし、なんだっけ?」
「ええ、ここ四十年ほどは」
相当長い間、天龍の巫女は表社会に出てきていない。しかし、天空都市自体が人の出入りのない、この世界の空を常に飛んでいる国だから、ある意味仕方ないのか。
ふと、ひとつ気づいたことがある。
中央大陸に二人、南の大陸に一人、西の諸島群に一人、天空都市に一人。
これで合計五人、つまり龍の巫女全員だ。
「東の大陸に巫女はいない、ってことか?」
「代わりに、ギルドはあるんだけどね」
朱音の言葉に、龍太の疑問がさらに深まる。この世界のギルドとは、龍の巫女が持つ私設部隊のようなものだったはずだ。
しかし巫女はおらず、ギルドは存在している。一見矛盾しているが、しかし続く言葉で納得した。
「公になってない、アリスさんたちが直接頼んである人が作ったギルド。魔女の晩餐。いわゆる裏ギルドってやつだね。東の大陸の監視が主な役割なんだけど、誰が作ったのか、龍太くんは分かるかな」
「魔女の晩餐ってことは、もしかして桃さんと緋桜さんが?」
「そう。まあ創設者のはずの二人はあの通り、放浪癖があるんだけどね」
「わたしも知らなかったわ……」
なぜ異世界人の朱音の方が知ってて、この世界に住んでる長寿のハクアが知らないのかは気になるが、今はどうでもいいことだ。
へぇー、と気の抜けた返事をしながらピラフを口に運んで、そういえば話が逸れてるなと思う。
「その裏ギルドと帝国の内紛って、なにか関係あるのか?」
「裏ギルド自体がというより、そんなものを作らないと行けなくなった理由に関係ある、って感じかな」
「その理由は多分、僕たちよりハクアの方が詳しいんじゃないかな」
「東の大陸自体が、ドラゴンを受け付けていないからね」
丈瑠に話を振られて、ハクアが頷きながら答えた。
えっ、と思わず声を出してしまう。
龍太はてっきり、ドラゴンと人間の共生は世界中で達成されているものだと思っていた。しかし、そうじゃない国もある。いや、国どころか大陸そのものが、ドラゴンを拒んでいる。
「百年戦争についてはリュータにも軽く話したことがあると思うけれど、そもそもその戦争の発端となったのが、東の大陸、ネーベル帝国なの。あの国が最初にドラゴンたちと戦争状態に入って、他の国が参戦したの」
「それで今もドラゴンを嫌ってるってことか? もう百年以上前の話なんだろ?」
「たったの百年じゃ、国は中々変わらないよ。それが独裁君主制の帝国ともなればね」
だから内紛が起きる。ようは、日本の戦国時代のようなものだ。
「そういうことだから、残念ながらネーベル帝国には行けないかもね。そうなると、日本に近い白米も中々お目にかかれない」
心底残念そうに肩を落とす朱音は、戦争がどうのこうのという話に興味はないのだろう。彼女が興味を持っているのは、食に関することだけ、すなわち白米だけだ。
しかしまあ、お米自体はこうしてこの国でも食べられるのだし、白米だってどこかでそのうち食べられるだろう。
和食が恋しくないと言ったら嘘になるけど、この世界の食べ物も美味しいし。
そんなピラフをうまうまと食べている、その時だった。
突然目の前のテーブルが、乗っていた皿ごと吹き飛んだのは。
「お、俺のピラフぅぅぅぅ!!」
「私の焼きそばぁぁぁぁ!!」
龍太と朱音の絶叫が同時に上がる。
あまりにも突然の出来事に、海の家にいた他の客もなんだなんだと集まってきていた。吹き飛んだテーブルの方を見れば、そこには先程朱音にヤジを飛ばしていた、ブーメランパンツの男の一人が倒れている。
「って、おいおっさん! 大丈夫か⁉︎」
「お、俺はまだ、おっさんじゃねえ……」
「言ってる場合か!」
倒れた男に駆け寄る。目立つ傷は顔だけだ。一撃で殴り飛ばされたか、頬が酷く腫れている。丈瑠も駆け寄って治癒の魔術をかけてくれた。
傷が治り抱え起こすと、男は龍太の服を掴んで懇願してくる。
「頼む、兄貴たちを助けてくれ! あんたら魔闘大会に出てただろ!」
「助けてって、一体何が……」
その答えは、最後まで聞く前に現れる。
スーツを着た男女。長い黒髪を潮風に靡かせた女と、ハンドガンを手に右の瞳を橙色に輝かせた男。
桐生朱音と大和丈瑠。
仲間と全く同じ姿をしたナニカが、そこに立っていた。
「なんだこいつら……?」
「私たちの偽物?」
鞘に収めた刀を虚空から取り出し、警戒する朱音。彼女でも目の前の敵の正体が見えないようだ。
しかし、判断は早い。
「丈瑠さん、周りの避難誘導をお願いします。中途半端に手を出されたら、被害が広がりますので」
「分かった」
「龍太くんとハクアは、悪いけどこいつらの相手に付き合ってもらうよ」
「分かりました」
「任せて頂戴」
指示を飛ばした後、一歩踏み込む。
次の瞬間には敵の懐に潜り込み、自分たちの偽物を店の外へ蹴り飛ばした。
その後を龍太とハクアも追い、戦いの場を広い砂浜に移す。そこにはブーメランパンツの三人組の残り二人が倒れていた。吹っ飛んできたやつが兄貴たちと言っていた二人だろう。
海水浴に来ていた人たちも、異変を察知して既に避難を始めている。この砂浜には敵の二人と、龍太たち三人しか立っていない。
「さて、偽物に聞いて意味があるのかは分からないけど。お前たちは何者で、なにが目的かのかな?」
「アカギリュウタの仲間、異世界人キリュウアカネ」
「貴様の命、貰い受ける」
丈瑠の偽物が容赦なく発砲、同時に朱音の偽物が一歩踏み出し、本物へ迫った。
銃弾を刀で斬り落とし、接近してきた偽物と斬り結ぶ朱音。自分の偽物から銀の炎が噴出し、彼女はギョッとして距離を取る。
「朱音さん!」
「大丈夫。まさか銀炎をコピーしてるとはね……龍太くんとハクアは丈瑠さんの偽物をお願い。速攻で終わらせるよ」
時界制御の銀炎。その力に対して最も有効なのは、全く同じ時空間系の力だ。龍太とハクアでは太刀打ちできない。
だから朱音の言葉に頷いて、二人は互いの手を取った。
「「誓約龍魂!!」」
「位相接続」
◆
バハムートセイバー フェーズ2へ変身した龍太とハクアの二人に、レコードレスを纏った朱音。
正体不明の敵はそれに物怖じすることなく、真正面から突っ込んできた。朱音は自分自身の偽物を、龍太は丈瑠の偽物を相手にする。
「丈瑠さんって近接できたのかよ!」
『アカネのパートナーだもの、それくらいは出来て当たり前ね……!』
振るわれる短剣を躱したと思えば、ゼロ距離でハンドガンを発砲される。鎧が阻んでくれるとはいえ、ダメージはゼロじゃない。撃たれた腹を押さえながら後退りすると、追撃に魔力の槍が飛んできた。
「くそッ、やりづらい!」
仲間と同じ姿をしているのだ。動きに僅かな躊躇いは生じるし、そうなれば敵の思う壺。なんとか槍を弾いて、腰の剣を抜く。
『Reload Hourai』
剣にカートリッジを装填、刀身が紅蓮の炎を纏い、袈裟斬りを見舞う。短剣では防ぎきれないと判断したのか、丈瑠の偽物は転移で離れた位置まで離脱。そこで魔法陣を広げる。
「我が名を以って命を下す。其は大海を割る嵐の剣」
「マジか……!」
『タケルの魔術まで使えるの⁉︎』
掲げた手の先に、巨大な剣が出現した。それを容赦なく振り下ろされ、超重量の大剣を炎を纏わせた剣で受け止める。
衝撃でビーチの砂が舞い、龍太は仮面の奥で苦しげに表情を歪める。
「重いッ……!」
『まともに受け止めようとしないで! 流すわよ!』
体の主導権をハクアに渡すと、うまく巨剣を受け流して地面に落とした。ズシン、と地面が揺れるほどの重さ。それに驚いている暇はなく、敵は次の魔法陣を展開している。
「我が名を以って命を下す」
『リュータ!』
「ああ!」
『Reload Explosion』
カートリッジを装填したガントレットから光弾を放ち、敵の目の前で爆発、詠唱を防ぐ。完成することのなかった魔法陣は消え、その隙に今度はこちらから肉薄する。
全力で振り抜いた剣は短剣に防がれ直撃こそしなかったが、勢いは殺し切ることができず、丈瑠の偽物は大きく後方へ吹き飛ばされた。
そしてその先は、朱音が戦っている場所でもある。
「朱音さん!」
「任せて!」
自分の偽物との間に転がってきた丈瑠の偽物へ、朱音が光速の居合を放った。対処すること叶わず、敵はドロドロと黒い影になり溶けて消える。
その消え方にほんの少し既視感を覚える龍太だが、詮索している暇はない。
一瞬意識がそれた朱音に向かって、残ったもう一人の敵、朱音の偽物が迫っていた。その間に割って入るバハムートセイバー。剣を横に薙ぎ払うと下がってくれたが、それに違和感を覚える。
丈瑠の方はよく分からないが、朱音なら今の攻撃にも難なく対処して、すぐさま反撃に転じることができたはずだ。
朱音と何度も戦ったからこそ、分かる。
この偽物、オリジナルほどの力は持っていない。
しかし異能を再現していることは忘れられない。だからこそ、朱音は自分自身の偽物を相手にしていたのだ。
「今のはいいサポートだったよ、二人とも。随分闘い慣れてきたね」
「そりゃどうも。それで、あいつはどうするんすか?」
『捕まえて尋問、というのも難しそうだけれど』
「だったら倒しちゃうだけだよ。どこの誰の仕業かは、後で調べればいい」
仮面の敗北者が鯉口を切る、その寸前。
どこからか、無機質な電子音声が鳴った。
『Reload Doppel』
バハムートセイバーとルーサー、両者が同時に背後へ振り返る。
丈瑠の偽物が変質した黒い影が、新たな姿を形作っていた。水色の髪に杖を手に持つ美しい女性。龍の巫女のひとり、アリス・ニライカナイ。
「嘘だろ……」
『まさか、龍の巫女まで……』
「それはちょっと聞いてないかな……」
三人ともが仮面の奥で顔を引き攣らせる。
状況が一変してしまった。朱音の偽物ひとりが相手ならどうとでも出来たが、そこに龍の巫女、しかもその中でも最強とされるアリスの偽物まで出してくるとなると、話が違ってくる。
いくら本物に満たない力とは言っても、その本物が問題だ。朱音と丈瑠の偽物を見るに、能力のほとんどはコピーできている。巫女の力も同様だと思った方がいい。
『リュータ、アカネ、さっきのはカートリッジシステムの音声だったわ。でも、スカーデッドとはまた様子が違うようにも見える。何者かがわたしたちと同じようなカートリッジを使っていると見た方がいいかも』
「だね。その犯人はもうどこかに退散してるか、あるいは遠くでこの様子を見てるか。アーサーがダストに襲われたって言ってたし、取り敢えずスペリオルの仕業なのは間違いないと思うけど」
「なんでもいいけど、どうすんすかこの状況は!」
「三分稼いで」
それだけ言って、朱音は銀の炎を全身に纏い、己の偽物へと駆ける。
三分だけなら龍太たちでもどうにかできるだろう。同時に杖を振ったアリスの偽物へ向き直ると、氷の鏃が飛んできた。
剣に装填したホウライのカートリッジは、まだその効力を切らしていない。炎の刀身で鏃を迎撃し、敵と同時に踏み出して杖と剣がぶつかる。
「杖で殴ってくるのかよ!」
『本物だったら、ここでもうひとつの龍具を使うのでしょうけれど。所詮は偽物ってことね!』
一歩下がって炎の斬撃を飛ばすが、驚くことに炎が凍らされた。まさかの光景に言葉を失う龍太だが、敵はそんな隙を与えてくれない。バハムートセイバーの足元に魔法陣が広がり、咄嗟に横へ跳ぶ。さっきまで立っていた場所には氷山が突き出していて、あのままだと綺麗に氷漬けだっただろう。
一方、自分の偽物と対峙した朱音に、苦戦した様子は全くなかった。
「使い方がまるでなってない」
ただがむしゃらに放つだけの銀炎の中を、同じ銀炎を纏って躊躇わずに突っ込む。こうしていれば相手の時界制御の影響は受けず、シンプルな殴り合いに持ち込める。
朱音の居合を刀で防ごうとする偽物だったが、その刀は容易く真っ二つに斬られた。時界制御は再現できても、キリの人間だけに与えられた力は再現できないようだ。
「こりゃ三分もかからないかな」
銀の炎が、揺らめく。
ただ相手に放つのではない。纏い、己の時界を御すために。
「時界制御・銀閃瞬火」
刀を鞘に収める。
キン、と残酷な響きが鳴り、もはやそちらには見向きもしない。既に斬った。
自分と同じ姿をした者が、幾重もの斬撃に晒される様を見届けることもなく、朱音は少し離れた位置で戦う龍太たちの元へ跳ぶ。
「お待たせ、ちょっと早すぎたかな?」
『そうね、もうちょっとゆっくり相手しててもよかったわよ』
「俺は早くきてほしかったっすけどね!」
バハムートセイバーには制限時間があるのだから、早く終わらせられるに越したことはない。
言い合っている間にも、敵の攻撃は尚苛烈さを増している。容赦なく振り撒かれる冷気と放たれる鏃、砂浜から突き出す氷山。ホウライの炎でなんとか対処できているが、このままではジリ貧だ。制限時間があるだけ、こちらに不利。
だがそれも、バハムートセイバーだけで相手をしていたからだ。頼れるお姉さんが加勢してくれたとあらば、一気に終わらせられる。
「雷纒!」
『合わせるわよ、リュータ!』
「おう!」
『Reload Lightning』
その身に雷を纏った漆黒が駆け、後を追うようにガントレットの銃口からは雷光が撃ち出された。
一筋の稲妻と化した朱音は、バハムートセイバーの雷撃を吸収し、さらに勢いを増して敵の身体を貫く。全身が焼け焦げたアリスの偽物は、それでも消える気配がない。しかし感電によって動きを止めている。
トドメを刺すなら、今。
『Reload Execution』
『Dragonic Overload』
カートリッジを剣に装填。真紅のオーラが全身を包み、刀身へ収束、巨大な魔力の刃を形成した。
「これで!」
『終わりよ!』
容赦なく振り下ろす必殺の一撃が敵を両断、大爆発を起こす。
アリスの偽物は黒い影になってドロドロと溶け、シミ一つ残すことなく消えた。
バハムートセイバーの変身を解除して、周囲を見渡す。ビーチは見るも無残な姿へ様変わりしていた。爆発のせいで砂浜は凸凹になり、ところどころに氷の山が突き立っている。
朱音と丈瑠だけじゃない、龍の巫女の偽物すら現れた。
「なんだったんだ、あいつら……」
「せっかくリュータとデートだったのに、あいつらのせいで台無しだわ」
頬を膨らませてぷんぷん怒るハクアは可愛いけど、デートがどうのは重要じゃない。いやまあたしかに、龍太も残念ではあったけれども。
それより問題は、やつらの正体だ。
「丈瑠さんと合流して、一度王都に戻ろうか。アーサーたちと情報を共有しよう」
あの偽物は、恐らくカートリッジシステムによるもの。分かることはそれだけで、しかしいくつかの推測も立てられる。
その辺りを纏めるためにも、一行は急いで王都へ戻った。




