遠い背中 2
夕飯の後、解散してそれぞれの部屋に戻った一行。龍太とハクアは当然のように同じ部屋で、さっさと風呂を済ませてから、エルと一緒に二人と一匹は、まったりとした時間を過ごしていた。まあ、エルはすでにベッドで寝てしまっているけど。
ハクアと同じ部屋で寝泊まりするというのも、随分慣れてしまったものだ。湯上がりの彼女を前に緊張するのは、未だ変わらないけど。
「ハクアはあの話、どう思う?」
備え付けのティーポットで紅茶を淹れてくれている、寝巻き姿のハクア。その背中に声をかけると、困ったように眉をハの字に。
二人分のカップを持って、龍太の隣に腰掛ける。
四人は余裕で座れそうなソファだけど、その大部分を余らせて。寄り添うように、純白の少女は隣にいてくれる。
「誰かに嘘を吹き込まれている。わたしもそう思いたいのだけれど……」
あの話、というのは。ギルドで聞いた、詩音からの伝言。
龍太のもう一人の幼馴染、まだ行方の分からない地崎玲二の仇が、バハムートセイバーだと。
当然ながら、龍太にもハクアにも心当たりはないし、玲二とは会ってすらいない。むしろ探してる最中だった。
それが、こんな形で彼の死を聞かされて、龍太はまだ受け止めきれていない。理解が追いつかない。
いや、信じたくないと言った方が正しいのだろう。
「詩音は思い込みが激しいやつなんだ。だから、そこを漬け込まれたのかもしれない」
「そうね……そもそも、バハムートセイバーの存在は限られた人しか知らないわ。わたしたちの仲間以外なら、龍の巫女とそのパートナー。それと、スペリオル」
「やっぱり、あいつらが……」
この国では未だやつらの気配を感じないけど、こんな絡め手を使ってくるとは。もしかしたら、龍太たちが気づいていないだけで、もうすでにローグのどこかに潜んでいるのかもしれない。
「しばらく、バハムートセイバーに変身はしない方が良さそうかもな……」
「けれど、それだと魔闘大会で勝ち進むのは厳しいかもしれないわよ?」
「仕方ないって。今後も変身できない局面があるかもしれないし、その練習だって思えばいいさ」
優勝は狙えなくなってしまうが、大会参加自体はいい経験になるはずだ。
なにせ色んな国から色んな魔導師がやってくる。珍しい術も扱う魔導師もいるみたいだし、真っ当に強いドラグニアの騎士のようなやつまで。
参加することに意味がある、なんてのは負け犬の遠吠えじみて聞こえるが、今回に関してはそれが正しい。
龍太が生身の戦いの経験を積めば、それはバハムートセイバーに変身した時にも活かされるのだから。
「そういうわけだから、今から作戦考えとこうぜ。優勝は難しいって言っても、素直に負ける気はないし。詩音も見てるなら、カッコ悪いところは見せらんねえからな。むしろ、生身でも十分戦えるって朱音さんたちに見せつけてやる」
笑顔で強気に発言したが、隣のハクアはどうしてか悲しそうな、寂しそうな顔をしている。
やがておもむろに両手を広げたかと思うと、龍太の頭を捕らえて胸に抱き寄せた。
「うおっ、ちょ、ハクア⁉︎」
突然の出来事に困惑し、寝巻きの上からハクアの心臓の脈動が聞こえる。ほんの少し低い体温に、寝巻きの生地の柔らかさが、羞恥心を煽った。
そんな龍太に構いもせず、ハクアは優しい言葉を紡ぐ。
「ねえリュータ、泣いたっていいのよ?」
「なにを……」
「大切な幼馴染が死んでしまったかもしれなくて、自分がその仇だと言われて、悲しくないわけがないもの」
ゆっくりと耳に入り、胸の奥まで浸透する声音。じわりとまなじりが滲み、鼻の奥がツンとするけど。
「……俺なら大丈夫だから。ヒーローが泣いてたら、ダメだろ」
「ダメなんてことはないわ」
赤子にするように、ぽんぽんと頭を撫でられる。それから抱き締める力がほんの少し強くなって、風呂上がりだからか甘い香りが嗅覚を支配した。
白状すれば、泣いてしまいたいに決まってる。ハクアが言った通りだ。玲二が死んだかもしれなくて、その仇が自分で、しかもそれを間接的とはいえ、詩音から聞かされる。
きっと詩音は、バハムートセイバーを、龍太のことを恨んでいるだろう。
こんな状況、耐えられるわけがない。
それでも涙を流さないのは、ちっぽけなプライドが邪魔をするから。
正義のヒーローになりたいと願った。そのための力も手に入れた。
この世界で多くの人と出会い、またヒーローとして救うことができた。
なら。それならば。
こんなところで泣きたくなってるる場合じゃないだろう、赤城龍太。
俺よりも酷い境遇の人はいて、救いを求めてる人がどこかで足掻いている。そんな人たちのために強くなるんだと、決めたじゃないか。
「ダメなんてことはないの。リュータ、あなたはわたしのヒーロー。でもそれ以前に、一人の人間なのだから。泣きたい時には、泣いてもいいの。今は、わたししかいないんだから」
そんなプライドは、ハクアの柔らかく慈愛に満ちた声で、粉々に打ち砕かれる。
張り詰めた糸が一度切れてしまえば、あとは一瞬だった。ぼろぼろと目から涙を零れ落ちる。嗚咽を上げて、ハクアの胸の中で思いのままに叫んだ。
「泣きたいに決まってるだろっ……こんな、こんなの、あんまりじゃないか! 玲二も詩音も、ずっと一緒にいたのに……大切な幼馴染だったのにッ、なんで、どうしてこんなことにならなきゃいけないんだよ!」
みっともなく縋り付いて、子供のように泣き喚いて。涙と鼻水で寝巻きが汚れるのも厭わず、ハクアは龍太のことを強く抱き締めてくれる。
「俺は、偶然力を手に入れただけの、ただの高校生なんだ……命のやり取りなんて、本当は怖くて仕方なかったんだよッ……元の世界に帰って、元の日常を取り戻したいだけなのに……どうして玲二も詩音も、俺のそばからいなくなるんだ……」
ああ、言うつもりのなかったことまで、口にしている。分かっていても、止められなかった。
感情は堰を切って溢れ続ける。
何分経ったか分からないほど泣き続けて、それでも落ち着きを取り戻したのは、自分を抱き締め続けてくれるハクアがいるから。
とくん、とくん、と。
その鼓動が聞こえて、昂っていた感情が凪いでいく。ほんの少し低い体温が、加熱した思考を冷やしてくれる。
「ごめん、ハクア……こんな、みっともない真似して……」
「いいのよ。わたしたちは、二人で一人。あなたの悲しみも、苦しみも、わたしは知りたい。共有したいから」
「でも……」
顔を上げようとして、また頭を胸に押さえつけられた。もはや羞恥心ばかりが募り、冷めたばかりの頭がまた沸騰しそうになる。
「約束するわ。わたしは、なにがあってもあなたの隣を離れない。わたしだけはどこにも行かない。絶対に、リュータをひとりにはしないから。誓約龍魂を結ぶって、そういうことなのよ?」
まるでプロポーズじみたその言葉は、ついに龍太のキャパを越してしまった。
ぼふん、と音が鳴ったかと思うくらいに顔が熱くなる。降参だと伝える代わりに抵抗をやめ、抱き締められるがままに身を委ねた。
◆
翌日の朝、龍太とハクアはギルドへとやって来ていた。
昨日の夜にあんなことがあったから、起きた時からそわそわと落ち着かない龍太だったが、一方のハクアは全く気にしていない、というかいつもより上機嫌にも見える。
隣合って歩くのも普段と変わらないが、心なしか距離が近い感じもする。
そんな仲睦まじい二人を笑顔で出迎えてくれたローラは、二人に一枚のプリントを手渡した。
「予選通過者が決定して、トーナメント表が出来たんだよ! 発表は明日だけど、お兄ちゃんたちには特別に今日渡しちゃうね!」
「普通に不正では?」
「いいじゃない。貰えるものは貰っておきましょう」
受け取った紙に書かれたトーナメント表。覗き込んできたハクアと不意に顔が近くなり、昨日のことを思い出してしまって俄に頬が熱を持つ。
「六十四組も参加するのね」
「今年はこれでも少ない方なんだよ。去年はこの倍はいたから」
参加者が六十四組ということは、優勝するのに六回勝たなければいけない。
さすがにそれだけ参加ペアがいれば、知り合いはある程度バラけているようだ。
なんと一回戦一試合目が朱音と丈瑠のペア。その次に五試合目が龍太とハクアで、八試合目に詩音の名前がある。パートナーはヘルというらしい。そして、一回戦最終試合が桃と緋桜ペア。
龍太たちは早くて、詩音と準々決勝でぶつかることになる。そこで勝てれば、今度は準決勝で朱音と丈瑠だ。桃と緋桜には決勝まで進まないと戦えない。
「一回戦からぶつかるよりはマシ、か?」
「それでも、リュータの幼馴染とはすぐに当たりそうね。向こうも勝てればの話だけれど」
それは自分たちにも同じことが言えるのだが、至近距離からニコリと微笑んでくるハクアには、負けるという考えがないらしい。
実に頼もしい限りだ。バハムートセイバーが使えないとあれば、主力はハクアになりそうだし。もちろん龍太も負ける気はないけど。
「そういえば、アカネお姉ちゃんは? せっかく次のライブの打ち合わせしようと思ってたのに」
ぶー、と頬を膨らませている様は、年相応に幼い。ローラの表情に二人で顔を綻ばせる。こうして話していると、とても龍の巫女とは思えない。
「アカネならホテルに籠ってるわ。外に出てもゆっくり観光もできないもの」
「あー、それはローラのせいだね。まさかこんなに反響があるとは思わなかったんだよ……」
どうやら、現在のアイドル桐生朱音ブームは、火付け役のローラでも予想以上のようだ。
でも龍太は、街の人たちの気持ちも分からなくはない。実際に朱音とローラは、本当の姉妹のように仲がいいのだから。
「アイドルの人気の秘訣は、歌や踊りだけではありませんよ、ローラ様。当然顔の良さだけでもなく、どれだけ身近に感じられるか、と言う点も大切です」
「どうした急に」
と思っていると、いつの間にそこにいたのか、眼鏡をかけたギルドの魔導師がぬっと割って入ってきた。マジで急だったため、思わず素で突っ込んでしまう龍太。
スチャッ、と人差し指で眼鏡を抑え、男は訥々と語り始める。
「ローラ様とアカネ殿は、本当の姉妹のように仲がいい。全力で甘えるローラ様と、口ではなんだかんだといいつつ満更でもないアカネ殿。その二人のやり取り、ひとつひとつに、我々は心を動かされるのです」
「まあ、ローラも朱音さんもシンプルに顔がいいしな。そんな二人が絡んでたら注目も集めるか」
「ええ。ぜひ今後も、積極的に百合の花を咲かせてもらいたいものですよ」
ふっ、と遠い目をした笑みだけ残し、眼鏡の魔導師は立ち去る。
なんだったんだあいつマジで……。
「つまり、どういうこと?」
「ローラとアカネは、これからもずっと仲良しでいてねってことよ」
「うん! ローラとお姉ちゃんは一生仲良しなんだよ!」
ニコパー、と笑顔が眩しい。龍太もハクアも釣られて笑顔に。
ほっこりした雰囲気でいると、そういえば、とローラが思い出したように言う。
「ハクアお姉ちゃん、空のカートリッジは持ってる?」
「ええ、あるわよ」
腰に巻いてるベルトポーチから、なんの力も宿っていない空のカートリッジを取り出すハクア。
以前までは持っていなかったそのポーチは、使っていないカートリッジを収めている。ドラグニアでいくつか、新しいカートリッジをアリスから貰ったからだ。
純白のドレスと比べてあまり浮かないようなデザインの、赤いポーチ。花のワンポイントが可愛らしい。でも中に入っているのは銃弾だから、可愛さとは縁遠い。
「アリスお姉ちゃんから聞いたんだよ。今まで会った巫女から力を貰ってるって」
「ローラも力を貸してくれるのか?」
「うん! ローラはお兄ちゃんみたいに、正義のヒーローにはなれない。アイドルの役目は、みんなに笑顔を届けることだから。でもエリュシオンの力は、きっとお兄ちゃんの、ヒーローの助けになってくれるんだよ!」
そうすれば、より多くの人が笑顔になると信じてくれている。
アイドルとは決して、ひとりひとりに手を差し伸べられるわけではないけれど。ローラの力が、誰かを笑顔にしてくれるなら。
惜しみなく力を貸してくれると、会って間もない龍太を信頼して言ってくれている。
ヒーローとアイドル。
似ているようで違う存在だけど、誰かのために行動するのは同じだ。
「そういうことなら、お願いしようかしら」
「だな。魔闘大会ではバハムートセイバー時代使えねえけど、スペリオルとの戦いでは頼りにさせてもらう」
「うん、任せて!」
ローラに空のカートリッジを渡し、二人はその後ギルドの依頼を受けさせてもらうことにした。
近くの使われていない砦に住み着いた、盗賊たちの捕獲だ。これなら対人戦の訓練にもなる。
早速ギルドを後にして、件の砦へと向かう最中。話題は当然、魔闘大会のことになる。
「バハムートセイバーなしで、朱音さんと丈瑠さんの相手か……」
「自信ない?」
「ぶっちゃけな。でも、やれるだけやってやるよ」
朱音の力は、日頃から目の当たりにしている。フィルラシオで戦った時は、彼女が万全の状態じゃなかったから勝てた。
今は体調も問題ないし、その上あの時は使えなかった銀炎も使える。
それでも、足掻けるだけ足掻いてやる。
龍太にはとても遠い大人たちの背中に、少しでも追いついてやる。
そうじゃないと、スペリオルのやつらにも、赤き龍にも勝てない。
「それに、ハクアが隣にいてくれるんだ。二人ならなんとかなるって思えるよ」
「……殺し文句ね」
パチクリと目を瞬かせたあと、ハクアはほんの少し頬を染めて、微笑みながらぽつりと呟いた。
全くそんなつもりのなかった龍太は焦って取り消そうとするが、照れ臭そうにしている彼女が珍しくて、なによりとても可愛らしくて、思わず目を奪われてしまう。
「それなら、盗賊くらいは簡単に倒してしまいましょうか。でも、危なくなったらバハムートセイバーは使うわよ。敵以外に人目はないのだし、大会と違って命の危険があるのだから」
「あ、おう。分かってる」
気を引き締め直し、盗賊退治へ向かう。
命の危険があるのはハクアも同じだ。だからもし、ハクアが危ない時は、自分が助けないと。
美しい純白が、汚されないように。