遠い背中 1
「え……りゅうくんが、この国に……?」
「うん。丁度ウタネと入れ違いで、魔闘大会の予選に行っちゃった。アカネお姉ちゃんも一緒だからすぐ帰ってくると思うし、ギルドで待ってたらいいよ!」
東雲詩音が世話になっているギルドに戻ってきたら、ローラ・エリュシオンが我がことのように嬉しそうな声で教えてくれた。
魔闘大会の予選をなんとか突破できそうだと安心していた矢先の報告は、詩音に複雑な心境をもたらす。
龍太もこの世界に来ていることは知っていた。目の前のローラが、他の龍の巫女から聞いたらしい。それに、何度も危ない目に遭っているというのも、自分を探してくれているというのも。
ただ、詩音にはまだ龍太と会うつもりはなかったのだ。
「どういたしましょう、ウタネ様。この街に留まっていれば、いずれ会うことになりますが」
背後に控えていた青い髪を持つ初老の男性から、しわがれた声が届く。
彼が詩音のパートナーを務めてくれているドラゴン、名前をヘルという。
詩音はローグに来る前まで、詩音本人にもどこか分からない屋敷に保護されていた。詳しい場所がわからないのは当然だ。詩音はこの世界の地理について、全く何も知らなかったのだから。
その屋敷の人たちの世話になりつつ、玲二を探そうと屋敷を出たのは一ヶ月ほど前。その時にヘルが同行を申し出てくれて、それ以来パートナーとして行動を共にしている。
けれど、玲二はもう……。
詩音が最初に立ち寄ったのが、この国だ。そこでギルドを頼り、ローラから龍太のことを聞いて。
もっと、もっと強くなろうと決めた。
龍太を守れるくらいに強くなって、玲二の仇を討つために。それまでは、龍太と会うつもりはなかったのに。
「でも、魔闘大会は出たい、な……せっかく、ヘルさんが力を、貸してくれる、から」
「アカギリュウタ殿と鉢合わせることになりますが、よろしいので?」
「うん……ちょっと早いかも、だけど。大会本戦で、りゅうくんに見せたい。私は、強くなったんだ、って」
自信なさげな辿々しい言葉遣い。そこから直さなければならないとは思っているけど、小さい頃から染み付いたものだ。中々変えることはできない。
でも、それでも強くなったんだと龍太に教えるには、魔闘大会は絶好の機会だ。
彼も出場するなら、本戦でぶつかる可能性もあるけど。出来れば、戦いたくはないな。
「だから、ローラちゃん。りゅうくんに、伝言おねがい、できる?」
「うん! ローラはウタネの意思を尊重するよ! ちゃんと伝えておくね!」
彼と会うのは、一週間後の本戦で。
ローラに伝言を言い渡し、詩音はヘルと共に宿へと帰った。
◆
古代遺跡に入ってから、一時間後。
龍太とハクアは、なぜかローグの城都に戻ってきていた。
空は夕焼け色に染まり、そろそろいい感じにお腹も空いてくる頃だ。
「なんか、ズルしたみたいな気分だな……」
「無事に予選は突破できそうなのだし、いいんじゃないかしら?」
魔光石が置かれている遺跡の最奥、あれを城と見れば玉座に相当するだろう広間まで、朱音の転移でひとっ飛びだった。
どうやらアレスに魔光石を見せてもらった時、その魔力パターンを解析しておいたらしい。探知で場所を把握、座標も取得してしまい、簡単に手に入ってしまった。
そのまま四人とも魔光石を確保して、帰りも当然転移で入り口まで。丁度同じタイミングで遺跡から出てきた魔導師たちからは、ギョッとした目を向けられたものだ。
アレスには速すぎると怒られてしまうし。
どうやら予選の選考基準は魔光石回収までの速さで決めるらしい。普通なら少なくとも四日、早ければ二日。あの遺跡には、それだけ凶悪な魔物が潜んでいる。
わけではなくて。
ただただシンプルに、遺跡が広すぎる。その上さらに道はめちゃくちゃらしい。以前来たことがあるというハクア曰く、迷路みたいになっていて設計者の頭を疑うほどだとか。
まあ、それら全てショートカットしてしまった龍太には、関係ないのだけど。
「朱音さんたち、アーサーと合流できたかな」
「大丈夫じゃないかしら? アカネが本気で身を隠そうと思えば、誰にも見つけられないわよ」
朱音と丈瑠は、城都に戻ってきてすぐ別れた。一旦街の外に出てアーサーと合流し、クレナとジンが押さえてくれた宿に向かうらしい。
ローラのライブでアイドルデビューしてしまったのは、今日のお昼頃の話だ。街の人たちはしばらくこの話題で持ちきりだろうし、必然的に朱音も人目を忍んで行動しなければならなくなる。
さすがにちょっと可哀想に思えてきた。
さて、龍太とハクアの二人は、なにも街をぶらついているだけと言うわけではない。
これからギルドに向かう予定だ。遺跡では入れ違いになってしまったが、もしかしたら今ならギルドに詩音がいるかもしれないから。
龍太としては一刻も早く再会したいし、現在詩音のパートナーというドラゴンのことも気になる。魔闘大会に出ようと思った理由だって聞かなければ。
なにより、直接この目で、ちゃんと無事を確認したい。
大切な幼馴染だから。
ギルドに辿り着いた二人が中に入ると、そろそろ夕飯時とあってかそれなりの数の魔導師たちが、酒を片手に騒いでいる。
巫女がまだ十四歳なのにこれはいいのか。
さて、その巫女様はどこにいるかとギルド内を見渡してみたところ、依頼の受付カウンターに座っていた。
目が合い、飛び降りてぱたぱたと駆け寄ってくる。
「おかえりなさい、二人とも! アレスから連絡があったんだよ、アカネお姉ちゃんたちと一緒に、予選通過一位だって!」
「あー、やっぱり?」
「アカネのおかげなのだけれど」
二人して苦笑い。だがまあ、これで本戦に進めるのは確実だろう。
詩音の真意を探るために出場を決めたわけだが、せっかくだから優勝も狙いたい。アカネとタケルのペアにも勝たないといけなくなるが、なんとかなるだろう。
「そうそう、ウタネから伝言があるんだよ」
「詩音から、って……ここにはいないのか⁉︎」
「うん。リュウタお兄ちゃんを守れるくらい強くなるまで、まだ会えない、って」
「俺を守れるくらい……」
違う、そんなことは望んでいない。龍太は誰かを守れるヒーローになりたいのであって、守られるだけの存在でいたいわけじゃない。
そう伝えたくても、詩音本人がこの場にいないから。言葉にしたところで無意味だ。
同時に、彼女が魔闘大会に出場する理由も分かった。強くなりたいと願うなら、この大会は丁度いいだろう。龍太が腕試しの意味でも参加しようと思っていたのと同じく、きっと詩音も似たようなことを考えたに違いない。
どの道会えるのは、大会本戦が始まってからになるか。逆に言えば、大会さえ始まってしまえば、嫌でも会うことになる。
伝言はそれだけかと思いきや、ローラは思い出したようにもうひとつ付け加える。
だけど、それは思いもよらない言葉で。
「あ、あともう一つ。れいくん? って人の仇、バハムートセイバーは私が倒す、って言ってたんだよ。それってお兄ちゃんたちのことだよね?」
◆
クレナたちが取ってくれていた宿は、ローグでもかなり評判のいいホテルだった。そこそこ値は張るものの、繁華街にほど近い立地と美味しい魚料理が話題のホテル。
ギルドまで向かいに来てくれたエルと合流し、一度部屋に入ってすぐレストランで他のメンバーと合流した龍太は、豪華な夕飯を前にしても食欲が湧かなかった。
「リュウタ、食べないのか?」
「え? あぁ、食べる食べる」
ビュッフェ形式の夕飯。当然自分で取ってきた料理が皿の上に盛り付けられてるわけだが、一向に食べ始めない龍太を見て、向かいに座るジンが気遣わしげに聞いてきた。
その隣の丈瑠と朱音も、龍太の二つ隣に座っているクレナも、専用の餌を用意してもらったアーサーとエルまで、全員の視線を集めてしまう。
「龍太くん、なにかあったの?」
「いや、ほんとなんでもないっすよ。それより朱音さん、それはさすがに取りすぎじゃないっすか?」
「え、これくらい普通だけど」
無理に話を逸らし、今度は朱音の前に置かれた大量の皿とその上に乗っている山のような料理に注目が集まる。
いや、ついそっちに振ったけど、マジで取りすぎでは? パスタとかもう何の比喩でもなく山じゃん。漫画でしか見たことねえぞ。
「これでもまだ足りないくらいだよ」
「食べすぎでしょ……お腹壊しても知らないわよ?」
呆れたクレナの言葉にも耳を貸さず、朱音はとても美味しそうに料理を頬張る。そんな様子は年齢よりも幼く見えて、どこかほっこりとした雰囲気に。
周りの人たちからも注目を集めているが、やはり朱音に気にした様子はない。きっとアイドル騒動やらで余計に視線を集めているのだろうけど、食事を前にしてはそんなのは些末なことのようだ。
だが、龍太はどうしても、ギルドでローラから聞かされた詩音からの伝言が、頭にこびりついて離れない。
同じくその場にいたハクアが、チラリと心配そうに一瞥してくる。
地崎玲二。龍太のもう一人の幼馴染。詩音がれいくんと呼ぶのは、彼しかいない。
だけど、詩音によれば玲二はもうこの世にいなくて、しかもその仇がバハムートセイバー、龍太とハクアの二人だという。
ああやって伝言を託したということは、詩音はきっとバハムートセイバーの正体を知らない。誰かに嘘を信じ込まされていると考えるのが妥当だ。
いや、そうに違いない。どこの誰だか知らないが、詩音に嘘を吹き込んで、いいように利用しようと企んでいる奴らがいる。
例えば、スペリオルの連中とか。
今考えていても仕方ないことだとは分かっているけど、それでも思考は止まってくれない。無理矢理中断させるためにも、止まっていた食事を再会させる。
「そういえばクレナ、情報収集はどうだった? アレスに聞いた話だと、予選は明日で終わりらしいから、結構出揃ってると思うけど」
「ばっちり集めてきたわよ、タケル。さすがに有名なやつらが多いみたい。ギルドでもたまに耳にする傭兵とか、ドラグニアの騎士とかも参加するらしいわ」
見るからに様子のおかしい龍太に気を遣ってくれたのか、丈瑠が直近の話題へと変えてくれる。
詩音のこともたしかに気にかかるけど、まずは魔闘大会だ。クレナとジンはその情報収集をしてくれていたのだから、話は聞いておかないと。
とはいえ、この世界で有名な魔導師の名前とか言われても、龍太にはピンと来ない。それはクレナも承知してるのか、名前と一緒に特徴も教えてくれる。
どんな戦い方でどんな魔術を使うのか、その攻略法の例も挙げてくれた。
「あとは一組、優勝候補っていうか、もうそのペアで優勝だって下馬評が固まっちゃってるペアがいるんだけどね」
「もう? まだ本戦出場者もちゃんと決まってないのに、早すぎない?」
自分を差し置いて優勝候補とか言われてるのが気に食わないのか、すごい勢いで料理を食べていた朱音が手を止める。少しムッとしてるあたり、意外とその辺を気にするようだ。
「私が第一回参加者だって知ったら、それも覆るかな」
「いや、どうだろうな。なにせその二人は、アカネも参加した第一回の準優勝ペアだ」
「……嘘でしょ?」
あの朱音が、持っていたナイフとフォークを落とした。食事に命を賭けてると言わんばかりの食べっぷりを、毎日のように見せてくれる朱音が、だ。
ジンの言葉が信じられないとばかりに、乾いた笑いを浮かべる。かと思えば頭を抱えて唸り始めた。
そんな様子を眺める龍太とハクアは、揃って首を傾げる。
たしか、第一回大会はベスト8以上が異世界勢で独占したのだったか。しかしその異世界勢、すなわち龍太の世界の人たちになるわけだが、あちらの世界は現在、アリスによって世界そのものを凍結保存している。よって、今から世界間を渡るのは不可能だ。
つまり、すでにこの世界にいる異世界人ということになるが、龍太の中では心当たりなんてあの二人しかなかった。
「あ、朱音ちゃんだ」
「げっ……」
不意に、近くから声が。嫌そうな声の朱音が、錆びた機械のようにぎこちなく首を巡らせた先。
噂をすればなんとやら。そこには、皿の上に天ぷらを乗せた黒霧桃が。
フィルラシオでの一件以来。旅をしていたらまたどこかで会うかも、なんて言っていたが、予想外に早い再会だ。
以前は朱音や丈瑠と同じく、ビッシリとスーツを着こなしていたはずだが、どうやらこのホテルに泊まっているのか、ゆったりとしたマキシ丈のワンピースを着ている。髪も低い位置で二つに結んでいて、完全にオフの装いだ。
「いやあ、まさかこんなところで注目の新人アイドルに会えるなんて」
「それは言わないで欲しいのですが!」
「織くんと愛美ちゃんにいい土産話ができたじゃん。あ、写真はちゃんと確保してるから、安心してね!」
「ひとでなし!」
どうやら、桃はまだそのネタで揶揄う気満々だったようだ。通信越しにも随分と弄られたと言っていたが、多分しばらくはアイドルネタを引きずるだろう。
「奇遇ね、モモ。ローグに来ていたの?」
「久しぶり、ハクア。この時期は毎年来てるよ。ほら、魔闘大会あるじゃん? あれに出るの」
「本当に出るんですか、桃さん……」
「お、じゃあ朱音ちゃんも出るんだ。なら相方は丈瑠くんかな?」
「お手柔らかにお願いします」
毎年来てるということは、毎年出てるのか。しかし第一回で準優勝するほどの実力であれば、毎年優勝しそうなものの。
いや、龍太は桃と緋桜が実際どれだけ強いのか、あまり知らないけど。
「おっと、そっちの人は初めましてだね。わたしは黒霧桃。魔女とか呼ばれてるけど、聞いたことくらいあるかな?」
「ええ、勿論。空の魔女、クロキリモモの話なら、ギルドで嫌ってほど聞かされてるわ。私はクレナ・フォールン。そこの筋肉バカのパートナーよ。よろしく」
近くの椅子を勝手に拝借して、なぜかお誕生日席に座る桃。クレナと軽く握手してから、フォークで魚の天ぷらを食べ始めた。
「桃さんと緋桜さんが出るなら、ちょっと準備が必要かも……タッグマッチっていうのが面倒だな……二人とも術式共有してるし……」
「つか、桃さん一人っすか?」
「ああ、緋桜ならタバコ吸いに行ったよ」
ぼそぼそと呟く朱音は無視して桃に尋ねると、ため息と共に返された。そしてフォークで刺した二つ目の天ぷらをふりふり振って、けっ、と唾を吐く真似。行儀悪いぞ。
「最近、タバコの本数増えてるんだよね、あいつ。ま、原因は分かってるんだけど。いつまでも引き摺ってたって事態は改善しないって言うのに」
「あー……それは諦めるしかありませんが。緋桜さんの癖みたいなものですので」
古い付き合いの朱音は、緋桜がタバコの本数を増やした理由に心当たりがあるのだろう。それは丈瑠も同じなのか、眉をハの字にして少し寂しそうな表情。
どことなくしんみりとした雰囲気の漂う中、桃がそれを打ち破るように手を叩く。
「それより、みんなは知ってる? 今回の魔導大会、優勝者には特典があるらしいよ」
「ああ、その話なら街で聞いたぞ。真偽不明の噂の域を出ないから、街の人たちも懐疑的ではあったな」
「なんかあるのか?」
優勝者には莫大な賞金が与えられる。同時に、魔闘大会優勝者という箔がつく。多くの参加者が後者を求めて大会に参加しているが、第九回となる今年は、更に特典があるという。
ジン曰く眉唾らしいが、聞く価値はあるだろう。場合によっては、それでやる気が増すことだってあるだろうし。
「なんと! 優勝ペアは第一回優勝ペアとエキシビジョンマッチ! あのクソ生意気な人類最強をギッタンギッタンに出来るチャンスだよ!」
しかし残念、龍太のやる気は全く上がらなかった。むしろ下がったまである。
第一回優勝ペア。人類最強といえば、ドラグニアの龍の巫女とそのパートナー。
アリス・ニライカナイと小鳥遊蒼。
仮に龍太とハクアが優勝しても、エキシビジョンマッチは喜んで辞退させてもらう。
「それで喜ぶの、桃さんだけだと思うのですが……」
「そういうわけで、優勝は渡さないから。本戦でぶつかったら覚悟しといてね」
皿の上のものを全て食べ終えた桃は、また皿を持って去っていった。
「ますます優勝が遠のいたな……」
「頑張らないといけないわね」
遠い目をして呟くと、隣のハクアが微笑みかけてくる。
彼女にこう言われてしまっては、頑張らないわけにはいかないか。