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誓約龍魂バハムートセイバー  作者: 宮下龍美
第二章 誰も知らない必然
43/117

罪業 1

「啖呵を切ったのはいいのだけれど、しばらく変身はできないわよ?」

「そうだった!」


 屋敷を飛び出して港まで走っている最中、ハクアが若干呆れ気味に言った。

 そう、バハムートセイバーはつい先程のレヴィアタンとの戦闘で、強制解除まで追い込まれたばかりなのだ。ただでさえ制限時間付きで、強制解除ともなれば体への負担はかなり大きい。

 恐らくは龍太が自覚している以上に、今の二人は消耗している。


「くそッ、そうなるとスカーデッドの相手はマジで朱音さんに任せるしかねえじゃねえかよ」

「あの津波をどうにか出来るのも、アカネしかいないだろうしな。スカーデッドは最悪、俺たちで足止めしておかなければ」

「それは向こうも同じ考えでしょうね」


 走りながら、海の方を見つめるハクア。そこには今も、街へと確実に近づいている津波が聳えている。

 あきらかに自然発生したものではない。あくまでも龍太の世界を基準にした場合だが、津波なんてどれだけ高くても精々五メートルくらいだらう。

 それでも相当高すぎるくらいだ。人間なんて簡単に飲み込めてしまうし、そもそも津波の恐ろしさはそれだけじゃない。周囲一帯のもの全てを巻き込み、一つの塊となって襲ってくる点だ。


 魔導が普及、ほぼ全ての人間が扱え、その上ドラゴンもいるこの世界において、ただの水の塊程度は恐るるに足らない。しかしそこに、巻き込まれた家屋や車、コンクリートの塊などが混入すれば話は違ってくる。


 そう言った自然災害の一種を止められるのは、今ここに朱音しかいない。龍の巫女を呼びに行く暇もないし、行けたとしてもそう簡単に来てくれるものかどうか。


 スペリオル側もそれを理解しているから、朱音の足止めに総力を上げるはずだ。


「わたしたちのやるべきことは簡単よ。まずアカネと合流、そのあと彼女をサポート。あの子が全力を出せるようにね」

「つっても、あの人たちがどこに行ったのかわかんねえもんな……」

「きゅー!」


 頭上を飛ぶエルが鳴き声を上げる。

 もはや体に染み付いた反射で足を止めて剣に手をかけると、近くから耳をつんざく咆哮が轟いた。

 思わず耳を塞ぎ、音の方へと視線を向けて、激しく舌打ちすることになる。


「くそッ! 嘘だろおい、もうちょっとマシなタイミングってのがあるだろ!」


 ドラゴンだ。

 エルが反応した上に、街中にも関わらず大きな咆哮を上げたことから、残念なことに味方ではない。その瞳からは理性の光が失われている。

 ドラグニアやノウムで遭遇したのと全く同じだ。


 人間のドラゴン化。

 ウイルスが原因とされ、魔力を一定期間使わないことで発症してしまう。


「来るぞリュウタ!」

「こんな時に……!」


 腕の下から翼を生やしたドラゴンが、物凄い勢いで突っ込んでくる。凶悪な爪が振り下ろされ、コンクリートの地面が抉れた。


 急いで横へ避けたから良かったものの、あんなものを生身で食らってしまえば簡単に命を落としてしまう。


「戦うしかないわ! ジン、前を頼むわよ!」

「任された!」


 ただでさえ巨漢なジンの、更に身の丈以上もある大剣が、鋭く振われる。重力操作も合わさり重みを増した一撃は、ドラゴンの鱗を容易く斬り裂き巨体を大きく仰け反らせた。


『Reload Explosion』


 そこにハクアの放った弾丸が突き刺さり、爆発を起こす。ジンのように明確なダメージは見て取れないが、確実に怯んだ。その隙に龍太が懐まで潜り込み、腕と一体化した翼へと剣を突き立てる。


「おらぁ!」

「■■■■■■!!!」


 そのまま振り抜いて翼を斬り裂けば、苦痛に歪む絶叫が上がった。

 声と共に放出される魔力。龍太の小さな体は容易く吹き飛ばされてしまい、後ろで銃を構えていたハクアに受け止められた。


「リュータ、大丈夫?」

「ああ、おかげでな。にしても、どうしたら止まってくれるんだよこいつは」

「無理矢理大人しくするしかないけれど……」


 太もものナイフを抜くハクア。龍太もこの世界に来てすぐに使ったことがある、麻痺毒を出すナイフだ。

 たしかにこれなら、ドラゴンの動きを止められる。


 だが問題は、当てられるかどうかだ。


「リュウタ、ハクア! さっきのがまた来るぞ!」


 二人を守るようにジンが立ち、大剣を盾のようにしてコンクリートの地面に突き立てる。その数瞬後、再び魔力を纏った咆哮が放たれた。


 体の奥底まで重く響く音。ジンの鎧や剣も震わせ、その破壊力を物語っている。

 先程龍太が受けたのは、咄嗟に出した故に本来の破壊力を発揮していなかったのだろう。これをあの至近距離でまともに受けていれば、体の内側がズタズタになっていたはずだ。


「これがある限り、迂闊に近づくこともできないってわけか」

「時間がないのに……!」


 バハムートセイバーさえ使えれば。そう思わずにはいられないが、制限時間付きの変身は本来なら奥の手の切り札として取っておくべきものだ。

 そして、その切り札はすでに使ってしまった。今は自分たちの力だけで切り抜けるしかない。


「ジン、一瞬だけ動き止められるか⁉︎」

「勿論だ!」

「ハクア、ナイフを貸してくれ。俺が直接突き刺してくる」

「でも……」


 最も危険な役割を龍太に任せることに、ハクアは不安なのだろう。作戦の成否ではない。純粋に、パートナーである龍太の身を案じてくれている。


 その優しさが嬉しくて、白く綺麗な手を取り微笑みかけた。


「大丈夫、俺を信じてくれ。でも、もしやばそうなら頼むよ」

「……ええ、分かったわ」


 ハクアがいてくれる。ただそれだけで、龍太は無限に力が湧いてくる。単純だと笑いたくば笑え。男なんてそんなもんだ。


 内心一人で開き直り、龍太はハクアからナイフを預かって駆け出した。


 同時に、ジンがドラゴンの頭上にに魔法陣を展開させる。

 重力操作の魔術によりドラゴンの周囲の重力を増加させて、その巨体は重いなにかにのし掛かられているように動きを止めた。

 コンクリートの地面がひび割れて、苦しそうに足掻いている。


「この街に来るまでの十日間、なにもせず歩いてただけじゃねえんだよ!」


 毎日キャンプする時、寝る前には必ずハクアと朱音から魔術を教えてもらっていた。

 その中でも特に重点的に鍛えていたのが、強化魔術だ。人間の身ひとつで人外の魔物と戦うのであれば、全ての魔導師にとっては必須となる魔術。

 どれだけ鍛えても決して腐らず、戦いにおける基礎中の基礎。


 そして朱音から教えてもらったのは、ただの強化魔術じゃない。

 彼女が最も得意とする、龍太たちの世界由来の魔術。強化魔術においては最強の名に相応しい魔術だ。


「集え、我は疾く駆けし者! 己が正義を胸に掲げ、白と共に在る者!」


 力強く唱えた詠唱に呼応して、足に幾何学模様の回路が奔る。

 途端、龍太の走る速度が格段に上がった。瞬く間に重力操作の範囲外ギリギリまで辿り着いて、一気に跳躍。ジンが龍太に合わせて、重力操作を解いた。

 あまりの速さにドラゴンはその動きを追えず、体の自由を取り戻してもすぐには動けない。


「はあぁぁぁぁぁ!!」


 正常な重力に従いドラゴンの背に落下した龍太が、そこにナイフを突き刺した。

 瞬時に離脱すれば、僅かに遅れてドラゴンの巨体が麻痺毒に侵される。全身を痙攣させて動きを止め、完全に沈黙した。


「よしっ、やってやったぞ……!」


 地面に着地してそのまま膝から崩れた龍太は、荒くなった息を整える。


 概念強化。

 龍太の使った魔術は、本来なら未熟な魔導士では一生かけても使えないような魔術だ。

 そもそも、通常の強化とはそのアプローチもプロセスも全く異なっている。肉体という物理的なものに作用するのではなく、術者の行う行動そのもの、概念に作用させている魔術だ。一種の存在補強でもあり、故に通常の強化よりもより高い効果が得られる。

 桐生朱音のあのめちゃくちゃな体術は、この魔術ありきと言っても過言ではない。


 それだけ強力な魔術だ。もちろん、相応の反動はある。


「リュータ!」

「頭痛は大丈夫か?」

「こればっかりは大丈夫じゃねえな。まあ、慣れの問題って朱音さんも言ってたし」


 白いドレスを翻しながら駆け寄ってきたハクアと、その後ろから心配そうな顔で問いかけてくるジン。


 概念強化で得られる力は、人間一人の身体能力を軽く二、三歩は逸脱している。

 そうなると体、特に脳への負担が大きくなり、結果として術を解いた後は激しい頭痛に見舞われるのだ。

 こればっかりは朱音にも、概念強化の開発者にも克服できないらしい。


 しかし本来ならば、概念強化は魔導や魔術を教わって日の浅い龍太が、使えるはずもない術。

 長い年月をかければ習得できるのかもしれないが、まともな手段ですぐに使えるようにはならない。


 だから、一足飛びで習得できる裏技を使わせてもらった。

 龍太の持つ魔王の心臓(ラビリンス)で足りない魔力を補い、朱音の持つ『繋がり』の力で術式を使わせてもらっている。


 裏技とはいえ、どちらも紛れもなく龍太自身が持つものに他ならない。

 この身に宿った心臓も、朱音との繋がり、あるいは絆とも言えるものも。


「どうやら、騎士たちが来たようだな」


 反動の頭痛に顔を顰めていると、足音が徐々に近づいてくる。ジンが視線を向ける先に追従すれば、数名の鎧を着た男たちが現れた。

 彼らがセゼルに常駐する精鋭騎士たちだ。ジンのように全身を鎧で覆っているわけではなく、主に急所に当たるところだけを守っている軽装備。武器も剣や槍、銃など各々で違っている。


「なんだこのドラゴン⁉︎」

「って、ジンじゃないか! 帰ってたのかよお前!」

「もしかしてお前がやったのか?」


 やはり騎士たちは、麻痺毒で動けないドラゴンを見て驚いている。おまけにジンとは知り合いのようで、彼が軽く説明をしてくれた。


 ドラゴンは騎士の方でどうにかするらしい。彼らは実力に見合った経験も積んでおり、ドラゴンの鎮圧を経験した者もいるとか。

 それなら任せて大丈夫だろうと思い、龍太は立ち上がって津波の方へ目を向ける。


「……さすがに到達が遅くないか?」

「そうね……高さのせいで距離感はいまいち測れないけれど、屋敷を出てからそれなりに時間を使ってしまっているはずだもの」


 そう、時間だ。そこの辻褄が合わない。

 いくら到達までの時間が読めないとは言え、最初に屋敷の中から見た時から、もう三十分は経っているだろう。それだけの時間があれば、すでに街を飲み込んでいてもおかしくないはずだ。


 よくよく目を凝らしてみれば、視界を僅かに銀色がチラついた。


「アカネのおかげだな……時界制御で津波を止めているのだろう。だが、彼女ならあれを消すことも出来るはずだ」

「つーことは、妨害を受けてる可能性が高そうだな……」

「急ぎましょう。あのスカーデッドが相手なら、アカネたちでも危ないかもしれないわ」


 そこに異論があるはずもなく、龍太は未だ痛む頭を押して港へ向けて駆け出した。



 ◆



 貿易の要とだけあって、セゼル港には多くの商船が停泊している。となれば当然、船に積み込むための荷物も多いし、船を動かすための人員だって港を拠点に動く。


 だが現在、すぐ近くまで津波が迫っている状況にあっては、賑わっていた港も静けさに包まれていた。


 そんな静寂に包まれた港で、銃声と金属のぶつかり合う音が響き渡る。


「朱音、大丈夫⁉︎」

「誰の心配をしてるんですか。この程度の相手に遅れを取るわけありませんが」

『とは言え、銀炎を展開しながらだ。あまり無理をしない方がいい』


 船乗りたちの代わりに、スペリオルの尖兵、ダストがうじゃうじゃと湧いていた。どれだけ倒してもキリがない。最初は丈瑠とアーサーと、誰が一番倒せるか競争しようなんて言っていたけど、正直それどころじゃなくなってきた。


 なにせ数が多い。港を派手に壊すわけにはいかないから、高域殲滅用の大技も使えない。おまけに朱音は、銀炎で津波の動きを止めながらの戦いだ。


 海の上で燃える銀の炎は、津波を確認してからすぐに展開させた。取り敢えずの応急処置にしかならないが、時間さえあれば津波を消すことも難しくはない。

 問題は、その時間を相手が作らせてくれないことだが。


「もう港は多少破壊してしまってもいいですよね! アリスさんには後で謝りましょう!」

「この際仕方ないか……!」


 背中合わせに立った朱音と丈瑠は互いに異なる術式を構成し、魔法陣を展開させた。一つはダストどもの頭上に、もう一つは丈瑠が掲げた手の先に。


「「我が名を以って名を下す!」」

「其は万象を焼く灼熱の業!」

「其は大海を割る嵐の剣!」


 天に広がる魔法陣が赤く発光し、地面に超高温度の灼熱が広がった。

 掲げた腕の先には、全長五メートルは軽く超える空色の大剣が現出する。


顕現せし災禍の怒りイラ・ウェニーレ・アモン!」

蒼天を衝く希望の剣テンペスタース・ボナ・グラディウス!」


 頭上からは無数の火球が降り注ぎ、大地に広がるダストを焼き尽くさんばかりの勢いだ。熱が地面の一部を融解させて、巻き添えを食らったコンテナや船は爆発する始末。

 一方で丈瑠は最低限の配慮をしたのか、召喚した空色の大剣を水平に振るうのみ。それだけで彼の前にいたダストは全て薙ぎ払われたが、やはり近くのコンテナや建物を破壊してしまう。


 そうして残されたのは、船やコンテナの残骸に大量のダストの死体。未だ消えることなく燃えている炎。

 賑わっていた港の景色なんて跡形もなく、まさしく地獄絵図とも言える光景だ。


 その中心に立つ二人と一匹は、それでも警戒を解かずに構えている。


『朱音、さすがにやりすぎじゃないだろうか』

「大丈夫大丈夫、後で直すから」

「そういう問題じゃないと思うけどね。アリスさんには一緒に頭下げよっか」


 気安い会話が飛び交う中、新たな魔力の反応を近くに捉えた。

 振り返って銃口を向ければ、そこにいたのは敵ではない。キャスケット帽を被った少女、旅の仲間の一人であるヒスイだ。


「ヒスイ! よかった、無事だったんだね」

「ジンとは逸れたってアーサーから聞いてたけど、今までどこに隠れてたの?」


 問いかける二人に、ヒスイはなにも答えない。目深に被った帽子のせいで表情もよく見えず、ただ黙ってこちらに歩いてくる。

 さすがに様子がおかしい。


 そして、朱音と丈瑠の目の前まで辿り着いたヒスイは、小さく呟き顔を上げた。


「ごめんなさい……」


 その言葉を聞いた途端、体が動かなくなる。朱音も丈瑠もアーサーも、指先一つ動かすことができない。目も動かないから視線は固定されたままで、ヒスイのそれとぶつかる。


 まさか、と。声を上げようとして、しかし音は形を伴わなかった。まさかそこまで封じられるとは。


 ヒスイの両目には、魔法陣が刻まれている。術式を瞳に直接描いているのだ。

 魔眼。

 本来受動的な役割を持つ目という機能を、能動的な力へと変える魔術。あるいは異能。

 術式から見て魔術によるもの、それもかなり高度な魔眼だ。まさか自分が全く動けなくなるほどだとは。魔力操作も上手くいかず、術式を描くなんて以ての外。

 ただまあ、手がないわけじゃない。


 それにある意味では、ここまで想定通りの展開だ。


「ごめんなさい……ごめんなさいアカネさん……あたしは、こうするしかないから……」

「……言い訳、は、しなくてもいいよ」

「っ⁉︎」


 絞り出した声に、ヒスイが驚愕の表情を見せる。魔力の操作も含めて、体の動きは全て封じているはずなのに、とでもいいたいのだろう。

 だが本当に朱音の身動きを封じたいのなら、目は確実に奪うべきだった。


 瞳をオレンジに輝かせる。ヒスイの目から術式が消え、朱音たちは体の自由を完全に取り戻した。


「そんな、どうして……!」

「一緒に旅してたんだから、聞いてたでしょ? 私の幻想魔眼は不可能を可能にする力。ヒスイの魔眼も中々に高度な呪詛が込められてるみたいだけど、力が強ければ強いほどに私の魔眼は真価を発揮する」

「でも、アカネさんの力は異世界のここじゃ弱まってるって!」

「他の異能はね。でもこれだけは別。元はと言えば、赤き龍の力でもあったんだし」


 顔を絶望に染め上げ、ゆっくりと一歩ずつ後退りするヒスイ。


 スカーデッドの言っていた内通者は、これで確定した。

 自称記者のドラゴンは、ノウムで龍太たちに接触し、それからずっと組織へ情報を横流ししていたのだ。


 内通者の話を聞いた時から、候補はヒスイしかいなかった。龍太とハクアはまず確実に候補から外れるとして、ギルド所属のジンも除外。丈瑠やアーサーは言うに及ばず。

 となると、風龍に連なると言うだけでどこにも所属していないヒスイが、一気に怪しくなる。


 もちろんそれだけでは証拠にならない。

 だから、確認した。連絡を取ったとか、そういうのではなく。

 直接確認しに行った。どこにって、ドラグニアの王都まで。

 内通者が原因でこっちの場所が割れてるなら、長距離転移の制限も解除される。


「一度王都に戻って、アリスさんから至急エリナさんに確認してもらったよ。そしたら、ヒスイなんてドラゴンは知らないってさ」


 エリナ・シャングリラ。

 風龍の巫女であり、アリス・ニライカナイの実妹でもある、ドラグニア王家の第二王女様。現在は西側諸島にギルドを構えており、魔導情報学を専門に研究している。


 朱音も知り合いの彼女に、直接確認したのだ。まちがいのない情報である。


「さて、それじゃああなたは、一体どこの誰なのかな?」


 数メートル離れた位置で立ち止まったヒスイに、鞘から抜いた刀の切先を向けた。

 だが、彼女はわなわなと唇を震えさせるだけで、答えようとはしない。


「朱音、多分脅されてる」

「でしょうね。そう考えるのが妥当ですが、なにを材料に脅されてるのか」

「そこが分からない限りは、懐柔できないだろうね」

「懐柔って……丈瑠さんも、随分私たちに染まりましたね」

「そりゃ十年も一緒にいたらね」


 さて、ここからどうするか。

 仮に襲いかかってくるのであれば、問答無用で斬り捨てるつもりだった。龍太とは決裂することになってしまっていただろうが、そればっかりは仕方ない。


 桐生朱音は復讐者だ。

 赤城龍太のように、正義のヒーローにはなれない。


 その真似事が関の山。復讐のためなら、家族との未来を取り戻すためなら、正しさなんてクソ喰らえだ。


 ただ、こうなると話は変わってくる。

 仮に本当にヒスイが脅されてるのだとしたら、まだ和解の余地が残されている。逆にスペリオルの情報を得ることだってできるだろう。


「どうするヒスイ? 今ならまだ、私たちから龍太くんにも事情を説明してあげられるけど。それとも、真正面から私たちと戦ってみる? 言っておくけど、そうなったら私は容赦しないよ」

「……ダメ、ダメです……二人とも、すぐにここから逃げてください!」


 この期に及んでこちらを心配する言葉。怪訝な顔で首を傾げれば、背後の海上から特大の魔力反応が現れた。


 咄嗟に振り返れば、巨大な怪物が現れている。合計八本の触腕と、イカのような体。元の世界でも目にしたことのある魔物だ。


 その名を、クラーケンという。


「クラーケン! こんな魔物を用意してたなんて……!」

「落ち着いてください、丈瑠さん」


 その威容を目にしても、朱音は不敵に微笑むだけだ。

 元の世界とこの世界でどれだけの差異があるかは分からないが、一度は倒した相手だ。恐るるには足らない。


 その上朱音は、クラーケンについて超特大の情報を持っていた。


「知ってますか? クラーケンって、ゲソが美味しいんですよ」


 こんな時にも食欲を優先する敗北者は、その欲求に従ってクラーケンへと向けて駆け出した。

 これにはさすがの丈瑠もぽかんと呆れる。


『諦めろ、丈瑠。彼女はそういう人だ。あなたもよく知っているだろう』

「うん、まあ、うん……そうだったね……」


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