悪魔襲来 3
セゼルの街は各国の商人たちが行き交う故に、年中活気に溢れている。毎日がお祭り騒ぎのようでもあり、だからこそ、日の当たらない影もまた、濃くなっていく。
スラムとまでは言わないが、それでもこの街の路地裏では、浮浪者だって珍しくない。
迷い込んだ観光客が、物乞いや盗人に狙われることもこの街にとっては日常茶飯事だ。
あるいは、よからぬことを企む輩が潜むには、絶好の場所とも言える。
「あの白い狼、たしか異世界の魔物だったか。我が鎧に傷をつけるとは、たしかに貴様の報告通り、聖獣にも匹敵する力を持っているようだな」
忌々しげに吐き捨てるのは、赤城龍太たちを襲ったスカーデッド、レヴィアタンだ。
アーサーの雷撃に焼かれた彼は、一度撤退して街の路地裏に潜み、内通者との接触を図っていた。
スカーデッドの前で傅く少女。
キャスケット帽を被った彼女は、レヴィアタンの言葉に相槌を入れるでもなく、淡々と報告を続ける。
「ルーサー、キリュウアカネは彼女の世界で、本物の悪魔と戦ったことがあるそうです。恐らく、彼女に差し向けたスカーデッドは簡単にやられてしまうかと」
「だろうな。我らの正義を理解できぬ愚か者どもだが、その実力は本物だ」
これまでスペリオルは、あの二人に幾度となく辛酸を舐めさせられた。
バハムートセイバーとルーサー。
正義のヒーローを名乗る愚か者たちだが、油断はできない相手だ。特に、異世界からの来訪者であるルーサー。
やつはスペリオルの幹部格でも苦戦するほどの力を持っている。時界制御の銀炎とやらは、まともに戦えば太刀打ちできない。
だから、真正面から戦うことはしない。やつの性格、人間性を考慮した上で、罠を張り確実に潰す。
そのための内通者だ。正義のヒーローであるなら、仲間を手にかけることなんて出来るはずがない。
「計画を実行に移す、手筈通りに動け」
「はい」
これは戦争だ。
ルーサーやアカギリュウタ、個人の相手をしていればいいわけではない。スペリオルの仲間達は、今もこことは違うどこかで戦い、散っている。
だから、容赦はしない。
戦争にルールなどないのだから。
「ドラグニア神聖王国、その貿易の要であるこの街を落とすぞ」
◆
予想外、と言えば嘘になる。
レッド・グレイフィールド。
ジンの兄で、クレナの婚約者。彼には、ルーサーへ復讐する当然の権利がある。
そしてそれは、龍太が個人的な感情を元に口を挟むべきではないことも、理解している。
「力を貸せ、とは言うが。兄上は具体的になにをお望みなのでしょう。ルーサーの正体はご存知なので?」
「もちろんだ。君たちが今ともに旅をしている、異世界人の女性だろう」
「それが分かっていてリュウタに頼むのですか!」
机を強く叩いたジンが、実の兄をキツく睨む。だが睨まれたレッドは、弟のそんな視線を意に介さず、重ねて龍太に問うた。
「どうだろうか、リュウタくん。私に力を貸してくれるかな?」
「……本気で言ってるんですか?」
「本気だとも」
表情は笑顔だ。けれど、その瞳の奥には決して消えない炎が燻っている。深く黒い、怒りと憎しみに満ちた炎が。
「クレナは私の婚約者だ。今では愚弟のパートナーだが、五年ほど前まではこの屋敷で共に暮らし、将来を誓い合った仲だ。人間とドラゴンの差など関係なくね」
チラリとジンを見やれば、力なく頷く。
その言葉に嘘はないらしいのだけど、レッドの芝居がかった言動は、どうにも胡散臭いものを感じる。
「兄上の言葉は事実だ。五年前、彼女がクローディア様の召喚に応えるまで、俺たちはこの屋敷で暮らしていたし、兄上とクレナは恋仲だった」
であれば、やはり。レッドの言葉を否定することはできない。
復讐なんてまちがっていると、そう諭すことが正しいのだろうけど。龍太はこれ以前に、より過激で深い憎悪に囚われた復讐者を見ている。
そう、レッドが復讐を望む相手、桐生朱音その人だ。
龍太とハクアは、彼女の復讐心に対しても否定しなかった。ただ、その覚悟が曖昧なままの朱音と戦い、やり方の是非を問うただけだ。朱音は今も、復讐のために旅をしている。
いや、言い訳をいくら重ねてもダメだ。
桐生朱音は、ルーサーは仲間であり、龍太にとってこの世界で数少ない同郷の人だ。もう彼女とは敵対したくないという、個人的な感情がある。
やはり断るべきか。そう考えていると、肩を竦めたレッドがひとつ息を吐き、徐に立ち上がった。
「すまない、急に言われても困惑させるだけだったね。部屋を貸してあげるから、また後で答えを聞かせてくれ。私はこれから商談があるのでね」
襟を正し、一礼してからレッドは部屋を出ていく。領主と商人の二足の草鞋は、やはり多忙のようだ。
その後執事の人に客室へと案内されて、龍太は大きなため息を吐き出した。
「どうすっかな……」
「すまない二人とも。家の面倒に巻き込んでしまったな」
「ジンのせいではないわ。言い方が悪いけれど、ある意味でアカネの自業自得とも言えるのだもの」
ハクアの言う通りであり、一番の問題はやはりそこなのだ。
改心、と言うと少し違うが、いくら朱音がやり方を変えたのだとしても、過去の行いまでなくなるわけではない。
クレナのパートナーであるジンはうまく折り合いをつけたみたいだが、全ての人がそうあれるわけでもないだろう。事実、レッドは婚約者を傷つけたルーサーを、深く憎んでいる。
これは個々人の問題だ。やはり龍太に口出しできるようなものではない。
「正直、断りたいってのが本音だよ。朱音さんはもう仲間だ。あの人と敵対したくないし、そもそも今の朱音さんに俺がどうこうできるわけもない」
「そうだな。あの時リュウタが勝てたのは、アカネが全力を出せなかったからだ。仮に今の彼女と戦えば、タケルやアーサーがこちらについたとしても片手間にあしらわれる」
うんうん、と頷きながら冷静な考えを口にするジン。
いや、その通りなんだけど。客観的に言われると中々キツいものがあるな、これ。
「ねえジン。失礼なことを聞くのだけれど、あなたのお兄さんがスペリオルと通じている、という可能性はないかしら?」
「なるほど……可能性だけで言えば、ゼロではないだろうな」
ジンが意外と簡単に頷いてしまい、龍太は少し面食らった。血を分けた兄弟だというのに、そこを疑うことはしないのか。
だがなにも、不仲だからそう言っているというわけでもないだろう。
なにせタイミングが良すぎる。街にスペリオルの襲撃があり、なんとか撃退してすぐ、グレイフィールド家の使いがやってきた。
あらかじめ襲撃を予期していた、と疑うのが当然だ。
「ただ、兄上は腐っても領主だ。その上、この街で一番の商人でもある。スペリオルと手を組むリスクは、分かってると思いたいな」
「こんな事になるなら、いっそアーサーもいてくれた方が良かったかもしれないわね」
レヴィアタンを退けてくれた白狼は、ここにいない。朱音と丈瑠に合流するため、別行動を取っている。
別行動といえば、ヒスイのことも心配だ。ダストは街のあちこちに現れていたようだし、無事でいてくれるといいのだけど。
「とにかく、この話は断らせてもらおう。スペリオルはまだ街のどこかにいるかもしれないんだ。ジンの兄さんには悪いけど、そっちにまで手を回してる余裕なんてない」
「そうだな。なんにせよ、スペリオルの相手が最優先だ。またあのスカーデッドが現れる可能性もある」
「そうなると面倒ね……あの鱗は外からの攻撃に対して、かなり高い耐性を持っているみたいだもの。アーサーのように、内側から直接ダメージを与えないと」
レヴィアタンのスカーデッド。やつはこれまで戦ったどの相手よりも強った。フェニックスは再生力が厄介だったが、レヴィアタンは防御力だ。
あれを砕くにはホウライの火力が必要だが、やつの使う水の魔術はニライカナイでなければ対応できない。
同時に二つの力を使えればいいのだが、バハムートセイバーのオルタナティブは原則どちらか片方だけだ。
「……いや、そうか。なあハクア、ニライカナイのオルタナティブ中でも、ホウライのカートリッジを使うだけならできるよな?」
「ええ、可能よ。けれどそうなると、今度は相性の問題が出てくるわ」
「あー、水と炎だから?」
「いえ、力の元となった巫女たちの問題ね。クローディアとアリスは仲が悪いのよ」
「えぇ……」
どうやら、歴代龍の巫女のどこを見ても、ホウライとニライカナイの巫女は仲が悪いらしい。なんなら巫女だけでなく、龍神同士もかなり険悪だったとか。
そんな個人的な事情をカートリッジにまで持ち込まないで欲しい。
「つーことは、あれか。ニライカナイの状態でホウライのカートリッジを使ったら、本来の力が出ないってことか」
「そうね。他の龍神が相手なら、そんなことはないと思うのだけれど」
ハクアも呆れているのか、疲れたような苦笑いを浮かべている。
あれだけ巫女とも仲がいいし、何万年も生きているのだから、もしかしたら龍神様ご本人とも面識があってもおかしくはない。ホウライとニライカナイの仲の悪さは、直接見たことがあるのかも。
「やはり、レヴィアタンの鱗を破るにはアカネの力を借りるしかないか……」
「だな。あの人に頼りっぱなしで情けねえけど」
朱音の持つ異能、切断能力は、彼女が斬れると思ったものならなんでも斬れる。物理的なものだけでなく、目に見えないもの、概念的なものまで。
ただ、あれはあくまで元の世界における絶対の力だ。異世界であるここでどこまで有効なのか、朱音本人も性格に把握していないらしい。
曰く、龍神級の相手には通用しないとかなんとか。
まあ、不可能を可能にする幻想魔眼があるし、結局あまり関係ないとは思うけど。
だが現状、頼れるのは彼女だけだ。スペリオルが相手なら、情けないとか言っていられない。なにせやつらは、無関係の人たちも巻き込む。みんなを守るためには、手段を選んでいる場合ではないだろう。
「ただそうなると、やはり問題は兄上だな。アカネの邪魔をしなければいいが」
「そこは事情を説明して、お願いするしかないわね」
果たしてそのお願いを聞いてくれるかどうか。レッドの瞳に宿った復讐の炎は、そう簡単に消せるものでもない。
それはクレナへの愛情の裏返しとも取れるが、しかしクレナはなにも死んだわけではないのだ。朱音のように、会えなくなったわけでも、未来を奪われたわけでもない。
言い方は悪いかもしれないが、ただ傷を負わせられただけ。それも魔導師として戦うのであれば、クレナ本人も覚悟の上だろう。送り出したレッドだってそのはず。
「なあジン。お前の兄さんは、本当に朱音さんにだけ復讐したいって思ってるのか?」
「どういう意味だ?」
「あの人、朱音さんと同じ目をしてた。相手が憎くて仕方ないって目だ。朱音さんに直接向けられてた俺には分かる。あれは、どうしようもない程の怒りと憎しみに満ちたものだったよ」
いつかのルーサーと、全く同じ。
あの目は、復讐以外なにも考えられない者の目だった。
「でも、クレナは死んだわけじゃない。当然だけど、朱音さんの時とは話が違う。ただクレナを傷つけられたってだけで、あそこまでの復讐心を持てるのか、って思ってさ」
「そうだな……恐らくだが、あれはアカネに対してだけではなく、俺にも思うところがあるからだろう」
「ジンにも?」
重く頷いたジンは、一つ息を吐き出して、どこか遠いところを見るような目をする。
「最初に言っておくが、兄上とクレナの仲は良好だ。誰かに強要されたわけではなく、互いに惹かれ合い自分たちの意思で婚約した。政治的な意味が絡む余地もなくな」
「五年前までは一緒に暮らしていた、って言ってたわね」
「そうだ。クレナは元々、炎龍ホウライの眷属とも言えるドラゴンでな。百年戦争の際にも、炎龍様の下で戦っていた」
この世界でおよそ百二十年前に起きた戦争。終戦まで百年を要した人間とドラゴンの戦争は、今では百年戦争と呼ばれている。
戦争自体は龍神たちの介入により終結し、結果として人間とドラゴンは手を取り合う道を選んだ。
ドラグニア神聖王国は、その末に生まれた国らしいと、ハクアから教えてもらった。
まさかクレナが百年戦争当時も戦っていたとは思わなかったが、よくよく考えると当然のことか。彼女はドラゴン。人間の姿は妙齢の女性だが、実年齢は何百倍も上だろう。
「クレナ以外にも、龍神たちの下で戦ったドラゴンは何体かいたらしい。それぞれ主となるドラゴンと共に復興に尽力していたと聞く。俺の祖父や曽祖父が、まだ現役だった頃だ。その際、ある商談でノウムに赴いた時、祖父がクレナを気に入ってな。護衛で雇うという名目で連れ帰ったんだ」
「もしかして、ジンのお爺さんのパートナーになったのかしら?」
「ああ、ズバリだよハクア。ドラグニアやノウムを始めとした大国がパートナー制度を公表した後、祖父はクレナと契約を結んだ」
人間とドラゴンの共存。それが成り立っているのは、パートナー制度のおかげと言ってもいい。ドラゴンは強大な力そのものを、人間は高度な科学技術を提供することで、異なる種族同士が手を取り合う。
その制度が施行された当時は色々と反対意見もあったそうだが、ジンの祖父とクレナはその架け橋にもなったはずだ。
「クレナはそれ以降、祖父が死んだ後もグレイフィールド家とのパートナーを解消しなかった。うちの商会の仕事も手伝っていたし、俺の両親や俺たち兄弟のことだって、生まれた時から知っている。もう一人の親みたいな存在だったが、どうやら兄上はその限りじゃなかったみたいでな」
自分が小さな頃から、変わらず美しくある女性。もう一人の親のような存在だとは思っていても、思春期を迎えた男は色々と考えてしまうものだ。
ジンやレッドが生まれた頃になると、人間とドラゴンの共存はもう現在の形に収まっていたことだろう。
だから、相手がドラゴンであろうと、抱いた恋心には微塵も疑問を持たなかった。
事実として、ここ十年で人間とドラゴンによる結婚も増えているし、まだ数は少ないがハーフの子供も生まれているのだとか。
「兄上のアプローチは、近くで見ていていっそ尊敬してしまうほどだったよ」
「それでクレナが根負けして、婚約を受け入れたということね」
「相手は赤ちゃんの時から知ってるのに、よく受け入れたよな」
「ドラゴンとはいえ、やはりクレナも女性だからな」
「ええ。むしろドラゴンは長命なだけ、家族や恋愛という概念が人間よりも希薄だわ。だからこそクレナは、ジンのお兄さんにアプローチされて初めて、そういうのを意識したのかもしれないわね」
それで婚約まで漕ぎつけるのだから、レッドはかなり頑張ったのだろう。まさしく愛のなせる技、というわけだ。
婚約してからの二人は、きっとそれまでと違った生活を送ることになったのだろう。
恋愛に婚約、そう言ったことにまるっきり縁のなかったドラゴンと、そんなドラゴンを一途に想い続けた人間。理想的なハッピーエンドに思えるが、そうは問屋が卸さない。
五年前、炎龍の巫女、クローディア・ホウライからの召還命令によって、全てが変わる。
「魔導師ギルドが発足したのは、十年前のことだ。まだ比較的新しい組織でな、巫女たちやそのパートナーも、手探りでの運営だった。しかし、敵はそんな事情を考慮してくれない」
「ギルド発足当時から、赤き龍との戦いは始まっていた。わたしはあまり関わらなかったけれど、モモたちやアリスから話は聞いてるわ」
「そんなに前から……」
「アカネの話と照らし合わせるなら、丁度リュウタたちの世界が作り替えられた時と同じタイミングだな。そちらの世界に封印されていた赤き龍が、こちらの世界に戻ってきた」
発足して間もない魔導師ギルドは、その対応に追われた。当然ながら、ギルドだけが戦っていたわけではない。龍の巫女の役目は世界の危機と戦うことであるが、各国も指を咥えて見ているだけなわけがないのだ。
ドラグニアを始めとした大国の軍隊すらも動員して、当時初めて確認されたスペリオルという組織を龍の巫女総動員で叩き潰し、そうして一度は終結を見せた。
それが今から、七年前。魔導師ギルド発足から三年後の出来事だ。
それで戦いが終われば良かったのだが、残念ながらそうはならなかった。スペリオルは、赤き龍はしぶとく生き残り、今もこうして活動している。
「クレナがノウム連邦に呼び戻されたのは、スペリオルとの戦いで損耗した戦力を少しでも取り戻すためだった。炎龍の眷属でもある彼女は断れなくてな。兄上は何度もクローディア様に直訴していたし、クレナ自身も渋ってはいた」
「だけど結局、ノウムに戻ることになったんだよな?」
「ああ、俺のせいでな」
「ジンのせい?」
どういうことだ、と問おうとした、その時だった。
突然、どこからか地響きのような音が聞こえてくる。屋敷がわずかに揺れて、そばに置いていた剣を咄嗟に手に取る。
「なんだ⁉︎」
「揺れが止んだ……地震というわけではなさそうだけれど」
「きゅー! きゅー!」
今の今まで眠っていたエルが、窓の外に向かって鳴いている。
エルのこの反応は、つまり敵が来たことを意味しているのだが。窓に駆け寄った三人が見た光景は、言葉を失うのに十分なものだった。
「おい、なんだよあれ……」
「大きな波が、街に迫ってきてるの?」
「あんなものに飲み込まれたら、壊滅どころの話じゃ済まないぞ!」
津波。
全高何十メートルあるのかも分からない、それほどに巨大な水の壁が、セゼルの街に迫っている。
大きすぎて距離感が掴めないけど、あの様子じゃそう遠くないうちに街へ到達してしまうのでは……?
いや、それなら考えている暇なんてない。あれをどうにかしないと。あるいは、急いで街の人たちを避難させないと。
「街に戻るぞ! なにか、できることがあるはずだ!」
頷くハクアとジン、エルと共に部屋を飛び出してすぐ、丁度レッドと出会した。
先程と比べてかなり焦った表情をしており、そこに芝居がかった様子もない。レッドにしても、あの津波を前にすればやはりあせるのか。
「丁度いいとこに! レッドさん、俺たちは街に戻ります!」
「戻ってどうするつもりだ! まさか、あれを止めるとでも言うんじゃないだろうね⁉︎」
「出来る限りのことはやるつもりよ。あなたは領主としてやるべきことをお願い」
「死にに行くようなものだぞ! みすみす行かせるわけにはいかない!」
やはり、レッド・グレイフィールドという男はいい人なのだろう。
クレナへの想いも感じていたが、こうして出会ったばかりの他人である龍太を、本気で心配して止めてくれる。
この屋敷に来る途中、車の中で聞いていた商人についての話とは、かけ離れたような人だ。
だからこそ、である。
彼のような優しい人間を守るためだったら、龍太はいくらでも命を賭けられる。
振り解こうとした腕は、しかし。ジンがレッドの腕を掴み、無理矢理龍太から剥がした。
「無駄です、兄上。こうなったリュウタは、もう止めようがありません」
「愚弟……! 貴様はまた、クレナの時のようにッ! 仲間を死地へ向かわせるのか!」
「違うよ、レッドさん」
睨み合う兄弟の間に割って入って、龍太はしっかりと否定の言葉を口にした。
ジンとレッド。この二人の仲が険悪なのは、あくまでも当事者同士の問題だ。そこに龍太が割り込む余地はない。
でも、これだけは言っておかなければならない。レッドのその考えだけは、明確に否定しなければ。
「俺は、誰かに強制されて戦うんじゃない。クレナだってそうだった。俺たちはいつだって、俺たち自身の意志で戦うんだ」
なぜ戦うのか?
決まっている、守りたいものがあるからだ。
それは紛れもなく、赤城龍太という一人の人間が己の意志で定めた理由。
誰に強制されるでもなく、斯くあるべきと自分自身で選び取った道。
それはきっと、兄弟だろうと婚約者だろうと、誰にだって否定されていいものじゃない。
「リュウタくん……君は、どうして……」
「どうしてなんて決まってる。俺たちはバハムートセイバー、この街を守る正義のヒーローだからな」
踵を返し、レッドに背を向ける。
それ以上はなにも言わず、なにも言われず、龍太は頼れる仲間と共に駆け出した。
宣言通り、正義のヒーローとして、この街を守るために。