遺された足跡 2
地下へ続く階段を降り切った途端、突然照明がついた。真っ直ぐに続く廊下は横幅がかなり広く、天井も高い。黒い床や壁などは、予想に反して岩で出来ているわけではなさそうだ。この照明も、蝋燭や火で直接照らすという原始的な方法ではなさそうだし、古代遺跡という割には、随分と近代的な意匠を感じる。
「遺跡に立ち入るのは久しぶりだが、相変わらずよく分からない空間だな」
「ジンも別の遺跡に行ったことあるのか?」
「学者たちの護衛依頼があるんだ。遺跡は基本的に密閉された空間だから、魔物も多く出てくる」
学者たちも当然魔導師なのだろうが、魔物が出てくるとなれば、ギルドの魔導師に依頼も出すか。
なにせこの世界における魔導師というものは、結構多岐に渡る。考古学者やギルドの魔導師だけでなく、道具なんかを作る職人や研究者なんかも。魔導師だから戦える、というわけでもない。自衛手段くらいは持っているだろうが、やはり戦闘専門の魔導師を雇った方が安全だろう。
「アカネ、探知の反応は?」
「……案の定、奥に行けば行くほど魔物が多くなってるね。ただ、人間かドラゴンかが一人いるっぽい」
入る前に言っていた先客か。人間かドラゴンか。具体的にどちらかは分からないそうだ。朱音が今使った探知魔術は、地上で使っていたものとは違いソナーのようなものだそう。魔力を遺跡内に放ち、その振動や反射で遺跡内部を探る。
地上で使っていた探知魔術と違い、魔力の種類は大まかにしか分からないから人間かドラゴンかの判別もつかない。
だが一方で、このソナー探知の場合は遺跡内のような閉所だと、大体のマッピングも同時に行える。おまけに相手に気づかれる可能性も低いらしい。
この遺跡にいる者の正体が分からない以上、こちらの存在には気づかれない方がいいだろう。
「それで、もうするハクア? ある程度地形は把握できたけど、最短で奥まで向かう?」
「とんでもないわ! 隅々までしっかり探索するに決まっているじゃない!」
「だと思った」
目を爛々と輝かせて元気よく即答するハクア。これには朱音も苦笑い。
一応、先を急ぐ旅ではあるのだけど、ハクアがこうも興味を示しているのだ。普段お世話になってる身としては、今回くらい彼女の好きにさせてやりたい。
とはいえ、まだしばらくは一本道。朱音の言葉からするに分かれ道か小部屋のようなものかがあるのだろうけど、今のところそれらしきものは見当たらない。
道中ただ歩いているだけというわけでもなく、朱音による魔術講座が開かれていた。
「龍太くんはもう魔力弾を使えるよね?」
「使えることには使えますけど、あんまり実戦では使ったことないっすね」
恐らくは一回か二回程度じゃないだろうか。魔力弾は防壁と同じで、術式構成も必要のない、純粋な魔力の塊を撃ち出すものだ。魔力さえ持っていれば誰でも使える、つまりこの世界の住人なら、等しく全ての者が扱える攻撃手段。
「じゃあ今回は、魔力弾を応用してひとつの魔術にしてみようか」
朱音がピンと立てた人差し指の先に、光の球体が現れた。それが朱音の魔力。そいつを撃つだけでいい。
しかし、その魔力弾を応用しての魔術とは、果たしてどういったもののことなのか。
口で説明するよりも実際に見せた方が早いと思ったのか、人差し指の上で浮遊していた弾丸が、一人でに頭上へ。
魔法陣が広がり、球体は瞬く間に槍へと姿を変えた。
「ただの魔力の塊に術式を付与して、形を変えてるってことっすか?」
「そういうこと。ちゃんと勉強できてるみたいだね」
偉い偉い、と褒められて、どうにもむず痒い気持ちになる。見た目同年代のハクアとは違って、朱音はちゃんと年上のお姉さんだからだろうか。
「今朱音がやったみたいに、直接魔力弾を撃つ他にも、なにかしらの武器を媒介にして発動することもできるよ。僕は銃を使ってるしね」
「てことは、俺も剣を媒介にして撃てるってことっすか?」
「それはどうだろう。剣で弾丸を撃つ、って言われて、上手くイメージできるならいいけど……」
まあ、たしかに丈瑠の言う通りか。剣は斬るものであり、近接武器であり、決して射撃武器ではない。斬撃を飛ばすとかならまだしも、弾丸を撃つとなるといまいちイメージできない。
となると、だ。剣を媒介に魔力弾と似たようなことを、あるいは朱音の作った槍と同じことをするなら。
「なにか思いついたなら、やってみてもいいよ」
「じゃあ……」
そう難しいことはない。大切なのはイメージすること。もうかなり手に馴染んだこの剣を、もう一つ、いや二つ。そう、朱音が使っていた魔術みたいに。
龍太の左右両隣に、魔法陣が一つずつ展開される。出現するのは、龍太が手に持っているのと同じ剣。ただし実体のない、魔力で構成された剣だ。
「おお、出来た! すげえ! 見ろよハクア!」
「見て見てリュータ! すごいことが分かったのよ!」
全く同じタイミングで、二人して子供みたいな顔をしながら、パチリと視線がぶつかる。なんだかそれがおかしくて、また二人同じタイミングで噴き出した。
「相変わらず仲がいいのは結構だが、リュウタはどうしたんだ? ……と、見れば分かるな」
微笑ましいものを見るようなジンの目が、龍太の左右で浮かんでいる魔力の剣を捉えた。ほう、と顎に手をやり感心したような声を出す。
ハクアも気付いて、感嘆の声を上げた。
「凄いじゃないリュータ! もうそこまで出来る様になったのね!」
「朱音さんと丈瑠さんに教えてもらいながらだけどな」
「それでも凄いことよ。あなたはまだ、魔導に触れてから二ヶ月も経っていないのだから。才能があるのかもしれないわね」
まるで我が事のように喜ばれると恥ずかしくて、頬が俄かに熱を持つ。
「それで、その剣はどういう術なのかしら?」
「いや、術って言うほど大したものじゃないぞ? ただ剣をコピーしただけだし、撃ち出すくらいしか出来ないんじゃないか?」
丈瑠が言っていたように、ここになにかしらの効果を付与することはできるのだろう。例えば自動追尾だったり、朱音のグランシャリオのように自由に飛び回らせたり。
だが龍太が行ったのは、あくまでも魔力の塊を剣の形に整えただけ。その他の効果を術式に書き込むことはしていないし、そこまで複雑な術式も構築できない。
術はおろか、技と呼ぶのも烏滸がましい、みんなから見ればまだまだ未熟なものだ。
しかしそうは思わない者もいたようで、朱音は魔力の剣をジッと注視していた。
「龍太くん、ちょっと剣を振ってみて」
「こうっすか?」
構えもクソもなく適当に振ると、その動きに合わせて左右の剣も動く。縦に振れば縦に、横に振れば同じく横に、腕を持ち上げれば同じ高さにまで。
「おお……マジか……」
「多分、イメージが強すぎたんだね。元の剣と同じものを、って思って術式を組んだでしょ。だからこの魔法剣も、元の剣と同じ動きをしちゃう」
「な、なるほど……」
魔導、あるいは魔術が、イメージだけでなく細かな計算なども取り入れる理由こそ、今の龍太が陥っている現象なのだろう。
想像という曖昧なものに、計算という確固としたものを組み込む。それでようやく、魔術は術者が思い描いた通りの力を発揮するのだ。
「でも、これはこれで面白いことが出来そうね。リュータ、手を貸して?」
「おう」
言われ、迷いなく手を伸ばせば、白魚のような指がその上に乗せられる。もはや慣れた行為。互いの手を繋ぎ合わせて、ハクアが龍太の魔力を操作した。
すると左右に浮いていた剣の上に、新たな魔法陣が出現して下へ。剣を透過した。ハクアの手によって、術式が書き加えられたのだ。
すると魔力の剣は、龍太が手に持っている剣と重なり合い、一つとなって溶けて消える。
「なにしたんだ?」
「同じ動きをする二つの剣。これを、元のその剣の中に収めたの」
さすがに言葉の上ではあまり理解できず。試しに剣を振ってみる。すると、剣の描いた軌跡上に刀身の残像が見えた。それもしっかり二つ。
「アカネ、よければ受けてくれるかしら」
「もちろん」
腰の刀を鞘に収めたまま手に持った朱音。多少躊躇いつつも、朱音が掲げた刀へ剣を振り下ろすと、同様に刀身の残像が。
そして互いの得物がぶつかり合う甲高い音が、三回続いた。
「これは中々……いいこと思いついたね、ハクア」
「中に収めたって、そういうことか」
同じ動きをする魔力の剣。それを元の剣一つに収めたことで、動きだけじゃなく軌道も完全に重なる。それによって、一振りで三回分の衝撃が相手を襲う。
「名付けて、剣戟舞闘と言ったところかしら。リュータの初めての必殺技ね」
ニコリと至近距離で微笑まれ、心臓が高鳴る。こういう不意打ちには未だに慣れない。おまけにハクアはいつも無自覚だから、余計にタチが悪い。
まあ、これであとはこの術式通りに発動させれば、龍太一人でも同じ魔術が使えるだろう。術を解除して剣を鞘に収める。
赤くなった顔を誤魔化すためにも、龍太は多少露骨に話題を変えた。
「そ、それで? ハクアはなにを見つけたんだよ」
「あ、そうよ。凄いのよこの遺跡! 壁も床も、全部ドラグニウムで作られているの!」
「ドラグニウム?」
聞いたことのない単語だ。思わず首を傾げてしまったが、どうやらその反応がお気に召さなかったらしい。ハクアはムッと頬を膨らませる。
「仕方ないとは思うのだけれど、あまりわかっていない反応ね」
「その、ドラグニウムってのは凄いのか?」
「とても希少な金属よ」
と言われても。遺跡の壁を見渡してみるが、一面黒に覆われていて、龍太ではその材質まで判断できない。
そもそも、ドラグニウムとやらがなんなのかも知らないのだ。ハクアがここまで興奮するということは、かなり凄いことなのだろうけど。
助けを求めるように視線を巡らせれば、ちょうど苦笑しているヒスイと目が合った。
「ドラグニウムというのは、少し特殊な金属なんですよ。人間には砕くことはおろか、加工することもできず、ドラゴンにのみそれらが許されるんです」
「ドラゴンの魔力に反応するとかか?」
「ですです。とはいえ、一定以上の力を持っていないと、例えドラゴンでも容易に扱えるものではないんですけどね」
「ドラグニアが発見した金属だからドラグニウムと名付けられていたのだが……この様子だと、古代の頃から存在していたようだな」
コンコン、と壁を叩くジンの筋肉を持ってしても、この特殊な金属は砕けない。しかし逆に、筋肉を使わずともある程度魔力のあるドラゴンなら、簡単に砕き、加工することができる。
いや、ヒスイの口ぶりからするに、加工はそれなりに難しいのか。
「ドラゴン以外には砕けない金属か……おもしろいね、ちょっと試してみてもいい?」
「ええ、どうぞ。たとえアカネでも不可能だと思うわよ?」
ふふん、と胸を張るハクア。どうしてハクアが自慢げなのかは分からないが、可愛いから良しとしよう。
すぐそこの壁に向き直った朱音は、刀を抜くことはなく、さりとて他の武器を取り出すこともない。ということは、彼女が行おうとしていることも察しがつく。
壁に手をつき、龍太の予想通り、そこを中心として銀色の炎が広がった。時界制御で時を早め、強制的に老朽化させようとしているのだ。
が、しかし。銀の炎に包まれた壁は、一向に変化を見せない。
「魔力に反応するんじゃなかったの?」
「どうやら、概念的、あるいは魂の質かなにかで判別されるみたいでな。アカネの時界制御がどれだけ問答無用でも、その炎は魂そのもの、のようなものなのだろう?」
「まあ、転生者にとってはたしかにそうだけど……納得いかない……」
『では朱音、シュトゥルムを試してみたらどうだ?』
アーサーの言うシュトゥルムとは、朱音が持つ龍具の名称だ。
ドラグニア神聖王国宮廷魔導師長であり、龍神の娘でもあるシルヴィア・シュトゥルムの作った龍具。
使用者が朱音である限り、結果は同じだと思うのだが。
「いいところに目をつけたわね、アーサー」
ハクアの言葉に少しの希望を見出したのか、朱音は虚空からシュトゥルムを取り出す。大型ハンドガンの龍具は剣へと変形し、勢いよく振り下ろされる。
が、しかし。キィン、と虚しさすら感じる音を鳴らし、敢えなく弾かれた。
「だめじゃん!」
まあ、龍具なら大丈夫ということになれば、龍太の剣だってハクアの作った龍具の一つだ。それこそ採掘用の龍具なんかがあれば、価値が暴落してしまう。
「話は最後まで聞くものよ、アカネ。ドラグニウムはね、龍具の素材になっているのよ。わたしのライフルやリュータの剣、アカネのシュトゥルムも、全てドラグニウム製なの」
「龍具は強力なドラゴンにしか作れないって聞いたことがあるけど、その理由はドラグニウムにあるってことなんだね」
「ええ、その通りよタケル。ドラグニウムが加工できるほどのドラゴンとなると、龍神には届かなくともそれに近い力を持っているわ。シルヴィアもそうだけれど、みんなが知っているところで言うと、クレナも龍具を作れるはずよ」
ということは、ジンはクレナが作った龍具を持っているのだろうか。
全員の視線がジンに集まると、彼は肩を竦めて苦笑した。
「あるにはあるが、今はメンテナンス中でな。クレナが何日もかけて見てくれていたんだが……」
そんな時に、朱音に襲われてしまったと。
敢えて言葉を濁したジンだったが、まあ、濁す意味はあまりない。朱音には必要以上に心配しないようにと伝えてはいるのだが、しかし性根が優しい彼女には無理なようで。
シュンと俯き、見るからに落ち込んでいる。
「そう気にしないでくれ、アカネ。俺もクレナもプロだ。戦場で命を落とす覚悟はできているし、クレナはそれでも生きている。今はアカネも、こうして仲間になっているんだからな」
「う、うん……」
「ほら、湿っぽい話はもうなしにしよう。さっきのリュウタの魔力に当てられて、魔物が寄ってきたようだ」
鋭い視線を通路の奥へ巡らせたジンが、背に負う大剣を抜いた。つられて他の全員も得物を抜き、ヒスイはアーサーの後ろに隠れる。
「この全員で戦うのは初めてだからな。リュウタ、敵だけでなく、味方との距離も常に意識するんだ」
「よっしゃ、任せとけ!」
龍太とジンが前衛に立ち、ハクアと丈瑠は後方からの支援。その真ん中に立つ朱音はそれぞれのサポート。アーサーはヒスイとエルの護衛。昨日、野営中に決めておいた陣形だ。この人数だと、しっかり陣形を組まないと逆に危ないから。
やがて通路の奥から現れたのは、蜘蛛やサソリ、蜂といった虫の魔物たち。
ヒッ、と。背後から短い悲鳴が聞こえた。
「りゅ、リュータ! バハムートセイバーで一気に全部倒しちゃいましょう!」
「いや、こんなやつら使うまでもないだろ」
「白龍様、もしかして虫が苦手なんですか?」
「あれ、でも列車の時は大丈夫だったじゃん。ほら、私が斬っちゃったけど、マンティスの時」
「蜘蛛がダメなのよ蜘蛛が!」
「アラクネの時も取り乱してはいなかったじゃないか」
「アラクネはアラクネ、蜘蛛は蜘蛛でしょ!」
なんというか、この遺跡に来てから、ハクアの予想外な一面が結構判明している。
遺跡のことになると子供みたいにはしゃいだり、蜘蛛が苦手だったり。そういう好き嫌いも自分は知らなかったのかと、龍太はほんの少し自己嫌悪に陥った。
だが落ち込んでいる暇はない。だって他の誰でもなく、ハクアが怖がっているのだから。彼女を守るため、彼女を脅かす虫には容赦しない。
「よし、任せろハクア。俺が蜘蛛の子一匹後ろには行かせないからな!」
「男の子って単純ですよね、丈瑠さん」
「どうしてそこで僕に話を振るんだ……」




