世界最大最強の国 4
魔導収束の習得に向けて、龍太は暫くの間、術式構成の技術を磨くことになった。
技術とは言っても、殆どが学校の勉強じみたものだ。しかも理数系より。勉強は苦手ではないし、未知のものを学ぶというのは中々に楽しいものなのだが。
「どこがダメなんだこれ……」
二日目にして早速つまずいていた。
ギルドにやって来て早々、ハクアと共に適当な席につき、机の上に幾何学模様を広げた龍太。これは術式を可視化しているだけで、特別な技術は必要ない。
ハクアと二人、あーでもないこーでもないと考えながら、どうにかここまで漕ぎ着けたのだが。いざ発動しようとしても、なにも起こらない。つまり術式のどこかが間違っているということだ。
「術式に問題があるようには見えないけれど……」
となると、イメージの問題か。
魔導を扱う上で、想像力とはとても重要なファクターになる。杜撰な術式構成でも、イメージさえ足りていれば不完全ながら発動は可能だ。
魔導収束。対象の魔力を吸収する魔術。
なるほどたしかに、龍太は魔力を吸収するというのがどういうものなのか、いまいちイメージ出来ていない。
「イメージか……実際に自分で受けてみたら違うんだろうけどな……」
そう言えば、朱音はルーサーとして龍太たちと戦う時、魔導収束を使わなかった。
魔力を吸収するという性質上、シルバーレイのような魔術の威力は吸収した魔力に依存する。弱い魔力を吸収しても、威力の低い槍しか作れない。
だが、龍太には魔王の心臓がある。弱い魔力ということはないだろうし、朱音なりになにか拘りがあったのだろうか。
「なら僕が試してあげようか?」
考え込む龍太の頭上から降って来た声。顔を上げると、隻腕隻眼の男、小鳥遊蒼が立っていた。
「あらアオイ、先日の件は結果が出たのかしら?」
「うん、シルヴィアが二徹してくれてね。それで君たちを呼びに降りて来たんだけど、龍太が悩んでそうだったからね。僕でよければ、力になるよ?」
シルヴィアとは、たしかこの国の魔導師長だったか。龍神の娘で、朱音の持つ龍具を作った輝龍。
そんな人、というかドラゴンを酷使するとは、さすが人類最強の魔人。
しかし、先日の調査結果が出たというなら、龍太も呑気にしている場合ではない。
「いや、ありがたい提案っすけど、先に調査結果を聞かせてください。俺のことより、そっちの方が優先じゃないすか」
「その心がけは良いけど、どうせ全員揃うまで時間はあるからね。待っている間暇だろう? だったら時間の有効活用といこうじゃないか」
言うが早いか、蒼は手元に魔法陣を展開させた。魔導収束のものだ。
魔術初心者の龍太にも分かるほど、美しく綺麗な術式構成。最強というからには、やはり力そのものが優れているのだろうと勝手に思い込んでいたが、技術面も完璧じゃないか。魔術に関しては、この男の右に出る者がいないだろう。
なんて、蒼の術式と魔法陣に見惚れていると、みるみる内に体の中から力が抜けていった。まるで重い鉄の塊を背負っているように、体がうまく動かない。自分の中の何かが、徐々になくなっていく喪失感。
軽く目眩がして、フラリと机の上に突っ伏しそうなところを、隣のハクアが支えてくれた。
「アオイ、やり過ぎよ」
「ごめんごめん、でもこれで分かったかな? 魔導収束を使われるとどうなるのか」
「ええ、まあ。なんとなくですけど……」
こめかみを抑えて、支えてくれたハクアに礼を言う。その最近頭を撫でられたけど、人前だと恥ずかしいのでやめて欲しい。別に嫌ってわけじゃないけどね、恥ずかしいからね。
「それにしても、なんで今更魔導収束? たしかに使えたら便利だけど、君たちには合わないんじゃないかな」
「え、朱音さんに言われたんすけど……」
「必殺技がどうこう言ってたわね」
なるほど、と苦笑いの蒼。なに、なんですかその反応は。
「まあ、朱音の言うことも一理あるね。必殺技がどうこうと言うより、大技の一つくらい使えた方がいい。戦い方の幅も広がる。ただ、魔導収束はあんまりそれに適さないよ」
「マジかあの人」
「魔導収束は、周囲の魔力や敵の魔力を吸収して発動する魔術だ。必然的に、術の力もそっちに依存する。場合によってはこの上ない大技になるし、状況をひっくり返せるかもしれないけどね」
状況をひっくり返せる。それだけでも学ぶ価値はあるだろう。だが一方で蒼は、龍太たちには合わない、とも言った。
その真意を尋ねてみれば、再びの苦笑い。
「結局のところさ、魔導収束って小手先のズルなんだよ。陰湿なやつが使う、って言ったらちょっと言葉が悪いけど、臆病で慎重なやつが使う技なんだ。君たちに合わないって言うのは、そういう性格面での話さ」
「誰が陰湿ですか」
また別の、ため息混じりの声が割って入ってきた。ジト目で蒼を睨みながらやって来たのは朱音だ。丈瑠も一緒にいて、その足元には普通の大型犬サイズに縮んだアーサーもいた。
「アーサーが小さくなってる……!」
「ハクア、ステイ」
もふもふの白い毛玉に今にも飛び付こうとしているハクアを、なんとか諫める。この子どんだけもふもふが好きなんだ。俺も嫌いじゃないけどね。
それはそうと、膝の上のエルが嫉妬してる。唸るようにきゅぅ〜、と鳴いていて、最近ハクアの関心がアーサーにばかり向いているから、マスコット枠のエルとしては危機感を覚えているのか。
『元の大きさだと、さすがに不便な時もある。屋内に入る時は、こうして身体を縮めているんだ』
「龍太くんにとっては、結構懐かしいんじゃないかな。僕たちと会ってた時のアーサーは子供だったから、まだこの姿だったし」
「たしかに、こっちの方が見慣れてるかもしれないっす」
あの街のあの公園で、幼い頃に遊んでいたアーサーは、たしかにこの小さな姿だった。まあ、小さいとはいえ普通の大型犬くらいの大きさだし、当時の龍太からすればとても大きく感じていたのだが。
「ところで蒼さん、誰が陰湿って言ってました? もしかして私のことですか?」
「まさか。君、魔導収束はメインで使わないだろ? 君の父親のことだよ」
「それなら納得です」
いや納得するのかよ。なに、お父さんと仲悪いの?
「その人から魔術を教わった僕も、陰湿ってことになるのかな」
「そんなことはありませんが! 丈瑠さんは陰湿なんて言葉とは正反対の人ですので! なんなら干からびてるまでありますよ!」
フォローが下手か。陰湿の反対は干からびてるわけじゃないぞ。
「まあ、冗談はその辺にしておいて。僕の知ってる魔導収束の使い手って、大体が慎重かつ臆病なやつばかりだ。正面切って戦うことは絶対にない。むしろ戦う前から勝負を決めてる節さえある。龍太はそういうの、苦手だろ?」
「遠回しに頭悪いって言われてる気がするんすけど」
「気のせい気のせい」
いやまあ、たしかに策略とか謀略とか、そういう類は苦手ではあるけど。
しかし、魔導収束の開発者本人がここまで言うのはいかがなものか。人類最強が具体的にどれくらい最強なのかは知らないが、わざわざそう名乗るくらいなのだから、小手先の技術なんて彼には必要ないだろうに。
「まあ、父さんもそういうの苦手だったし、全員が全員蒼さんの言うような人ってわけでもないけどね」
『そう言う傾向にある、と言う話だな。正々堂々、勇敢に敵へ立ち向かう君には似合わない魔術だ』
そんな風に言われると悪い気はしない。
とは言え、魔導収束が便利な魔術であることには変わりないのだし、出来れば習得しておきたいというのが本音だ。
周りから見た龍太がどうあれ、龍太本人としては、誰かを助けられる力になるのなら、それはどのようなものであっても構わない。魔導収束だろうが、魔王の心臓だろうが。
「さて、そろそろ上に行こうか。ジンとヒスイももう少しで来るだろう」
机の上に広がったままの術式を消して、三階にある蒼の執務室へ。それから五分もしないうちに、ジンとヒスイもやって来た。
全員が揃い、さて、と蒼が切り出す。
「朱音、龍太とハクアはどんな感じかな?」
「短い間でしたが、それなりに経験は積ませたつもりですので。少なくとも、そこらの魔物が相手なら遅れは取りませんが」
クリムゾンオーガのような強力な個体が相手ならともかく、低レベルな魔物なら難なく相手出来るだろう。それこそ、初めて遭遇した四つ目の狼や、初めて朱音に襲われた時戦っていた歯車の魔物なんかだったら勝てる。
経験というのは非常に大事なものだと、龍太は深く実感していた。魔王の心臓の影響で大きな魔力を持っていても、その使い方を教わったとしても、実際に戦闘で役立てなければ宝の持ち腐れだ。
ゲームなどで経験値という言葉が使われるが、その意味もよくわかった。
「最低限、って感じかな」
「です。時間があれば、もっとみっちり鍛えてあげたいところですが。そうじゃないんですね?」
深刻そうな表情で頷いた蒼に、自然と場の空気が引き締まる。
重苦しく吐き出された言葉は、まず先日のドラゴン化現象についてだった。
「この国の宮廷魔導師長に頼んだ結果、あのドラゴン化の謎がいくつか解けた。とは言っても、君たちもある程度察している通りだとは思うけどね」
「つまり、赤き龍のチカラが関係している、ということだな」
「ああ、ジンの言う通りだ。赤き龍の力、あるいは体質といっても良い」
「体質?」
力というなら分かる。だが、体質とはどう言う意味だ?
「赤き龍の力は『変革』だ」
蒼の言葉に、龍太はついハクアを横目で見てしまう。
変革。ハクアと同じ力。自分は赤き龍とは無関係というわけでもない、と彼女自身が言っていたけど。その詳しいところまでは未だ語られていない。
ハクアに表情の変化は見られなかった。ただ、その瞳に宿っている感情は、どういったものなのだろう。
龍太ではまだ、その正体を理解できない。
「今あるものを全く新しいものへと変える力。ただこれは、彼自身が意図して発動させてる力ではないし、そもそも本来は、力と呼ばれる類のものでもない。生物が呼吸をするように、寝て起きて食べてとするように、赤き龍という存在の機能の一部としてある」
「そこまでなら、なにも変な話じゃなくないですか? ドラゴンや魔物、聖獣の中には、そういった力を持っているものもいますよ?」
そう、ヒスイの言葉はもっともだ。例えばアーサーの電撃は、体に電気を生み出す器官を備えているからだと言う。そういう聖獣、魔物なのだ。そこに魔力は必要なく、こちらの世界ではそういった力を異能と呼んでいたはず。
いや、異能とは便宜上の呼び方で、特に定まった名前はないのだったか。
どちらにしてもである。体の機能の一部というなら、なにも珍しい話ではないはずだ。
それこそ、龍神たちが持っている力もそこに該当するだろう。
「たしかに、そこだけを切り取ればその通りなんだ。僕たちの世界にある異能とこちらの世界の異能。その差はそこにある。魂に宿ったものか、肉体に宿ったものか。この話は長くなるから置いておくけど、赤き龍の場合はね、その力の規模が違うんだよ」
「……たしかに、人間のドラゴン化なんて現象、普通なら考えられないもんな」
人間がドラゴンになる。
龍の姿へ変わるだけじゃない。その肉体だけではなく魔力も、転じて魂すら、変質する。変革する。
完全に別物に、全く新しいなにかに変わる。
「魂そのものを変えるなんて、本来は無理な話なんだ。魂の変質は例がないわけじゃないけど、それだって根本の部分が変わるわけじゃない。そもそも、魂は下手に手を入れられないブラックボックスだからね」
「赤き龍はそれを可能としているわけだな。それで、肝心の原因については?」
赤き龍の力そのものが原因であるなら、あの怪人がこの街に出没したことになる。いくらなんでも、そこまで接近されたら蒼が気づくだろう。
つまり、なにかしらの触媒を用いて、赤き龍の力を使っているはずだ。ドラゴン化の原因はそこにある。
手段、と言い換えてもいい。
「今回の被害者の少年には、あるウイルスに感染していた疑いがある。これがまた、見たことも聞いたこともない代物でね。肉体ではなく魔力の方に感染しているんだ」
「ウイルス……ってことは、もしかしたらここにいる誰かも感染してるかもしれない、ってことっすか?」
「ないとは言い切れないのが恐ろしいところだけど、可能性は低い。魔導師長の睡眠を犠牲にした実験の結果、そのウイルスは魔力を動かすだけで死滅する」
感染した魔力そのものが動けば、ウイルスは死ぬ。
魔力とはこの世界の存在全てに宿るものだが、人間やドラゴンといった生物の場合、体外に放出することもできる。ウイルスに感染した魔力は一度全部外に出してしまえば、対策としてはひとまず大丈夫、と言うことなのだろうか。
いや、そんな簡単な話でもないだろう。この辺りは、素人の龍太が考えても仕方ない。
「この世界の住人で、魔力を動かさないなんてことがあるんですか? 生活を魔導に支えられているなら、それこそ生活必需品のようなものだと思いますけど」
「丈瑠の疑問ももっともだ。だけどこの世界の魔導具は、魔力を必要としないものも多い。例えば、年老いて衰えたお婆さんや、魔力量がかなり少ない少年なんかのためにね」
ノウム連邦の首都、コーラルで起きた同様の事件は、足湯屋を営む老婆だった。そして蒼の言葉通りなら、今回の被害者は魔力量が少なかったのだろう。生活に必要な魔力を融通できないほどに。
魔力が必要にならない魔導具ばかりを使っていると、必然的に魔力を動かすこともなくなる。一定期間そのままで過ごしていたため、潜伏していたウイルスが励起した、ということだろうか。
「ウイルスに感染していたとしても、普通なら特に問題にはならない。魔導師なんかだったら尚更だ。でも、ごく一部の人たちはその限りじゃない」
「対策自体は取り易いですね。国から国民に向けて発表してしまえばいいだけですし、国民たちもただ魔力を軽く動かすだけで良い。でも、問題がないわけじゃない……」
「人間のドラゴン化なんて、おいそれと発表できるものではないものね」
人間がドラゴンへ変貌するという、その結果だけあれば、国民が混乱するには十分すぎる情報だ。
命を落とすことはなくとも、自身の姿形、魂までも変わってしまえば、それは死となんら変わりがない。
「民衆への対処は国に任せたら良い。この国の王は愚かではないからね、いい策を講じてくれるはずだ。ただ、ドラゴン化に関して分かったのはそれだけなんだ。症状が潜在化、つまりドラゴン化してしまう条件までは絞り込めなかった」
「魔力を動かさなかったら、じゃないんですか?」
ペンを顎に当てるヒスイの疑問に、蒼は首を横に振る。
魔力を動かさないことは、ウイルスが活性化する条件ではない。あくまでも、魔力を動かせばウイルスが死滅するだけのようだ。
「ウイルス対策をする上で、肝心な点が結構分からないままなんだ。感染経路も不明だし、そうなると予防方法もどうすればいいことやら。幸いにして、ドラゴン化した人間を元に戻すことはできるけどね」
「てことは、昨日のやつも元に戻ったんすか?」
「ああ、あの少年は今頃、城の医務室で元の姿を取り戻してる。いくら魂がブラックボックスそのものとはいえ、時間を巻き戻してしまえばそれで済む話さ」
昨日のあの少年がひとまず元に戻ったと聞いて、安堵の息を吐く。それから朱音に視線を移せば、彼女は違う違うと苦笑した。
「私はなにもやってないよ。時間の巻き戻しくらいなら、蒼さんでもできるから」
「なにぶん、時空間魔術は得意でね。時界制御の真似事くらいはできるさ」
朱音ほどの精度はないけどね、と謙虚に言ってみせるが、そもそも魔術だけで時間を巻き戻すなんてことが出来る時点で、やはりこの男は規格外だ。
「さて、話を次に進めようか。ドラゴン化の現象については、これからも調査を進める。この国には僕とアリスの他に、二人ほど僕たちと同レベルの使い手がいるからね。四人もいれば対処はできる。だが、それはあくまでもこの国に限った話だ」
龍太たちが最初にこの現象と出会したのは、ノウム連邦でのことだ。その時に現れたフェニックスの言葉から察するに、それ以前から実験は繰り返されていたのだろう。
つまり、ノウムやドラグニアだけの問題じゃない。この中央大陸、いやそれ以上に、世界全体の脅威だ。
「君たちには明日、早速ローグに向かってもらう。そこでドラグニアと同じことが起きていないか調査してほしい」
「ローグといえば、ドラグニアとは友好国のはずよね? 向こうからはなにも情報が送られていないのかしら」
たしか、ドラグニアの現王妃が元龍の巫女で、当時はローグに滞在していたとか、そんな話を聞いたはずだ。
あくまでもそれは理由の一つに過ぎないだろうが、ドラグニアとローグが良好な関係にあることは間違いないだろう。
となれば、ローグ側から情報の提供がなければおかしい。なにせ向こうも龍の巫女のギルドがあるのだから、国は当然連携して対処にあたるだろう。
「向こうではまだ、人間のドラゴン化現象が確認されていないらしい。だから情報なんてなにもないんだよ」
当然、スペリオルの目撃情報もなし。だから実際に龍太たちが赴いて確認する、あるいは龍太を餌にして誘き寄せる。
スペリオルの本拠地が判明していない以上、ドラグニアやノウムの位置するここ、中央大陸だという保証はない。仮に中央大陸に本拠地を構えていたとしても、他の大陸にまで進出しない理由もないだろう。
なにせやつらは、人類全ての変革を謳っているのだから。
「分かりました。詩音か玲二、どっちかを見つけ出して、スペリオルのやつらもぶっ叩く」
「ドラゴン化現象についての情報収集も、忘れないようにね」
やるべきことは決まった。
明日、再び旅立ちの時だ。今度はハクアとエルだけじゃない。頼りになる仲間がたくさんいる。
みんなと一緒なら、どんな困難にも負ける気がしなかった。




