魔王の心臓 6
「じゃ、わたしたちはこの辺でお暇するよ」
「ドラグニアまで来ないの?」
一度部屋に戻って準備しよう、という時に、桃が椅子から立ち上がって言った。ハクアからの当然の問いかけに、彼女は肩を竦めて返す。
「わたし、小鳥遊のこと嫌いなんだよね。シンプルに顔を見たくない」
「えぇ……」
あまりにもあけすけな物言いに、龍太はついドン引きしてしまった。ただ、桃と蒼の仲を知っている人はまたかと言わんばかりの苦笑いだ。
「桃と蒼さんは犬猿の仲だからな。まあ、会わせない方がいい」
旦那がこう言うのならその通りにした方がいいのだろうけど。未だ直接会ったわけではなく、ホログラムの通信越しに対面しただけだが、蒼は悪い人には見えなかったのに。
「そういうわけだから、俺たちはまた気ままな二人旅に戻るよ。赤き龍について何か掴めば、蒼さんか有澄さんに連絡するし。そっちも、またなにかあればいつでも呼んでくれ」
「気軽に言ってくれますけど、今回だって探すのに凄く苦労したんですよ」
桃と緋桜を呼び寄せたのは丈瑠らしい。具体的にどのような手段を用いたのかは知らないが、疲れたようにため息を吐く丈瑠を見るに、相当骨を折ったようだ。
そんな丈瑠が、懐から一枚の紙を取り出して緋桜に渡す。
手のひらに収まるサイズで、人型に切り抜かれた紙だ。
「これ、渡しておきますね。電話の代わりにはなると思いますから」
「丈瑠くんも随分成長したねぇ」
「茶化さないでくださいよ、桃先輩」
腕を組んでうんうん頷く桃は、一体どこからの目線で話しているのか。
ともあれ連絡手段を手渡された二人は、長居は無用とばかりに足元に転移の魔法陣を展開した。
「じゃあそういうことで」
「朱音、もう無理はするなよ。丈瑠とアーサーが、今は他にも仲間がいるんだからな」
「言われなくても、もう分かってますが。いつまでも子供扱いしないで欲しいです」
「いつまでも子供なんだよ、俺たちにとっては」
実年齢はさほど離れていないはずだ。なんなら転生者ということを考えると、通算だと朱音の方が何十倍も上のはず。
だがそれでも、緋桜が朱音へ向ける目はとても優しいもので。それこそ、可愛がっていた子供に向けるような。
そんな視線がむず痒いのか、朱音は僅かに頬を染めてそっぽを向いている。
「赤城龍太くん」
「は、はい」
唐突に桃から名前を呼ばれ、反射的に背筋がピンと伸びた。緊張する龍太を見て、桃がクスリと笑う。馬鹿にしたようなものでは断じてない。笑みを形作ってはいても、その目にはとても真摯なものを感じた。
「これから君の旅路には、多くの困難が待ち受ける。神様は意地悪だからね、前へ進もうとする人にだけ、とても大きな壁を与える。目を逸らしたい光景を見るかもしれない。力のない自分を嘆くことだって。それでも諦めないで、君は君の信念を強く持ち続けて欲しいな」
「俺の、信念を……」
「前を向いて、胸を張る。自分の弱さと向き合って、その上でどうやって前を向くのかは、君自身が決めればいい。弱さを認めて、それでもいいと前を向くのか、あるいは見て見ぬ振りをして、強がりながらも精一杯胸を張るのか。それとも、戒めとしてその弱さを身に纏い、自分を縛る呪いとするのか」
言葉を区切り、桃の視線が朱音へ。一瞬だけ見つめられた朱音は、バツが悪そうに顔を逸らしていた。
「君がどういう道を歩き、どう成長するのか。次に会う時を楽しみにしてるよ」
「はい」
しっかりと頷きを返せば、桃は満足げに微笑んだ。それから真剣な空気を霧散させるように、パンッと手を叩く。
「それじゃあ、みんな元気でね!」
「縁があれば、またどこかで会おうぜ」
足元から徐々に桜の花びらに包まれていき、全身を覆ったあと、二人は花びらを散らしながらこの場から去った。
黒霧桃。不思議な人だった。歳は朱音や緋桜と変わらなさそうに見えるけど、それ以上の貫禄というか、隠居した老人のような雰囲気も感じさせる人。
と、女性にこんなことを言えば失礼になるか。
「あっ!」
ありふれた別れの感慨に耽っていると、アリスがなにかに気づいて声を上げる。なにごとかと全員の注目を集めたアリスは、わなわなと震えながら言った。
「あの二人、宿代払ってませんよ!」
嘘でしょ? あんないい感じに立ち去っておいて?
◆
どうやら、アリスが追いかけてもあの二人はその追跡を完全に振り切ったらしい。一瞬だけ姿を消していたアリスは、肩を落として戻ってきた。
「どうしてあの人たちは……いつもいつもお金を……」
「常習犯なのかよ」
「まあ、ついでですし経費で落としときます。あ、龍太くんたちもお金払わなくていいですよ。そっちも経費で落としますから」
それはありがたい。これからドラグニアに向かい、その後もさらに旅を続けるなら金は必要だ。極力節約していきたい龍太たちとしては、払ってもらえるというなら喜んでお願いする。
「とりあえず、一度部屋に戻ろうか。準備ができたら宿の玄関に集合ね」
朱音の号令で、全員部屋へ戻る。
龍太とハクアも自室で出発の準備を始めた。とは言っても、さほど時間はかからない。最も時間の要するハクアの着替えも終わっているし、後は荷物をカバンに詰め込むだけ。
始まりの村で貰ってからずっと使っているカバンに荷物を入れ、ハクアは念のため軽く銃の点検を。
問題ないことを確認した後、ドレスのスカートを大胆に捲る。腿に巻いたベルトにナイフを差して、それでハクアの準備は完了だ。
毎度のことながら、この時は目のやり場に困る。うっかり下着が見えてしまいそうだし。
そういえば、戦闘中もドレスのスカートを随分大胆に翻したり今みたいに捲ってナイフを抜いたりしているが、そういう時は何故か絶妙にその奥が見えないのだ。
いや、別に見たいわけじゃないけどね?
「よし、行きましょうか……リュータ?」
「お、おう」
ちょっと顔が赤くなってる龍太を怪訝な目で見るが、それ以上の追求はなかった。
健全な思春期の男の子としては、太腿の肌が見えるだけでも色々考えちゃうものである。なんならそういう何気ないチラリズムの方が、龍太的にはクるものがあったり。
部屋を出て宿の玄関に降りると、まだ他のメンバーは来ていなかった。どうやら、龍太たちが一番乗りらしい。
宿の外には、大きな白い狼が。朱音と丈瑠の仲間であり、聖獣と呼ばれる存在である狼。たしか名前を、アーサーと言ったか。
ハクアと外に出ると、そのアーサーがこちらに向いた。
「こんにちは。あなたには挨拶がまだだったわね。わたしはハクア。こう見えても一応、ドラゴンなの」
「俺は赤城龍太。って、俺のことは知ってるか」
『ああ、君は昔、あの公園でよく世話になった覚えがある。改めて、私はアーサーだ。今は丈瑠の使い魔をしている』
龍太と同じ位置に頭があるアーサーは、その頭をペコリと下げた。
アーサーも丈瑠のことは覚えてくれていたのか。昔はこの狼も、普通の大型犬と同じくらいの大きさだったのに。
「きゅー!」
『小さな友人もいるのだな』
ハクアの肩から飛び立ったエルが、アーサーの頭に乗る。その上で丸くなり眠ってしまうが、アーサーは嫌な顔をしない。
むしろどこか微笑ましそうな表情だ。
「ね、ねえアーサー、わたしも触っていいかしら?」
『もちろん』
おずおずと手を伸ばしたハクアが、アーサーの綺麗な白い毛並みに触れる。首のあたりをもふもふすれば、アーサーは気持ちよさそうに目を細めた。
「す、凄いわリュータ、ふわふわのもふもふよ!」
感激したように声を上げ、ハクアはアーサーの毛並みに夢中だ。
美しくカッコいい白狼に、幸せそうな顔でもふもふと撫で続けるハクア。ここが天国かな? とでも言いたいくらい、その光景は絵になっていた。
スマホかカメラがここにあれば、迷わずシャッターを切っていただろう。
「これはまた、思いの外ハクアの心が掴まれたみたいだな」
「リュウタさんもうかうかしてられませんね!」
ハクアとアーサーの戯れを眺めていると、宿屋からジンとヒスイの二人が出てきた。うかうかしてられないってなんだよ。
『ジンと言ったか、先日の列車では助かった。見事な重力魔術だったな』
「聖獣にお褒めいただくとは恐悦だ。たゆまぬ訓練の成果だよ」
『私は聖獣というものではないのだが』
「あら、違うの?」
アーサーをもふもふしてたハクアが、その手を止めて白狼の顔を見上げる。
聖獣とは、かつて起きた人間とドラゴンの戦争で、第三陣営の龍神勢力について戦ったものたちだ。魔物とは違い、人間やドラゴンと同等の知能、そして強大な力を持つ。
その戦争で大きく数を減らして以降、どこかで隠れて暮らしているという話だったが。
「アーサーはこっちの世界出身だから、一応魔物の一種なんだよ」
答えたのは、遅れて宿から出てきた朱音。丈瑠とアリスもその後ろに。
どうやら龍太たちの世界では、聖獣と呼ばれるものは存在していないらしい。高度な知能や強大な力を持っていても、あくまでそれは魔物に過ぎないのだとか。
「魔物って言っても、色んなやつらがいたからね。例えば吸血鬼みたいな、完全に人型のやつらでも魔物の一種だし。なんならドラゴンもだよ?」
「え、あたしたちも魔物扱いなんですか」
「私たちの世界なら、ね」
ひえぇ……と情けない声を上げるヒスイは、朱音から半歩距離を取った。
そもそもこの世界と龍太たちの世界では、ドラゴンという存在自体に大きな差異があるらしい。元の世界だとドラゴンは人の姿にはなれないし、強い力を持っているとしてもたかが知れているのだとか。
魔物扱いされている時点で、ある程度察せられるだろう。
間話休題
「みなさん、準備はできましたか? でしたら早速、ドラグニアにお送りしますね」
全員が頷いたのを見て、アリスが転移の魔法陣を起動させる。
桃たちやアリスが当然のように無詠唱で行っているが、本来転移とはかなり難度の高い魔術だったはずだ。それを簡単に出来てしまうのは、やはりアリスが規格外の実力者だからだろう。
「先日も説明しましたが、わたしが送るのはドラグニア城都の外です。一応向こうの人にも話は通してますけど、中にはちゃんと正規の手続きで入ってくださいね」
「ええ。ありがとうアリス、色々と助かったわ」
「いえいえ、白龍様のためなら、喜んでお力になりますよ。朱音ちゃんも、もう無茶はしたらダメですからね」
「言われなくても分かってますが……」
桃と緋桜に加え、アリスからも重ねて言われ、朱音はちょっと拗ねたようにそっぽを向いた。
「それでは、みなさんの旅が良きものであるよう、わたしも祈っています」
足元の魔法陣が一層輝きを強め、それを最後に、刹那の浮遊感が襲いくる。
次の瞬間には、龍太の視界は景色を変えていた。フィルラシオの街中にある宿屋前から、何百メートルと空へ伸びる巨大な壁の前へ。
背後には草原が広がり、壁は左右を見渡しても終わりが見えない。
ちょうど龍太たちの正面には、壁全体からしたら小さな門が。鎧を着た何人かの兵士が詰めており、車や積荷を乗せたトラック、あるいは龍太たちと同じ旅人らしき者たちが、入国審査のために列を作っている。
「わたしも来るのは久しぶりだけれど、みんなは来たことあるのかしら?」
「当然、あたしはありますよ! ここは記事にできるネタが山ほど眠ってますから!」
「俺も何度か、ギルド間の交流でな」
「僕と朱音も、蒼さんと連絡を取り合うのに来たことあるよ。アーサーは初めてだけど」
初めて来るのは、実質龍太だけということか。まあ、世界最大にして最強の国なのだから、魔導師ギルドに所属していたり長く旅を続けていたりすれば、当然一度は立ち寄るだろう。異世界から来てるにしても、この国がこの世界の代表みたいなものだろうし。
とりあえずアリスに言われた通り、正規の入国手続きのためには龍太たちも列に並ばなければ。
幸いにも行列ができているわけではなく、龍太たちの順番はすぐに回ってきた。龍太や朱音、丈瑠の三人は異世界人で、身分の証明なんて出来ないからどうするのかと不安だったが、そこはアリスが抜かりなく手を回してくれている。
特に不審がられることもなく、その上ハクアはドラグニア王家の紋章が描かれたブローチを持っている。ジンもノウム連邦の魔導師ギルドに所属しているし、問題なく中へ入ることができた。
「いやぁ、同行者の身分がしっかりしてると、入国も楽でいいですねぇ」
「……ヒスイお前、まさか今まで密入国とかしてたんじゃ」
「失礼な! あたしだってちゃんと身分証明くらいできますよ! ノウム連邦にもちゃんと正規の手続きで入国してましたから!」
だといいのだけど。なにせこのパパラッチ、記事のネタになりそうなものがあれば、場所なんて構わず突っ込んでいきそうだから。
門を抜けて、ついにドラグニアの城都へ入ると、真っ先に視界に飛び込んできたのは、中心で聳え立つ巨大な城だった。
「おぉ……すげぇ……」
思わず感嘆の息が出るほどに美しい、白亜の城。どうやら円形に囲むように広がるらしい壁よりも、更に高く空へ伸びている。
そして城下に広がる街は、フィルラシオは言うに及ばず、ノウム連邦よりも活気に溢れている。道路には多くの車が行き交い、道のあちこちでは屋台が出ていたり、大きな街頭スクリーンに今日の天気が流れていたり。
龍太が生まれ育った世界の繁華街と、大きな違いはない、強いて言うなら、ノウム連邦と同じく高層ビルの類が見つからないことか。
そして空を見上げると、今まさしく城から飛び立った影が。
この世界、この国を象徴する存在、ドラゴンだ。
「ここが、ドラグニア神聖王国……」
「その通り。世界最大最強にして、人間とドラゴンの共存を有史以来初めて成し遂げた国さ」
不意に前方から声がかかり、全員の視線がそちらへ向く。
そこに立っていたのは、隻腕隻眼の男。左目は眼帯に覆われているが、その顔立ちはたしかに日本人のもの。
龍太と同じ異世界人でありながら、魔人と呼ばれるこの世界最強の一角。
小鳥遊蒼が、両手を広げて待っていた。
「初めまして、でいいかな、赤城龍太くん。そしてようこそ、ドラグニア神聖王国へ。よくぞ辿り着いてくれたね、勝手ながら国を代表して、君たちを歓迎しよう」
第一章 完




