幕間 それぞれの思惑
この世界のどこかにある廃墟。フェニックスを始めとした一部のスカーデッドが潜んでいるそこに、ホログラムのモニターで映像が流れている。
そこに映っているのは、スペリオルがその身柄を狙っているアカギリュウタと、そのパートナーである白き龍、ハクアの姿だ。俯瞰した位置からの映像ではなく、送り込んだスパイの視覚を共有した形での映像。
手を伸ばせば届くような至近距離、見上げた先にアカギリュウタの顔があり、同じ目線に白き龍が。
今は他愛のない話に興じているようだが、さきほどは重要な情報を得られた。
「明日、ドラグニアに向かうようですね」
「いかがいたしますか。現在は巫女のひとり、それも最強のニライカナイが近くにいるようですが」
「当然、彼女との戦闘は避けますよ。勝てる可能性が万に一つでもあると思ってはいけません。我々の戦力は、ニライカナイひとりで殲滅可能なのだということを忘れないように」
「承知しております」
映像を眺めるフェニックスは、部下のスカーデッド、ハイエナに忠告する。
そう、現状のスペリオルでは、ニライカナイの巫女に勝てない。それはフェニックスの上司、幹部格の者たちでも同じだろう。
フェニックスはその力の特性上、死ぬことはないのだろうが、それだけだ。勝てなければ意味がない。
そして、その現状を打破するためにも、アカギリュウタの心臓がいる。
幸いにもルーサーは暫く動けないようだ。どういう理屈かは分からないが、やつは相当消耗しているらしい。
ルーサーは一歩間違えれば、アカギリュウタの味方となる。今回の件でそれは証明された。やつらが手を組めば、厄介な脅威になることは間違いない。
「フィルラシオで回収した素材の方はどうなっていますか?」
「現在、本部で処置を行なっている最中のようです。そう遠くないうちに、こちらへ運ばれてくるでしょう」
「ジャックの様子は?」
「落ち着いております」
ハイエナが視線を向けた先には、床に座り込んでブツブツとなにかを呟いている少女が。その両手には刃の短い小剣、マチェットと呼ばれるらしい異世界の凶器が握られている。
彼女こそ、フィルラシオで起きた連続殺人の実行犯。刃渡り五十センチほどの双剣で、五人の女性を殺害して回った、新たなスカーデッド。
新型スカーデッドの試験運用としてフェニックスに預けられたが、理性を失っているため使い所に困る。
「ジャックザリッパー、でしたか。異世界の逸話、御伽噺の類を用いた、常時展開型カートリッジ。上も厄介なものを押し付けてくれましたね」
「そう言うものではありませんよ、ハイエナ。その由来がなんであれ、彼女もまた我々と同じスカーデッド。一度死んだリサイクル品の同胞です」
などと言いつつ、フェニックスの視線に込められているのは憐憫の情だ。
スカーデッドとは、死体を機械化し生前とは全く違う新たな人格をインストールさせた、生体兵器である。
だがジャックは少し違った。
常時展開型のカートリッジ。異世界の逸話や御伽噺を由来にした彼女は、その御伽噺を元に人格を形成している。
ジャックザリッパー。
異世界の連続殺人犯。ではなく、被害者の女性側をインストールしてしまった、スカーデッドの少女。
「死にたくない嫌だやめて殺さないでまだ生きてたいどうしてこんな酷い真似を嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ私は」
ずっと同じことを繰り返し呟く同胞。いっそ殺人鬼の人格をインストールしていた方が、いくらかマシだったのだろうに。
「明日、彼らがドラグニアへ転移するところを迎え撃ちます。ダストは必要ありません、我々三人で出ますよ」
「はっ」
この世界に住む人と龍の変革。
その大義を為すために、明日で全てを終わらせる。
覚悟していろ、アカギリュウタ。
◆
フィルラシオからもドラグニアからも遠く離れた場所。中央大陸とは海を挟んだ向こう側、この世界の東側にあるネーベル大陸。
その大陸の、とある小さな国の小さな村に、ルーサーこと桐生朱音は無理矢理連れてこられていた。
「内臓と神経がいくつかダメになってるね、よくこんな状態で動けてるもんだよ」
「魔力の流れもめちゃくちゃだな。使うごとに激痛が走るはずだぞ、これ」
朱音をこの場に連れてきた本人たち。黒霧桃と黒霧緋桜は、ベッドに寝かされた朱音の状態を淡々と告げる。
だが、それは朱音自身も把握していたことだ。体の中身がボロボロなことも承知の上で、彼女は戦うと決めた。
「二人を呼んだのはあなたですか、丈瑠さん」
ベッドの傍で椅子に座る大和丈瑠へ、朱音は恨みがましい視線を向けた。桃と緋桜は、元の世界にいた時からの仲間であり、大切な友人だ。二人がこちらの世界に渡ってからは会っていなかった。だから十年ぶりの再会ということになる。
ただ、桃と緋桜から朱音を見た場合。彼女のことをたしかに友人と思っているのだろうけど、それ以上に朱音は、二人からすれば子供なのだ。十年前の、朱音がまだ十五歳だった頃と、扱いがまるで変わらない。
それが分かっていたから、こうして無理矢理にでも止められると理解していたから、こちらの世界に来ても二人には連絡を取らなかったのに。
「もうやめよう、朱音。限界だよ」
「そんなことありませんが……私は、まだ戦えますので……」
「正直に言うよ。昨日戦ったあの敵、アナコンダだっけ。あれに苦戦してるようじゃ、赤き龍を倒すなんて夢のまた夢だ」
「……っ」
赤城龍太と白き龍ハクア。あの二人の助力があったから、アナコンダのスカーデッドをなんとか倒せた。なら朱音一人で相手をしていたら、どうなっていただろう。
負けることはなかったはずだ。と、そう考えてしまっている時点で、丈瑠の言葉を認めていることになる。
あの程度の敵、本来の桐生朱音であれば、瞬きの間に殺せるはずなのに。
「丈瑠の言う通りだな。レコードレスで奪った力があるって言っても、その力を運用するだけの余裕がお前にないだろ」
「……聞いたんですね、あっちの世界のこと」
「全部な。俺と桃が呑気に旅してる間に、まさか元の世界が崩壊間近だなんて、思いもしなかったけどさ」
その崩壊を寸前で食い止めるために時界制御の銀炎を使い、なんとか丈瑠とアーサーを連れてこの世界に逃げ延びた。
朱音の使うレコードレスには、略奪と創造の力が込められている。そのうちの、略奪の力を使った。魔術や異能といった超常の力を、問答無用で奪う力を。
だからこちらの世界に逃げる寸前、銀炎で崩壊を止める寸前に、両親や仲間達から託される形で奪った。彼ら彼女らの持つ力を。
氷結能力や聖剣、元素を纏う魔術も、輝龍の龍具も、全ては仲間たちから託された力だ。朱音にとって大切な、自分に優しくしてくれた大好きな人たちの。
「体の中身がボロボロなのは、銀炎を使った反動だね。正確には、銀炎に作用させた概念強化の影響、かな。世界一つを丸々包み込むレベルで異能を行使するには、概念強化が必要になるだろうし。その規模で強化すれば、必然的に反動は大きくなる」
桃の指摘は正解。概念強化と呼ばれる特別な強化魔術を銀炎に使い、その上で世界全体を銀炎で覆って時間を止めた。
強い力には、代償がつきものだ。
朱音が払った代償は、内臓や神経といったものの欠損。お陰で体内の魔力の流れまでめちゃくちゃになってしまい、魔力を使うたび体に激痛が生じる。
「とりあえず、朱音ちゃんの治療はわたしがしておくよ」
「ちょっと待ってください! 私はまだ戦えます!」
黒霧桃は、女性の魔術師や魔導師が多くいる二つの世界で、それでも唯一魔女と呼ばれた女だ。それが意味するところは、深く考えずともわかるだろう。
そんな彼女でも、今の朱音をしっかり治療しようと思えば、少なく見積もっても二週間はかかる。そんなに長くジッとしていられない。今すぐにでも、再び戦場へ戻りたいのに。私たちの未来を奪った、その復讐を果たしたいのに。
そんな激情を止めたのは、丈瑠の素朴な疑問だった。
「朱音は、これ以上誰と戦うつもり?」
「それ、は……」
「赤城龍太くんと共闘したのは、彼を見極めるためだったんだよね? ならどうだった? 実際にその目で見て、一緒に戦って、彼はどんな子だった?」
「……」
もう、言い訳できないほどに、理解してしまっていた。赤城龍太という少年が、どういった人間なのかを。この復讐心を向ける先が彼ではないことを。
だからなにも言い返せない。朱音にはもう、彼と戦う理由がない。
それでも、同時に。
彼の心臓が元凶であることもまた、変わりようのない事実だ。
「次を、最後にします。だから行かせてください」
「朱音……」
大切な恋人の、もう家族同然の男が、その瞳に心配の色を濃く映している。丈瑠を心配させるのは本意じゃないけれど。それでも行かなくちゃならない。
この復讐心の置き所を、見失ったままにはできないから。
「ま、復讐がどうのって言われると、わたしには止める権利がないし」
「桃はそうだろうけど、俺からしたら止めたいんだぞ。愛美に殺されるのは俺らだし」
「わたし、あの子より強いから殺されないもん。死ぬなら緋桜一人でどうぞ」
「薄情な嫁だなオイ」
昔から変わらない軽口の応酬を見ていると、どこかホッとしてしまう。そもそもこの二人は、最初から朱音を止める気なんてなかったのだろう。
視線を丈瑠に移すと、手を握られた。
そう強い力ではない。優しく、包み込むように、愛おしむように。
それが嬉しくて、けれど照れ臭くて。朱音ははにかんだ笑みを浮かべて、丈瑠の目を見つめた。
「もうこれ以上の無理はしないって、約束してくれる?」
「はい。私は絶対、丈瑠さんの元に戻ってきます」
体はボロボロだ。この復讐心を向ける先も曖昧になってしまった。
それでもこれは、ケジメをつけるため。自分の気持ちと向き合うため。
酷く自分勝手な我儘に違いない。内心で自嘲する。そんなものに巻き込まれる龍太たちからしたら、迷惑以外のなにものでもないだろう。
だがこれが最後だ。かけた迷惑の分は償うから、最後にあと一度だけ、彼らの前に立ち塞がろう。




