切り裂きジャック 4
「おらあぁぁ!!」
襲いかかってくる小型の蛇を、バハムートセイバーの拳が迎え撃つ。細長い胴体をしっかりと捉え、蛇の体が後方へ大きく吹き飛ばされた。
小型、などと言ったら些か以上に語弊があるか。なにせアナコンダのスカーデッドが一際巨大と言うだけで、その配下たる蛇たちも龍太やルーサーよりはるかに大きいのだから。
『次、来るわよ!』
「ああ!」
その巨大な蛇たちが、矢継ぎ早に襲ってくる。一体殴り飛ばした隙にまたもう一体が肉薄していて、大きな顎を開き凶悪な牙を覗かせる。ただ鋭いだけではない、牙には緑色の液体が付着している。恐らくは毒だ。
それがどの様な毒であれ、触れることすら出来ないだろう。
冷静に距離を取り、カートリッジを装填。ガントレットの銃口を、蛇の口の中へ向けた。
『Reload Explosion』
「食いやがれ!」
「キシャァァァァァ!!」
口内へ放たれた光弾が、蛇の体内で爆発を起こす。内側からの爆発に耐えきれなかった体は爆散し、周囲に血を撒き散らした。
だが落ち着く暇もない。頭上からはアナコンダの尾による叩きつけが迫っており、急いで態勢を整えて防御の構えを取る。
が、しかし。アナコンダの尾は横からの強い衝撃により、バハムートセイバーの頭上から逸れた。
いつの間にか配下の蛇を全て倒したルーサーが突っ込み、強力な蹴りを見舞っていたのだ。
「集え! 我は星を繋ぐ者! 万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者!」
続け様の詠唱。魔力で形成された七つの刃がルーサーの周囲に展開され、それぞれが意思を持ったかの様にアナコンダへと襲いかかる。
龍太たちも見ているだけにはいかない。次のカートリッジを手に取り、ガントレットへ装填する。
『Reload Particle』
七つの刃に追従するようにして、一条の光が放たれる。
刃が鱗を削ぎ落とし、光は鱗に守られていない腹部へ直撃。だが巨体が僅かに揺らいだのみで、まともなダメージが入っているようには見えない。
「チッ、今ので無傷かよ!」
『思ったよりも硬いわね! もっとパワーが必要だわ!』
「だったらこいつだ!」
『Reload Hourai』
『Alternative FlameWar』
バハムートセイバーの体を包む火柱。それが鎧へ収束し、純白は燃える紅蓮の赤へと変化していた。
バハムートセイバー・フレイムウォー。
龍神ホウライの力を借りた、今の龍太たちが持てる最強の力だ。
腰の戦斧を抜き、床を強く蹴って果敢に斬りかかる。同時に駆け出したルーサーも、バハムートセイバーに合わせたのか、全身に紅蓮の魔力を纏っている。
「炎纒!」
ロングコートの背から炎の翼を生やし、黄金の剣は燃え盛るように輝きを増した。
聖剣と斧、二つの炎が同時にアナコンダの体に刃を立てる。
「ぬうぅ……! 龍神の力を使うか、小癪な真似を!」
『まずいっ、下がって二人とも!』
ハクアの声に咄嗟に反応して、純白と漆黒が身を翻した。二人が立っていた場所には、アナコンダが口から吐き出した毒のブレスが。床は容易く溶けて、マグマのように煮えたぎっている。
「一発でも貰ったらヤバそうだな……」
「怖気付いたか?」
「んなわけねえだろ」
言い合っている間にも、龍太の側から横薙ぎに尾が振るわれる。とにかく巨大なそれは、生身のままなら到底受け止めきれないだろうが。バハムートセイバーに変身している今なら、この程度を止めるのは簡単だ。
「ふんッ!」
斧を振るい、尾を弾き返す。体勢を崩したバハムートセイバーに代わって、ルーサーが前へ出た。
「今一度舞え、七連死剣星!」
魔力の刃が七つ全て、黄金の剣の切先に集う。高速で回転を始め、炎の翼をはためかせたルーサー自身が一本の槍となり、アナコンダの巨大な尾を貫通した。
「グオォォォォォォ!! よくも私の体に傷をつけたな、異世界人の分際で!」
「くッ……」
ルーサーへ向けて放たれる、毒のブレス。掠りでもしたら致命傷は避けられない。しかもタイミングの悪いことに、ルーサーはまた反動が来たのか、一歩よろめいた。回避が間に合わない。
『Reload Vortex』
だがそこに、毒のブレスを巻き取りながら、炎の渦が割って入った。バハムートセイバーの投擲した斧だ。
「借りは返したぜ、ルーサー!」
「上出来だ、バハムートセイバー」
未だ渦を巻く炎の中へ、ルーサーが自ら飛び込んでいく。炎が紅蓮を纏った漆黒へと収束し、彼女の手にはバハムートセイバーの斧が。
高く跳躍した後、右手に持つ黄金の剣を投擲する。寸分違わず狙い通り、アナコンダの右目に命中。悲鳴をあげる大蛇の残った左目に、炎の斧を突きつけた。
「目が、目がァァァァァ!!」
「畳みかけるぞ!」
「命令すんな!」
『Reload Execution』
『Dragonic Overload』
カートリッジを装填し、全身を真紅のオーラが包み込む。ガントレットは分離して脚に再装着され、真紅のオーラもそこへ収束、脚に炎を纏う。
ルーサーも足元に魔法陣を広げて、それが彼女の右脚へ。
同時に跳躍。紅蓮と漆黒、二つの流星がそれぞれ、大蛇に突き刺さった己の得物へ目掛けて落とされた。
「おらぁぁぁぁぁぁ!!」
「はあぁぁぁぁぁぁ!!」
あまりの威力にアナコンダの頭が消し飛び、二人の着地に僅か遅れて、胴体も爆散。
落ちてきた斧をキャッチし、龍太は変身を解く。周囲を見渡してみれば、玉座の間は酷い惨状となっていた。
床は毒で溶け、壁もデコボコに穴が空いていたり。近衛騎士が化けた蛇の死体はそのままだし、豪奢な飾りは全て意味のないガラクタとして転がっている。
この国は、これからどうなるのだろうか。
国王は一週間前に既に亡くなっていて、スペリオルとの繋がりは重い罪として残るだろう。まさか、残された臣下たちでどうにかなるとも思えない。
室内を見渡しこれから先のことを案じていると、視界の隅で漆黒の後ろ姿が、今にも倒れそうになっていた。
「ルーサー!」
黒いロングコート、レコードレスと呼ばれていた衣装は消え、元のフード付きマントの姿へと戻る。
まさしく倒れるというその時、龍太とハクアが駆け寄るよりも前に。
突如現れた、夥しい数の鮮やかな緋色の花びらが支えた。
一目見ただけで分かる。色こそ違うが、これは桜の花びらだ。龍太の世界、住んでいた国を象徴するような花。異世界で見かけてもおかしくはないのだろうが、この美しい花びらは、今の状況にそぐわない。
「この魔術は……」
花びらの美しさに龍太が目を奪われていると、傍のハクアが小さく呟いた。
やがて花びらは人の形を取り、そこから一組の男女が現れる。赤みがかった黒髪の男と、肩より少し長い髪を靡かせる女性。
女性がルーサーの体を支え、慈しむように彼女の長い黒髪を撫でた。
「暫く会わないうちに、大きくなっちゃって……織くんと身長変わらないじゃん」
「変わったのは見た目だけみたいだけどな。無茶をやらかすのは何も変わらない」
深い親愛の込められた声と眼差し。それだけで、この二人にとってルーサーが大切な相手なのだと分かる。
果たしてその正体は、ハクアの口から語られた。
「モモ、それにヒザクラ……どうしてあなたたちがこんなところに……」
「やあやあハクア、二年ぶりくらいかな? あれ、三年ぶりだっけ?」
「四年ぶりだ」
「まあどっちでもいいや、とにかく久しぶりだね。わたしたちの可愛い妹分が、随分と世話になったみたいで」
「世話というより、迷惑かけたみたいだな」
ハクアへ親しげに話しかける二人。まさかと思いハクアの方に視線をやると、彼女は頭が痛いとばかりに額を抑え、ため息を一つ吐き出した。
「以前話していた、旅をして回ってる異世界人の二人よ」
「この人たちが……」
「初めましてだね、赤城龍太くん。わたしは黒霧桃、十年前からこっちの世界に住んでる、しがない魔女だよ」
「黒霧緋桜だ。魔女様の監視役兼旦那、ってとこだな」
あまりにも緊張感に欠けた、いっそ楽しげですらある声。戦闘はもう終わったし、ハクアとも知り合いだし、おかしな話ではないのかもしれないけど。
それでも龍太は、どうにも警戒を解けそうになかった。
「モモ、ルーサーと知り合いなの?」
「知り合いなんてレベルじゃないよ。この子は大切な親友の娘、こんなところで死なれたら色々困るんだよね。わたしたちが殺されちゃう」
「で、まさかとは思うが。こいつをこんな目に遭わせたのが、お前らってことはないよな?」
緋桜の鋭い視線が、龍太とハクアの二人を射抜く。
死が、明確なイメージとして脳内を駆け巡った。息ができなくて、生物の持つ当然の防衛本能が刺激され、腰の剣に手をかける。ただ、その指もガタガタと震えていて、まともに柄を握れそうにはなかった。
「落ち着いて、リュータ。その気があるならとっくに殺されてるわ。正体不明のルーサーと違って、わたしはこの二人をよく知っているもの」
龍太とは対象的に至って冷静なハクアは、それでも敵意の滲む視線で緋桜を牽制している。ハクアには彼女らと敵対する理由はないが、向こうがその気なら、ハクア一人でも龍太を守るために戦おうとするだろう。
その意思表示。あちらもそれを汲み取ったのか、肌を刺すような殺気を収めてくれる。
「悪いけど、わたしたちはお先に失礼するね。この子の治療もしないとダメだし、人も待たせてるし」
「フィルラシオには、今日のうちにもドラグニアからの介入があると思う。どうせお前らもドラグニアを目指してるんなら、有澄さんに送ってもらえ」
「じゃあねハクア。またそのうち会おうか」
最後に桃がウインクを一つ残して、来た時と同じく桜の花びらに全身を包まれ、この場から消える。
一気に緊張の糸が切れた龍太は、その場にへたり込んだ。
「なんだったんだよ、あの人たち……」
「わたしも詳しくは聞いていないのだけれど、異世界では五本の指に入る実力者だったらしいわ」
「それで魔女ってわけか?」
「恐らくはね」
結局のところ、ルーサーを始めとした彼らは何者なのだろう。
異世界人ということは分かった。なら、その目的は? 黒霧緋桜と黒霧桃は、なぜこのタイミングで現れた? ルーサーのように龍太の命を狙わなかったのは何故だ?
「とりあえず、宿に戻るか。ジンとヒスイが心配してるだろうし」
「そうね……気になることは残っているけれど、ひとまずは戻りましょうか」
分からないことだらけだ。ならばそこを考えていても仕方ない。まずは分かることから、できることから始めよう。
◆
翌日の朝。疲れからか死ぬように眠りについた龍太が目を覚ましたのは、強いノックの音だった。
「んん……なあに、朝からどうしたの……?」
同じベッドで寝ていたハクアも、寝ぼけ眼を擦りながらまだ眠そうな声を出している。まさか寝巻き姿のハクアを対応させるわけにもいかず、龍太は安眠を妨害されたことに若干怒りながら、今にも壊されそうなほど強くノックされる扉を開いた。
「大変だリュウタ!」
「なんだジンかよ……朝からどうした? 俺まだ眠いんだけど……」
血相変えてやってきたジンは、見たこともないくらい焦っている。大体なんでも筋肉でどうにかなると思っている筋肉バカにしては珍しい。
大きく口を開けて欠伸する龍太と、背後のベッドで猫のように体を伸ばしているハクア。
呑気な二人に向かって、ジンは重苦しく口を開いた。
「ドラグニアの巫女、アリス・ニライカナイ様が、お前たちを訪ねて来られている! 今すぐ支度しろ!」
欠伸で開いた口が塞がらなくなった。ハクアも体をグッと伸ばしたまま、キョトンとこちらを見ている。
ジンに急かされるままに支度を済ませ、ハクアもいつもの白いドレスを着用したのを確認し、エルも伴って宿の一階へ。
そこでこの宿のオーナーという人物に案内されて、二人と一匹は応接室に通された。
待っていたのは、水色の長い髪を持った妙齢の女性。まるで神が手ずから作ったような美しい顔立ちはこの世のものとは思えず、本当に同じ人間なのかを疑うほど。
ハクアはほんの少しの幼さを残した、可憐さも兼ね備えた美しさをしているが。目の前でソファに座る女性は、美という概念の究極にいるような。そんな印象を与えられた。
その女性が、にっこりと笑顔を作る。触れることも許されないような容姿の美しさとは裏腹に、とても親しみやすさに溢れた笑顔。
「初めまして、ドラグニア神聖王国から来ました、王妹のアリス・ニライカナイです。今日は先日の事件について、お二人からお話を聞きにきました。よろしくお願いしますね、赤城龍太くん」
「よろしくお願いします……」
「白龍様はお久しぶりです。エンゲージは使うなって念押ししたはずなんですけど、無駄だったみたいですね」
「そうも言っていられない状況だったもの」
肩を竦めるハクアに、後悔している様子は微塵もない。そもそも誓約龍魂が使ったらダメなことなんて、今初めて聞いた。
つい彼女を見つめると、柔らかな微笑みを返される。これは、龍太が何を言っても無駄か。
「龍太くん、あなたのことは蒼さんから聞いてます。大変だったみたいですね」
「いや、まあ、大変っちゃ大変でしたけど、ハクアがいてくれたんで」
こんな美人が相手だと、変に緊張してしまう。ハクアやクローディア相手だとこうならなかったのに、なぜだろうか。
「この世界と元の世界では、違うことが多すぎますから。困ったことがあればわたしや蒼さんを頼ってくださいね」
「アリスさんは、俺の世界に来たことがあるんですか?」
「というより、一時期はあちらに住んでましたから」
さほど驚くようなことでもなかった。この世界ではこれだけ異世界人がいるのだし、自由に異世界間を移動できる術もあるのだろう。龍太が求めているものの一つも、まさしくその世界を渡る術だ。
とりあえず、目的の一つは達成できるかもしれない。内心で安堵しつつ、アリスは話の本題に入った。
「さて、では今回の事件について、お二人からも話を聞かせてもらいます。フィルラシオ国王を倒したのはあなた方ということでいいんですね?」
「国王というより、国王の皮を被った偽物、スカーデッドだったわ」
それから二人は、昨日の戦いの一部始終についてアリスに話した。ルーサーのことについても、その後現れた二人組についても、全てだ。
話を一通り聞き終わったアリスは、考え込むようにして顎に人差し指を当てている。
「ルーサーの件については、蒼さんからも聞いていました。でも、そうですか。桃さんと緋桜くんも介入してしましたか……」
「アオイは正体に心当たりがあるみたいだったけれど、アリスはどうかしら?」
「……一度、持ち帰らせてもらってもいいですか? 桃さんたちも言ったように、あの子はわたしたちにとって、大切な子なんです」
「わたしは構わないけれど……」
視線で尋ねてきたハクアとアリスに、龍太は首肯を返す。アリスがルーサーと知り合いだと言うなら、なにか、龍太は知らない関係というものを、互いの間に築いているのだろう。桃と緋桜にしてもそうだ。
それでルーサーのことがどうにかなるのなら、任せることに異論はない。
「ありがとうございます。次に、スペリオルについてですね」
「国王が死んでスカーデッドになっていた。これだけでも大問題だけれど、死体をスペリオルに流していた、というのが余計に話を面倒にしているわね」
「でも、それだって結局スペリオルが悪いんだろ?」
「なんでもかんでもあいつらだけを悪にすればいい、という話でもないの。国というのは王が一人いれば成り立つものではないから、今回の件を知っていて止めなかった、あるいは協力していた家臣たちも同罪よ」
国の問題というのは、龍太が想像している以上に様々なややこしいことが絡んでくる。今回の一件にしたって、ハクアの言った通りだ。王様ひとりが、スペリオルだけが悪いわけではない。
分かっていてそれを止めなかった城の人間たちも同罪。国民たちに罪はないとは言え、フィルラシオという国そのものが、スペリオルに協力してしまっていた。
それを踏まえた上で、この国の今後を考えていかなければならない。
だがまあ、それ以上は龍太の領分ではない。フィルラシオが今後どうなるのかは気になるけれど、この国どころかこの世界の住人ですらない龍太には、言ってしまえば関係のないことだ。
「それから、連続殺人の実行犯についてなんですけど」
「近衛騎士の仕業じゃないんすか?」
「おそらく違うわ。たしかにこの国の騎士たちは、相当な実力者が揃っている。けれど、実際に戦ってみて分かったの。あの騎士たちの実力じゃ無理よ」
昨日ハクアが言っていた気になることとは、このことなのだろう。
被害者は、腰のあたりからバッサリと、真っ二つに斬られていた。近衛騎士ほどの実力があれば、と龍太は思ったのだが、どうやらハクアから見れば騎士たちでも無理らしい。
「人間の体というのは、そんな簡単に斬れるものではありません。なにか特別な力、それこそ魔導や異能の類でも用いない限りは」
「でも、だったら昨日ここに来た騎士二人はなんだったんだ? あいつらはハクアを狙ってたみたいだったけど」
「あるいは、目的を変えたのかね。わたしたち、と言うよりもルーサーの介入を知ったから、慌ててその排除に力を割いたんじゃないかしら」
「その可能性はありますね。だから連続殺人の実行犯は現れず、代わりに騎士二人を寄越した。失敗した時、簡単に切り捨てられるように」
話がややこしくなってきた。結局、あの時ハクアが言っていた古代の魔術とやらも、やつらは諦めたということか。
作戦をルーサーと龍太たちの排除へと変更して、その結果失敗、龍太たちに敗北した。
「それで、その実行犯ってのはまだ捕まってないんすか?」
「残念ながら。現在も捜索を続けていますが、おそらくはそう簡単に見つからないと思います。でも、犯人はスカーデッドの可能性が高いです」
「順当に考えればそうなるわね」
強力な魔導の力か、特殊な異能か。あるいはその両方か。
それらを持っているとなれば、数は限られてくる。そして今回の件にスペリオルが深く関わっている以上、実行犯はスカーデッドの可能性が高い。
「今話せるのはこんなところですね。あとはこちらで調査を進めておきます。それと、お二人はドラグニアを目指してるんですよね? だったら明日、わたしが転移で送りますよ」
「マジっすか」
願ってもない申し出だ。緋桜がそんなことを言っていたが、忙しそうにしてるなら悪いなと思っていたところに、まさかアリスから言い出してくれるとは。
龍の巫女ほどにもなると、転移魔術くらいは片手間で済ませられるのだろうか。
「城都の前までになりますけどね。さすがに町に入るには、ちゃんと審査を受けて入ってもらわないとダメですから」
「それでも十分すぎるくらいだわ。また列車で移動して、スカーデッドに襲われないとも限らないもの」
転移で送ってもらえることの、最大のメリット。それが、襲撃される危険がなくなることだ。龍太たちだけが襲われるならともかく、列車に乗っている途中に襲われたら、否応なく周囲の関係ない人たちも巻き込んでしまう。その結果どうなるのかは、未だ記憶に新しい。
あの時はたまたま、ルーサーの介入でマンティスが簡単に倒されたが、次に龍太たちだけで対処するなら、どうなるか分からない。
フェニックスのようにダストを連れていたり、マンティスやアナコンダのように自らの眷属を生み出したり、そういう相手にはどうしても数で負けてしまう。
なにせこちらは、戦いが不得手だというヒスイを合わせても、四人しかいない。バハムートセイバーを使えば二人にまで減る。
まだあと何人か、旅の仲間がいてくれれば。それこそ、クレナがルーサーにやられていなければ。そんな意味のないことを、今日までにも何度か考えてしまっていた。
「それでは、明日またここに来ますね。今日一日はゆっくりしていてください」
アリスからの事情聴取はそれで終了した。
宿の外まで見送り、彼女は転移でどこかへと消える。
残された二人が宿の部屋に戻ろうとしていた時、ハクアがこちらを見上げて微笑んだ。
「随分と緊張していたみたいね」
「うっ」
唐突に図星を突かれ、龍太は言葉に詰まる。たしかにかなり緊張した。話には何度も聞いていた、この世界最強の女性だ。肩肘張ってしまうのも無理はない。
だが、ハクアはどうやら、別の意味に捉えていたようで。
「あれだけ美人だもの、緊張するのは仕方ないわ。でも彼女は人妻だから、うっかり惚れちゃったらダメよ?」
「ああ、そういう……」
「違うの?」
「違う違う」
いやまあアリスはめちゃくちゃ美人だったし、その意味でも緊張していたのは事実だけど。人妻とか言うなよ、なんかイケナイ雰囲気出ちゃうでしょ。
ていうか、人妻って言われるような年齢にも見えなかったし。
「この世界最強って言われてる人と話してたんだから、緊張だってするだろ。美人ってのも多少はあったけどさ」
それに、龍太からしてみれば、ハクアの方がよほど美人で可愛い。そこはなにがあっても変わらない。
と、言葉にできたらいいのだろうけど、そんな勇気があるはずもなく。
「そう、なら良かったわ。リュータに目移りされると、わたしが困っちゃうから」
「するわけないだろ……」
はにかんだ笑みでそんなことを言われてしまい、龍太は蚊の鳴くような声を返すので精一杯だった。