切り裂きジャック 3
茜色に染る空の下。前を歩くルーサーが、今もその右手に握っている黄金の剣。
龍太はその剣に、見覚えがあった。
忘れるはずもない、十年ほど前、まだ小さい子供だった頃に、何度も夢の中で見たのだから。
黄金の輝きを放つ剣を持ち、悪魔のような敵と戦う少年を。
夢の中なのに妙な現実味があって、その少年に助けられたことを、今でも思い出せる。
まるで正義のヒーローだ。俺も、この人みたいになりたい。
それが夢の始まり。龍太が、正義のヒーローを目指したきっかけ。
なのに、どうして。夢に出てきたのと全く同じ剣を、お前が持っているんだ。
「リュータ?」
「ああ、悪い。なんでもないよ」
困惑が表情に出てたのか、ハクアが心配そうな顔でこちらを覗き込む。大丈夫だと被りを振って、視線を黒い背中へ戻した。
ルーサーの目的が分からない。
龍太の命を狙っているのは、紛れもなく事実だろう。二度対峙した時の、あの殺気が嘘だとは思えない。
だがそれなら、どうして今はこちらに手を貸すようなことをするのか。
やつにとっても、今の状況は都合が悪いから。スペリオルとも敵対しているから。しかしそれは、龍太に手を貸す理由とイコールで繋がるか?
結局のところ、彼女の本当の目的を知らないことには、その真意も推し量れない。
「着いたぞ」
思考の海から浮上して、目の前の建物を見上げる。
フィルラントの城だ。ノウムの宮殿ほど大きいわけではなく、白い壁にはところどころ汚れも見える。しかし外から見える範囲の庭は綺麗に手入れされていて、なんだかちぐはぐな印象だ。
「む、なんだ貴様らは。見かけぬ顔だな」
「剣を下ろせ! 城になんの用だ!」
門番の二人が近寄ってきて、手に持っている槍を構える。警戒されるのも当然か。なにせ一人は仮面をつけて素顔を隠し、抜き身の剣を手に持ったままの、明らかに怪しいやつなのだから。
「おい、どうするんだよ」
「素直に話すわけにもいかないと思うけれど、考えがあるのかしら」
「強行突破だ」
「は?」
呆気に取られて聞き返す間もなく、門番の二人が気を失って倒れる。
龍太もハクアも、なにが起こったのか全く分からなかった。ルーサーがなにかしたようには見えないし、どころか一歩も動いていない。
「お前、なにやってんだよ!」
「安心しろ、殺してはいない」
「そういう問題ではないと思うのだけれど……その二人になにをしたの?」
「企業秘密というやつだ。我らは敵同士だということを忘れるなよ、白き龍。貴様らに手の内を晒すわけがないだろう」
おっしゃる通りで。ただまあ、殺していないというのなら一先ずは安心だ。ルーサー自身、無闇な殺生は避けたいということか。
倒れた門番の横を素通りして、三人は城の敷地内へと足を踏み入れる。途端、城中に甲高い警戒音が鳴り響いた。
「腐っても一国の城というわけか」
「侵入者を知らせるための結界を張ってあったのね」
「つーことは……」
ガシャガシャと、金属の甲冑が揺れる音。あっという間に武装した兵士に取り囲まれて、龍太とハクアも得物を抜く。
展開が早い。これが噂の近衛騎士か。
見た限り、宿屋に来たやつらは近衛騎士の制服を着ただけの偽物、という可能性が出てきた。練度が明らかに違いすぎる。
「武器を捨て大人しく投降しろ!」
「そう言われて投降するなら、侵入などせん。そうは思わんか?」
「ま、同感だな」
まさかそんな親しげな感じで話しかけてくるとは思わず、適当に答える。実際、これで投降するような侵入者なんていないだろ。
さて、ここからどうするつもりなのか。ルーサーの実力であれば、いくらこの国の近衛騎士とは言え簡単に倒せてしまうだろう。
問題は、龍太たちがここに置き去りにされる可能性だ。ルーサーはどうやら転移を使えるみたいだし、龍太とハクアをここで囮にして、一人だけ城の中へ入ることだって出来る。
龍太はまだ、ルーサーを信用したわけじゃない。
「赤城龍太、白き龍、怪我をしたくなければ下手に手を出すな」
「バカにしてんのか?」
いちいち鼻につく物言いしかできないのか、こいつは。
「リュータ、ここは彼女の言う通りにしておきましょう」
「分かってるよ……」
この騎士たちが強いというのなら、龍太とハクアの二人じゃそれなりの損耗は免れない。この先のことも考えれば、バハムートセイバーも温存しておきたいところだ。ならここは、ルーサーに任せるのが得策。
分かってはいるのだが、ああいう言い方をされればイラッとしてしまう。
「雷纒」
青白い火花が散った。
龍太の目がそう認識した時には、既に。三人を囲んでいた近衛騎士は、全員倒れ伏している。遅れて雷が落ちたような音が響き、ルーサーの姿は包囲から外れた場所に。
ような、ではなく。実際に雷が落ちた。ただそれが、天から地面に向かったものではなかったというだけで。
背中から雷の翼を伸ばし、稲妻を纏うルーサー。
ああ、これはたしかに、下手に手を出していれば巻き添えを喰らっていた。
未だ全容の見えないルーサーの力に、龍太は背筋がゾッとする。過去二度の戦闘では、まだ本気を見せていなかった。
やはりこいつは、いつでも簡単に龍太を殺せる。そうしていないだけで。
「なにを惚けている、行くぞ」
「あ、ああ」
気絶した騎士たちを踏まないように気をつけて、城の中へ堂々と侵入していくルーサーに着いていく。
道中でも何度か鎧を着た騎士が襲ってきたが、全てルーサーが片手間にいなし、結局龍太とハクアは一度も戦っていない。
そして一際大きな扉の前に辿り着いた時、ルーサーは肩で大きく息をしていた。
目に見えてわかる疲労。足取りもおぼつかなくて、ついその背中に声をかけてしまう。
「おい、お前大丈夫かよ?」
「我の心配とは、随分と余裕ではないか……我は貴様の命を狙っている、それは今も変わらないことを、もう忘れたのか?」
「関係あるかよ、今はとりあえず協力しあう仲間だろ。仲間の様子がおかしかったら心配にもなる。おかしなことか?」
「チッ……」
せっかく心配してやったのに、返ってきたのは舌打ちだけ。頭に血が上りそうになるが、今のこいつは味方だと必死に自分に言い聞かせる。
しかし、本当にどうしたことか。まさかルーサーのこんな弱々しい姿を見るなんて、思いもしなかった。
強すぎる力の反動なのか、あるいは今日一日、龍太たちとの戦闘から始まった連戦で、疲労が溜まっているのか。
「こちらを気にかける余裕があるなら、自分の心配でもしていろ。この先に待つ相手は、強いぞ」
「あなたがそこまで言うなんて、相当な相手ということかしら」
「実際に見てみれば分かる」
息を整えたルーサーが、ついに扉へ手をかけた。ゆっくりと開かれた先は、王が座す玉座の間だ。数人の近衛騎士を控えさせ、レッドカーペットの先に金髪の痩せ気味な男、フィルラシオの王が座っていた。
「これはこれは、白龍殿。お久しゅうございます。またお会いできて光栄ですな。その美しさ、以前にも増して磨きがかかっている。どうやら、良き出会いに恵まれたようで」
歳の頃は五十代といったところか。蛇のように狡猾な笑みと、低く響く声。そこに座っているのは痩せた初老の男性だというのに、見た目以上の威圧感がある。
これが、一国の王。小国とはいえ、一つの国を収める男。
「御託はいいわ、フィルラシオ王。この町で起きてる事件について、洗いざらい話してもらうわよ」
「貴方様の頼みとあらば、全て話すこともやぶさかではありませんが。その前に、ネズミの駆除をしておきましょう」
敵意のこもった視線が、龍太とルーサーに向けられる。指先が震えて足が竦みそうになるが、隣に立つハクアにそっと手を取られた。
ただそれだけで、震えが止まる。戦う力が湧いてくる。
「ネズミとは、また随分な言われようだな。一応こちらは、正式な手順を踏んでここへ来たのだが」
「城に不法侵入した挙句、武力すら行使した者の言い様とは思えぬな。貴様のいた異世界とやらは、よほど荒れていたと見える」
ルーサーの正体まで知っているのか。
でもこればっかりはあいつの言う通りで、全く正式な手順なんて踏んでいない。思いっきり不法侵入だし、なんなら手を出したのだってルーサーからだ。
しかしどうやら、ルーサーの言う手順とは、城に入る手順ではなく、もっと前の段階のことのようで。
彼女が懐から取り出したのは、魔法陣の上に龍と剣が描かれたブローチ。ハクアも同じものを持っている。
ドラグニア王家から直接渡されるというブローチだ。それさえあれば、世界最大最強の国家の権力を扱える。
「悪いが、我はドラグニア王家、及びニライカナイの巫女より命を受けてこの場にいる。フィルラシオの連続殺人事件、切り裂きジャックの正体を探り、その原因がなんであれ排除しろ、とな」
「ドラグニアめ、まさかこの様な得体も知れぬ魔導師の手を借りるとは。かの大国も堕ちたものだ」
「第十五代フィルラシオ国王、グランバルド。己の罪は弁えているな?」
「ふん、罪など犯した覚えはない。私はただ、人類の未来のため、正義のため、微力を尽くしたにすぎないのだからな」
「これのどこが、未来のためなんだよ……」
ポツリと呟いた一言に、フィルラシオ王、グランバルドの視線が龍太へ向けられる。
もう指先が震えることも、足が竦むこともない。ハクアが手を握って、隣にいてくれるから。
なにより、龍太の胸の内には、言いようのない怒りが込み上げていたから。
「なんの罪のない人たちを、それも自分の国に住む人たちを、あんたは殺したんだぞ! その誰もが、今を精一杯生きているだけの人たちだ! お前らが語る意味のわかんねえ未来ってやつに巻き込まれてッ! あんたのどこに正義があるんだよッ!」
「大局を見られぬ子供はこれだから嫌いだ。今はよくとも、百年先、千年先を見据えているか? 我ら人類が、遥か未来でもこの世界で営んでいける保証など、どこにもないというのに」
「んなもん俺が知るか! 大層な話持ち出して煙に巻いてんじゃねえ! 俺が言いたいのは、今、ここに生きてる人たちのことだ! あんたの国で、あんたを信じて生きてる人たちの!」
仮にも国を収める王が、その国の住人を切り捨てるなんて。どれだけご大層な話を持ち出していたとしても、許されていいわけがない。
国を切り捨てる王の、いったいどこに正義があるというのか。
だが龍太の怒りを受けてなお、グランバルドは嘲笑を浮かべるのみ。
「実に愚かだな、少年。ルーサー、貴様もだ。認識が古いのだよ。今の私は、既にこの国の王ではない。フィルラシオ国王グランバルドは、つい一週間ほど前に死んだ」
「な、にを……⁉︎」
訳の分からない言葉。その証拠とばかりに、グランバルドは懐から何かを取り出す。
スカーデッドが使っているものと同じ、紅いカートリッジだ。
「死んだって……でもその姿は、紛れもなくグランバルド王のものよ! 魔導で姿を偽っていたとでも言うの⁉︎」
「いいや、この肉体は紛れもなくあの愚王のものだ。私はその死体から作られた機械生命体にすぎない」
「死体からだって……?」
「なにを驚くことがある。これまでも見てきたのだろう、倒してきたのだろう。我らはスペリオルの同胞を」
「まさか……!」
これまで倒してきたスカーデッドも、全てそうだと言うのか? 人間の死体から作られた機械生命体だと?
俄かには信じられない。あまりにも冒涜的な行いであり、龍太の常識を大きく外れている。
そして、この国で起きていた連続殺人事件の被害者、その死体を見せられない理由も、これで辻褄が合った。
「殺された女の人たちの死体を、スペリオルに流してたってのか!」
「察しがよくて助かるよ。説明の手間が省けた」
これがルーサーの言っていた、事件の本当の真相。フィルラシオという国はもはや正常に機能しておらず、完全にスペリオルの傀儡と化していた。
のみならず、目の前にいる男も、これまで倒してきたスカーデッドすら、全ては人間の死体だったと。
目の前が真っ赤になって、これまで以上にスペリオルという組織への怒りが湧き上がる。人類の変革を謳っておきながら、やっていることはまるで真逆だ。
強く睨みつけた先に立つ男は、機械の腕を変形、展開させている。そこに紅いカートリッジを装填し、冷たい音声が玉座の間に響いた。
『Reload Eunectes』
「もはや貴様らを生かしておく理由もない。だがアカギリュウタ、貴様の体は拘束させてもらおう。私をこれまでのスカーデッドと同じだとは思わないことだ」
巨大な真紅の球体がドロドロと溶けていき、現れたのは、この玉座の間の天井にも届きそうなほどの、二十メートルは下らない巨躯を誇る蛇。いや、これはアナコンダか。
変化は本人だけに留まらず。アナコンダの出現に呼応して、控えていた近衛騎士たちも全長十メートルほどの蛇へと変貌していた。
「戦えるな?」
「当然だろ……今の話を聞かされて、ビビったとでも思ってんのかよ」
「むしろやる気が出てきたわ。死体を利用していると言うのなら、ここでやつらを倒すのが、わたしたちに出来るせめてもの供養だもの」
ルーサーの言葉にそう返し、龍太とハクアは、怒りのままに鍵となる言葉を叫んだ。
「「誓約龍魂!!」」
「位相接続」
光の球体と光の柱。強い輝きを放つその二つが弾けて消える。
一人は、純白の鎧と紅い瞳の仮面に全身を覆われたヒーロー、バハムートセイバー。
もう一人は、漆黒のロングコートを靡かせ、オレンジの瞳を持つ仮面を被った復讐者、ルーサー。
対照的な色を持つ二人の戦士が、巨大な蛇の前に並び立った。