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誓約龍魂バハムートセイバー  作者: 宮下龍美
第五章 エンゲージ
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世界会議 3

 茫然自失という言葉の通りだった。

 張り巡らせた奸計も、予想していたこの先の展開も、全てが頭の中から抜け落ちて。

 公爵令嬢としての仮面も、革命軍参謀としての頭脳も。ルビリスタ・ローゼンハイツという少女の持つ全てが、この瞬間、無に帰した。


「ガーネット様が……生きてる……?」


 ほぼ無意識のうちに反芻した言葉に、目の前に座る老人がニヤリと口角を上げる。


 ガーネット・リ・ネーベルは、ルビーにとってとても大切な人だった。本当の姉のように慕っていて、けれどそんな本心を伝えられることもなく死に別れてしまった。

 今のルビーがあるのは彼女のおかげだと、声を大にして言える。


 そんなガーネットが、生きてる?

 いや嘘だ。死体は自分の目で確認した。あの時のことを忘れるはずがない。あの時の激情が消えるはずがない。

 こちらを動揺させるための嘘。だがただそれだけのために、こんな目撃者も多くいる公的な場で吐く嘘でもない。


「左様。今も我が帝城で、貴様ら反乱軍鎮圧のための策を練っておるだろうな」

「そんなわけ……っ、まさか──」


 こういう時、己の頭の良さが恨めしくなる。知りたくもないような答えを、導き出せてしまうのだから。


「お前たちは……! どれだけガーネット様の尊厳を貶めれば気が済む⁉︎」

「さて、なんのことやら」


 死んだはずの人間が、生きて動いている。

 心当たりなんて一つしかない。その甘言に惑わされ、やつらに良いように使われている者だっているのだから。


 スカーデッド。

 カートリッジシステムを扱う機械生命体である彼らは、人間の死体を元に作り出されている。

 スペリオルの貴重な戦力であり、そのために大量殺人が引き起こされたこともあるほど。


 陵辱の果てに殺され、挙句死してなお機械人形となって操られる。それも、彼女が守ろうとしたものを害する形で。


 ふつふつと湧き上がる怒りで目の前が真っ赤に染まる。今すぐこの男を殺してやりたい。なのにそのための手段がルビーにはなくて、ただ怒りを込めて睨むことしかできない。

 そんな自分が、どうしようもなく情けなく、歯痒かった。


 武力を行使するのは己の領分ではないからと、護身用の武器一つすら持ってこなかったのが悔やまれる。

 けれどこの場で皇帝に牙を剥いても意味はない。同席しているのは各国国家元首を始め、龍の巫女とそのパートナーまだ揃っている。

 仮に帝国がスペリオルに与していると判断されていても、血を流すのは悪手だ。


 目の前のクソをどうしてやろうか。そんなことばかりが頭の中に巡っていると、パンっと、破裂音が室内に響く。


 音の発生源は、エリナのパートナーとして席についている、ドリアナ学園の学園長。


「さて、少し落ち着こうかローゼンハイツさん。皇帝陛下も、あまり私の教え子を虐めないでいただきたい。結論はまだなにも出ていないんだ、お二人の問題はお二人で解決して欲しい。まあ、ローゼンハイツさんに頼まれれば、手助け程度はしてあげるけれど」


 今日も相変わらずアホ毛を揺らす小鳥遊栞が、大国の皇帝相手にも物怖じせず仲裁に入る。

 そして彼女の言う通り、結論は何も出ていない。暁の明星(アルゴナウティカ)、そして帝国の扱いは、未だ宙に浮いたままだ。


「シオリ、その言葉は考えて発したものか? それでは君とエリナは暁の明星(アルゴナウティカ)に与すると取れるぞ」

「私はひとりの教師として、生徒の味方であるつもりだよ、ルシア義兄さん」

「でも、わたしは賛成。暁の明星(アルゴナウティカ)は、バハムートセイバーは世界の敵と判断するに足る」


 風龍の巫女とそのパートナーは、互いに矛盾したようなことを言う。

 教師としての矜持を持つ栞と、龍の巫女としての誇りを持つエリナ。互いの意見が相容れないのは当然と言えば当然だ。


「目的はなんであれ、この世界の脅威となるのなら。わたしたちはそれら全てを排除する。これが龍の巫女の義務であり、存在理由。違う?」


 眠たげな目が向けられるのは、残る二人の巫女。乱暴に頭を掻くクローディアは強く舌打ちして、アリスは悲しげに目を伏せた。


「ムカつくほどに正論だな、シャングリラ。だがいいぜ、()()()()()()()()オレも賛成してやる」

「……そう、ですね。エリナと栞ちゃんの意思が()()であるなら、わたしからも異論はありません」


 会議の参加者のほぼ全てを放ったらかしにして、巫女同士の会話が進む。

 その真意に気づけたのは、果たして何人いるか。そのうちの一人であるルビーは、心の中で栞に深く感謝していた。


 小鳥遊栞は教師だ。

 理由は知らないが、彼女はその在り方に特別な意味を見出している。


 教師とは、生徒を、子供を、教え導く存在。

 なんでもかんでも手助けするわけじゃない。あくまでも子供達を主体にさせて、教師はあくまでもそのサポート。子供達がやりたいことを思いっきりやれるように、成長が妨げられないように、全力で環境を整え、支える。


 だから栞は、ルビーたちが望む形を作ってくれた。世界の敵としてあることを望む暁の明星(アルゴナウティカ)の意思を汲んでくれた。


「巫女の総意であれば、暁の明星(アルゴナウティカ)に関して他のものも異論はあるまい。なら、帝国に関してはどうする?」


 会議を進行させるルシアが、ヘリオドールに強い視線を送る。僅かな揺らぎも見せない皇帝は毅然と睨み返して、堂々と言ってのけた。


「どうする、とは? まさかあの女が見せた映像ひとつで、我々を世界の敵として扱うつもりか?」

「それこそまさかだな、ネーベル皇帝。貴国が東の大陸でどれだけ侵略戦争を繰り広げようと、我々には預かり知らぬところであるし、龍の巫女が介入する余地もない」


 それが単なる国家間の争いであるなら、龍の巫女が出動することはない。東のネーベル大陸内に収まる程度の戦争なら、その動向は注視すれど、直接介入するようなものではないのだ。


 けれどその先に、他の大陸、延いては世界全土の支配すら目論んでいるのなら。

 極端な話、ドラゴンの殲滅などという馬鹿げた話を掲げ出したら。


 それはもう、放置しておけるようなものではない。人と龍が手を取り合って暮らすこの世界において、十二分に敵となり得る。


「我々はたしかに、貴国の戦争に対して不干渉の立場を貫いている。しかしだからと言って、情報をなにも得ていないと言うことではない。こちらでは既に、彼女が見せた映像の裏付けくらいは取れているんだよ」

「ふんっ、だから我ら帝国を世界の敵とすると? そうなると話は違ってくるぞ、ドラグニア王。起こるのは戦争だ。龍の巫女の武力介入などとは規模が違う、世界大戦だ。その意味が分からぬお主ではあるまい」

「ドラグニアが矢面に立てば、まあそうなるだろうな。だが勘違いするなよネーベル皇帝。世界の敵との戦いは、戦争になりえない」


 国と国、軍と軍の争いを戦争と呼ぶのであれば。

 世界の敵と呼ばれる存在との戦いは、戦争などと到底呼べない。


 龍の巫女と呼ばれる圧倒的な力を持った個人による、容赦ない殲滅。

 それが世界の敵との戦い。国やギルドは、あくまでもそのサポートを行うに過ぎないのだ。

 であるならば、そもそもドラグニアが矢面に立つことはなく、ドラグニア軍と帝国軍が直接対峙する機会すらあるかどうか。


「ところで、これは純粋な疑問なんだが。帝国はどのような大義名分を得て、侵略戦争を繰り返しているんだ? まさか、大陸に覇を唱えるなどと、時代錯誤なことは言うまい?」


 挑発するようなルシアの笑みに、ヘリオドールの表情が歪む。

 そんなこと、聞かずとも分かっているのだ。この場の誰もが。


 帝国の目的とは、すなわち。ドラゴンの駆逐に他ならないと。そのためならば世界中に喧嘩を売ることすら躊躇わず、足掛かりとして東の大陸を統一しようとしている。


「ふん、これ以上は下手に隠し立てしようと無駄か。そうだ、ドラグニア王。我ら帝国は、その時代錯誤なことを成し遂げようと言うのだよ。大陸に終わらない。この世界全てを変えるために」


 だから、スペリオルと利害が一致した。

 今の世界を新たに作り変えるという、その一点のみは。


「それほどまでに疎ましいか、ドラゴンの存在が」

「余だけではない。帝国臣民のほぼ全てが抱いておるわ」

「そんな、馬鹿げた理想のために……」

「馬鹿げた理想だと?」


 つい漏らしてしまったルビーの呟きを、皇帝が拾う。彼の瞳に宿るのは、憎悪。


「百年戦争で帝国が奴らから受けた屈辱は、なにも雪がれていない! 怒りは、憎しみは、今も燻っている! 小娘が、知ったような口を聞くでない!」

「だからって、罪のない人たちの日常を奪っていいことにはならない。実の娘の尊厳を弄ぶような権利もない!」

「貴様も帝国国民であるなら、余に従うのが道理だろう! 革命軍などと、それこそ馬鹿げた理想だ!」


 皇帝と公爵令嬢。

 互いに一歩も引かずに睨み合い、叫び合う。

 更にヒートアップしようという、その時だった。


 会議場全体、いや、城そのものが大きな揺れに襲われたのは。

 地震ではない。原因は上空。そこで戦っている、二人の魔術師が発する魔力に、大気が、大地が、世界が怯え揺れている。


「ちょっ、嘘ですよね二人とも……! そこまでしますか⁉︎」

「全員対魔力防御! 全力だ!」


 驚くアリスと指示を飛ばすクローディア。

 崩れた天井の先、上空を見上げたルビーは、思わず絶句した。


 異世界の魔術師、その強さは分かっていたつもりだったのだけど。

 自分の想像が遥かにちゃちなものだと、思い知ったから。



 ◆



 ドラグニアの上空で響く剣戟の音。

 刀と刀がぶつかり合い、その度に衝撃が周囲へ撒き散らされる。


 柄を握る右手の痺れに、朱音は内心苦笑していた。たった数度の激突でこれだ。

 元の世界では、ついぞ全力で戦うことなど一度もなかった人類最強。その実力。


 舐めていたわけではないけれど、まだ魔術も使わせていないのに。


「うん、やっぱりいいね、強いやつと戦えるっていうのは」

「この戦闘狂が……あなたたちっていつもそうですよね!」

「ははっ、君も人のこと言えないくせに」


 気がつけば、蒼が目の前で刀を振りかぶっている。それを弾いて再び距離を取りながら歯噛みした。

 見えなかった。魔術を使った気配はない。魔力も動いていない。素の身体能力であれだというのか。


 自慢ではないが、朱音は自身の身体能力が常人を逸脱している自覚がある。

 筋繊維、骨密度、それらひとつひとつが異常であり、その中でも特に脳の作りは顕著だ。

 情報操作の異能が使えるような、演算向けのものではない。だが、各視力を始めとした神経系の伝達速度が異常の一言に尽きた。亡裏の体術を扱えるのもこれの恩恵であり、銀炎の時界制御だってこの脳ありきみたいなところはある。


 その朱音が、全く見えなかったのだ。

 しかも接近までは見えなかったのに、攻撃の瞬間だけ分かりやすく視認できたあたり、手を抜かれている。

 これは屈辱だ。


「随分と、舐めた真似をしてくれるんですね」


 普段は見ない、舌なめずりすらしそうな蒼は、心底からこの戦いが楽しいと言わんばかり。それも当然だろう。アダム・グレイスがそうであったように、彼ら枠外の存在は基本的に戦闘という行為にまで発展することがない。


 手を抜いて、遊ぶ。

 そうでなければ、世界の方が保たない。いやそれ以前に、まともに戦うのに相応しい相手が中々に存在しない。

 それこそ、同じ枠外の存在でもない限り。


 ふざけるなと、そう思う。徐々に苛立ちが胸を満たす。なにが遊びだ。こちらは真剣に戦ってるのにとか、世界の命運がどうのとか、そんなことは言わない。

 ただ、それは朱音が、彼女に流れる血が求めるものじゃない。


 拒絶の亡裏。

 その一族が持つ、飽くなき殺人欲求。


 その血が叫ぶ。こいつは極上の相手だと。

 互いの意地や誇りや尊厳やそれら全てを賭けて、己の命すら天秤の上に乗せた、最高の殺し合いができる相手だと。


 ああ、ダメだ。その血を自覚した途端、その叫びに耳を傾けた瞬間、笑いが抑えられない。仮面の奥で口が三日月に裂ける。


「そうそう、それだよ朱音。せっかくなんだから、存分に楽しもうじゃないか」

「ええ、そうですね。考えてみれば、あなたを殺せる機会なんてそうそうありませんので」


 銀の炎が揺れる。

 空いた左手に龍具シュトゥルムを取り出して、宙を駆けた。


「おっと、切断能力上乗せか。そいつは受けるとまずいね!」

「当然、殺す気ですから!」


 問答無用で全てを切り裂く切断能力は、しかし当たらなければ意味がない。ひらりと簡単に躱されて、しかしその先にはすでに銃口を向けている。

 容赦なく発砲。これも躱されるが、想定内。本命は側頭部目掛けて放たれる鋭い蹴り。見事にクリーンヒットして、吹っ飛んでいった蒼の身体は城の尖塔に激突する。


 ドラグニアの人には今度、機会があれば謝ろう。いや、蒼が悪いことにしておこう。


「あー、なるほど、これは効くね。さすがは亡裏の体術だ」

「おかしいですね。本当なら、脳みその中身ぶち撒けてるはずなのですが」


 冗談でもなんでもなく、そういう技だ。

 亡裏の体術はその拳ひとつ、脚ひとつで敵の命を刈り取る。生体機能の波長を乱し、分散されるはずの衝撃を内側に収束させ、魔力を始めとしたあらゆる力の流れを自在に操る。

 人を殺すことに特化した体術。


 その直撃を受けて、なぜそんなケロリとした顔が出来るのか。


 だがそうでなくては、殺し甲斐がない。


「ほらほら、僕はまだ魔術も使ってないよ? 君の力はこの程度じゃないだろう」

「やすい挑発!」


 無詠唱で概念強化を発動し、再度突っ込む。だが刀も銃も体術も、どれひとつまともに通用しない。全てのらりくらりと躱され、たまに直撃したと思っても無傷。

 概念強化を纏っても変化はなく、だけど今の朱音には、その苦難がとても心地よい。


「はっ、ははは! ドラゴニック・オーバーロード!!」

「笑える余裕があるなら、もう少しギアを上げていこうか!」


 シュトゥルムが分解、変形して、朱音の右腕を覆う鎧と片翼に変化した。そこに至ってようやく、蒼も魔力を解放する。

 異能を乗せてるはずの刀が蒼の刀とぶつかって、同時に衝撃が魔力を伴い撒き散らされる。


 空が、大地が、世界が揺れた。

 かたや枠外の存在、人類最強と呼ばれる男と、かたや彼と同じ存在に片足を突っ込み、十年前から現在にかけて常に成長し続ける、漆黒の敗北者。


「少しは国の被害とか考えたらどうですか!」

「今の君に言われたくはないな!」


 斬り結びながらもゼロ距離で魔力の槍が放たれ、距離を取って術式を構築、魔法陣を展開。だがそれでは遅い。展開した頃には蒼の魔術が迫り、陣が破壊される。


 枠外の存在、小鳥遊蒼。

 その体質は『魔術』だと言われている。


 魔力を練り上げ、術式を構築し、魔法陣を展開する。

 魔術を発動するための必要不可欠なプロセスが、彼には存在しない。ただ魔力を動かすだけであらゆる魔術を発動させる。そして彼の肉体は魔力によって構成されており、練り上げる必要すらない。ただ、息を吐くのと同じようにして、彼は魔術を使う。


 そのアドバンテージは説明するまでもなく。たった今、朱音が身をもって思い知らされた通りだ。


「我が名を以て命を下す!」


 だがその速攻性も、時界制御の前では殆ど意味をなさない。

 銀の炎が揺れたかと思えば、破壊したはずの魔法陣が現れる。朱音は新たに術式を構築したわけでもないし、であれば必然、魔法陣を展開し直したわけではない。


「別の時間軸から持ってきたのか!」

「其は星を飲み込む漆黒の渦!」


 魔法陣から放たれるのは、渦状の黒い魔力。

 光さえも脱出できない、全てを飲み込むブラックホールの性質を持たせた、魔力放射。

 宇宙の力、空の元素が込められた魔術だ。


圧縮(コンプレス)


 黒い渦が、蒼の手元に収束していく。名の通りに魔術を、魔力を圧縮させて、手のひら大の球体に。そしてそのまま、握り潰される。


「いい魔術だ、さすがは空の元素!」

時界制御(アクセルトリガー)!」


 攻めの手は緩めない。銀炎を纏い、無詠唱で七連死剣星(グランシャリオ)を展開。一斉に射出された七つの刃が、縦横無尽に踊る。

 それらを巧みに躱す蒼へ、直接斬りかかった。余裕の笑みを見せたままの蒼は回避の動作に入ろうとするが、その直前で。朱音の姿が、ブレた。


銀閃永火(バックドラフト)


 人類最強の背中が、袈裟に斬られて鮮血が舞う。追い打ちに魔力の刃が七つ殺到。呆気なく串刺しになって、距離を取った朱音はそれでも警戒を緩めない。


 無数に広がる並行世界。無限に存在する可能性を、同一世界線上に展開し、瞬時に選択肢を切り替える。

 確実に殺せる可能性を選ぶ。


 そこまでしても、ようやく攻撃が当たっただけだ。これで殺せるようなら、人類最強なんてものにはならない。


「今度はこっちの番だ」

「っ、氷纒!」


 欠けた翼を補うように、左肩から氷の翼が伸びる。同時に氷の壁を眼前に展開して、その次の瞬間に衝撃。

 容赦のない魔力砲撃をなんとか防ぎ切ったと思えば、頭上を飛ぶ蒼の周囲には大量の魔法陣。その全てから一斉に、とてつもない威力の砲撃が放たれた。


「さあ、避け切って見せなよ!」

「上等っ!」


 降り注ぐ死の雨を、巧みな空中機動で躱し敵へと迫る。当たれば即死、少し掠っただけでも重傷は免れない。だが今の朱音にとって、そんなものは逆境にならない。むしろこの戦いを彩るスパイスだ。


 ついに全ての砲撃を掻い潜り、コートの裾で銀炎を揺らして懐まで肉薄する。


 激突する刀と刀。

 鍔迫り合うのは一瞬だけだった。異変を感じた蒼が、すぐに距離を取ろうとしたから。しかしそれは許さない。


「逃げないでくださいよ、つれないなぁ!」

「サーニャの異能か!」


 蒼の体が、徐々に霜に覆われる。吐いた息は白く、周囲の気温はいつの間にか氷点下まで下がっていた。


絶対氷結領域グラキエス・スクートゥム!!」


 己の体すらも凍てつかせながら、しかしそれに構うこともなく、朱音は仮面の奥で凄惨な笑顔を浮かべながら刀を振るう。


 この世の全てを凍らせる異能は、人類最強すらも例外にならない。

 刀を持つ左腕が完全に動かなくなり、舌打ちが漏れる。その隙を見逃さず、朱音の鋭い蹴りが頭に直撃、勢いよくまっ逆さまに眼下の城、会議場へと落ちていく。


 追撃、トドメ。

 音を超えて加速した朱音は、刀を鞘に納めていた。


闇夜に輝く星屑の剣(アマデトワール)!」


 抜刀一閃。

 星の輝きを宿した刀が、蒼の体を逆袈裟に懸けて斬り裂く。


 勢いそのままに会議場へ降り立った朱音へ、そこにいた全員の視線が突き刺さる。

 仮面を纏った敗北者へ、恐怖を込めた眼差しが。


 まさか、人類最強が敗れたのか?

 戦闘を見守っていたほぼ全員が、そんな疑問と共に、その事実の大きさを受け止めきれない。


 着地した朱音が刀を払うと、六花の結晶が舞った。まるで星屑のようにも見えるそれには、未だ強大な魔力が残っている。


「そこまでです」


 朱音の魔力が場を支配するよりも前に、巫女の言葉が響いた。

 杖、斧、双銃。それぞれの得物を構えた龍の巫女が、朱音一人を取り囲んでいる。


「次はアリスさんたちが相手ですか。いいですよ、まだまだ楽しめそうですので!」

「おいニライカナイ、こいつこんな奴だったか?」

「ダメなスイッチ入っちゃってる……お姉様、殺さないと止まらないよ」


 ああ、笑いが止まらない。強者と立て続けに殺し合えるなんて。

 こんな機会、中々あるもんじゃないだろう。


 朱音の感情に呼応して、右腕に装着しているシュトゥルムが輝き出す。纏う魔力が際限なく増していく。

 誰から殺そう。いや、順番なんてどうでもいい、どうせ全員一斉に掛かってくるんだから。まさしくより取りみどり。

 もっと、もっと、もっともっとこの殺し合いを楽しまないと……!


「そこまでじゃ」


 パンっ、と。

 軽い破裂音が鳴ったと思えば、場に溢れていた魔力の全てが霧散した。

 巫女の三人も朱音も例外なく。


 音の発生源は、一人の幼女から。

 龍神、天龍アヴァロン。


「これ以上の戦闘は見過ごせんな。国に被害がいくじゃろうて」

「ぁ……」


 我に戻った。

 後悔が襲う。


 なにをやってるんだ私は、完全に目的を見失っていた。ここに来たのはあくまでもルビーの護衛であって、戦いを楽しみに来たんじゃないのに。


 チラと見やれば、頭が痛いとばかりにため息を吐くルビーと目が合う。


「潮時ですね、退散しましょうか」

「うん、そうだね……ごめんルビー」

「いえいえ、目的は果たせましたから」

「ほう、逃げるのか?」


 二人を鋭く睨むのは、ドラグニア王ルシア。

 見知った仲だ。ルシアもこちらの目的は理解しているだろうから、引き止めるつもりもない。だからこの会話は、茶番でしかない。


「私はまだ続けてもいいのですが」

「ま、それはあまり得策じゃないよね」


 魔力が一ヶ所に収束したかと思えば、無傷の蒼が現れる。分かっていたこととは言え、全力の一撃を当てても無傷なのを見せられると、ちょっとショックだ。


「アヴァロンの言う通り、これ以上は城下にまで被害が出る。ここであの二人をどうこうするのは、割に合わないよ」

「そういうわけです。では皆様、わたくしたちはこれにて失礼します。帝国に関しては、どうぞ引き続き話し合ってくださいませ」


 二人の足元に魔法陣が広がる。最早誰も止めることが出来ず、朱音とルビーは転移を発動させた。


 離脱した先は、取り敢えずのセーフハウス。

 ドラグニアの王都郊外にある、朱音が以前使っていた小屋の一つだ。


「ごめんルビー、途中から完全に正気じゃなかった……」

「はぁ……まあ仕方ないです。一応事前に聞いてはいましたから、人類最強と戦えばああなるのは予想の範囲内です」


 殺人衝動に関しては、ちゃんとルビーと共有していた。そして蒼が相手になるなら、戦闘に集中しなければならない。つまり衝動に呑まれる可能性が高いということも。


「さっきも言いましたけど、目的はちゃんと達成できましたから。あとは、あそこに残った人たちで帝国をちゃんと処理してくれたら問題なしです」

「だね。アヴァロンにも助けられちゃったな……あー、借りができたみたいで釈然としない……」


 若干落ち込む朱音。あとでケルディムに帰った時、変な無茶振りをされそうだ。


 だが、収穫もあった。


「こちらも予想していたとは言え、聖地ノヴァクが味方をしてくれるのは収穫ですよ。ケルディムでせんぱいとハクアさんの件が片付いたら、次はノヴァクに向かってもいいですね」

「……ルビーはそれでもいいの?」


 蒼との戦いを楽しみながらでも、ちゃんと会議場での話は聞いていた。


 ルビーにとっては大切な、今はもう亡き帝国の皇女が生きている。

 ただしそれは、きっと皇女の尊厳をこの上なく辱めた上で。


「……」

「ルビーがそれでいいって言っても、龍太くんはなんて言うだろうね」

「せんぱいに教えるつもりはありません。これは、あたしの問題です」

「でも、スペリオルが帝国にいる可能性がある以上、私たちだっていつかは帝国に行かないといけない。いつまでも隠し通せるわけじゃないよ」

「分かってます……」


 分かっているのならいいけど。

 これは自分の問題だからと、一人で抱え込もうとするのは意外と簡単だ。


 ただ、抱え続けられるかどうかは、また話が違ってくる。

 必ずどこかで限界がくる。他の誰でもない、朱音の体験談。


「分かってるならいい。でも、龍太くんもハクアもみんなも、もちろん私も。いつだってルビーの力になるよ。ルビーは仲間なんだから」

「ありがとうございます、アカネさん」


 必死に取り繕うような力ない笑顔は、およそ十四歳の少女が見せるものではなかった。

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