魔眼龍 2
改めて対峙してからの初手は、敵のスカーデッドに譲ってしまうことになった。
陸棲哺乳類の中では最強と名高い生物、それがヒグマだ。体長およそ三メートル、体重は500キロ近くにもなる。それだけの重量を持つ敵が、見た目とは裏腹のスピードで真っ直ぐ突っ込んできた。
驚愕で目を見開くが、避けるわけにはいかない。すぐ後ろにはシイナがいて、未だ状況についていけていないのか、座り込んだまま動けそうにない。
受け止めるために防御の態勢を取ろうとしたのだが。
「体が……!」
『動かない⁉︎』
視界の端には、また瞳の紋様を切り替えたヒスイが、バハムートセイバーをしっかりと見据えていた。彼女の魔眼の仕業だ。
それが分かったところで、打てる手はない。ヒグマの突進を真正面からモロに受けてしまい、黄金の鎧が大きく吹き飛ぶ。
「がッ……」
『きゃぁ!』
まるでトラックと追突したかのような衝撃。スピードと質量がそのまま運動エネルギーとして変換されたのだ。変身していなかったらどうなっていたことか。
二度、三度と地面を転がりなんとか体勢を立て直すと、追い打ちをかけるようにヒスイが眼前へ転移してくる。瞳の紋様は、最初に見た逆さまの五芒星。
容赦なく振るわれるナイフを右手の銃で受け止め、左の銃の引き金を引く。ゼロ距離の射撃をものともせずに体を捻って躱したヒスイは、その勢いを利用して側頭部に蹴りを見舞ってきた。
攻撃動作自体の速度は、反応できないほどじゃない。腕で防御しようと思えば、反対側の側頭部に衝撃が。
「なっ……⁉︎」
『……っ、魔眼よリュータ! 恐らく空間転移の魔眼!』
正面にいたはずのヒスイは、背後にいる。
そこへ鈍器代わりの銃を振るうが、当然そんな攻撃が当たるはずもない。その隙にヒグマのスカーデッドがまた肉薄してきて、凶悪な腕が振り上げられていた。
「単純なパワー勝負なら負けねえぞ!」
振り下ろされる腕と、炎が灯った右の拳。
真正面からぶつかって、仰け反ったのはヒグマの方だ。晒した腹に蹴りを見舞えば簡単に怯んでくれて、銃撃を叩き込む。
が、放ったはずの弾丸はヒグマに当たらなかった。それどころかどこかへと消えてしまっていて、まさかと右手側に振り向けば、ヒスイが逆さまの五芒星を浮かべた瞳で、こちらを見ている。
彼女の手に握られていたのは、龍太が放ったはずの弾丸だ。見せつけるようにしてパラパラと地面に落とし、龍太は仮面の奥で舌打ちする。
「どうする、ハクア」
『スカーデッドに遅れをとることはないけれど、ヒスイの魔眼が厄介すぎるわね……』
その上、数的にも不利。ヒグマのスカーデッド単体であれば、まず負けることはない。単純なパワーやスピードだあれば、ブレイバードラゴンの相手ではないのだ。真正面からの勝負なら、こちらに軍配が上がる。だがそこにヒスイの魔眼が加わって、非常に戦いづらくなっていた。
彼女の援護のせいで、ヒグマのパワーも無視できないものとなる。
ヒグマ単体なら相手にならないと言うのは、あくまでも、正面からしっかり受け止めることができればの話。こちらの防御も邪魔されてしまうのであれば、話は違ってくる。
初っ端に食らったあの突進。一発なら耐えられるものの、何発も食らえば変身の強制解除は避けられないだろう。
幸いなのは、最初の不意打ち以降シイナに手を出そうとしないことか。狙いは完全にこちらだ。守る手間が省けるのは助かる。
だがしかし、いくらなんでもシイナの再起動が遅くないだろうか?
心配になってほんの少しだけ意識をやれば、彼女は上の空の様子でなにやらぶつぶつと呟いていて。
「白龍様と……誓約龍魂……一体化だと……?」
「今更そこかよ!」
つい突っ込んでしまった。誓約龍魂結んでることはお前も知ってただろうが。
だがまあ、実際目の前で見せられると、それなりのショックもあったのだろう。
そして上の空なバカエルフに構っている場合でもない。生まれた隙を見逃してくれるほど容易い相手なわけもなく、ヒスイの両目はこちらを捉えていた。
紅い瞳と紋様から察して、その場を飛び退く。さっきまで立っていた場所は爆炎に包まれ、躱した先にヒグマのスカーデッドが突っ込んできた。
だがこちらも先ほどまでとは違い、余裕を持って迎撃できる。両手の銃から躊躇なく放つのは魔力弾。さっきのように実弾だと、またヒスイに無力化されかねないから。
いくつもの魔力弾がヒグマに直撃して、さすがの巨体も怯んで脚を止める。ブレイバードラゴンの出力は、現状のバハムートセイバーが扱える中で最強だ。ただの魔力弾ひとつとっても、安定して高威力を発揮できる。
「問題は魔眼だな……」
『付け入る隙がないわけではないわ。そもそも魔眼は、目を媒介にして発動する術だもの』
「だから強力って話でもあるけど……まあ、対処法はいくらかあるよな」
朱音の幻想魔眼のような、正しい意味でチート異能でもない限り。
魔眼とは目を、視覚を介して発動される。
早い話、術者の視界を奪うなり遮るなりして、相手の視界に収まらなければいいだけなのだ。
しかし逆に、それが難しくもある。
ヒスイの場合は特に、あの動きを封じる魔眼がある。しかもそれが、特に目を合わせるという必要もなく、本当に視界に収められただけで、こちらの動きを封じるのだ。
などと考えているそばから、ヒスイの魔眼が切り替わる。紫の虹彩を放つそれに見つめられ、またしても龍太の体は一切の自由が奪われた。そこに態勢を立て直したヒグマが、またしても突進してくる。
「ぐあぁっ!」
『くっ……あと一度でもまともに受けたらマズいわね……』
あの魔眼がある限り、ブレイバードラゴンの長所であるスピードが活かしきれない。
さらに、空間転移らしき魔眼。こちらの銃弾にも作用させていたのを見るに、迂闊にカートリッジも使えない。
「どうするハクア?」
『視界を塞ぐのは難しそうだけれど……何度か受けた感じからすると、動きを止める魔眼は時間制限がある。それに、一度に発動できる魔眼はひとつのはずよ』
繰り返すようだが、魔眼とは目を媒介に発動する異能だ。例えば、左右の目で上と下を同時に見ることができないように。
目は脳と直結している。術者の脳のスペックに左右されると言ってもいい。
これまでも、ヒスイは二つ以上の魔眼を同時に発動することはなかった。
つまり、二つ以上の事象を同時に映すことはできない。
どうにかその隙を突くしかないだろう。
『とりあえずは、カートリッジを使わずに戦うしかないわ! 魔力の制御はこっちに任せて!』
「任せた!」
右手の銃口から、魔力の刃が伸びる。
強く地面を蹴り、風のように駆ける黄金の鎧。当然のようにヒスイは瞳を紫に輝かせているが、ハクアの対応は早い。
コンクリートの地面を突き破って、絡まり合った木の幹が壁のようになって両者の間に現れる。
「エリュシオンの力……! だめ、オリバー逃げて!」
「遅い!」
跳躍して木の壁を飛び越え、左の銃から魔力弾を放つ。タタラを踏んだヒグマのスカーデッド。その眼前に降り立ち、右の銃を振るった。防ごうとしたヒグマの左腕が容易く斬り落とされて、悲鳴が上がる。
『今よ!』
「させない!」
『Reload Execution』
『Dragonic Overload』
ヒグマの巨体を盾にして、カートリッジを装填する。ガントレットが分離、変形して脚に装着されるのと、ヒグマのスカーデッドがヒスイの魔眼によって離れた位置に転移するのは同時だった。
「頼むヒスイ、ここは退いてくれ」
『あなたが大切にしてるそのスカーデッド、できることなら倒したくはないわ』
「甘いですね、お二人とも……」
俯き、低く冷たい声を出すヒスイ。
彼女も理解しているはずだ。必殺の蹴りを待機状態にさせた今のバハムートセイバーに、今度は自分が打つ手を持ち得ないのだと。彼女がこちらを視界に捉えて魔眼を発動させるより、ブレイバードラゴンのスピードの方が速い。
「あたしはもう、戻れないところまで来てるんですよ」
「そんなこと──」
「ローグで!!」
龍太の言葉を、ヒスイの叫びがかき消す。
いっそ泣きそうに震えた声。
「ローグで、黄龍様が使ったあの黒い破壊。あれを発動させるために、あたしが国中に触媒を設置しました。あたしは、多くの罪のない人たちを、殺した……正義のヒーローにとって、倒すべき悪なんですよ……?」
「それは、でも……! スペリオルの奴らに命令されて、無理矢理やらされてたんだろ⁉︎」
「いいえ、違いますよリュウタさん。あたしの意志です。オリバーを蘇らせるために、あたし自身の意志でやったことです!」
違う、そうじゃない。
言ってやりたいけど、きっとヒスイの言葉も間違ってはいない。スペリオルからどんなことを言われて唆されたとしても、ヒスイの意志だというその点に関しては、きっと事実だ。
彼女は最初に言ったじゃないか。オリバーを蘇らせるためなら、なんだってすると。
亡くしてしまった大切なパートナーのためなら、悪魔にも魂を売る。
龍太は、ヒスイのことを否定できない。
だって、ハクアを失ってしまったもう一人の自分が今何をしているのか、よく知っているから。
「この場での選択を、あたしたちを殺さなかったことを、きっと後悔します」
『待ちなさい!』
逆さまの五芒星が輝いて、ヒスイとスカーデッドは姿を消す。
気配が完全に消えたことを察して、バハムートセイバーの変身を解いた。
「ヒスイ……」
「共犯関係を植え付けたんでしょうね……そうすることで追い詰めて、逃げられなくする……陰湿なやり方だわ」
ハクアの声には怒りの色が滲んでいた。
龍太も同じ気持ちだ。こんなやり方、許せるわけがない。
だけどヒスイの気持ちが痛いほどわかるから、一体どうすればいいのか、龍太には分からなかった。
◆
龍太とハクアが市街地でヒスイと戦っている、一方その頃。
朱音は一人で、ある場所を訪れていた。
アヴァロンの屋敷、その裏手にある山の中だ。ここは明後日、龍太とハクアの誓約龍魂を結び直すための聖域でもあるが、同じ山の中でも朱音はまた違う場所に来ている。
ケルディム全体が古代遺跡とも呼べるような国ではあるが、その中にあって国民からも遺跡と呼ばれるような場所。
聖域は山の頂上だが、ここは山の中にある洞窟だ。ただし自然にできた洞窟ではなく、壁や床は当たり前のようにドラグニウムで構成されている、古代人の手が入った人工的な洞窟。
「ハクアが知ったらまた興奮しちゃうんだろうな。残念ながら私にはどんな施設だったのかは分からないけど、もしかしたらあなたは知ってるのかな?」
その最奥にある広間で。誰もいないはずの空間に声をかけると、影から一人の女性が現れた。
きめ細かな美しく豊かなプラチナブロンドの髪に、ゆるくカールを巻いた白衣の女性。傾国と呼ぶに相応しい美貌。なによりの特徴は、この国に住まうエルフよりもさらに長く尖った耳。
ふわふわと、柔らかくも不思議な雰囲気を纏ったその女性は、まるで遠く離れていた恋人に対するような、熱に浮かされた声で返してきた。
「たしかにわたくしは知っていますが、それを語って聞かせたところであなたは興味がないでしょう? そんなことより、まさかあなたがわたくしに会いに来てくれるとは思いませんでしたわ」
ドラグニアの古代遺跡で遭遇したハイエルフの女性は、うっとりとした表情で朱音を見つめている。
たしか、自分のファンだとか言っていたけど。改めて考えると、こんな敗北者のどこを見てファンなどと宣うのか。ため息を我慢できない。
「そっちこそ、まさか本当にこんなところにいるとはね。イブさんから聞いた時は耳を疑ったけど」
「わたくしは観測者。世界という枠の外に位置する者ですから」
いつでもこちらのことは見ている。だからどこにでも現れることができる。ストーカーとなにも変わらないじゃないか。
「破壊者と束縛者が羨ましいですわ。わたくしはこの体質上、枠の中には殆ど干渉できませんもの」
「できる、って言ったらどうする?」
ぴくりと、ハイエルフの女性の眉が動いた。
ビンゴ。やはり興味を持つか。
「単刀直入に言うよ。力を貸して欲しい。私たちの世界を取り戻すために」
「赤き龍によって滅びの直前まで追い詰められた、あなたの世界を?」
「出来ないとは言わせないよ。こっちには枠外の存在が三人、あなたも合わせると四人だ」
「ええ、可能か不可能かで言えば可能でしょう。《《なりかけのあなた》》も含めれば、五人もいるのですから」
思わず舌打ちしてしまった。
自覚はあったつもり。だけど認めたくはなかった。
やっぱり私も、半歩ほど踏み入れて、あるいは踏み外してしまっているか。
「イブ・バレンタインの束縛で世界そのものの強度を上げ、アダム・グレイスによって黒球を破壊。小鳥遊蒼の魔術で元の形へ戻し、わたくしが観測することによって事実を確定させる。あなたの時界制御は万が一の保険、と言ったところですわね」
「よく分かってるじゃん」
「ですが、わたくしにメリットがありません」
ここからは、交渉の時間だ。
朱音とて、このハイエルフがすぐに首を縦に振るとは思っていなかった。ドラグニアの古代遺跡でもそうだったが、こいつはなにかを示せばそれだけの情報を与えてくれたし、ならば今回もそれに則るだけ。
彼女が朱音たちに協力したいと思うだけのものを、朱音が示せばいい。
「もちろん、あなたが望むものを、それ以上のものを見せてあげるよ」
「それは楽しみですわ。でしたらどういたしますか? また戦うと言うのであれば、わたくしは構いませんが」
「いや、それには及ばない」
ひとつ、息を吐く。
正直なところ、これからやろうとしていることはぶっつけ本番だ。
出来るということは分かっている。試したことがないだけで。
もっと言えば、何が出てくるのか分からない。
朱音自身も未知の領域だ。
「位相接続」
だけど、なんとなくではあるけど、わかる気がする。
きっと私の心が見せる世界は、あれしかないんだろうなと。
「心蝕……展開」
静かに、唱えた。
瞬間、世界が書き換わる。
殺風景な遺跡の中にいたはず。だが二人の姿は、全く違う景色の中に立っている。
崩れた廃墟。灰色に染まる空。あちこちに瓦礫が転がっていて、一部には自然が侵食して蔦に覆われたものもある。
まるで、世界の終わりにみる風景だ。
だが同時に、桐生朱音にとってはこれ以上ないほど馴染み深いものでもある。
だって、朱音が生まれて育った世界なのだから。
「やっぱり、こうなるか……」
とある吸血鬼によって滅びに向かう、もはやどこにも記録されていない未来。
「これは……」
「心蝕。キリの力の一つ、心想具現化を極めた先にある奥義。術者の心で世界を蝕む術。使える人も、使おうとする人も少ないから、あなたでも知らなかったかな」
使用には膨大な魔力と、術者自身の強靭な精神力が必要になる。そのくせ、発動したらしたで戦闘に向かないような世界もあるし、人によっては一切の戦闘力を失うものまであるという、実にピーキーな術だ。
だからこそと言うべきか。
心蝕とは、戦闘に用いるようなものではない。中には戦闘に特化しすぎた人類最強の女もいるけど。
この術の本質は、そこじゃなくて。
己の心の全てを曝け出す。
桐生朱音という人間を構成する、その全てを魅せる。
それが心蝕という魔術。
「私は、この滅びかけた世界に生まれて、育てられた。そして何度も何度も死んで、転生して、過去に遡った」
「そうして全ての決着をつけても、あなたの心になお残る景色、というわけですわね」
「全ての始まりで、終わりでもあったからね」
父親と共にあの吸血鬼を倒し、世界を作り替えて。その後の僅かな空隙のうちに。朱音はこの滅んだ世界に戻って、本当の決着をつけた。
桐生朱音という人間を語る上で、この世界、この時代は決して欠かせない。
「存分に……ええ、存分に魅せて頂きましたわ。未来を創る時の敗北者、桐生朱音。あなたの心を、想いを、覚悟を」
「意外だね。もっと狂喜乱舞するものだと思ってたけど」
「そうしたいのは山々ではあるのですけれど。あなたのファンとして、この世界ではあまり粗相できないでしょう?」
それはつまり、この中じゃなかったら狂喜乱舞してたってことなのか。結果オーライというかなんと言うか。
「ところで、これは聖地巡礼ということになるのかしら? よければ、あなたが暮らしていた場所などを案内してもらってもよろしくて?」
「別にいいけど……」
「でしたら、再現して頂きたいシーンもございますの! よろしいかしら!」
「それは勘弁して!」
「そうおっしゃらずに!」
くそ! こいつも厄介オタクだった!




