第六章 優しきウサギ
太陽が一番高いところにある午後。一人の少女を中心に、五人の子供達が輪を作っていた。
中心に座っている少女が、不気味な笑みを浮かべながら小さな声で言った。
「知ってる?シロウサギって何をしても死なないんだよ」
「えぇ?嘘ぉ?」
少女の言葉を全く信じていないような顔で、一人の少年が言った。すると少女は、更にニタアっと笑う。そして言った。
「本当だよ?だって私、この間ジュリアをナイフで刺しちゃったの。もちろん誤ってよ?でもジュリアは平気だった」
子供達は一斉に、ジュリアと呼ばれたシロウサギの方を見る。
ジュリアは白い短髪の大人しそうな女の子だった。
彼女の首筋には、白い包帯が巻かれている。そしてその一部が、赤黒く染まっていた。
「え?あれってナイフが刺さった傷なの?」
少年が驚いた顔でそう訪ねた。
少女はこくりと頷く。
「そうよ。足の傷もそう。見えないけど、お腹にも傷があるわ。全部私がナイフで刺したのよ?でも彼女は死なないの。大した治療もしてないのに」
子供達はその言葉に、瞳をキラキラと輝かせた。少女は自慢気だ。
「面白いね、それ」
「面白いでしょ?でも私達だけの秘密よ?」
少女は言った。
子供達はそれぞれ頷くと、にっこりと笑顔を浮かべる。そしてバラバラに散っていった。
その様子を見ていたアリスは、隣で本を読んでいるクロウサギに聞いた。
「あれって本当?」
クロウサギは何も言わなかった。
夕方、学校から少し離れたところに、大きな湖があった。湖は、夕方の橙色の太陽によってとても綺麗に反射していた。
そんな湖のほとりに、ジュリアと少女がいた。
少女はスケッチブックと鉛筆を持って、その場に座っていた。退屈そうな顔で湖を見ている。
「はぁあ……、つまんないなぁ。ジュリアはもうできたの?」
隣で静かに本を読んでいたジュリアに、少女はそう尋ねた。
「私は……昨日で終わりましたよ」
にっこりと優しい笑顔でそう答えたジュリアに、少女は口を尖らせた。
「いいなぁ……。私の分もやってよ」
「自分で描いた方が楽しいですよ。何か描きたいものはないのですか?」
ジュリアの言葉に少女は渋々考え出す。
持っている鉛筆を眺めながら、描きたいものを頭の中でイメージをしていった。
「私が描きたいのは……、楽しそうな毎日笑った世界」
視点を変えず、少女はそう答えた。
ジュリアは優しく微笑む。
美しい橙色の太陽もやがて沈み、世界に闇が訪れた。
心優しい少女は、どうすれば皆が笑うのか、ただそれだけを考え言葉を放つ。しかし世界が闇に包まれると、少女の瞳はとても鋭いものに急変した。
少女は黙って立ち上がると、もっていた鉛筆をジュリアに突き立てた。
「ヒカリ……」
ジュリアは少女の名前を呼び、鉛筆はジュリアの左目を鈍い音を立てて潰した。
ヒカリと呼ばれた少女は、返り血を浴びながら、その場に膝をつく。そして肩を震わせながら、小さな声で泣いていた。
闇の中を微かな月明かりが照らす。それはとても小さすぎて、二人を照らすことはなかった。
翌日、学校の授業を終え、アリスは校舎の中央にある広い中庭へと足を運ぶ。そこでは昨日同様、少女――ヒカリを中心に五人の子供が輪を作っていた。
そしてヒカリの後ろには、左目を眼帯で隠したジュリアが静かに本を読んでいる。
「左目……、ヒカリがやったのかな?」
アリスは呟くように、クロウサギに問いかけた。クロウサギは何も答えない。
「ねぇ!」
アリスはヒカリのいる輪の中に、元気よく飛び込んだ。
周りの子供達は驚いたように、目を大きく見開く。アリスは笑顔を作り、声を小さくして言った。
「なんの話してるの?」
アリスの乱入によって、子供達の笑顔は消えた。
「別に」
一人の少年が冷たく言い放つ。しかしアリスも引かなかった。
笑顔を作ったまま、輪に入ろうとする。
「何々?何か隠し事でもしてるの?」
その言葉に、輪に凍りついたような冷たい空気が流れた。ヒカリ以外の四人が、アリスを睨みつける。
「あんた、国の代表だからって何やってもいいわけ?」
少年が言うと、アリスは澄ましたような顔で問い返した。
「え?私今、何かマズいことでもしてる?」
少年は小さく舌打ちをした。それが合図のように、ヒカリとアリスを残して、他の四人は適当に散らばって行った。
「あんた……何」
ヒカリは不機嫌そうな顔でそう聞いた。アリスはそんなヒカリにも笑顔を向ける。
「何って、楽しそうだったから私も入れてもらいたかっただけよ」
「あんたのせいでメチャクチャよ!」
ヒカリは強い口調で怒鳴った。しかしアリスの表情は変わらない。
そんなヒカリの様子に気づき、ジュリアが本を閉じた。
「ヒカリ……、行きましょう」
そう促され、ヒカリは静かに立ち上がった。そして座ったままヒカリを見ているアリスに言い捨てる。
「私は……、あんたみたいに毎日笑ってなんかいられない。どうしてそうやって笑っていられるのよ……」
アリスは何も言わずに、ただ笑顔を作っていた。
ヒカリはジュリアと一緒に、その場から去っていった。
赤い月が不気味に国を照らしていた。
静まり返ったその様子は、まるで墓場のようだった。
そんな国の中で、一軒の家に灯りがついている。そして家からは、激しい物音が響いていた。
「……や、やめて……、ヒカ……リ」
一人のシロウサギが必死に説得をしていた。しかしシロウサギの体はボロボロで、手足共に血だらけであった。
少女は止まらず、木でできた椅子やガラスのお皿などを壁や床に叩きつける。そのたびに激しい音が、家の中に鳴り響いた。
「ヒカリ……」
そう声を出そうとするシロウサギは、痛みで苦しそうに息を吐いていた。すると少女が、シロウサギに近づいていく。
地面に這い蹲っているシロウサギの顔を、力いっぱい蹴り上げた。
「がっ!」
鈍い音と短い声が響く。ヒカリは無表情だった。
何かに取り付かれたように、シロウサギを殴り続ける。そのたびに鈍く不気味な音が闇の中に響いていた。
やがてシロウサギは意識が飛んだ。赤い液体が床にシミを作っていく。それを止めることなく、少女は気絶したシロウサギに涙を零した。
「う……、あぁ……。ごめ……、ごめんなさい!!」
泣き叫ぶがシロウサギは起きなかった。
不安と孤独感に少女は震えた。自分がやってしまった残骸を見回す。
「わ、私……、また」
少女はサーッと血が引いていくのを感じた。
それと同時に、少女は背中に痛みを覚える。そして冷たい感触が胸元から伝わってきた。
「あ……」
自分の胸元に視線を向けた少女は、唇を震わせる。そこには真っ赤に染まった金属が、自分の体を貫き、胸元に出ていた。
「う……」
少女が力無く倒れる。床に倒れる前にシロウサギが震える手で支えた。
目を覚ましたシロウサギは、掠れる瞳で剣を突き立てた者を睨みつける。赤い瞳の少女は、突き立てた剣をゆっくりと引き抜いた。
「は……やく、この子……、手当てを」
シロウサギは必死にそう訴えかけた。しかし赤い瞳の少女は無表情のまま、再び剣を突き立てる。シロウサギは叫んだ。
「止めて!この子を傷つけないで!」
シロウサギは力強く少女を抱きしめた。しかし、赤い瞳の少女は手を止めなかった。
鋭き剣は小さな体を貫き、少女の心臓と微かな吐息は完全に止まった。シロウサギは大きく瞳を見開き、涙を流した。
「う、うぁぁあ!!ヒカリ!ヒカリ!起きて!起き……ゲボッゲボッ」
むせて血を吐くシロウサギを見て、赤い瞳の少女は剣を金色の時計に向けた。
シロウサギは言う。
「……ヒカリは、優しい子だったのに……。どうして……、どうしてこんなこと……」
赤い瞳の少女は何も言わずに、金色の時計に剣を突き立てる。
「どうして……」
それが甲高い音を立てて壊れたとき、シロウサギは人形のようにパタンと倒れた。赤い瞳の少女は言う。
「私の家族が望むから」
そしてゆっくりとその場を後にする。
赤い月が静かに道を照らす。その道を美しい赤い瞳の少女が、足音もなく、歩いていった。