第五章 一番酷い話
ニシェルとリエンの殺害事件は、半日で国全体に広がった。
不安そうな大人もいれば、自分には関係ないという顔の子供もいる。しかし、騒いでいるのは人間だけであった。
シロウサギ達はそのことについて、何も言わなかった。それが何を示しているのかは、まだ誰にもわからない。
国が騒いでいる中、アリスは学校に行くための準備をしていた。その瞳は、決意を固めた強い眼差しを秘めていた。
アリスは、部屋の扉にもたれ掛かっているクロウサギに言う。
「じゃあ行こっか」
いつもの笑顔を作りながら、アリスはクロウサギと一緒に部屋を後にした。
明るい日差しが、アリス達の教室に差し込んだ。サリアは、少し暗い表情で二人に挨拶をした。
「おはようございます。朝から悲しい話をするのは、私にとってもとても辛いことなのですが……」
「先生」
アリスはサリアの言葉を遮った。
「シロウサギの寿命って、人間よりも倍以上はあるんですよね?」
「え?え、ええそうですよ」
サリアは突然の質問に、慌ててそう答えた。アリスは続ける。
「導くべき人間がいなくなったシロウサギはどうなるんですか?」
「それは彼ら自身によって、それぞれ違うわ。命が尽きるまで生きる者もいれば、自らの命を絶つ者もいる」
その答えを聞いて、アリスは目を見開いた。瞬きをしないまま、笑顔で質問を続ける。
「じゃあ先生のシロウサギは今どうしているのですか?」
その質問にサリアは驚いたような表情を見せた。
「……私のシロウサギは」
先生は口を詰むんだ。明かに動揺している。
「私ずっと不思議に思っていたんです。シロウサギの寿命は人間より長いはずなのに、今この国には、シロウサギを連れている大人がほとんどいないじゃないですか。先生も初めて会った時からいなかったし……、なんでなのかなぁって」
口元だけ微笑んでいるアリスの瞳は、ただジーッとサリアの様子を映していた。すると、サリアは一度小さな深呼吸をしてから、冷静な口調で答えた。
「……私のシロウサギは幼い頃死んだわ。ドジな子でね、最後は屋根に昇っている時に落ちて死んでしまったの」
悲しげな顔でそう言うサリアに、アリスはそれ以上何も聞かなかった。
授業がいつもより早く終わり、アリスとクロウサギは、たくさんの花が咲いている門の前に足を踏み出した。
そこに座ったアリスは、小さな赤い花を両手で優しく包みながら言った。
「『一番酷い話』って知ってる?」
「……」
クロウサギは何も答えなかった。アリスが答えなど、求めていなかったからだ。
「その話は少し前の話だよね。国の歴史には載っていないけど、人々の口によって話は消えなかった」
アリスは話し始めた。
今から約20年ほど前。
美しい少女がおりました。人々から可愛がられ、皆その少女より美しい者はいないと口ずさんでいました。
それほどその少女は美しかったのです。
しかし、少女は知っていました。自分より美しい者の存在を。
それは一番身近な存在で、少女はその存在を隠していました。
少女より美しい者、それは彼女のシロウサギでした。
しかしそのシロウサギは、ボロボロの服を着せられ、少女の住む家の屋根裏部屋に閉じこめられていました。
シロウサギは毎日お腹を空かせていましたが、それでもやつれることはなかったのです。それには少女も驚きました。食事は3日に一度だけで、太陽の当たらない屋根裏部屋に閉じ込めていても、シロウサギの美しさは保たれました。
とうとう少女は怒り狂い、シロウサギを夜中外に連れ出しました。
国の一番西の端にある、下が見えないくらい高い崖の上に連れて行きます。
そしてまず、もっていた刃物でシロウサギの心臓を突き刺しました。そしてシロウサギを崖の下に落としたのです。
少女は返り血を浴びたまま、家に戻りました。そして屋根裏部屋を覗き込みます。
そこにはシロウサギの金色の時計が、カチカチと音を鳴らしながら、動いているのが見えました。
それを見て、少女は甲高い叫び声を上げました。その声によって、シロウサギの存在が世間にバレてしまったのです。
話し終えたアリスは、一度小さくを息を吐いた。
「そのとき、何故少女が叫び声を上げたのかは謎のままらしいよ。少女は何も言わずに怯えた様子だったんだって」
その言葉にクロウサギは一言だけ言った。
「哀れな話だね」
「ほんと」
アリスは小さく笑って言った。
「哀れだよね」
風が音もなく、二人の髪をなびかせる。しかし、アリスの手に包まれた赤い花だけは揺れることなく咲いていた。