プロローグ
何年前かもわからないくらい、遠い昔のお話です。
そこは、果てしない緑の絨毯と、美しい小さな花が咲き誇る、穏やかな世界がありました。
子供達の甲高い笑い声と小鳥のさえずりが響き、平和を掲げた静かな世界でした。
子供だけが暮らしていたその頃は、その世界には名前がありませんでした。子供達にとって、名前など、どうでもよかったからです。
いつからでしょうか。
この世界に、成長という言葉が当たり前になってしまったのは。
国もなかったその世界に、国が出来たのはいつからなのか。
平和という言葉で塗り固められたような国。
この世界の中心となる国。
その国を大人達はこう呼びました。
不思議の国、と。
不思議の国では、大人が現れてからすぐ、『シロウサギ』という生き物が現れました。
成長という言葉が行き交う中、死という言葉も当たり前になっていきます。
子供は成長すれば、いつかは死ぬ。
それが当たり前になり、今でいう性の交際を行うようになっていきました。
不思議の国には、世界の命を握るといわれている、王様がおりました。
彼の死は、国の、世界の死なのです。
そんな彼の元に、一人の小さな女の子が生まれました。
そして、同時に『シロウサギ』が授けられます。
この国にある、昔からの不思議な事。
それが『シロウサギ』でした。
『シロウサギ』は、子供が大人になる道の中で、子供を導くための、大切な案内人でした。
人と姿形はそっくりで、しかしその瞳は青く、人間よりも優れた能力を持っていました。
そんな『シロウサギ』は、子供が生まれた時、一瞬目を離した時に、子供の隣に置かれているのです。
王様は、寝息をたてる自分の娘の隣に置かれた赤ん坊を見ました。
大きな瞳の色は、透き通る赤、髪の色は黒く、着ている服も真っ黒です。
首には、黒い針が回る、金色の縁の大きな時計が掛けられていました。
王様は目をかっと見開きました。
この国の歴史に、とても悲しいものがありました。
『クロウサギ』の存在です。
普通、『シロウサギ』は、青い瞳で白い髪というのが特徴で、置かれている時は、必ず白い布のような服を着せてあります。そして、首に掛けられた、赤ん坊の彼らにはとても大きく、重い金色の時計。
それが『シロウサギ』でした。
しかし、お姫様となる娘に与えられたのは、『シロウサギ』ではなく、『クロウサギ』と呼ばれる者でした。
歴史の中、『クロウサギ』を与えられた者には、不幸が訪れるといわれています。
そしてそれは、悲しい歴史として、記録されていました。
初めて『クロウサギ』が現れたのは、『シロウサギ』が現れてから三年ほど後でした。
当時も、物凄い大騒ぎになり、不気味な存在として、『クロウサギ』に冷たく当たっていました。
しかし、その子供は違いました。
いつも『クロウサギ』と一緒に動き、とても仲が良かったと記録されています。
異変が起きたのは、子供が生まれてから、10年が経った時でした。
国の王が、深夜に惨殺されるという事件が起こりました。
しかし、その時の国の血を引き継いでいたのは、女王の方だったので、世界が滅びる事は難なく避けられたのでした。
が、犯人が『クロウサギ』だったのです。
『クロウサギ』は、堂々と正面から入り、家臣たちを殺してから、王様を刺したのです。
そして、王様を刺し殺した後、すぐに自らの命を絶ちました。
更に『クロウサギ』を与えられた子供も、死体で見つかり、国は大きな悲しみに包まれました。
それが一番古い、『クロウサギ』の悲しい歴史の一つでした。
更に、『クロウサギ』を与えられた子供の母親が、生まれた『クロウサギ』をすぐに殺してしまい、その家族全員がすぐに謎の病によって、他界していること。
子供が家族を殺し、たくさんのシロウサギを殺し回ったこと。
『クロウサギ』と子供が、城に乗り込み、王様や女王様を殺そうとしたこと。
など、本当か嘘かもわからないような歴史が、たくさん刻まれていました。
王様はすぐさま、持っていた剣を、幼い『クロウサギ』へと向けました。
「この化けウサギめ!」
そう言って、力任せに剣を振るおうとしました。
しかし、王様ははっと歴史を思い返します。
『クロウサギを殺した家族の話』
王様は、一度大きく深呼吸をして、剣をしまいました。
そして、その様子を見守っていた王女様に言い放ちます。
「もし、こいつが娘に何かをしたならば、すぐにお前が殺せ」
哀れなお話です。
王様は自分可愛さに、それを殺さず、女王様に殺すように命令したのです。
もしその時、王様が歴史の内容を鵜呑みにせず、『クロウサギ』に少しでも愛情を注ぐか、その場で姫を思い殺していたら、未来は変わっていたのかもしれません。
そんなことがあったことも知らずに、お姫様が誕生して一年が経ちました。
そして一年が経ったその日に、王様は突然倒れ、その日の内に亡くなりました。
その次の日、嘆き悲しんだ女王様は、幼きお姫様と『クロウサギ』を残し、自らの命をひっそりと絶ちました。
一人残されたお姫様は、何も知らずに笑い、両親の帰りを待っていました。
彼女の名前は、アリス。
王様がこの世を去ったその日から、不思議の国、その世界の命となった、悲しいお姫様のお話です。