この世のものとも思えない。
このたび、私、佐藤 明日香にも人生初の彼氏ができた。
相手は、中学が一緒だった藤谷 澄先輩だ。
中学時代は遠くから憧れる存在だった先輩は、学校こそ私と違うけれど、同じ電車で通学している。
毎朝顔を合わせているうちに言葉を交わすようになり、仲良くなり、今に至る。
これは親友の奈々ちゃんに報告せねばと、すぐに教えた。
奈々ちゃんは先輩とは逆で、私と同じ学校で通学手段が違う。奈々ちゃんちからはバス停の方が近いのだ。
だから、先輩と私がそんな親しい間柄になっているとは、思ってもいなかったのだろう。
奈々ちゃんは『はうっ⁉』つて変な声を上げて、
「明日香に彼氏ができたってだけでも驚きなのに、それが藤谷先輩って、なにそれ意味分からないわ。妄想じゃないんだよね?」
と、実に塩辛いコメントをよこした。
「誰よりも先に報告したのに…………教えなきゃよかったよ」
「悪い悪い。相手が相手だから驚きすぎてさ」
奈々ちゃんも同じ中学だったから先輩が頭よし、顔よし、運動神経までもよし――というハイスペック男子だとよく知っている。
「で、なんて告ったの?」
「えっと……『付き合おうか』って」
「はあっ? あんた、よくそれでOK貰えたね」
ん? 勘違いしてる?
「奈々ちゃん、先輩の方から付き合おうって言ったんだってば」
奈々ちゃんはフリーズした。
本当に彼女なのか、セフレ候補じゃないのか――という、いささか失礼な奈々ちゃんの心配を笑って流したけれど、本当の事を言うとちょっと不安。
だって、先輩は『付き合おうか』って言ったけど、『好きだ』って言ってくれたわけじゃない。
それに、以前、先輩が一緒に歩いていた美人さんの事も気になる。
「明日香ちゃん、今朝はいつにも増して挙動不審だね。何かあった?」
柔らかな笑顔で私の顔をのぞき込む先輩が、今日もカッコいい。
『好き』って言われてないけど、それがどうした。
「何も。何も、何もなくて、ノープロブレム」
「本当?」
先輩は納得いかないとばかりに顔をしかめる。
眉間にシワでもカッコいい。
「ついこの間、何だかよく分からない理由で俺を避けたのは誰だっけ?」
「…………私デス」
先輩が同じ学校の制服を着た女の子と二人きりで歩いているのを見かけて、私が勝手に邪推して、勝手に失恋して、勝手に先輩を避けただけ――なのだが、先輩には言っていない。
一人でグルグル悩んでたのが恥ずかし過ぎるから。
「悩んでる事とかあるなら、ちゃんと言ってね」
言いたい。
言いたいです、先輩。
一緒に歩いていた女の子は同級生ですか?
ただの友達?
何の用事で一緒にいたのですか?
たまたま会っただけですか?
私のこと、好きですか?
だけど、『面倒くさい女』と思われたくなくて私は口をつぐむ。
先輩はちょっと困ったような表情で、『今度の土曜日、デートする?』と言った。
デート⁉
「デートをします。したい。させて下さい!」
「何か国語の活用みたいだね」
先輩は笑った。
「じゃ、帰りまでにどこに行きたいか考えておいて」
どこに行こうかな。
学校に着いたらすぐ、奈々ちゃんに相談だ!
たぶん今、私の顔は緩みに緩んでるに違いない。
けれど、それも先輩が降りる駅に着くまでだった。
シューっと音をたてて開いた電車のドアの隙間から、人混みの中にいる綺麗な女子高生の姿が見えたのだ。
前に先輩と歩いていたあの子だ。
サラツヤな栗色の長い髪が印象的だったのでよく覚えている。
――先輩と待ち合わせしてた?
何だかモヤモヤする。
「先輩に確かめりゃあいいじゃん」
お昼休み。
奈々ちゃんは購買の『あんこたっぷりずっしり特大小倉あんパン』にかぶりつきながらそう言った。
「うーん……」
「何、カッコつけてんの。そんなのさ、これから何回でもおきるよ? 藤谷先輩、スーパーイケメンだもの。その度にそのモヤモヤを我慢するわけ?」
「その度に問い詰めるよりいいと思う」
「違う、違う。最初にきちんと確かめて、不安な気持ちも伝えておくの。そうしたらさ、先輩だって次から明日香が不安にならないような行動をとるでしょ?」
「そうかな……」
「明日香のこと大切だったら、絶対そうなの!」
「奈々ちゃん、そんなに力込めたらあんこが落ちる……」
「いい? その女のこと絶対に聞くんだよ?」
奈々ちゃん、そんなのどのタイミングで――って!
タイミングを悩む必要なんて、全く、全然、一欠片もなかった!
「先輩、この人誰なんですか⁉」
いつも帰宅する時、先輩と私はメッセージアプリで連絡しあって同じ電車に乗るようにしている。
なんと今日は、先輩と一緒に例の彼女も電車に乗って来たのだ。そして当然のように先輩を挟んで私の反対側に立った。
近くで見ると、髪はツヤツヤサラサラ。(いったい朝何時に起きるの⁉)
まつ毛が長いくて人形みたいに整った横顔。(ツケマじゃないっ!)
透明感のあるお肌はニキビどころかそばかす一つない。(お手入れに何使ってるのか聞きたい!)
先輩はずっと彼女を無視していたし、彼女も一言も喋らなかった。
でもさすがに、同じ駅で降りて私達にピッタリくっついて歩くのはどういうコトなのか問い詰めたくもなる。
「どうしてずっと私達についてくるの⁉」
我慢しきれなくなって半ば叫ぶように聞くと、先輩は目を見開いた。
「明日香ちゃん、コレ、見えてるの?」
「こんな近くにいて目に入らないわけないじゃないですか!」
先輩は困ったような顔をした。
「えーと、ね。とりあえず、コレはこの世のものじゃない」
「そうですね。この世のものとも思えない美人さんですよ。私と同じ人類だとは思えないです」
「うん。それは合ってるんだけどね」
「この人が本命彼女で、私のことは遊びですか?」
「いや、ちょっと落ち着こうか」
「知ってるんですからね。先輩、この間この人と二人っきりで歩いてたでしょ?」
こんな美人にかなうわけがない。
「待って! それ、いつの話?」
「……先月」
うつむく私の頭頂に先輩の視線が刺さってる気がする。
めっちゃ見られてるような。
「ひょっとしてさ」
「……はい」
「俺が避けられてたのって、コレのせい?」
「“コレ”がその人のことなら、その通りです」
「嘘だろ⁉ よりによって、こんなモノのせいで俺は失恋しかけたの?」
“こんな者”?
思わず顔を上げると、先輩は女の子と向き合っていた。
「お前、付きまとうなよ。迷惑なんだよ」
そんなストレートに? ちょっと酷くないですか?
女の子の口が動いてる。でも、何も聞こえない。
「分かったよ。あいつに渡せばいいんだろ? とっとと消えろ!」
はいっ?
人が薄れてる。薄れて……消えた……ぁああああああっ⁉
「先輩っ⁉」
「うん。もう追い払ったからね」
「あのっ! 今のっ!」
「俺、あの手のヤツによく付きまとわれて頼み事されるんだよね。面倒くさいから無視してたんだけど、嫌だったよね。ごめんね」
何でもない事のように先輩は言うけれど、今のって……
「先輩」
「何?」
「先輩といると、変なモノ見ちゃう気がします」
「違うよ。変なモノに気が付くだけさ。普段は見えてても脳がスルーしてるんだ。よく考えて。今のヤツだって変だったろう?」
「ずっとついてくるのが変だとは思いましたけど?」
「着てた制服、冬服だったよ」
私は先輩を見て、自分の体を見た。
白いワイシャツ。
白いブラウス。
「デートはどこにするか決めた?」
どこかで蝉が鳴いていた。
― 終 ―