泣き声
「死ぬ覚悟なんて止しなさい。言ったでしょ、私はあなたを、精々生かすって。その私が、約束を反故にしてあなたを殺すなんて、そんなことは、絶対にさせない。私が決めたことなのよ」
言いながら、婀瓏孅は少しまた、痛みに顔を歪める。けれど、言葉は続ける。
「だからあなたも、生きようとしなさい。生き続けようとしなさい。あなたが生きようとする限り、私は、あなたが生きる手助けをするわ……あぁ、でも、このザマでどの口が。ふふ」
婀瓏孅は腕の痛みに思わず目が眩む。だが、肩で息をしながら、その決意を澄んだ瞳で口にする。するとどうだろう。あの意識を奪いそうな程の衝動は、まるで手に触れた雪の様に少しずつ消えていった。
驚く。あれはなんだったのかと言いたくなる程、既に衝動は残光すら残していない。
「あら、消えたの……そう。なんだ、簡単なことだったじゃない」
衝動の乗り越え方を一つ、婀瓏孅は一つ身に付けた。衝動なんて、耐えるのではなくて、否定するのではなくて、もっと単純に衝動自体を肯定して、その上でそれ以上の何かで塗りつぶしてしまえば良いのだと。
「玉蟾。私はこういう感じになったわよ。こんな無様な恰好。あなたは今の私を見て笑うかしら。その時は私も笑うわね……いくらなんでも、これは醜態だわ。あぁ、でもこんな話でも、図讖戯にしたら褒めてくれるかしらね」
婀瓏孅はくらくらする頭で、目を閉じ、一段落した出来事の感想を呟く。そして目を開けると、深く噛み過ぎた右腕をどうにかしようと思いながら、何気なくルルノを見下ろした。そこで、ぎょっとする。
ルルノは両目に涙を溜めていた。その顔は力なく弛緩していたが、やがて引き攣る様にくしゃりと歪むと、次の瞬間にはルルノは声を上げて泣き始めた。
「え、何、どうして?」
今度は、婀瓏孅が戸惑う番だった。今まで絶対に声を上げなかったルルノが、童女の様に声を上げて泣いている。それがどういうことなのか、婀瓏孅には判らなかった。食べかけられたことが恐かったのかとも思うが、それではない気もして、やはりさっぱり判らない。
ルルノは声の限り叫んだ。そしてそのまま、婀瓏孅に抱きつく。
「いっ!」
婀瓏孅の腕の傷がずきりと痛んだ。
より一層混乱した婀瓏孅は、どうすれば良いのか判らないまま、とりあえず姿勢を起こし、無事に動く左手でルルノを抱き締める。
泣きながら、何度も婀瓏孅の名前をルルノは叫んでいた。
やがてそれを聞きつけて、真っ青な顔をした皐詠舞祷が駆けつけてくる。最初、泣き叫ぶルルノと飛び散った血に、婀瓏孅がルルノを食べてしまったのかと焦るが、それが婀瓏孅の血であると判ると、今度は頭を抱えて混乱してしまった。そんな皐詠舞祷に一瞬だけ意識を向けて、事情は後で説明するからとだけ口にすると、婀瓏孅はすぐに意識をルルノへと戻した。
少女は初めて、生きた年月に相応しく泣いた。婀瓏孅も皐詠舞祷も、普段のルルノからは想像も付かないそんな姿に、何もすることができずただ困惑する他なかった。そしてどこかで、理解できない心の奥で、強い安堵を憶えていた。
泣きじゃくる少女に、そっと手を伸ばす。
「ごめんね、驚かせて」
婀瓏孅は、穏やかに謝りながら頭を撫でる。だが、どうしてだろう。自分にすがりついて泣き叫んでいるルルノが、婀瓏孅にはどこか微笑んでいる様にも見えた。




