歩み寄り
「……判りました」
婀瓏孅の胸の中で、卦籤はそう呟く。眠ってしまいそうになる心地好さに、眠ってしまっては勿体ないと堪えながら。
その半刻後、婀瓏孅は部屋を出て行き、残された卦籤はこれからどうしようかと考える。そして考え初めてすぐに、考えるのを止せという助言を思い出して、ではどうすれば良いのかと、再びごろごろと転がるのだった。
そのまま時間は流れ、気がつけば夕餉となり、あっという間にそれさえ終わってしまった。ぼうっとしていた所為で食べ終わるのが遅くなり、部屋にはもうセクタと自分しか残っていなかった。機会を逸したと、慎重になり過ぎた自分を悔やんでみる。
上手くいかないものだと、焦りを自覚しながら食事を終わらせる。
結局のところ、昼の叫びは、部屋で眠っていた金釘流以外には聞こえていたらしい。それが判ると、気恥ずかしくて食事中は俯いて、無口に食べ続けるしかできなかった。
食後しばらくして、卦籤は風呂に入ることにした。ここの風呂に入るのに、誰が先、誰が後、というような決まりはないので、入りたい時に入って良いことになっている。誰かと一緒になったところで、浴槽は広いので、それほど遠慮し合う必要もない。そもそも、基本的に日々の入浴が義務づけられているというわけでもないので、数十日間入らなくても、本人が構わなければ別に問題はない。唯一入浴が義務づけられるのは、特殊な調薬をする日の前後と、毒素を排出する断食行の間くらいである。
だが、瓏々邸にいる者は普段から入浴を好み、多ければ日に三度、少なくとも三日に一度は入浴をする者ばかりである。そしてそのことは、薬を買う客に好意的な印象を与えていた。やはり瓏々邸は調薬に真摯であり、内弟子さえも日々常に身を清めている。と、そのような評判である。
尤も、皆が頻度良く入浴をするのは、調薬の為に身を清めているというより、湯に浸かる心地好さを味わう為である。それに関しては、見ぬが仏聞ぬが花、というもの。
そして漏れなく風呂好きである卦籤は、自室で入浴用の準備を整えると、足早に脱衣所へと向かっていく。久しぶりの湯も楽しみであるし、このもやもやとした気持ちを、早く洗い流してしまいたかった。
その風呂に向かう途中で、縁側に座ってぼうっと空を眺めているルルノを見つけた。
「あっ」
思わず声を漏らす。けれど小声だったので、その声はルルノには届かなかった。
卦籤はすぐに足を止め、別の道を行こうと体を反転させる。しかし、すぐに思い直すと、ゆっくりとルルノの方へ向き直って歩き始める。これは良い機会だ。今日中になんとかできる絶好の機会だ。そう、自分に何度も言い聞かせて。
「人の子」
名前を呼ぶのにはまだ抵抗があるのか、卦籤は相変わらずの呼び方をする。外を見ていたルルノは、卦籤に気付いて顔を上げた。
ルルノは卦籤と目が合って、昼間の会話を思い出し、少しだけ体をびくりとさせた。その様子を見て、卦籤は少し悲しい気持ちになりながら、もう昼の失敗は繰り返さない様にと心を落ち着かせる。




