卦籤のもやもや
少し沈黙を置いて、意を決した様に卦籤は口を開く。
「ねぇ、人の子。気になってたんだけど、あんたここに来て、嬉しい?」
突然の質問に、ルルノは少し首を傾げて考える。飯も寝るところもある。それは幸福だ。けれど、いつかは食べる為に生かされている。ならこれは、嬉しいと思えるのだろうか。そう思案して、答えが出せなかった。
「判りません」
素直な回答。けれどそれは、卦籤の欲しい答えではなかった。
「わ、判りませんって。だって、瓏々邸よ。瓏々邸に来れたのよ」
瓏々邸は、特に妖怪の間では知らぬ者のないとされる程に有名な場所であった。何せ、薬に携われば必ずどこかで行き着くという場所とまで称されていたのだから。けれど、それはあくまでも妖怪の中での話であり、人間でありながら瓏々邸という言葉を知る機会は皆無に等しく、妖怪を師に持つか、あるいは妖怪と親しくなった数少ない人間が、偶然その言葉を耳にするくらいなものであった。
だからルルノは首を傾げて、問い掛けた。
「ここって、嬉しい所なんですか?」
その言葉に、卦籤は目に見えて怒りの色を浮かべる。苛々としていた意識が、更に棘を鋭くさせてしまった。
「かちんとくるわねぇ。ここは本来、人間なんかが来ることのできる場所じゃないのよ。それを、慈悲でここに生かされてるくせに、嬉しくないって言うの!」
一触即発という程に、卦籤はぴりぴりと苛立った。焦りと憤りで、ルルノが人間であり、人間は瓏々邸を知らぬと言うことを考慮する余裕を失っていた。
怒鳴られたルルノは、目を丸くして考え、そしてぽつりと呟く。
「なんで、私は生かされてるのでしょうか」
それは、ここに来てからずっと考えていた問い。意図して口にしたわけではなく、思わず口から出てしまった言葉だった。
「なっ」
卦籤は言葉に詰まる。頭の中が真っ白になってしまい、次の言葉を探すことさえできなかった。
そんな卦籤に、ルルノは似た別の問い掛けをする。
「なんで私は、生きているのでしょうか」
単純で、答えようのない問い。けれどそれは、最もルルノが知りたいことであった。
その言葉を聞いた卦籤は苛立ちに任せ叫ぶ。怒り心頭に発する、という程であった。
「あぁ、癪に障る! その話し方といい、そのつまらなそうな顔といい!」
卦籤が苛々としていることは、ルルノも気付いてはいた。それでも、自分の言葉で怒っているとは考えなかったので、その突然の卦籤の変化に驚いてしまう。
「え?」
間の抜けた声がルルノから溢れた。そしてそれが、更に卦籤の苛立ちを刺激する。
「玉蟾様に拾われて瓏々邸に来て。そんな凄いことなのに、私が必死に頑張ってようやく辿り着いたここまでを、何もせずに運だけで来たくせに、そんなどうでも良さそうな顔をするな!」
それは、ルルノの想像だにしない言葉であった。
ルルノは未だ、この瓏々邸を目指す妖怪たちがいることを知らない。ここにいるというだけで、他の者から敬意と嫉妬を受ける立場になるということ、苦難を越えてまで婀瓏孅の師事を受けたいと望む者がいることを、まだ知らない。
「そう、そうなんだ、だから私はあんたが憎い! 羨ましくて妬ましい! 人の子の分際で、瓏々邸の、それもお師様のすぐ側にいるあんたなんか大っ嫌い!」
拳を握り、全身に力を込めて、思いの丈を卦籤は全て絞り出す。
「でも何より、それをあんたが喜んでないことが一番許せない!」
卦籤の目から涙が溢れる。煩わしげに頭を押さえ、髪を振り乱して叫ぶ。腹の中で暴れる苛立ちを解消できず、卦籤は苦しんでいた。
驚いて固まっているルルノに、卦籤は睨みつけてから再び怒鳴る。
「せめて笑いなさいよ! 何なのよ、その小賢しそうな顔は! あんた子供なら、もっと馬鹿みたいに笑いなさいよ! そうじゃないと、私が惨めじゃない! あんたと違って、ここにいる全員は努力してここに辿り着いたっていうのに!」
涙はぼろぼろと頬を転がって床に落ちる。激情に自分を抑えられない卦籤は、唇を少し噛み千切ってしまい、口の端を涙と混じって血が伝い、ぽとりと床に落ちる。
「嫌い! あんた嫌い! 料理されたって、喰べてやんない!」
そう怒鳴るや、卦籤は振り向かずに走り去ってしまった。




