過日の少女
朝日に焦がれる薄い宵闇を、濡れた風が裂く様に走り抜けた。揺られて夜露を零す色濃い緑は、芽吹きの季節を越えたことを誇る様にぴんと張っている。湿った空気が、清夜の終わりを告げていた。
やがて、闇で交わっていた空と山に、光と影の境界が生まれていく。すると後は、宵闇を呑み干そうと天に太陽が昇っていく。季節は穏やかに衣替えを終えつつあった。
衣替えしていくのは何も木々ばかりではない。動物も、人も、妖怪も、鮮やかに彩りを変えていく世界に合わせ、少なからずその日々の生活を変化させていた。
夜明けの里に見える着物は軽く、色は青い。まだ肌寒い時間だというのに、皆涼しげで、もうしばらくすれば訪れる蒸し暑さを待ち受ける様に、腕を捲っている。祭りが近い。その準備で、里の人間は慌ただしく動き回っているのであった。
その様な喧噪と時同じくして、けれど人里から随分と離れた寂しい草原を、身の丈およそ三尺と少しほどの少女は一人で歩いていた。
髪は乱れ肌は荒れ、所々破れた着物を纏い、擦り切れた履き物を引きずり、切れて零れる血で肌を潤す。
乱れて整わない呼吸を続けながら、上手に持ち上がらない足を引いて歩を進める。真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに。
どれ程歩いたのかは判らない。どこから歩いてきたのかさえ判らない。空腹と疲労とで、それを考える余裕がなかった。
寝惚けた様に霞む頭の奥底。少女はぼんやりと何かを悔いる。自分が何を悔いているのかは判らない。涙も出ない。記憶は虫に食われたみたいに穴だらけで、思考さえ色を失って真っ暗闇。それでも何かを後悔した。そして何かを願って、何かを祈った。
ぎゅっと、弱々しく握る。少女の持つ唯一のお守りがその手の中にある。少女がすっかり忘れてしまった記憶の断片、ルル・ノヤーシュという少女の名を刻んだ、小さな板切れ。
何を持っているのか判ってはいない。それでも少女は、その名札を握り締めていた。
悲鳴を上げ続ける体を無視して、前へ、前へ。
「………」
喉がヒビ割れる様な感覚から、水が欲しいと口を開くが、悲鳴は声にならない。
空ろな目に映る青い草原は、色の付いた砂漠の様であった。




