思い出せない思い出
「そうか。僕は、そうだね、苦しくはない。僕がそうなのか、それとも妖怪がそうなのか判らないけど、どんな生き物を食べるにしても、ん、そう苦しいってことはないね。それが虫でも獣でも、人でも妖怪でも大差はないかな」
苦しいとルルノが感じるのはルルノが子供だからなのか、苦しいと自分が感じないのは自分が人間ではなくなったからなのか、ルマリウルには判らない。
すると皐詠舞祷が、ルルノとルマリウルの二人に向けて口を開いた。
「それは妖怪の私でも同じ。でも、人間は人間を食らうことを、嫌悪したり、恐怖したりすると聞くわ。そして人間の幽霊は基本的に人間の頃の感性を持ち続けるから、ルマリウルのそういう感性は、恐らく妖怪になった時に変質したものでしょう。さもなければ、人間の頃から相当の奇人だったということになるわね」
皐詠舞祷の言葉が正しければ、ルマリウルはやはり幽霊ではなく妖怪、ということになる。それを聞くと、ルマリウルはどこか乾いた声で小さく笑った。
そんな二人を見て、ルルノは少し寂しそうに返事をした。
「そう、ですか」
これはルマリウルが人でないということに対してではなく、人が人でなくなってしまうということに対してであった。
少女が憮然としたのを見て、何か言わないといけないと感じたルマリウルは、少し焦り気味に思考を巡らせて言葉を探す。
「えーっとね、んー。あ、でもそうだな。自分の仲間とかを食うのは嫌だね。例えばこの瓏々邸のみんなを食っちゃうのとかは御免だ。気分悪い」
少し口早にそう言うと、ルルノは再び興味を持った様に視線を上げる。その顔を見て、内心で少しほっとした。子供の落ち込んだ顔は心の毒だ。そう、ルマリウルはそっと心で呟く。
安心したルマリウルは、今度は落ち着いて言葉を探す。
「ルルノは、人の肉は嫌?」
それは、何の果物が好きか、というような気軽い質問だった。その質問を聞いて、ルルノはルマリウルが人間とは別のものなのだと、再確認してしまった。
「はい」
目線を外しながら答える。ルルノの目にまた少し寂しさが宿ったことには気付かず、ルマリウルは自分の思いを素直に吐き出す。
「そうか。いいね、それ」
ぽつりと出た言葉。それは、ルルノにとっては予想外の言葉。耳にしてしばらく判らなかったが、理解するとゆっくりと顔を上げて再度ルマリウルを見上げる。すると、ルマリウルはどこか遠くを見る様に語っていた。
「僕は人間の部分を、きっと随分無くしちゃったからさ。今は未練があるわけでもないし、人間になりたいかと訊かれても特に興味はないって答えるよ」
まるで雨の降り始めの様に、少しずつ、けれどしっかりと染み込む本音の吐露。言っている本人にとっても、自分が何を言っているのか、そして何を言おうとしているのかという自覚がない。ただ、内に思っていたことを言う機会が見つかった為に、本人の意識とは別に、勝手に言葉が溢れてしまっているのだ。
「でもさ、元々は人間だったんだ。それが、今までの楽しい記憶さえごっそり抜け落ちて、多分考え方まで変わっちゃってさ。なんか惜しい気がする」
ルマリウルの目が、どこか郷愁に似た色を帯びる。そんな顔を見て、ルルノはぼんやりと思う。この人は確かに、もう妖怪になってしまっている。けれど、半分は人間なのだろう。それはつまり、どっちでもないということなのかもしれない。そしてそれは、悲しいことではないだろうか。辛いことではないだろうか。ルルノは、そう思ってしまった。
「人間の頃の記憶なんて、もうほとんど意味ないし、あったって寂しいだけのものもあるからね。でも、それでも少し残ってる。そしてそれはさ、どうしたってなくならないし、なくせないんだなぁ」
そこまで言ってから、自分の中にある気付かなかった何かに、ルマリウルは少しだけ触れた気がした。そしてそれに触れた感想を、我知らずに口から溢す。
「やっぱ、どっかに残ってるのかもね。自覚はしてないけど、人間だった時の心がさ」
その一言を、ルルノも、そして皐詠舞祷も、じっと真剣な目で聞いていた。




