朝食の始め
やがてルルノは体の麻痺から解放されたのか、おもむろに体を起こした。
「お、おはようございます」
無個性で抑揚のない挨拶。挨拶以外の感情を受け取ることのできない、必要最低限の言葉であった。
「おはよう」
それに対して、婀瓏孅もまた無個性な挨拶を返す。だが、こちらにはどこか艶っぽい響きがあった。
「ありがとうございます。どうにか起きられました」
ルルノの顔は、既にしっかりと目覚めている。しかし、何故あんなにぼうっとして起きられない様な状況に陥っていたのかと、不思議そうな表情を浮かべ首を傾げていた。それを見ると、思わず婀瓏孅はくすくすと声に出して笑ってしまいながら、気にしないでいいわとだけ返した。
ルルノがしっかりと立ち上がってからすぐに、朝餉の準備が整ったと皐詠舞祷が二人を呼びに来たので、二人は呼びに来た皐詠舞祷に続く様に、食事の用意してある部屋へと向かった。既にセクタは待っているとのことである。
部屋に着くと、その光景にルルノは目を僅かに見開いた。部屋には座蒲団と膳が四つずつ揃えて置いてあり、膳の上には等分に分けられた食事が並んでいる。ルルノの住んでいた村では、家族で卓袱台を囲み大皿で食事をするのが普通であった。このような食べ方をする人がいるということは知っていたが、実際にこの食べ方で食事をした経験はない。その為、これはとても新鮮なものであった。。
席は二つ空いている。その場所へ、ルルノは婀瓏孅に手を引かれて向かう。
「ほら、ここに座りなさい」
そう言って、婀瓏孅は奥の席に音もなく座る。ルルノは相変わらずの無表情に僅かな戸惑いを乗せながら、今では唯一空いた座蒲団の上にちょこんと正座をした。
変わった環境に対応の仕方判らず困ったが、少し落ち着いてから周囲を見渡してみる。そこには自分と婀瓏孅の他に、皐詠舞祷とセクタがいた。
セクタが婀瓏孅に言った通り、朝餉には米も肉もなく、野菜炒めと野菜の味噌汁と漬け物という、精進料理の様相を呈していた。
食事の前に、皆静かに手を合わせ、目を瞑る。一呼吸程である。これが、瓏々邸での食前の儀式であった。それが済むと、各自食事を開始する。ルルノもそれを見習い、形だけは同じ様にしてから食事を始めた。
食事の間は、誰一人声を漏らすことなく静寂の中で箸の音だけが響いている。そしてそんな無機質な音の中で、婀瓏孅は舞妓の扇子の様に淀みなく箸を動かしていた。それは、慣れない様式に戸惑い、食事の仕方の参考にしようとその様を眺めていたルルノが、しばらく食欲も忘れて婀瓏孅の食事姿に見入ってしまう程であった。




