眠りへ
「ほら、口」
目の前で蓮華が揺すられる。既に吐息が掛けられ、いくらか冷まされたものである。
婀瓏孅が困惑を楽しんでいることに気付かないルルノは、長く躊躇して婀瓏孅を機嫌を損なわせてはいけないと思い、渋々と口を開いた。その途端、ルルノの口内に蓮華が飛び込む。その餓えた獣の様な滑り込みに、思わず呼吸が止まる。
適温になっている粥を舌の上に置くと、荒々しさも一緒に置き去りにしたかの様に、蓮華はしずしずと穏やかに引き抜かれた。ルルノは抜かれる際にぱくりと唇で蓮華を挟み、蓮華に残った米粒をさらう。
完全に引き抜くと、婀瓏孅はにこにこ笑う。
「どう?」
そう訊ねる表情は、動物に餌を与え興奮している子供のそれに似ていた。
婀瓏孅のそんな楽しげな表情を見て、ルルノは改めて、不思議な場所に紛れ込んでしまったのだと思った。昔を思い出せないというのに、はっきりとわかる。ここは、何もかもが違う。
「美味しいです」
個性のない、けれど素直な返答。
「どう美味しい?」
しかし、対して個性を求める問い。ルルノは言葉に詰まり、目線を泳がせながら考え込んでしまう。
それを見て楽しそうに微笑むと、婀瓏孅はルルノの返答を待たずに言葉を掛けた。
「のんびりしなさい。時間だけはたっぷりとあるのだから」
そう言いながら、再び蓮華を差し出す。戸惑いながら、ルルノはそれを咥え、また粥を咀嚼する。
結局、夕餉もルルノは蓮華を持つことはなく、粥を完食するまで婀瓏孅に差し出されるままに蓮華を咥えて咀嚼するということを繰り返した。ルルノの咀嚼がのんびりしているということもあり、婀瓏孅は食べさせながら自分の粥を食べ、少しの悪戯を交えながらも、ルルノより早く自分の粥を食べ終えていた。
空になった器を見て、婀瓏孅はくすくすと笑う。食欲とは、即ち生きようとする意志。それがこの少女にはある。とても関心なさそうにしている割に、貪欲にしぶとくも生きようとしている。そんな少女の不器用さ、あるいは心と体の食い違いが、婀瓏孅には可笑しくて仕方がなかった。
食べ終わった食器を盆に乗せると、婀瓏孅はそれを持って立ち上がる。
「それじゃ、私はこれを置いてくるわね。あなたはまた眠っていなさい」
それだけを言うと、ルルノの返事も待たずに部屋を出て行ってしまう。残されたルルノは、昼間同様にふらふらと頼りなく体を揺らし始め、やがてぽとりと蒲団に沈んだ。
まだ僅かに意識があるが、それは限りなく限界に近い。目を閉じれば、間違いなくルルノは夢の中へと旅立つだろう。だが、堪える必要は特にないというのに、何故か無意識に抗いたくなった様で、ルルノは必死で目を見開いていていた。
それからどのくらいの時間が経過したのか判らない。特に意味もなく、強敵である眠気とルルノが死闘を繰り広げていると、食器を戻した婀瓏孅が寝間着姿で部屋に戻ってきた。そしてそのまま、ルルノがもぞもぞとしている蒲団の中に、少し冷えた体を潜り込ませた。丸くなっていたルルノの背中に、婀瓏孅の体が触れる。
一緒に眠るとは思っていなかったので、ルルノは戸惑いと驚きに声を漏らす。
「なんだ、まだ起きていたの。もう眠りなさい」
婀瓏孅は子供を寝かしつける様に、ルルノのことを優しく抱いて頭を撫でる。突然密着され、更に腕で腹部をぎゅっと抱えられて固定されたので、ルルノは動揺して僅かに揺れた。しかし、次第に戸惑いと驚きが去っていくと、自分以外の体温に心が安らぎ始め、いつの間にか眠気に意志が負けると、ゆっくりと夢の中に落ちていってしまった。




