婀瓏孅と皐詠舞祷
皐詠舞祷と呼ばれた女は、今瓏々邸にいる中では最も古い内弟子となる妖怪である。肘までしかない短い袖の着物を好み、着物の下に股のない袴を穿く。着物は青の濃い紫という暮色地で、雪山の上にぽつりと月が浮かび、それを目指して三羽の鳥が飛んでいるという柄が鮮やかな白で描かれていた。
また、両手首に数珠に似た地味な飾りを付けていた。
背が高く穏やかな表情をしており、揺れる柔らかな髪は温かい雰囲気を香らせる。
問い掛けてきた弟子に対し、婀瓏孅はルルノの頭をぽんぽんと優しく叩きながら答える。
「これは今日からここで飼うことになった人間よ。だから、こんなのを喰うことはないと思うけれど、お腹が空いても間違って食べない様にと、セクタに伝えてもらえるかしら」
皐詠舞祷は小さく頭を下げて了解する。内心では人間を飼うということに少しの戸惑いがあったが、それは声にも態度にも現れなかった。
「それで、その子供は主に誰に面倒を見させましょうか?」
生き物を飼うとして、全員で面倒を見ることは当然としても、やはり責任を持つ者が必要だろう。そう思っての言葉であった。そして、それは自分の役回りになるのだろうと考えていた。
「この子は、私が面倒を見るわね」
婀瓏孅はさらりとそう答える。その予想と違う一言に、皐詠舞祷は酷く驚いた顔をした。そんな顔を見て、婀瓏孅は可笑しそうにくすくすと笑い出す。どうやら、いつも穏やかな弟子が驚くことを期待しての言葉であったらしい。
しかし、驚かせたままでは悪いと思った様で、自分が育てるという理由を短く説明した。
「玉蟾に、これを私が育てろって言われたのよ」
嬉しそうな、困った様な、そんな複雑な表情で婀瓏孅は浮かべてみせる。
それを聞くと、皐詠舞祷は驚きを瞬く間に氷解させた。皐詠舞祷に限らず、この屋敷に住んでいる者は玉蟾と少なからず面識があるので、彼女の気紛れがどういうものか理解はあった。
「なるほど。玉蟾様の戯れですか」
自分の理解を、玉蟾の好む言葉で表現をする。
「そう、戯れ。でも、何の意味があるのかしらね」
婀瓏孅の中に残っている、まだ見えてこない玉蟾の胸底。それを、何気なく問い掛ける。だが、皐詠舞祷にそれは判らない。婀瓏孅に育てろと言ったからには、恐らく何かしら、些細かも知れないが狙いや目的や意味があるのだろう。そこまでは考え至るが、肝心のそれが何かまでは、思い至ることができないでいた。
少しだけ悩んでから、婀瓏孅を待たせぬ様に早めに答える。
「私には判りかねます」
少し無念に思いながらも、やはり表情は崩さない。
「そう。そうよね。玉蟾だものね」
そう言って、自分を納得させるように溜め息を吐いた。
「それじゃ、私はこれを風呂で洗ってくるから、着替えを頼むわ。それから、この子の足跡を掃除しておいて欲しいのだけど」
婀瓏孅も答えを期待していたわけでもないようで、失望の色はない。それが皐詠舞祷の胸の奥でじくりと痛んだが、それを押し殺して返事をする。
「判りました。その子の衣服も必要ですか?」
「お願い。あるかしらね」
会話が終わると、セクタと呼ばれた他の弟子に人間の子を食べない様にと伝えに行くと断りを入れ、皐詠舞祷は静かに歩き去った。
「ルルノ。さっきのが今ここで最も古い弟子よ。あの子はここで唯一好んで人間を食べない妖怪だから、何かあったら頼ると良いわ。まぁ、食卓に上れば普通に食べるけれどね」
ルルノの頭に手の平を乗せながら、言い聞かせる様に口にする。その手が温かくて、ルルノは少しだけ微睡むような目をした。
二人は長く静かな廊下を進んでいく。そんな中で、裸足のルルノの足音だけが、ぺたり、じゃり、ぺたり、じゃりと響いていた。




