瓏々邸
霧が濃く、嶺から頂上までを深い緑に覆われた高山。蘭摧玉折という言葉から二文字を取った、蘭玉山という名で呼ばれている。
ここの木々は光を美しく散らし、山道を煌びやかに彩る。だが、山は雲を越える為か、登れば登る程に大抵の場合は濃い霧に包まれており、やがて一寸先さえ霞んでしまう。また、この山には獣であったり、人を喰らう魑魅魍魎であったりが多く棲み着いており、人間が近付くことはまずない。人以外であっても、この山を住み処としている者以外は滅多に近付かない、美しく恐ろしい山であった。
その霧を抜けた先には、質素だけれどどこか豪奢な、樹齢が二千を超えた樹木の様に威風堂々とした大きな屋敷がある。その屋敷、妖怪、婀瓏孅の住む瓏々邸という屋敷である。
ルルノを連れた玉蟾は、空を泳ぐ舟で山の頂上に訪れた。山の頂に大きな屋敷があったものだから、ルルノの顔には驚きと好奇心の色が微かに浮かぶ。
雲や霧を突き抜けた地面に、そっと置かれている屋敷。それは、幻想的な光景であった。
舟は山頂近くに止まる。船着き場に接岸している用に崖に着いている為、ルルノは舟を下りることを少し躊躇ったが、玉蟾に抱え上げられて何事もなく下ろされた。
三人は舟を下りると、屋敷の大きな門をくぐり、屋敷の戸の前で立ち止まる。
そこから静かに、しかし良く通る澄んだ声で玉蟾が家主を呼んだ。
「婀瓏孅」
その声は屋敷の中を反響した。
しばらくすると、引き戸を開け、中から着流し姿の男が現れる。髪は梳かしていないのか雑に散らばりながら、それでもどこか整っている乱髪が印象的だった。
「あれ、玉蟾様? それに、玉虫さん」
現れた男は、二人を見ると少し驚いた表情をしてから、すぐに真面目な顔を作る。
「何のご用でしょうか?」
「婀瓏孅を呼んできて」
男の問いに、玉蟾は少しの間も置かずに答える。それを聞くと、男は上がって待っていてくださいと言った。それを玉蟾が断わるのを聞くと、一度頭を下げてから屋敷の中へと消えていく。
その男の背を見送ってから、玉蟾はルルノに「この屋敷、瓏々邸には、妖怪が暮らしている。皆、人を食う妖怪なのよ」とだけ告げた。
その言葉に、無表情のまま息を呑んだルルノが小さく頷いた時、玉蟾は屋敷の中をそっと指差す。
「そして、あれがここの主」
その指を追って、ルルノは開け放たれた引き戸の向こうに目を向ける。だが、まだ人影は見えない。ルルノは一瞬だけ玉蟾に視線を戻してから、再度引き戸の向こうに視線を向ける。すると、若草色をした着物を纏った女が歩いてくるのが見えた。その女の足取りは静かで、湖の上を幻が歩いているかの様な印象を与える。
「あなたを育てる妖怪」
口にしながら、楽しそうに玉蟾は笑っていた。
現れた婀瓏孅は、色が白く、手足が細く、酷く脆そうな印象の妖怪であった。そしてそれが、艶やかな髪と整った目鼻と合わさり、恐ろしく妖艶であった。
見た目では二十の後半という感じではあるが、人の十数倍は優に生き、かつ自分の見た目を思うままに変えられる妖怪に於いて、見た目の年齢は少しも当てにはできない。




