玉蟾の悪戯心
帰ってからのことを考え、玉虫は少し落ち込みながら、櫂を手に取り空を漕ぐ。そんな従者の様子は何処吹く風と、玉蟾は舟から身を乗り出して地上を眺め始めていた。
草も木も土も、遙か遠く下に映る。風に揺らされながら浮き上がってくる数枚の木の葉たちは、お互いに競争でもするかの様に楽しげに空を泳いでいた。
そんな光景をぼんやり眺めていると、ふと玉蟾の視界に、妖怪と人間が入り込んだ。
「……おや。何か面白そうなものがあるわ」
「はい?」
疲れた顔の玉虫は、玉蟾の声に反応して姿勢を正す。
何か命令だろうかと次の言葉を待つ玉虫。そんな様子をちらりと見てから、どうしようかと考えている玉蟾。そして次の瞬間、舟の下にある光景を見に行ったら玉虫は困るだろうかと、ろくでなしなことを考えついた。
「ちょっと見てくるわ」
「え?」
そう口にするや否や、軽やかに舟の縁を掴んで身を起こすと、地上までおよそ三十丈はあろうかという高さも構わずに飛び降りてしまった。玉虫が玉蟾の落下を把握したのは、自分の立つ位置から玉蟾の髪さえ完全に見えなくなった後であり、最早手遅れになってからであった。
「玉蟾様!?」
落ちていく玉蟾は落下速度を緩めることなく地上へ向かい、風の抵抗で持ち上がり暴れる着物を器用に整えると、続いて長過ぎる髪が土に触れない様に結い上げ、落下しながら支度をすっかりと済ませてしまう。
「これで良いわね」
支度がちょうど終わった頃に玉蟾は軽やかに着地をする。すると、その目の前には、二人の妖怪と一人の少女が相対していた。硬い鱗に覆われた背の高い妖怪と、子供の様に小柄で鋭い爪と牙を持っている妖怪。そして、空ろな目で座り込んでいる幼い娘。
足音も気配もなく静かに着地したが、少女がそれに気付き、次いで二人の妖怪も急に背後に現れた玉蟾に気付く。一度気付いてしまえば、まったく気配がなかった玉蟾に対して、妖怪は却って強い警戒の色を見せた。
「おいなんだお前」
低い声で、大きい方の妖怪が玉蟾に対して声を掛ける。
だが、楽しげな玉蟾はそんな威圧に見向きもせず、人間の少女に近寄ると、屈み込んでその顔をジッと見た。
「あら、小汚い。人の子ね」
少女を見た最初の感想をそのまま口にする。
少女は妖怪を前にして恐れた色はなく、泣きもせず、ただ諦めた表情で俯いているだけだった。
「おい!」
反応がないことに苛立ち、声に怒気が加わる。
すると玉蟾はゆっくり立ち上がり、二人の妖怪を改めて見回す。
「んー。はぁ。どれもこれも美味しくなさそうね。がっかりだわ」
妖怪の言葉など聞こえないかの様に、少しも反応を返さない。
そんな態度に二人の妖怪は腹を立て、玉蟾に襲いかかろうと構えを取った。この二人の妖怪はここしばらく何も食っておらず気が立っていた。
二人が玉蟾に飛びかかろうとした時、ぱたぱたと音を立てて、腰に刀を差した玉虫が走って現れた。
「玉蟾様、まったく……思い付きで行動をしないでください!」
心配したのか、あるいは見失うことを恐れたのか、玉虫は先程以上に青い顔をしていた。どうやらすっかり調子も崩しているらしく、少し走っただけで息が切れている。
「あら酷い顔。しっかりとご飯は食べないといけないわよ」
「玉蟾様ぁ」
またも玉蟾は玉虫を少しだけ泣かせた。




