それは大変な帰り道
雲を突き抜ける山の頂。その先に佇む妖怪の屋敷。
「はぁ、はぁ……ようやく……重かったぁ」
生き物の気配は多いけれど、人の気配などほとんどしないその場所で、二十に届かない歳の娘が息を切らす。
山を幾つも越え、深い森を抜け、ようやく辿り着いたのは、その屋敷へと続く長い石段。石段の先を見上げると、それだけで疲労している膝が少し笑う。
「ふぅ……もうひとがんばり、ですね……ひとがんばりで足りるかな……足りる、足ります、足りなきゃ……やります」
折れたがる心に喝を入れて、石段に向かい一歩踏み出す。
しかし、ふと気付く。今自分が履いている一本歯の下駄は、土ならまだしも、石段ではどうだろうかと。草履に履き替えた方が良いのではないかと。
「……そう云うことなら仕方ないですね」
娘はそっと下駄を脱ぎ、肩に掛けていたやたらと大きな振分荷物を地面に置いた。そして、強く握りしめていた竹の杖も手放す。
「あぁ……」
開放感から声が漏れる。そのついでに大きく背伸び。もうここまで来たから良いだろうと、菅笠を外すと、黒い髪がふわりとこぼれた。古びた手甲と脚絆も外してしまう。
土に汚れているものの、上等な鴇色の小袖、藍染めの上っ張り。少し肌寒い風が、ほてった体に丁度良く感じられた。
娘の名は、ルルノと云う。今から向かう妖怪の屋敷に、深い縁を持つ人間の子であった。
「……何段くらい、あるのでしょうね。数えたことはなかったですが……数える気力が、ないのですが」
清々しい顔で改めて石段を見て、笑顔が引き攣る。
取り敢えずと、下駄を荷物に入れ、草鞋に履き替える。また、手甲や脚絆も荷物に入れ、菅笠は背負うことにした。
一度休んでしまった為、固まらない覚悟。でも、行かぬわけにはいかないと、溜め息一つ。
その時、背後から何か重い物が駆け寄ってくる音がした。
「え?」
振り返ると、熊がいた。
「ふえ!?」
驚き、少し怯えたものの、咄嗟に杖は握る。戦うこととなった場合、勝てる自信は微塵もなかったが。
熊は急に速度を落とし、少しばかり離れたところで止まると、ゆっくりとルルノに向かい歩き出す。
明らかに自分に向かってきているとわかるので、背を向けて逃げては駄目だろうなと考えた。ならばどうすれば良いのか。ここから生き延びる手段を考え、そして、杖を脇に挟むと、ゆっくりと手を合わせ、目を閉じた。
「……先生。先立つ不孝をお許し下さい」
そして縁起でも無いこと唱え始めた。
ある程度までルルノに近付いた熊は、のそりと二足で立ち、大声で吼えた。その咆哮だけでルルノは気絶してしまいそうだった。
立ち上がると背丈は七尺ほど。対するルルノは五尺ほどしかない。
ドキドキバクバクと高鳴る心臓にクラクラしながら、ルルノは待った。が、特に何も無い。どうしたのだろうと、ゆっくり目を開くと、すぐ目の前に顔があった。
ビクンと体が跳ねる。
熊は四つ足に戻っており、こちらに頭を突き出している。というより、後頭部をルルノにずいと向けていた。
しばらく経ってから、ルルノはハッとして、そしてゆっくりと、恐る恐る、熊の頭部を撫でた。
熊は大層心地良さそうな声を出した。
「……よ、良かった……」
ゆっくり頭を撫でて、首や頭部の傷が見えて、この山で何度か治療してあげた小熊だったのだと判った。
二年ほど姿を見なかったが、自分のことを憶えていてくれたのだと、ルルノは嬉しくなってきて、熊の頭部にギュッと抱き付く。
「熊さん。お久し振りです。ただいま戻りました。お元気そうで何よりです」
死なずに済んだ。そういう喜びも含めて、ルルノは嬉しそうに頬擦りなどもした。熊も心地良さそうに、ただジッとルルノに身を任せていた。




