混沌の世界
暗雲が空を覆っていた。
灰色の雲の中では轟と共に、稲光が明滅を繰り返している。
肌にまとわりつくような重い空気は、不快感を抱かせる。
天候は今日も最悪。
そして異世界は今日も災禍に見舞われている。
だがそんな世界でも希望を失わず、懸命に戦う黒衣の男と、彼を支える彼女たちの姿があった。
「行くぞ! くれぐれも気を付けろよ!」
世界最強の称号ブラッククラス。
その五番目の授与者である”黒皇”こと、ケン=スガワラの勇ましい声が断崖の上に響く。
「あう!」
彼の後ろにいた弓を背負った獣耳の少女が答えた。
弓聖と称えられるリオン。六位魔神バルバトスの宿るDRアイテム「反逆の弓」の所持者である。
「わかりました!」
次いで答えたのはリオンとはまた違った長い獣耳を生やした少女だった。
ケンの最愛の人:ラフィ。
彼女は手にした黄金に輝く、五十二位魔神グレモリ―が司るDRアイテム「愛憎の杖」を強く握りしめる。
三十六位魔神アスモデウスが封じられたDRアイテム「星廻りの指輪」の所持者ケン=スガワラは魔力を自分の中で燃やし、高めて行く。
たった三人きりの軍勢。しかし彼らは全員、この世界での至宝、最強の武器DRアイテムの所持者である。
一人の実力は数万の兵力に匹敵する。
しかしそんな彼らの顔に余裕は無く、緊迫しているのだった。
ケンが断崖から飛び出し、その後にラフィとリオンが続く。
彼らは示し合わすこともなく、揃って切り立った崖を駆け下りた。
彼らに続く軍勢は無い。
それでも彼らは必死に森を掻き分け、その先で大火に見舞われる街へ向けてひた走る。
その街にはかつて、ケンとラフィが初めて手にした金で間借りした小さな集合住宅があった。
ケンはそこで初めてラフィへまともな服を贈った。
未熟な冒険者だったムートンと飲み明かしてしまい、明け方にこっそり帰って、ラフィにこっぴどく叱られたりもした。
未だアイス姉妹の奴隷兵士だったリオンと出会い、拳を交えたこともあった。
それら全てはケンにとってはかけがえのない思い出であり、その時抱いた喜びは今も尚色あせることは無い。
様々な思い出が残る街:メール。
そこは今や炎に巻かれ、吐き気を催しそうなほどの血の匂いが充満していた。
街の外から数多のモンスターが急ごしらえの城壁を破り、なだれ込んだ。
その報告を受けたのが今日の明け方。到着までそこまで時間がかかったわけではない。
しかし街は既に猛火に包まれ、人々の阿鼻叫喚が街の至る所から響き渡っている。
メールの町は既にほとんどが壊滅していた。
ゴーレムの巨体が家屋を突き崩し、バジリスクが毒液で人々を溶かす。
ゴブリンとオークは嬉々とした様子で人を殺す。
気に入った個体を見つければ様々な手段で動きを封じ、醜悪な笑みを浮かべて、どこかへ引きづり去って行く始末。
もはや思い出の街は崩壊していた。ただ地獄が広がっていた。
手遅れであった。
それでも、助けられる命があるのなら!――それはケンと、そして彼と彼女達の願いであり、したいことであり、すべきことだった。
「多段矢!」
真っ先にリオンは飛び出し、DRアイテムの弓から翡翠の矢を放つ。
ソレは猛火で赤く染まる空で分裂を繰り返し、地上へ雨のように降り注ぐ。
矢は反転、旋回、急降下をし、正確にモンスターのみを駆逐してゆく。
そんな矢の雨の中へケンとラフィは身体を滑り込ませる。
「はぃっ!」
ラフィの鋭い蹴りは、まるで太刀のようにゴブリンを両断し続けた。
ゴブリンは次々襲い掛かるも、狼牙拳を極めたラフィは止められない。
「ここは頼む!」
「はい! ケンさん、お気を付けて!」
ケンは黒焦げになった石畳を靴底で思いきり蹴った。
その場をラフィとリオンに任せて、彼は炎で赤黒く染まる空へ高く飛翔する。
ビュンと矢のように飛び、家屋の屋根を飛び越えて、街を蹂躙する巨大なゴーレムを視界に収める。
その数5。
彼に気付いたゴーレムは街の蹂躙を止めた。
一斉に巨大な顔が傾き、ケンを視界に収めようとする。
すると一体のゴーレムの首に鋭い氷の軌跡が過った。
巨大な頭が綺麗に切り取られ、宙を舞う。
それが空中で四散すると、中から拳を構えたケンが勢いよく飛び出してきた。
ゴーレムの巨腕がケンをひねり潰そうと、迫る。
既に敵の攻撃を予測していたケンは、ゴーレムの指先をステップに、更に上昇。
残った四体のゴーレムを視界の中に捉える。
そしてDRアイテム「星廻りの指輪」から赤紫の魔力を発した。
「いけぇぇぇっ! 飛翔針砲!」
彼の周囲に無数の針が形成された。
それは底から火を吹き、鋭い先端に多大な魔力を宿しながら、一斉にゴーレムへ降り注ぐ。
針は触れた途端に、小さな先端に宿した膨大な魔力を解放して爆ぜる。
ゴーレムはあっという間に爆炎に包まれる。
巨大な街の蹂躙者は、ケンのスキルウェポン【飛翔針砲】によってあっという間に藻屑と消えた。
一番の脅威を駆逐した彼は地面へ降り立ち次の獲物の気配を探る。
そんな彼の脇で一際巨大な爆発が起こった。
「わあぁぁぁぁ!」
次いで聞こえた怒りと狂気と歓喜に満ちた人々の声。
路地裏から次々と様々な武器を手にした、屈強な体つきの人間が次々と現れる。
彼らの身体にはおしなべて効果を失った”呪印”の跡が見受けられた。
――こんな時に奴隷兵士か!
ケンは事態を更に混乱させる連中に心の中で悪態を付く。
今やこの世界は混沌の中にあった。
世界は序列迷宮からあふれ出たモンスターによって次々と破壊されていた。
更に厄介なのが奴隷兵士の存在であった。
世界が混乱しているとみてか、多くの奴隷兵士達がここぞとばかりに牙をむき始めていたのだ。これまで虐げられ続けた彼らはモンスターと共に世界を破壊し、混乱を助長している。
ケンとシャトー家の当主であるムートンが推し進めていた”呪印と奴隷兵士制度の完全撤廃”が裏目に出る結果となってしまっていた。
「おらぁっ!」
「ぐわっ!?」
ケンは商店跡へ雪崩れこみ、略奪の限りを尽くしていた奴隷兵士を殴り飛ばす。
奴隷兵士たちは成すすべもなくケンの前へ倒れ伏す。
一通り暴徒と化した奴隷兵士を倒したケンの耳へ、激しい爆発が届く。
ケンは商店跡から飛び出した。
「「あははは!」」
空より重なり合った不快さを感じさせる少女たちの声が響き渡る。
視線を上げると、そこにはグリモワ―ルの双子魔導師アイス姉妹が浮かんでいた。
世界を混乱へ導いた連中の一角をケンは鋭く睨んだ。
「頑張って世界を守っているようですね。ねぇ、オウバ?」
黒の魔導師、姉のシャギ=アイスはそう聞き、
「はい、姉様。しかしいつまで持つのでしょうね」
白の魔導師、妹のオウバ=アイスはあざ笑うかのようにケンを見下ろす。
「「さぁ、もっとあがけ! そして絶望しろ! どんなにお前達があがこうとも、この世界は滅ぶ! 必ず! そして世界は私達グリモワールが作り変えるんだ! あははは!」」
「黙れっ! てめらグリモワールは俺が潰す! 必ずな!」
怒り任せにケンはスキルウェポン【破壊閃光】を放った。
黄金の光線にアイス姉妹は飲まれて霧散する。
「チッ、幻影か……」
苛立ちを悪態で抜き、気持ちを整える。
そして彼は再び、地獄絵図になってしまった思い出の街をひた走る。
今から丁度三か月前のこと。
伝説のブラッククラス”白閃光こと、ミキオ=マツカタをリーダーとする最凶最悪のパーティー。メンバー全員がDRアイテムを所持する栄光のブラッククラスパーティー【グリモワール】
彼らは一位迷宮バエルの攻略を果たし、獲得したDRアイテムの力によって迷宮内の危険なモンスターを世界中へ放った。
彼らの悲願だったという【世界破滅計画】
字面では笑ってしまうような、まるで子供じみた計画の名。
だが世界は文字通り混乱し、破滅の一途をたどっている。
それでもケンは折れることなく、戦い続ける。
全ては大切な彼女達と出会えた、この世界を守るため。
彼は大切に想う彼女達を思い描きながら、地獄の中を今日も駆け抜けるのだった。




